『ぶらんこ降りたら』−4th
 

 こんにちわ。詐欺師です。
 佐祐理さんの話、第四回。一応前回は、No.24728.です。

 『M.W.』の佐祐理さんを見てしまったすべての人へ。

 注意書きはもう、必要ありません…
 

  ――――――――――‐―――――――――――――――――――――‐―――――――――――
 
 

 雪が降っていた。
 思い出の中を白く埋め尽くす、冷たい、奇麗な雪が。
 白い部屋から見る白い雪は、憧れで、哀しみで、希望だった。

 悲しい顔のほうが多かった。
 苦しい顔のほうが多かった。
 そしてそれ以上に、無表情のほうが多かった、そんな弟。
 それなのに、私のまぶたに焼き付いているのは、一弥の笑顔。
 最後に一度、たった一度だけ見せてくれた、大事な笑顔。
 
 

     『ぶらんこ降りたら』
          4th−『遠い星と近くの君』
 
 

 朝の光に照らされて、木々に咲いた白い花が小さく輝く。
 いいお天気だった。
 しかしそんなことも、今の二人は、感じることはなかった。
 
 

 ……佐祐理は…
 佐祐理……
 …わたし、は……
 佐祐理は毛布にくるまって、冷たい床に座り込んでいた。
 お尻や足から感じるはずの感触も、もうずいぶん前からわからなくなっていた。
 ぼんやりと目を開けて、何もない床の上をただ見つめている。
 ……一弥…
 佐祐理が部屋に閉じこもってから、すでに二日がたっていた。
 その間彼女は一歩も外には出ていない。あの晩からずっとこうやって、虚ろに時間を送っている。
 あの晩――

『…私は、一弥君じゃない…』

 ……イヤ…っ!
 佐祐理は思わず耳をふさぐ。しかし声は決して消えない。

『……わたしは…』

 やめて…っ!
 お願いだから、もう…!

 見たくなかった。
 聞きたくなかった。
 自分の姿。
 自分の声。
 そして、自分の見ていたもの。

『……私は、舞を…』

 違うっ!

『…身代わりに…』

 違う!そんなんじゃないっ!

 認めたくなかった。
 認めてはいけなかった。
 自分の視線。
 自分の言葉。
 それらがすべて、舞を通り抜けて、他の誰かを見ていたこと。
 一弥を見ていたこと。

『……それは…』

 それは私の罪。
 偽りの願いを抱いていた自分への罰。

  「人は人を幸せにすることで幸せになる」

 それが今の私の始まり。
 そしてそれこそが、私の罪。
 一弥をしあわせにできなかった私は、闇の中で泳いでいた。
 助かりたい一心でつかまった誰かの足は、他の誰でもない私の足だったのだ。
 だから、私は…

「……わたし、は…」

 月の光が射し込む床を、佐祐理は虚ろに見つめていた。
 心の波は凪いでいた。もうすでに、動くことにも疲れ果てたように。
 認めてしまってはいけなかったのだ。
 自分が今まで信じていたもの。
 舞と出会って、再び動き始めたこころで願ったこと。

  「舞を幸せにしたい」

 誰のために?
 舞のために?

 それらがすべて、偽りだったこと。

 「人は人を幸せにすることで幸せになる」

 そう。それはきっと私のため。
 救われなかった一弥のために。
 そのために、私は…

 ……私は、舞を…

『……私は、一弥君じゃない…』

 私を見つめる舞の瞳。
 涙に濡れてた哀しい瞳。
 泣いていた舞。
 私が泣かせてしまった舞。
 舞は結局、幸せになんかなれなかった。
 …私のせいで…
 ……私は、また…!
 

『…たのしいね』
 

 記憶の中で、一弥が微笑う。
 たった一度の、やさしい笑顔。

 ……一弥…
 おねえちゃんは、また…
 
 
 
 

 ガシャーン!
 
 
 
 

 何かの割れるような音。
 暗く沈んだ部屋に一瞬響き、消える。

「……ま…い?」

 枯れた声。絞り出すように喉からもらし、その瞳がゆっくり動く。
 力ない瞳が、ドアを見つめる。
 あれから、丸二日。
 ……まさか…
 佐祐理は這うようにして、ゆっくりドアのところまで進んだ。
 それから頭をこつん、と当てて、痛い喉を震わせる。
「……舞?」
 小さな声。返事はない。
「…舞?」
 ドア一枚通して伝わってくるのは、まったくの静けさ。
 少なくとも人のいるような気配は、ない。
「……いないの?」
 佐祐理はドアに体を預けるようにしてなんとか立ち上がると、強張る手を押さえながら、静かにドアを開けた。

「……まい?」

 そして、佐祐理はその場に立ち尽くした。
 乾ききってボロボロになった二日前の朝食が、お盆ごとテーブルからずり落ちている。
 そのすぐそばで、舞はテーブルに突っ伏していた。
 お気に入りだったウサギのパジャマを着て、その上に何も羽織らずに。
 開け放たれた扉が、慣性に従って壁に打ち付けられる。

 ……ドンッ。

 その重い音が、佐祐理の心を引き戻した。
「…舞っ!舞っ!」
 倒れ込んだ舞に駆け寄り、佐祐理は狂ったようにその名を呼ぶ。
「舞っ!舞っ!しっかりして、舞っ!」
 乱れた髪をさらに振り乱し、佐祐理はただ叫ぶ。
 目を閉じた舞の口が、かすかに何か呟いていた。
 耳の奥で、遠くからサイレンの音が響いていた。
 
 
 
 

「……風邪、ですね」
 舞が運び込まれた緊急病院で、佐祐理は医師の話を聞いていた。
「熱がかなりある…それに、栄養失調も重なっているようです。もう何食も食べていなかったのでしょう」
 淡々としたその言葉を、佐祐理はうつむきながら受け止める。
 ……私のせいだ…
 きっと舞はあれからずっと、あそこに座っていたに違いない。
 部屋から出てこない私をずっと待って…
 ご飯も食べないで…
 ……ずっと…
「…ああ、それから」
 ただ自分を責めつづける佐祐理に、医師は思い出したかのようにこう付け加えた。
「君も今夜は休んでいきなさい」
「……えっ?」
 佐祐理は思わず医師の顔を見た。そこには苦笑いが浮かんでいる。
「はっきり言って、今の君も似たような状態だ。いつ倒れたっておかしくない。…彼女のとなりにベッドが空いてるから。そこで休んでいきなさい」
 医師の言葉は、優しいながらも絶対的だった。佐祐理は小さくうなずくと、重い足取りで舞の眠る病室へと向かった。
 
 

 カーテンを締め切られた白い部屋。四つあるベッドの一つで、舞は寝息をたてていた。
 開け放たれた扉から、廊下の明かりがかすかに差し込んでいる
 佐祐理は中に入れないまま、しばらく扉のところに佇んでいた。
 安らかな寝顔が、ここからでも見える。
 点滴のおかげか、肌にも少し血色が戻ったような気がした。
「……舞…」
 白い布越しに、月の光がおぼろげに照らす。
 その中を佐祐理は歩いていった。
「……まい…」
 窓際の椅子に腰掛け、佐祐理はその顔を見下ろす。
 大好きだった友達の寝顔。
 しあわせにしたいと願った人の顔。
 そして、私が泣かせてしまった、本当に大切だった親友の顔。
「……ちょっと、寒い…ね」
 佐祐理は一度立ち上がり、隣のベッドから毛布を一枚持ってきて、自分の体に巻き付けた。
「……佐祐理は、これくらいあれば平気かな…」
 力ない笑みを浮かべ、そうもらす。
 そしてあとに訪れるのは、静けさ。
 薄明かりに照らされた、幻想的な白い病室…
 最もつらく、最もうれしかった、あの日の思い出。
 

『……たのしいね』
 

 あの夜も、たしか雪が降っていた。
 カーテンを開ければそこは夢の世界で、どんな願いだって叶うと思った。
 そして……
「……ねえ、舞…」
 布団の中に手を差し入れて、佐祐理は舞の手を探り当てる。
 そしてその指先を見つけると、彼女は両手でそれを抱いて、そのまま静かに語りかけた。
「……佐祐理は…ううん。…私は…」
 一度言葉を切り、うつむいて、それでも彼女は続ける。
「私は舞を…苦しめちゃったのかな…。…どこかで、一弥を重ねて見て…。
 ……私はね、一弥をしあわせにできなかった…私はバカだったから。私は…えっと…」
 はにかむように少し笑って、佐祐理は一度頬を拭う。
「…私は、舞を幸せにしてあげたかった…それはほんとのことだったの。初めて会った時から…そう、思ってた…」
 ふっと、佐祐理は瞳を閉じた。
 今でも、昨日のことのようによみがえる景色。お腹を空かせていた山犬。そして私。
「……でも、違ったんだね」
 何かを吹っ切るような口調で、冷たく、そう言い放つ。
 冷たさの対象は自分。ウソつきで、ずっと世界を偽っていた…そんな愚かでか弱い自分。
「…私は…私が幸せになりたかっただけなの。一弥を幸せにできなかった私が…そんな私にも、人を幸せにすることができるって…それが知りたかっただけなの」
 遠くの景色が、彼女の目に映る。
 それはここと同じような病室で、自分は今と同じように、大好きな人の手を握っていた。

 それはすべての終わりの光景。
 そしてすべての始まりの光景。

「……だから、ごめんね。舞。私は…自分勝手で、ずるくて…嫌な友達だったよね」
 そう言って、彼女は笑った。
 今も降り続ける雪の中で。
 ずっと降り続けていた、冷たく哀しい雪景色の中で。
 大好きだった、幸せにしたいと願った、…でも、傷つけてしまった少女に、最後の笑顔を。
 そう、思って。
 …だけど…
「……だけど……」
 白い少女が、言葉をつまらせる。

「だけど私は…それでも舞のことが好きだよ…!」

 佐祐理は、泣いていた。
 それでも大きく開いた瞳から。大粒の涙をボロボロこぼして…
 舞の手を握り締めて、ただ、泣いていた。

「舞は…ずっと大事な友達だから…」

「私のこと、嫌いになってもいいから…」

「いっしょにいたいよ…!」

「…ねえ、舞…」

「……こんな私じゃ、だめかなぁ…?」

「…ねえ、舞……」

「……舞…」

 …………

 ………

 …
 
 
 
 

 カラカラカラカラ…

 何かが転がるような音に、舞はゆっくりと目を開けた。
 ……白…?
 突然生じた違和感に、舞は上半身を起こして素早く辺りを見まわす。
 ……病院?
 そして舞は気がついた。自分の左手を包む温かい感触。
「……佐祐理…」
 舞の布団に突っ伏すようにして、佐祐理は眠っていた。
 ……そうか、私は…
 ゆっくりと、昨夜の記憶がよみがえる。
 部屋から出てこない佐祐理を、ずっと待っていたこと。
 ずっと待っていたせいで、ごはんを食べるのも忘れていたこと。
 そして…
「…………」
 あとは、そばに立つ点滴のスタンドが証明してくれている通り。
 私は…倒れて…それから…
 自分を抱きかかえる確かなぬくもりを、舞の体は覚えていた。
 …佐祐理…自分も全然食べてないのに…
 静かに体を揺すりかけた、その手の動きが不意に止まる。
 頬に残った涙の跡。

『……私は、一弥君じゃない…』

 私が言ったひどい言葉。
 佐祐理を本当に傷つけた、とてもとてもひどい言葉。
 …私のせいで、佐祐理はずっと苦しんだ…
 そんな思いが、彼女の手を止める。
「………?」
 何かが視界に入った気がして、舞はふと横の棚を見た。
「……あ…」
 そこには紙が一枚乗っていた。舞は佐祐理を起こさぬよう慎重に腕を伸ばし、それを見る。
「…………」
 小さな紙一面に書かれた、乱雑な、でも見なれた文字。

  『とりあえず、ケンカはオレの勝ち』

 試験だって近いのに…
 ……でも…
「見舞いにきたから、祐一の負け」
 そう言って舞は微笑んだ。
 よく晴れた朝の光に包まれて、幸せそうに笑っていた。

 ……だから…

 私は佐祐理になんて言えばいいんだろう?
 私のこの気持ちは、なんて言えば佐祐理に伝わるんだろう?
 こんな時は、口ベタの自分がひどく悔しい。
 あなたに言ったあの言葉は、あなたを恨んだからではなくて、
 わたしがあなたに怒ったわけは、あなたが言ったことではなくて、
 わたしが言ったあの言葉は、涙とともに紡いだわけは、
 わたしがあなたを大好きだから。
 この思いを、どう言えば…

「……う…ん」
 うなるような声を上げて、佐祐理の体がかすかに動く。
 頭を起こし、ゆっくりと開いていくその瞳が、舞の瞳に映った。
 自分を宿したその瞳。
 後悔と罪悪感に揺れる、そんな瞳に、舞は――

「……佐祐理」

 その声に、佐祐理の体が震える。
 最後の審判を前にしたような、ただ絶望しかないような瞳が、滲んで歪む。
 ……違う…
 滲むのは…滲んでいるのは…
 舞は一旦瞳を閉じて、静かに言った。

「……ありがとう」

 頭に浮かんださまざまな言葉も、
 星の数ほどの言い訳も、
 舞のこころにはひとかけらも残っていなかった。
 降り積もる雪のように、ただずっと消えずにいた確かなものは…
 佐祐理への、たくさんの思い…

「私は…しあわせです」

 そう言って、舞は笑った。
 両のまぶたから、いくすじもの涙を流して。
 それでも、舞は笑っていた。
 佐祐理に。
 本当に大好きな、親友に。
 …そして、佐祐理は…

「……まいぃ!」

 佐祐理は舞に抱きついた。
 きつくきつく抱きしめた。
 この感触が夢でないことを確かめるように。
 これが最後ではないことを、
 これが始まりだということを、
 舞の笑顔が消えないことを確かめるように。

 だから舞も抱きしめた。
 傷つけてしまった友達を、
 自分を幸せにしてくれた友達を、
 そして、これからもずっと、ともに生きていたい親友を。
 
 
 
 

 …ねえ、舞。
 私は、いまやっとわかったような気がする。
 わたしがあなたを大好きなように、
 わたしは、一弥が大好きだったこと。
 今さらこんなこと言うなんて、おかしいとは思うけど、
 それでも、やっぱりそう思うの。
 私は一弥が大好きで、舞も大好きなんだって。
 どっちがどうとかじゃなくて、二人とも、私にとって一番大事な人なんだって。
 私は一弥を幸せにできなかったけど、
 その代わりに、あなたを幸せにしたかったわけじゃないって。
 だって、あなたは私を幸せにしてくれたから。
 だから、私も同じことをしてあげたかった。
 きっと私は、気づいていなかったんだね。
 自分が、幸せだってこと。
 舞がいてくれるおかげで、私が幸せだったこと。
 私は気づいていなかった。
 だから舞は怒ったのかな?
 それなのに、私はあなたを傷つけて…
 それでもあなたは、「しあわせだよ」って、笑ってくれるんだね。

  「人は人を幸せにすることで幸せになる」

 私は人を幸せにしたかった。
 私は人を愛したかった。
 だから、ありがとう、舞。
 …でも、その思いが受け止められたら、
 思いはどこに行くんだろうね。
 私はどこに行くんだろうね。
 私は……
 

                                        <終章へ>
 

  ――――――――――−―――――――――――――――――――――‐―――――――――――

 …おかえり。
「…ただいま…帰りました」
 早かったね。もうちょっと…休んでてもよかったのに。
「…いえ。もう…大丈夫です」
 …そう。
「…はい」
 いよいよ…終わるよ。
「次で最後、ですね」
 ホントはラストのモノローグから終章までは蛇足なんだけど。私の中のあなたに、一つの決着を。
「…じゃあ、サブタイトルは…」
 …うん。あれ。
「伏せる意味もないですねーっ」
 …まあね(苦笑)

 …さて、それじゃ終章を…
「…あ、メール」
 …どうせ、文体に関してのツッコミでしょ。
「…えーっと、『コレハナニ?』ですって」
 誰から?
「はい。もちろん…」
 …ゴメン。やっぱいいや。
「ほぇ?」

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