こんにちわ。詐欺師です。
佐祐理さんの話、第三回。一応前回は、No.24505です。
『M.W.』の佐祐理さんを見てしまったすべての人へ。
注)このシリーズは、途中で「痛い」と感じるところがあるかもしれません。
でも、私の書きたいのは優しい話です。それだけはどうか、わかってやってください。
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ずっと伸びているらせん階段がある。
上下に果てしなく続くそんな階段の途中を、佐祐理は歩いていた。
登っているのか降りているのかさえも――そもそも、一番上に望むものがあるのかさえもわからぬまま。
それでも彼女は歩いていた。足を止めることだけはできなかった。
全くの闇の中、耳鳴りがするほどの静けさ。
それを求めているのだろうか。冬が来るたびに思い出す、あの感覚を私はずっと探し続けているのだろうか。
動くことをのを忘れかかった心に問いかけても、答えはない。
体内の水分を凍らせて、木々が裂けていく。
電線が風にあおられて悲鳴を上げる。
寂しい冬の情景。それはあたたかさのかけらもない、死んでしまった世界。
手のひらで、雪が溶けていく。
『ぶらんこ降りたら』
3rd−『鳥籠姫』
きっかけは、些細なことだった。
いや、すべての出来事の原因はみな些細なことなのかもしれない。いくつもの偶然が偶然重なって、最終的に一つの結果を生む。
しかしまあ、今はそんな一般論はどうでもいい。
舞と祐一がケンカをした。
原因は些細なことだった。
受験を目前に控え、祐一がピリピリしていたせいかもしれない。いつもながらに不器用な、舞の思いやりのせいだったのかもしれない。
本当のところは佐祐理にはわからなかった。彼女はただ舞の電話の声を、近くで聞いていただけだった。
一月。
大晦日と正月を越えて、カレンダーも一新する時期。
学生にとっては冬休み。しかし受験生にとっては、大事な追いこみの時期。
そして何より、物語の動き始めた瞬間。
夕食あとの穏やかな時間。赤々と燃えるストーブの炎が、そんな空気を暖めて、和らげる。
テレビはついてはいるけど見ていない。かわりに静かな音楽が流れる。
かすかに聞こえる食器の音。
佐祐理は一人リビングで、ポットとカップを温めていた。
今夜はちょっと寒いから、紅茶でも飲んであったまろう。
誰にでもなく微笑みながら、そんなことを考える。
それから映画を見るのもいい。たまったビデオを見るのもいい。どうせ明日は休みなのだ。夜更かししたってバチは…
ガタガタンッ!
崩れるような音を立てて、窓ガラスが風に揺れる。どうやら外は荒れているらしい。佐祐理は一度立ち上がり、窓までいってカーテンをめくった。
外には雪が降っていた。
吹雪と呼んでもさしつかえないほど、乱暴な風に乗って吹きすさんでいる。
自由奔放に乱れ飛ぶ白い欠片はしかし、すでに完成してしまった世界にまでは影響を及ぼさないのか。
すでに街一面に積もった雪は、すべてのものを覆い、隠し、包み込んでいる。
それはモノクロへ、単色に世界を塗り変えるささやかな優しさ。
黒い道も白へ。
赤い花も白へ。
緑の草も、枯れた木々も、そして――
…プルルルルルルッ…
室内の静寂を破るように、電話の音が響く。
「あ…っと、はいはい…」
佐祐理は窓際を離れ、ティーセットをチラッと見てから受話器を手に取った。
「…はい、もしもし」
柔らかな物腰。誰に対してもそうなのだろう、と思えるその口調が、相手を確認してさらにやわらぐ。
「あ、祐一さんですか?…はい、はい…。あははーっ、そんなことないですよーっ」
軽く笑いを交わしながら、佐祐理はふっと時計を見た。午後八時。それから舞の背中を見つめる。
どこかそわそわしたようなその背中は、佐祐理の一言を待っているようだった。
「…はい、ちょっと待っててくださいねーっ」
佐祐理は通話口を手でふさぎ、舞の待っていた一言で呼んだ。
「舞ーっ。祐一さんから電話ーっ」
「…わかった」
気のなさそうな返事。しかしすでに準備していたかのように、舞はすぐさまやってくる。エプロンはさすがにつけたままだったが、手はもうきれいに拭いた後。
「あははーっ、やっぱり早いねーっ」
ぽかっ。
そして佐祐理は受話器を渡す。うれしそうに話し始める舞に代わって、彼女は静かに台所へ向かった。
それからさらにしばらくすると、再び食器が触れ合う音。水の音とともに台所の空気を満たす。
それに時々舞の相づちが重なって…そうして時間が過ぎていく。
洗いものが終わったら、さっきの続きで紅茶をいれて…
舞にはのんびり話してもらおう。お茶でも片手にゆっくりと。
いつものように、佐祐理もそんなことを思う。
でも今夜は、いつもと少しだけ、雰囲気が違った。
……カチャ。
「…どうしたの?舞」
あまりに静かに受話器を置く舞に、佐祐理は心配そうに声をかける。
「……なんでも…ない」
「……舞?」
「…………」
「…なにか…あったんでしょ?祐一さんに何か言われたの?」
なんでもないことなどない。佐祐理はさすがに気づいていた。
普段から少ない口数が、今夜はさらに少なかったこと。
その声の調子がだんだんと、悲しく静かになっていたこと。
それは、きっと…
「…ねえ、舞」
その言葉に、舞はうつむいていた顔を上げる。
「舞は、祐一さんのこと好き?」
……こくり。
舞がうなずく。力なく。
「…だったら、許してあげてね。祐一さんも、ずっと勉強で疲れてるんだよ。きっと」
「……祐一は…」
「…大丈夫。祐一さんは、舞を嫌いになったりしないよ」
佐祐理の言葉に、舞は静かに瞳を閉じる。
「……うん」
それでもやっぱり、そのしぐさは悲しそうだ。仕方のないことなのだろうけど、佐祐理はどうしても、そんな顔は見たくなかった。
「ほら、舞ーっ」
ふざけて抱きしめて、その体をぐいぐい揺する。舞は少し目を丸くしながら、それでもやっと微笑んだ。
「佐祐理、痛い…」
「あははーっ、佐祐理は痛くないもーんっ」
ぽかっ。
密着した状態から、舞が器用にチョップを入れる。
「あははーっ。当たっちゃった」
それでゲームは終わりとでも言うように、佐祐理はあっさり体を離す。
「あっ、忘れてた。お茶いれるね」
ぽんっ、と軽く手を叩き、佐祐理は台所へと向かう。
「ちょっと待っててね。すぐいれるから」
どこかうれしそうなその背中を、舞は戸惑ったように見つめていた。
それから電話に目を移し、大きく一つため息をついた。
おそらくは、それで終わっていたこと。
バツが悪そうに頭をかく祐一に、舞が一つチョップを入れて…
それですべて、終わり。
祐一が大袈裟に痛がって、そんな様子に舞も少し笑って、佐祐理もうれしくなる。
いつもなら、すぐそばにあるはずの光景。
しかし舞い落ちる雪は、それすらも白く隠してしまう。
祐一の笑顔が、舞の笑顔が、佐祐理の笑顔が…
白いヴェールの向こう側に、霞んで、ぼやけて…
そして、佐祐理は目を覚ます。
すでに朝とは呼べない時間。ここまで寝過ごしてしまったのは久しぶりだった。
いつもより多少明るい外の光に目を向けて、まだ動きの鈍い頭をゆっくり動かす。
…舞はもう…出かけたのかな…?
布団の中から手を伸ばし、二重窓の内側を開け放つ。
透明なガラス一枚隔てた彼方に広がる、眩暈のするような青。家々の屋根にかぶさった白い帽子が、太陽の光を反射して銀色に輝く。
この景色に名前をつけるなら、なんだろう…?
「希望」?「明日」?それとも…
気まぐれな模様を描いて、水滴が窓を伝った。
「……涙…」
くちびるがたどたどしく動いて、無機質に言葉を紡ぐ。
涙……
…そうだね。こんな朝は…
雨どいから下がったつららから、静かに雫が垂れていた。
その日舞が帰ってきたのは、既に日も暮れた午後五時過ぎのことだった。
一人夕食の仕度をしていた佐祐理は、家中に響くような重々しいドアの音に手を止めて、玄関まで出て彼女を迎えた。
「…おかえり…」
力ない笑みを浮かべたその顔はしかし、立ち尽くす舞の姿に愕然としたそれに変わる。
コートの前面にべっしょりとこびりついた、泥まじりの冷たい雪。黒い染みはブーツだけでなく、ストッキングや手袋、さらには顔にまで跳ねてしまっている。
そんな舞が、靴すら脱ごうとしないまま、何も言わずにうつむいている。
「……舞?」
壊れ物に触るような危うさで、佐祐理は舞に声をかける。じっと自分の足元を見ていた揺れる瞳が、ゆっくりと親友の顔を見つめた。
……あ…
その瞳を目の当たりにして、佐祐理は言葉を失った。
捨てられた仔犬のような瞳。寂しさでも悔しさでもない、ただ悲しそうな瞳が、まっすぐに自分を見つめている。
「……どう…したの?」
そんな言葉しか言えない自分を目の当たりにして、佐祐理は激しく己を責めた。しかし今さらどうなるものでもない。
舞は一言も発しないまま靴を脱ぐと、そんな佐祐理の横を通って自分の部屋へと向かう。
すれ違いざまに感じた風が、なぜだかとても儚くて――
「…舞!」
後ろ手でドアを閉めようとするその背中に、佐祐理は叫ぶように声をかける。舞は一瞬震えるように動きを止め、
「……だいじょうぶ」
かすかに哀しい笑みを浮かべて一言呟くと、そのまま部屋へと消えていった。
佐祐理は一人玄関に立ち尽くし、閉まってしまったドアを、まばたきもせず見つめていた。
そして、その次の朝。
「……佐祐理?」
舞がリビングに顔を出した時、佐祐理の姿はすでになかった。
テーブルの上には、ラップをかけたお盆がのっている。その横に置いてあった書きつけを手にとって、舞は哀しげに息を吐いた。
「…ただいまーっ」
お昼を少し回った頃、佐祐理の声が玄関から聞こえた。黙ってソファに座っていた舞だったが、その声によろけるような足取りで玄関へと向かう。
「……おかえり」
「…あれ? 舞、今起きたところなの?」
佐祐理の言葉に舞は改めて自分の体を見下ろす。細身の体を包んでいるのは、ウサギ模様のパジャマ。確かに寝起きと間違えられそうな格好だ。
「…ううん。2時間くらい前」
「あははーっ。舞のことだからソファでまた寝ちゃったんでしょーっ。あったかくしてないと風邪ひくよ」
そう言って、佐祐理は舞の横をすり抜けていく。
かすかな既視感。お互いに背を向けたまま。
「…佐祐理は祐一に会ってきた」
その言葉に、佐祐理の足が止まる。
「…どうして?」
「どうしてって…」
苦笑を浮かべながら振り向いた、佐祐理の顔が凍りつく。
「……どうして?」
自分を見つめている舞の瞳、その瞳の色に佐祐理は凍りついた。
昨日の夜、自分に向けられていた瞳、
あのただ悲しかった瞳でさえ、こんな色はしていなかった。
そう、舞が祐一と出会う、そのさらに前でも――
「……舞」
佐祐理の呼びかけにも、舞は答えない。
「…怒ってる…の?」
「……怒ってる」
おずおずと切り出した佐祐理に、舞は容赦なく答えた。
瞳の色は変わらぬまま、ただきっぱりと。
「…佐祐理が…舞に勝手に祐一さんに会ったから?」
その問いに、始めて舞は瞳をそらす。
そしてそのまま、小さく首を振った。しかし佐祐理はそれを、自分の問いに対する肯定だと受け取った。
「……舞」
佐祐理の声。
「……ごめん…ね」
舞は瞳をそらしたまま。
「でも、舞が…」
そこまで口にして、なぜか佐祐理は言葉に詰まる。
「…どうして…そんなに私と祐一のことを気にかけるの?」
舞は再び、静かに佐祐理を見つめていた。
その問いかけに、居心地悪そうに佐祐理は目を泳がせ、やがてうつむいて言った。
「……おせっかい…かな。やっぱり…」
うなだれる佐祐理に、そうじゃない、と舞は首を振る。
そうじゃない。私の言いたいのは。
…私の言いたいことは…
「……佐祐理」
舞の何度目ともしれない呼びかけに、佐祐理は堰を切ったように言葉を吐き出した。
だから彼女は、一瞬の舞の表情の変化に気づかない。
「私は…私は舞に、祐一さんと仲良くしててもらいたかったから。
だって祐一さんは変わらず舞のことが好きだし、舞だって祐一さんのことが好きでしょう?」
叫びではなく懇願するような口調で、佐祐理は一気にまくしたてる。
「私は舞に幸せになってもらいたいから!祐一さんとしあわせになってもらいたいから!だから…!」
「…佐祐理!」
決して広いとは言えない玄関に、静寂が訪れた。
それを引き込んだのは舞の声。佐祐理ですら聞いたことがないほどの、舞の大声。
佐祐理は驚愕に目を見開いて、そんな舞を見つめていた。
舞は涙に瞳を濡らし、そんな佐祐理を見つめていた。
…そして。
口を開いたのは、舞のほうだった。
「…私は――」
それからのことは、舞はよく憶えていない。
気がつくと、自分はソファに座っていた。大好きなウサギのパジャマを着たまま。
太陽はすでに、西の空に沈んでいる。
……私は…
かすかに動くことをやめない心が、思い出させる。
わたしは……!
舞はゆっくりとひざを抱え、その中に顔をうずめた。
…わたしは…やっぱり…
耳の奥で、さっき放った自分の言葉が何度も何度もリフレインする。
『…私は、一弥君じゃない…』
満月を過ぎた月の光が、暗い部屋におぼろげな影を落とす。
食べられなかった朝食は、ラップの中で乾いていた。
<つづく>
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あらためまして。詐欺師です。
久々に一人…まあ、仕方ないな、とは思いますけど…
…ダメですね。私は。『M.W.』では飽き足りなかったとばかりに、佐祐理さんを苦しめて…
「優しい話が書きたいのなら、もっとやり方があったのではないか」って…
…あはは…はぁ…
文章については…もう既に、何も言い訳することもできません。
私の思いが先行しすぎて…もう、グチャグチャです。しかも直しようもありません(T-T)
でも、もう…「痛い」展開はないと…
これからは、私の…私の中の佐祐理さんに対する、一つのささやかな贈り物です。
彼女に受け取ってもらえることを願いつつ…それでは、また、です。
追記。
…もし今後、LOTHさんがコメントくれることがありましたら…
ここにも作品リストのURLを書き込んでいってもらえれば幸いです。
リストの佐祐理さんの項を見れば、この話の半分以上はわかると思うので(苦笑)