『Forget me, Forgive me / Original Side』について


Forget me, Forgive me(以下、F,F)に関する解説にあるように、わたしは栞シナリオを補完する術を探っていたのです。
でも、結局、栞をKanonから遠く歪めることでしか、それができなかった。
それはわたしの能力不足であり、KanonのSSとしては間違いでした。
わたしはF,Fを自分の書いたものとしては愛している。
でも、これはKanonと呼べない代物でした。本当に、わざと最初からそう書きだしたにしても。

それに気付き、だから、元々、わたしが企画していたオリジナルの、
栞シナリオ補完の、あの時は愛せずに放り投げ、そしてF,F/FTの名でF,Fを補完するために書いたシナリオを、
きちんと栞シナリオを補完するために書こう、そう思わせたのは、
酔狂さんのお書きになった『Do the Angels have a Home?』というSSでした。
そこに書かれている栞、そしてそれを書かれた酔狂さんの思いが、わたしの思い、
栞と栞シナリオへの違和感を何とかしたいという思いとマッチした。
でも、酔狂さんの書かれたSSは、『痛い』部分をわざと書かず、美しく、悲しく優しい話に仕上げられました。
それはわたしには、F,Fという醜く、悲しく優しくない話を書いてしまったわたしには、同じ方法は許されません。
だから…美しくなくても、悲しい、痛い…でも、優しい話を書こうと。
元々書くはずだったオリジナルの、栞と栞シナリオを愛そうとしていた頃のわたしの思いを、書こうと思いました。
そうすれば、その酔狂さんのSSを後日談として読めるような、そんな話にできるのではないかと。
そして、わたしが書いたあの醜いF,Fの栞への、それが償いになるのでは…そう思ったのです。
(注:『Do the Angels have a Home?』は現在、酔狂さんのHP「Speakeasy」で公開されています。是非、お読み下さい。)

でも、書く前から分かっていました。
自分が、F,Fを書く前の、Originalを考えた、その頃の自分には戻れないことは。
だから…

やっぱり、SSというには、伏線が足らないものになりました。
本来、ドラマとしてきちんと書くには、もっと前の時点でシナリオを分岐し、伏線を張るべきでした。
栞やあゆの感情に違和感や跳びや抜けがあります。自分の思いこみだけで突っ走ってます。展開も強引です。
やっぱり、書く前に思ったとおりでした。
書く前から分かっていたのです。分かっていたのですが…でも…

これしか、今のわたしには書けない。
これがわたしの限界。
冷静なストーリー運び、きちんとした伏線。誰にも納得できる感情の動き。ドラマ。美しい言葉。
それは…今のわたしには書けない。
そして、書こうと思うものではない。それは、幻燈屋の仕事じゃないから。
かつて、それを目指した『Dream/Real』で、でもわたしはやっぱり最後に破綻した。自分が破綻した。
だから、破綻したから、F,Fを書いた。
今は…それを繰り返したくない。あの奈落に、今は落ちたくなかった。
F,FのためのOriginalを書いている今は、絶対。
だから…

これはわたしらしい話。
本編の栞を愛することができるようになった、わたしに書けたわたしらしい話。
でも、やっぱり…栞シナリオを愛することはできなかった。
わたしの限界ですね。
でも、だからこそ、自分のシナリオを、F,F/Sを書かねばならない。
今は、そう思います。

内容に関しては、そんなわけで本当に解説が必要な話になりました。
というよりも、解釈、と言うべきでしょう。わたしの解釈。
ここまで舌足らずな、解釈とイメージ優先の、余計な言葉を削ぎ落とし過ぎたような今のわたしらしい話では、
解釈は無限におこなえるかもしれません。
そして、それらにわたしは是非を言えません。これはKanonであり、またわたしのOriginalであり
同時に皆さんの中のOriginalであるから。

では、わたしの解釈を。
…実際には、私自身の解釈も、書くうちに少しずつ変わっていったのですが。

もともと、わたしは栞シナリオの、あのエンドが大嫌いでした。
『栞のため、祐一のために消えてしまうあゆ』が悲しくて、『そのあゆのことを笑って話す栞』に、何か納得いかなくて…
詳しくは、わたしの栞の解説、および酔狂さんのページの『Do the Angels have a Home?』の後書きにありますが…
栞も香里も薄っぺらい。裏の思いが書かれたように透けて見える。
でも、人間は、裏の思いは本当は見えない。
一方、ドラマだったら、演出だから見えるし、見えないと困る。。
つまり、栞シナリオは、その典型的なドラマ演出のドラマだということです。
だから、栞、香里もドラマの作中人物めいて薄っぺらい。

そして、そのドラマのエンドの演出の鍵となるネタは、あゆが奇跡を起こせるということです。
これがKanonの栞、名雪、あゆシナリオにおける前提になっています。
…あゆシナリオでは、結局、あゆが生き霊となっている以外の奇跡は起こりませんが。
わたしは名雪シナリオに対しては、『Dream/Real』を書いて、あゆの奇跡を排除しました。
それが、名雪シナリオの『あるべき姿』だと思ったからです。

で、この栞シナリオ補完のためのOriginal Side…

第3話を読めば分かるように、あゆと栞は違うようで、実は二人は、2月1日という日、
そして、自分の死という物に直面した最後の瞬間には、『同じ』なはずです。
あゆは事故、栞は病気と違いますが、どちらも孤独で、どちらも祐一を愛して、
どちらも自分の生きている世界を愛したいのにその世界に裏切られている。
そして、奇跡を望み、願い、祈っている。
7年間と16年間という長い間。
なのに、あゆに奇跡を起こす資格があるなら、栞に起こせない理由はあるでしょうか?
わたしには、その理由が分かりません。

だから、わたしは栞が語るあゆの奇跡の話は嘘だと思います。ずっとそう言っています。

あれは嘘です。本当なら、その恩恵を受けた栞が晴れ晴れと語るわけがない。
普通の神経なら、そんなバカなことができるわけがない。
栞というキャラクターが普通の人間ならできない。
ぎりぎりまで栞になりきってやっても、その瞬間に興醒めしてしまうはずです。
でも、彼女は作中人物だからできる。
作中人物だから、あゆだけに奇跡を起こせても不思議ではないし、不思議に思わない。

でも、人間だったら、あゆが奇跡を起こせると知った時、栞はどう思うでしょう?
自分が望み、願い、祈ったものを同じ境遇のあゆが持っていると知った栞は?
笑う?あゆに奇跡を起こしてくれと頼む?

…冗談じゃありません。
そんな半端な望み、願い、祈りではないはずです。16年の思いは。
栞は嫉妬し、怒るはずです。その理不尽さに。その勝手さに。
なぜあゆだけがそんな特権を得るのか?そんなはずはない!嘘つくなっ!

だから、奇跡を起こせるというあゆの設定、それも嘘です。
それはあゆの悲しい思い込み、勘違い。自分は待っていた年月の代わりに、奇跡を手に入れたのだという、悲しい勘違い。
ある意味、あゆも狂ってしまったのかもしれない。待ちくたびれて。
奇跡なんてないのに、あると思いこんで、自分にその資格があると思いこんでしまっただけ…

そう、わたしはあの栞シナリオのラスト、あゆの奇跡のモノローグ(『ボクの、願いは…』)、
そして栞の語るあゆの奇跡、その部分の解釈を変更しようとしたのです。
あゆの奇跡モノローグは、あゆの勘違いでしかない。
栞の回復は、医学の勝利か何か知らないけど、あゆとは本当は関係ない。
栞が語るあゆの夢と奇跡の話、あれは栞が信じたくて信じている夢物語に過ぎない。
現実とは何の関係もないファンタジーでしかない。

解釈の全面変更です。Kanonの。
『あゆが奇跡を起こせる。栞はそれを願ったけど起こせない』というKanonの栞シナリオの大前提を変えようとした。
あゆを奇跡の天使から引きずり下ろして、栞に嫉妬して泣き叫ぶ人間にして、
栞を諦めたような作中人物から、そんなあゆに嫉妬し、奇跡なんて起こせないと泣き叫んでしまう、そんな人間にして。

だから…だからこそ、一人だけ残った栞は、あゆへの懺悔と感謝を、自分の分身へのその祈りを捧げます。
そして、ここがあゆの夢なんだと信じるのです。約束したから。二人は死の果てで約束した分身同士だから。
自分が生きることは、あゆが生きることと同じだから。だから…

以上が、最初のエンドを書いたところまでのわたしの解釈でした。

しかし、その後、止むに止まれぬ思いに駆られてあと二つのエンドを書きながら、わたしの解釈は少し変わりました。

わたしが書いたのは3つのEND。
でも本当は、以上の解釈ならもう一つ、ENDがあるはずです。
すなわち、二人とも死ぬというENDが。
ありえた、そしてあるべきEND。
でも、あまりに悲しいから書かない。わたしはそのつもりで書くことを拒否しました。

が、今、全てを読み返すと、わたしはちょっと違う思いを持っています。

あゆが生き残る。栞が生き残る。二人とも生き残る。
それはありえて、また、ある。
二人とも死ぬ。
これは…ないんじゃないかと。
なぜなら、誰も望み、願い、祈らなかったことだから。

あり得る3つのEND。
それはみな、誰かの夢、誰かだけの現実かもしれない。
だけど、それはその誰かが、あるいは他の誰かが願ったこと。
一方、誰も残らないEND。
それは、二人が、そして誰もが願わないENDです。
だから…存在しない。
冷たい現実でも、酷い現実でも…存在しないのじゃないかと。
そして、それが…それこそが奇跡なのかもしれない。
今は、そう思っています。

だから、栞はDream ENDで、あゆの転院先を知る必要がないと言ったのだと。
Some Sunny Day, We'll meet Again...いつか、ある晴れた日に、あゆと栞は出会う。
それは、二人が望んでいるからです。そう信じられるからです
誰かの夢、誰かの現実だとしても、一生懸命生きるしかない世界。
それが、奇跡の起こった世界。奇跡。そして…Kanonの世界かも、と。

皆様はどう考えますか?
わたしは、今はこう考えています。でも、それはわたしの解釈ですから。
作品は、作品として存在する。作者の思いとは別に。
だって…わたしの解釈自身、後で読み終えて変わっていますから。
どうか…お考えになって下さい。そして、できればわたしにお聞かせ下さい。

しかし…どのみち、酔狂さんのSSを後日談として読めないものになっている事は間違いないですね…申し訳ないです…

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