『ぶらんこ降りたら』−1st
 

 お久しぶりです。隠遁中の詐欺師です。
 …ってもう知らない人も多いのでしょうが(もともとそんなでもなかったし)

 しょうこりもなく佐祐理さんの話です。
 『M.W.』の佐祐理さんを見てしまったすべての人へ。
 

 注)このシリーズは、途中で「痛い」と感じるところがあるかもしれません。
   でも、私の書きたいのは優しい話です。それだけはどうか、わかってやってください。
 

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 さあぁぁっ…

 風が、吹いた。
 彼女はふっと窓を見る。かすかに濡れたガラスの向こう。子供たちの遊ぶ公園。
 おにごっこをする小さな体を隠す、皮のはげかかった幾本の木々。
 枯葉が宙を舞っていた。
 まだ染まりきれていないまだら模様の葉っぱが、風が吹くたびはがされて、静かに地面に落ちていく。
 嘆くでもなく、ただ淡々と。
 子供たちの笑い声が、風に乗って飛んでいく。
 
 

     『ぶらんこ降りたら』
           1st‐『Merci』
 
 

 もう十月も終わろうかという今日この頃。
 すでに秋の気配は遠く去り行き、街はすでに冬のにおいに包まれている。
 今年の初雪…早かったな…
 彼女――倉田佐祐理はペンを置いて、再び窓を見つめる。
 きいっ、と椅子の背もたれが小さく鳴いて、乾いた空気に響いて消えた。
 アスファルトは黒く濡れている。さっきまで降っていた雨のせいだ。
 一雨ごとに寒くなるこんな時期。あれだけ猛暑と騒がれていた、そんな夏の面影はもうどこにもない。
 不意に襲い来る寒気に佐祐理はぶるっと体を震わせた。まだストーブに火は入っていない。
 灯油、あったかな…
 どっちにしろ、本格的な冬が来る前に、準備だけはしておかなくては。
 忘れないよう自分に言い聞かせ、黒い空を見上げる。
 その名残はもう全くないが、この街には四日前、初雪が降った。
 なんでも去年より十七日も早いらしい。寒いわけだな、と佐祐理は息を吐く。窓ガラスが白く曇った。
 …きゅっ、きゅっ…
 指先に多少の冷たさを覚えながら曇りを拭き取る。さっきより多少はっきりと見える外の景色も、それ
はもうすぐ来る冬の訪れを再認識させるだけ。
 はぁ…
 もう一度、息を吐く。
 寒さを感じていないように、はしゃぎ回る子供たち。
 すでに緑とは呼べなくなってしまった雑草たち。
 積もるように重なって、濡れていく落ち葉。
 そんな景色が、白く曇る。
「……ふゆ…か…」
 しかし彼女は、もうそれを拭おうとはしなかった。
 ただうつろな瞳で、見えていない景色を見つめていた。
 曇った窓はスクリーン。
 彼女の瞳は幻灯機。
 全ての輪郭が薄れ、ひとつに融けてゆく。
 すべてはモノクロに…スクリーンの向こうに…
 そして色彩を失った世界で、ただ一つ輝く――
「……佐祐理?」
 その声で、彼女は我に返った。
「あ……舞」
 振り返ったその先にたたずむ少女が、じっと佐祐理を見つめている。
 川澄舞。高校で出会った佐祐理の一番の友達。
 左手に買い物袋を二つぶら下げて、怪訝そうにこちらを見ている。
「…どうしたの?明かりもつけないで…」
「…え…あ…」
 素朴なその問いに、佐祐理は言葉をつまらせる。
 そう言われてみれば…もう…
 時計の針は、午後の五時を回っていた。夕日はすでに西の空に沈み、気の早い街灯の明かりが部屋の中
にぼんやりとした影を落としている。
 あれだけ騒いでいた子供たちの声も、もう聞こえない。
「…佐祐理?」 
 静かだった。
 心配そうな舞の声が、薄暗い部屋にこだまする。
「あ…っと、ごめんね。すぐに電気つけるから」
 佐祐理は笑みを浮かべると、ぱたぱたと小走りに部屋の隅まで行き、スイッチを入れた。
 …ぱっ、ぱぱっ…
 二、三度またたいて、蛍光灯に明かりが灯る。
 瞬時にして明るくなった部屋の中で、舞の黒髪が揺れていた。
「あ、まだおかえりなさい言ってなかったね」
 彼女が口を開くより先に、佐祐理は明るくそう言い放つ。
「おかえり、舞」
「…ただいま」
 舞は少し戸惑ったような様子で、それでもちゃんと言葉を返した。
 「どうしたの?」その言葉が発せられる前に、ぽんっ、と手を叩いた佐祐理が笑う。
「そうだ。今日はクリームシチューだったね」
「…うん」
 ちょっとあっけにとっられたような舞の顔が、小さく傾く。
「…あ、佐祐理も手伝うねーっ」
 返事は待たず、佐祐理は舞の横を抜けてダイニングへと姿を消す。
「ほら、舞も早くーっ」
 そんな様子を不思議そうに見ていた舞だったが、やがて考えを振り払うように首を振ると、袋を握りな
おして同じようにダイニングへと消えた。
 
 
 
 

 十月は過ぎるのが早かった。佐祐理は本気でそう思う。
 あまり意識はしていなかったが、さすがに受験期間ということもあってか去年の今ごろの記憶は勉強以
外ほとんどない。
 去年はあまり感じなかった季節の流れ。それが今は、皮肉なほどに早く感じる。
 私は秋が嫌いなの?
 それとも冬が嫌いなの?
 「どちらも」という選択肢があれば、きっと答えはそれなのだろう。
 いや、季節と言う概念そのものが、彼女にとっては意味をなさなかっただけだ。
 彼女が感じていたのは夏の暑さであり、冬の寒さ。
 桜の美しさも、紅葉の美しさも、どこか薄っぺらく見えていた。
 それはきっと、私の心が冷たいからですね。
 以前の彼女なら、こう答えていただろう。
 以前の彼女なら、この答えは正しかった。
 舞という少女に出会う前の、泣けずにいた彼女の心では。
 
 

「…くもさん」
「あーっ、ほんとだ。真っ白だね」
 雪虫で真っ白になったくもの巣を見て、舞が声を上げる。
 それに誘われるように、佐祐理もそれを見て、答える。
 今日の空はよく晴れていた。秋のお天気は気持ちがいい。
 金曜は講義が午前中だけなので、午後は買い物を兼ねて散歩をすることに決めていた。
 昨日の雨でさらに散ってしまった枯葉が、道の両脇にうずたかく積もっている。下のほうは、きっとも
う腐りかけているのだろう。
 腐った落ち葉は養分となって、また土に還る。
 学校で習った理科の知識。広い意味での食物連鎖。
 終わることのない、自然のサイクル。
 巡りゆく季節の流れにも、どこか似ているような。
「……あ」
 小さく声を上げて、舞は立ち止まる。佐祐理がその視線の先を追うと、そこには見なれた牛丼屋の看板
があった。
「…そういえばお昼まだだったね」
 自分のお腹を押さえながら、佐祐理は笑って問いかける。舞は黙って頷いた。
「食べてこっか?」
「うん」
 舞と並んで歩きながら、佐祐理はさっきのことを考えていた。
 食物連鎖。生命の営み。
 きっと牛に直に触れたら、舞は牛丼が食べられなくなるんだろうな。 
 そんなことを考えるとちょっとおかしくて、でも「舞らしいな」と納得する。
 
 からからから… 
「…はい、らっしゃい!」
 そして、おやじさんの声とムッとする空気に包まれて。
「大盛り。汁いっぱいで」
「私も同じモノを」
「あいよ!」
 ちょっと遅めの昼食。時折強く吹く風が立て付けの甘い扉を鳴らし、客の少ない店内に外の寒さを確か
に伝える。
 古ぼけたテレビからは、今夜と明日の天気予報が流れていた。
 今夜は晴れ。でも明日は全国的に冷たい雨…
 外でお弁当を食べるのも、そろそろ限界かもしれない。なにしろもう雪が降ったのだ。あったかいお茶
があればいいだとか、すでにそういう問題ではない。
 でもそれはちょっと悲しかった。緑の草原にお弁当を広げて、光と風を浴びながらご飯を食べる。そん
な風景が好きだった。
「…はい、お待ち!」
 しかしその風景すらも、目の前に置かれた大盛りの器が跡形もなく吹き飛ばす。肉のこんもりのった丼
を見ながら、佐祐理はパッとひらめいた。
 …そうだ、ピクニックなんかいいかも。
 我ながら名案だ。佐祐理はそう思った。どうせ最後なんだったら、みんなで楽しく過ごしたい。
 …うん。決まり。
 彼女は満足げに頷くと、何やら不思議そうな面持ちの舞に割り箸を一膳回してやり、自らも一つ手に持
った。
「いただきま〜す」
「…いただきます」
 律儀に一つ礼をして、二人は同時に箸を割った。
 
 

 秋の日はつるべ落とし、という。
 秋分の日を過ぎて、計算上は昼の方が短い形になった。
 でもそんなことを印象付けるのは、皮肉にも暗さではなく明るさ。
 最近は街灯がともるのが本当に早くなった。この光に圧されて太陽が早く沈んでいるのではないか、と
すら思えるほどに。
 だからきれいな夕暮れの日には、まだ街灯がつかないことを願う。
 たとえ雲に隠れていれも、かすかにもれる赤はやっぱりきれいだから。
 そして今日は、絶好の夕焼け。
 最高だな、と佐祐理は思う。
 講義は午前中で終わりで、明日は休みで、その上こんなきれいな夕焼け。
 冷たい風に吹かれながら、あったかい大判焼きなんか頬張りながら。
 夕焼けのほうから帰ろうか、という佐祐理の言葉に、舞も反対はしなかった。

「おいしいね」
「ちょっと熱い…」
「うん。あんこはちょっと熱いかも」
「舌がひりひりする…」
 口を離してじっ、とあんこを見つめる舞をほほえましく感じながら、明日は何をしようか、なんてこ
とを佐祐理は考えていた。
 やりたいことはいっぱいあった。そろそろコートも出さなきゃいけないし、チャレンジしてみたかっ
たお菓子もあるし…
 そんな佐祐理の横で、舞は意を決したように再び大判焼きにかぶりつく。
 ほとんど時を同じくして、佐祐理は一つのアイディアを思い出した。
 さっき牛丼屋で考えていたこと。みんなで楽しいピクニック。
「そうだ舞、今度ね…」
 大判焼きをくわえたまま、舞がくるっ、と顔だけ向ける。
「…ぷっ」
「……?」
「あははーっ、舞、あんこついてるよーっ」
 指をさしてまで笑う佐祐理に、舞は慌てて手で顔を拭う。それが何か猫のように見えて、佐祐理はもう
一度笑った。
 猫…といっても、飼い猫や野良猫の類ではない。あえていえば山猫だろうか。
 決して人に馴れない、誇り高き山猫。…ううん、山犬でもいいかな。狼とかも似合うかも。
 それがきっかけだったように、たくさんの思い出が佐祐理の中によみがえる。
 はじめてあったときのこと。
 腹をすかせた山犬に、自分の手を差し出していた舞。
 あれから…私と舞は…
 出会いとしては、きっとドラマチックだったのだろう。今振り返るとそう思う。
 それから三年半と言う、長いのか短いのかよくわからない時が過ぎた。そんな今でも、舞とともに暮ら
す生活はどこか新鮮で、飽きない。きっと飽きることなどないのだろう。佐祐理にとって舞は一種の鏡で
あり、びっくり箱であり、やっぱりかけがえない友達だったから。
 だから時々、こんなことも思う。
 私が山犬だったのかも、と。
 他の人が聞いたら変に思われるかもしれない。でもきっと、本当のこと。
 あの時の山犬は、本当は…
 そんな時佐祐理は、苦笑いとともにその考えを打ち消す。
 もしその通りだったとしても、それならそれでいい、と。
 今大事なのは、ここに舞がいること。
 そしてその隣に、私がいること。
 だから…
「…ねえ、舞」
 二度目の呼びかけにも、舞は振り向く。
 沈む夕日に顔を赤く染めて、そして…
「だーかーらー。あんこついてるって」
 苦笑いを浮かべる佐祐理に、舞はまた顔を拭って見せる。
「あぁん、取れてないよ。ほら、ちょっと見せて」
 言って足を止める佐祐理に、舞は素直に顔を突き出す。
「んっと…はい。取れた」
 満足げに微笑む佐祐理に、舞もやっぱりうれしそうに微笑む。
 こんな毎日が、ずっと続けばいいな。
 赤い光に照らされながら、佐祐理はそう思っていた。
 景色は、奇しくも紅葉。
 大きな夕日が、二つ並んだ長い影を落としていた。
 

                                        <つづく>
 

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 あらためまして。詐欺師です。
「こんにちわ。佐祐理です。…お久しぶりですね、詐欺師さん」
 …本当はもう、こんな話は書きたくなかったんだけど。でも、あなたを苦しめたのは私だから。
「でも、ほのぼの…ですね」
 …まあ。最初だし。
「気になりますね」
 これはLOTHさんのほのぼのと…宏方さんのシリアスに刺激されて書いたものです。おこがましいけど。
「相変わらず無謀ですね」
 あなたを最後まで見届けること。それが私への罰だから。
「それで、やっぱり予定は未定…なんですか?」
 最短で五話。それ以上は不明。
「それではーっ」
 


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