波が瞳に揺れるから


真琴SS

連作:或る夏の日…

では、どうぞ

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波が瞳に揺れるから
 

どうしても海に行きたいと言ったのは、真琴だった。

確かに、行くつもりにしていた日にちょうど台風が来たので、今年は一度も海に行っていなかった。
海は初めての真琴は、それは楽しみにしていたのは確かだ。
でも、プールには何度も言ったのだし、もう季節は晩夏。
もう泳げる季節じゃないと、オレは何度も真琴に言った。
それに、こんな時間から出掛けても海にいられるのはほんのしばらくだから、また明日にしよう…そう、口を酸っぱくして言ったのだけれど。

『…どうしても、行くのっ!』

真琴はがんとしてそう言い張ると、オレの手を引っ張って外に連れ出した。
それも、ちょうど昼の一番暑い陽の下を…
 

「…海だよっ!」

強い向かい風を受けながら、オレに振り返る真琴。
風にツインテールの髪が、パタパタと揺れていた。

「……そりゃ、海に来たんだから、海があってあたり前だろ。」

オレが言うと、真琴は口をとがらせて

「…祐一ぃ…」

と、ちょっとむくれたが、すぐに海に振り返ると

「先、行くよっ!」

叫んで、真琴は砂浜を波打ち際へと駆けだした。
風に飛んでくる砂も何のその、真琴は一直線に海へと駆けていく。
オレはそんな真琴の後ろ姿に、思わず苦笑した。

街から列車とバスを乗り継いで…1時間半あまり。
途中、真琴も暑さにぐったりしていたはずなのだが…

「…行くぞおっ!」

バシャ〜〜ン

真琴はそのまま、海に突っ込んでいった。
…あいつ…水着も着てないのに、あのまま入る気じゃ…

「…おーい、真琴」

オレはあわてて真琴の方へ近寄っていった。
真琴は駆けていった勢いで、そのまま2、3歩海へと入ったところで立ち止まった。
そして、波打ち際の近くまで来たオレに振り向くと

「…塩っからいぃ…」
さすがに飛び込みはしなかったが、海に駆け込んだ真琴の服には一面、滴の跡。
顔にも滴が飛んだらしく、真琴は舌を出しながら、思い切り顔をしかめる。

オレは思わず笑いながら

「……あたり前だろ、海なんだから。」
「あぅーーー」

ぺっぺっと口の中の水を吐き出すと、真琴はそれでもにっこり笑うとうーんと伸びをして

「……人がいないねぇ…」

浜辺には、確かに他に人の姿が見えなかった。
多分、真夏には人でいっぱいだったろう砂浜。
でも、今は人影もなく、向こうに見える浜茶屋も、ほとんど閉まっている。

「…そりゃ、もう…夏も終りだからな。」

オレがいうと、真琴はちょっと首をかしげた。

「…何で夏が終りだと、人が来ないの?」
「…そりゃあ…」
「……?」
「………」

オレは真琴のそば、海面を指差した。

「…何よぅ…」

真琴はまじまじとオレのさした方を見つめて…

「…な、なんかいるっ!なんか…透き通った、変なうにゃうにゃな物っ!」

あわてて後ずさりする真琴。
オレは思わず笑ってしまう。

「…クラゲだよ、クラゲ。」
「……何よぅ、クラゲって…」
「その、透明のうにゃうにゃな奴。」
「あぅーー…気持ち悪い…」
「……触るなよ。」

オレが言うと、真琴は思い切り首を振って

「触りたくもないわよっ!」
「……その足に刺、あるからな。刺されると…痛いぞ。」
「…ええっ!」

またも後ずさりする真琴。
でも、その足下にも、小さいのがぷかぷか…

「だから言っただろ、もう泳げないんだって。」

情けなさそうに見上げる真琴に、オレは家を出る前から言っていた言葉を繰り返した。

「夏の終わりにはクラゲが出るから、もう泳げないんだよ。それに…お前も、水着持ってきてないだろ?」
「………」
「…なのに…何でお前、海に行くってだだこねたんだ?」
「………」

真琴は黙ったまま、オレを見上げていた。
遠い水平線からの潮を含んだ風に、真琴の髪が揺れていた。

「……別に…」

真琴はやっぱり黙ったまま、足下に目を落とした。
ちょっとしょんぼりとした顔で…

…確か、家を出る少し前も、そんな顔をしていた気が…

そうだ、秋子さんが、昔、オレが夏に遊びに来ていた頃のアルバムを出してきていた。
それで、オレと名雪と秋子さんで、その頃のこと…オレが名雪を引きずってカブトムシを取りに朝早くに出掛けたこととか…海に泳ぎに行ったことなんか、アルバムを見ながらはなしていた時、ふと振り返った真琴が…
…その後だったな。
なんか、急に海に行きたいと言いだしたのは…

「…なんだよ、お前…うらやましかったのか?」

オレは取りあえず、真琴に茶化すように

「オレや名雪が海に行ったことがあるのに、自分がないから…だから…」

「…ち、違うわよっ!」

真琴は顔を上げると、オレを見上げて言った。

オレは笑いながら

「じゃあ、なんだよ」
「………」

真琴はオレの顔をじっと見上げていたが、ふいに後ろを向くと

「…なんでもないぃ!」
「……何だよ、真琴…」
「…何でもないったらっ!」

真琴はざぶざぶと海へ入っていった。

「おい、真琴…」
「知らないっ!」
「そうじゃなくって…」
「何よっ!」

真琴が振り返った、その瞬間。
 

ざぶんっ!
 

ひときわ大きな波が、真琴を直撃した。

「……あぅーー、びしょびしょ…」

真琴は波に押されて、尻餅をついていた。
遠浅の浜のこと、肩まではつからないものの…腰から下は水の中。

「……ばーか。」
「……あぅーーーー」

情けない顔で振り返った真琴に、オレは思わず笑いながら

「ま、いい思い出が出来たな、真琴」

その瞬間、真琴はぐっとオレを見つめると

「こんなのが…思い出なんてっ!」
「……真琴…?」
「…こんなんじゃ、名雪みたいな…」
「………」
「……あたし、には……」

バシャン

真琴の蹴り上げた水の音。
跳ねた滴が真琴自身の上に舞い落ちた。
まだ高い陽を浴びて、きらきら光りながら…

真琴が言いたかった事が、分かった気がした。
真琴がしたかったこと
欲しかった物…

「…真琴…?」
「……何よぉ…」
「……これだって…いい夏の思い出だよ、オレには」
「………祐一?」

真琴は驚いたようにオレを見上げた。
濡れた髪が真琴の顔、わずかに張りつくように…

きらきら光る水面から上半身だけ見せる真琴の姿。
濡れた髪…濡れた顔…濡れて揺れる瞳

海から陸に上がろうとした人魚姫のように
声の代わりに記憶を失くしても
昔の思い出なんてなくても
きっとオレは間違えたりしない。
すぐに分かるから
たった一人の人魚姫のことを…

「…来年もまた、来ようぜ。今度は…泳ぎにな。」
「………うん。」
「……二人で。」
「……うんっ!」

真琴は大きく頷くと、やっと笑った。
濡れた手で顔をごしごしこすると、にっこり微笑んで…

「……塩辛いぃ…」

また、顔をしかめた真琴。
思わず、オレは笑い転げそうになるのを堪えながら

「…進歩のない奴だな、お前は…」
「あぅーー、でも…服、どうしよう…」
「…まあ…多分、あっちの浜茶屋の方で、下着くらいは売ってるんじゃないか?後で、シャワー借りて、着替えれろよ。」
「……そっか…」

真琴は浜の向こう、浜茶屋の当たりを見て頷いた。
そして、オレに振り返ると

「じゃあ…祐一も道連れにしてやるっ!」
「わ、バカっ!」

ばしゃっ
ばしゃっ

真琴があげた水しぶきが、オレに降りかかってきた。
オレはあわてて避けようとしたが…

「…やめろ、バカっ!」
「…えへへ…祐一、水びたし…」
「誰のせいだよ…」
「あははは…」

笑う真琴の髪を、潮風が揺らして吹き過ぎていった。
真琴の瞳に映った水平線の向こうから、涼しい風が海を越え、砂浜を渡っていた。

<END>

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…筆者です。
「仕切り屋・美汐です。」
…真琴…だね。
「…スランプ、ですか?」
…あぅーー…いや、ネタが二転三転して…展開も考えつかず…
「………」
…やっぱり…こういうの、書いてないと書けなくなるもんだねえ…
「……で?」
……はい?
「それは…何の伏線ですか?」
…あ、いや…次、あゆは書けそうにないから、とか…
「………」
…いや…あと2日、頑張って考えて…だめなら、名雪でおしまいにしようかなーと…
「……無責任」
…あおぉぉぉぉん inserted by FC2 system