ラプンツェル、その髪を下ろせ


名雪SS
このSSを黒斗さんに捧げます。
いつも、どんな話にも感想をくださる、そのことに感謝して…

連作:或る夏の日…

では、どうぞ

-----

ラプンツェル、その髪を下ろせ
 

目が覚めると、まだ夜だった。
思えば、寝るつもりもなくベッドに横たわっているうちに、いつの間にか眠っていたらしい。
喉が渇いていたオレは、静かに階下に降りた、
そして、冷蔵庫からお茶を出し、コップに注ぐとそれを持ってリビングに出た。
時計を見上げると…3時。
起き出すには早い。
…というか、もう一寝入りしたいしな…

オレはコップのお茶を飲み干すと、見るとはなく窓を見た。
窓の外は夜…月がわずかにあたりを照らしていた。
そして、空は一面の星。
空を横切るような、白い星の川…
 
 

気がつくと、オレは外に出て空を見上げていた。
水瀬家の小さな中庭に立って、一面の星空を見上げていた。
月は水瀬家の屋根の上、屋根に隠れそうになりながら輝いていた。
それよりも、オレはぼんやりと見ていたのは…星の川。

思えば、元いた街では、オレは空を見上げたこともない。
見上げてもいつも白く明るい空には、わずかな星だけがぽつんぽつんしか見えなかった。
そんな星空など、眺める気にもなれなかった…

でも、今、目の前に広がるのは満点の星空。
そして、その真ん中を流れる星の川…天の川。
数え切れないほどの星たちが、天を横切るように川となっていた。
オレはそんな天の川を見上げながら、ふと懐かしい気持ちになっていた。

昔…こんな風に誰かと星を見上げていたことがある。
夜遅くなって…誰かに叱られて…

「…祐一、どうしたの、そんなところで。」
「……え?」

声に振り返ると、ベランダに誰かが立っているのが見えた。
屋根から覗く月を背に、わずかに光る大きな瞳。
わずかに吹く風に腰までの黒髪が流れて揺れていた。
そしてまた、少しのんびりしたその声。

「…眠れなかったの?」
「…いや、さっき、ちょっと目が覚めて…」
「……そっか。」

名雪は小さく頷くと、にっこりと微笑んだ。

「…星がきれいだからね。」
「……そうだな。」

オレはとりあえず頷いた。

でも…名雪は?
いつもさっさと寝る名雪にしては…どうしてこんな時間に?

「…名雪。」
「うん」
「お前は…どうしてこんな時間に?」
「……えっと…」

と、急に名雪はあたふたと目線を逸らした。

…いつもの、聞かれたくないことがある時の顔。
そういえば、今日、名雪は商店街に何か買い物に行っていたようだが…それと関係があるのか?

そのあたり、オレは突っ込もうと名雪の顔を見上げた。
ぼんやりと空を見上げている名雪の顔を…

…思い出した。
あれは…この場所で、一緒にいたのは…名雪。
この街に遊びに来た夏に、絵日記に書くための天体観測だと言って、名雪をむりやり一緒につれだした…
でも、最後にはもうちょっといようと言いだしたのは名雪。
結局、秋子さんに見つかって、叱られたっけな…

「……なに?」

気がつくと、名雪がオレを見下ろして、不思議そうに首を傾げていた。
多分、名雪の顔を見ながら、思わずニヤニヤしていたのだろう。

「……なんでもない」

オレはあわてて顔を手でこすった。
そして、また名雪を見上げた。

名雪はオレを見下ろしたまま、目を瞬かせていた。
月を背にしたその姿は、わずかにシルエットになっていた。
そんなバルコニーの名雪を、オレは見上げる格好で…

「…考えてみると、なんか…」
「……?」

オレは、何となく思いついた言葉を口にした。

「…なんだか、ロミオとジュリエットって感じだな。」
「……あはは」

名雪はちょっと笑うと、あわてて首を振った。

「…それはわたしの柄じゃないよ。」
「そうかな…」

オレはちょっとおどけて、その場に片ひざを着くと

「ジュリエット!」
「……やめてよ」

名雪は苦笑いをしながら空を見上げた。
そして、フッと首を傾げると

「…それだったら、ラプンツェルの方が…」
「…ラプンツェル?」

…どこかで聞いたことがあるような…

オレは名雪を見上げたまま聞いた。

「…なんだっけ、それ?」
「……童話だよ。」

名雪は目を空からオレに落とした。
名雪の髪がそれにつれ、わずかに広がった。

「昔、お母さんが…祐一と一緒にわたしに教えてくれたよ。」
「……そうだっけ?」
「そうだよ。」

名雪は頷くと、自分の髪を右手で梳いた。

「妖精にさらわれた女の子の話。高い塔に閉じ込められて、会えるのは妖精だけで。その塔には階段も何もなかったから、塔に登るためにはラプンツェルの長い髪を下ろさせて、それを使って登るしかないの。塔の下まで来ると、妖精はこう言うの…
『ラプンツェル、ラプンツェル、その髪を下ろしておくれ』」

ちょっと不思議な節をつけて、名雪が口にしたセリフ。
確かに…覚えがあった。
あれは…秋子さんが、やっぱり同じ節で…

前から気がついていたが、本当に名雪の声は秋子さんに似ている。
普段は口調が少し違うからそうは思わないが、こうして聞くと秋子さんが歌っているようで…

「…だけど、ある日、王子さまが塔のそばを通って。」

名雪は話を続けた。

「独りぼっちのラプンツェルが歌う歌に聞き惚れて、その姿を垣間見て、彼女に恋をして。だけど、塔には登れなくて…でも、ある日、とうとう王子は塔に登る方法を知って…妖精がいない時に、王子は塔に近づいて…そして、言うの。
『ラプンツェル、ラプンツェル、その髪を下ろしておくれ』」

名雪の歌う声。

全部思い出した。
王子とラプンツェルは恋に落ちる。
そして、二人は妖精の目を盗んで、逢瀬を重ねる…
…でも…

「……でも、名雪…」
「………」

オレは名雪を見上げた。
そのシルエットになった顔をじっと見つめた。

ラプンツェルはそのうち、妊娠してしまう。
それを知った妖精は、ラプンツェルの髪を切り、塔を追い出してしまい…
それを知らずにやってきた王子を塔から落として、失明させてしまう…

そんなラプンツェルに、名雪が…

「……ねえ、祐一」
「……ああ」

と、名雪がふいに髪を掻き上げると、つぶやくように言った。
ぼんやりとしたその瞳は、天の川を見上げているように…

「…わたし…髪を切ろうかって、本気で…思ったこと、あるんだよ。」
「………」
「…それで、祐一が…帰ってきてくれるなら。帰って…あたしのことを…見てくれるなら…」

名雪の声。
つぶやくような、押し殺したような声。
その瞳は何も映さすように、ただぼんやりと天の川を映して…

ラプンツェルと王子は、ある日、森で出会う。
森で産んだ双子…男の子と女の子と一緒にくらしていたラプンツェル。
目も見えず、国中をさまよっていた王子。
王子を見つけたラプンツェルは、抱しめて涙を流す。
その涙が、王子の瞳に奇跡を起こして、そして二人は…

「……それは…困るな。」

オレは一面の空に流れる天の川を見ながら言った。
そして、名雪を見上げた。

「………」

名雪は黙ったまま、オレを見下ろした。
月が名雪の後ろ、名雪の髪を白く、黒く輝かせて

「……だって、オレは髪を切らなくても…こうして帰ってきたし…」
「………」
「…それに、切ってしまったら…」
「………」

オレは黙っている名雪の、揺れる瞳を見上げながら

「言えないだろ…」
 

『ラプンツェル、ラプンツェル、その髪を下ろしておくれ』
 

名雪はちょっと目を大きく見開いた。
そして…

くすっと笑った。
 

「…本当にやったら、わたし、祐一と一緒に…落ちちゃうよ。」
「ていうか、髪が抜けるかも。」
「……それは困るよ…」

困ると言う前に、ものすごく痛いと思うが…

そう言おうと思ったが、本気で困ったような顔をしている名雪に、オレは思わず笑いころげていた。
名雪は何のことか分からない顔をしていたが、やがて一緒にクスクスと笑いだした。
そして、オレたちはしばらく、天の川の下、笑っていた。
 
 

そして、朝。
オレはぼんやりと目を覚ましていた。
昨夜、あれからすぐにオレは部屋に戻ると、すぐにベッドに潜り込んだ。
それからすぐに襲ってきた睡魔に、オレは身を委ねて…

今日もいつもの平日。
そろそろ起きる時間…例によって名雪の部屋から、目覚ましの大合唱が聞こえてくるだろう。
その中には…例の、あの時計もある。
あれだけは…オレの部屋に置いてくれたら即刻消去するのだが、それだけは名雪が許してくれなくて…
今のオレの部屋には目覚まし時計はない。
だから、もう少しゆっくり…

『祐一〜、朝〜、朝だよ〜』
『朝ご飯食べて、一緒に学校行くよ〜』

…え?
名雪…か?

オレは起きあがってドアの方を見た。

ドアは開いていた。
そして、そこに立っていたのは、腰までの長い髪…

『祐一〜、朝〜、朝だよ〜』
『朝ご飯食べて、一緒に学校行くよ〜』

でも、それはその口から出ている声ではなかった。
名雪はクスクス笑うだけで、その声の主は…

『祐一〜、朝〜、朝だよ〜』
『朝ご飯食べて、一緒に学校行くよ〜』

それは名雪の手の中にある小さな目覚まし。
名雪の両手に一つずつ、色違いの目覚まし。
一つは、例の目覚まし。
そして、もう一つからその声は流れていて…
 

かちっ
 

名雪は目覚まし時計を止めた。

「…おはよう、祐一。」
「……ああ。」

頷いたオレに、名雪はにこにこしたままで

「これ、今日から使ってね。昨日、遅くまで録音したんだから…」

言いながら、名雪は目覚ましを持って部屋に入ってきた。
二つの目覚まし時計…双子の目覚まし。
そして、ニコニコ笑っている名雪…
 

「…え?」

オレはベッドから起き上がると、名雪を抱しめた。
双子の目覚まし時計を抱えた、オレの…

「な、なに?どうしたの、祐一?」
「………」
「……祐一?」

ちょっと驚いた顔の名雪に、オレはもう一度その体を抱しめた。
そして、その大きな瞳に…その長い黒髪に、オレは…
 

『ラプンツェル、ラプンツェル、その髪を下ろしておくれ』
 

そして王子さまとラプンツェルは、双子の子供たちと一緒に幸せに暮しましたとさ…
 

<END> inserted by FC2 system