『遠い処から還ってきた少女』
第一部〜Time Out of Joint〜(後編)
「…なあ、真琴姉ちゃん…ホントにこの辺に家があんのかよ〜」
……うるさいわねっ、クソガキ一弥! あるって言ったらあるのよっ!
「…もうすぐ日が暮れてきちゃうね」
……あぅ…ごめんね祐衣、いっぱいつき合わせちゃって……。
あたしたちは、またまたあの公園に戻ってきていた。
一弥も加えた3人で、かなり遠くの方まで探し回ったんだけど、やっぱりお家は見つからなかった。
でも、あたしは不思議と不安な気持ちにはならなかった。
ちらりと、横目で何か話をしている2人の子供たちに目をやる。
……やっぱり祐衣と一弥が一緒にいてくれるせいなのかな…。
ありがとね、祐衣……あたしは心の中でお礼を言った。……そして一弥にも、感謝。ちょっとだけね。
「なあ、祐衣。あそこに行けばいいんじゃないかな?」
「え? あそこって、どこ?」
なにやら一弥が妙なことを言い出した。祐衣も何のことか分からない様子で、きょとんとした顔をしている。
「あそこだよあそこっ。祐衣に教えてもらった、あの森の中の」
「ああ、あの場所のこと言ってたんだ。全然分からなかったよ」
どうやら祐衣には分かったらしい。もちろんあたしには何がなんだかさっぱりだ。
「あぅ〜っ、どこに行こうって言うのよ一弥っ。言っとくけどあたしのお家はゼッタイにこの近くにあるハズなんだからねっ」
祐衣も不思議そうに口を開く。
「そうだよ一弥くん。あんなトコに行って、真琴お姉ちゃんのお家見つかるの?」
あたしたち2人に反論された一弥は、ちょっぴり唇を尖らして、拗ねたような口調で言葉を返した。
「なんだよ、祐衣が言ってたんじゃないか。あそこはお願いがかなう場所だって。祐衣のお父さんが教えてくれたんだろ?」
「それはそうなんだけど…でもお家が見つかりますように、なんてお願い、かなうのかな? それにパパはひとりで行っちゃいけないって、言ってたし…」
「大丈夫だって、俺たちひとりじゃないだろ。それに…ホントに願い事がかなうんだぜ、あそこ。俺、何日か前にお願いしに行ってきたんだけど、もうそのお願いかなったんだぜ」
「ふ〜ん、そうなんだ。一弥くん、どんなお願いしたの?」
「いや、それは……い、いいだろっ、そんな事はっ。とにかく行ってみようぜ。あそこに行けば、バカの真琴姉ちゃんもすぐにお家の場所くらい思い出せるって」
バ、バカァ!?
あたしはとりあえず失礼なクソガキをぶん殴ろうと、一弥のほうへ向き直る……ってなんで真っ赤になってんのよ、このクソガキは。
一弥は顔をトマトみたいに真っ赤に染めたまま、それをごまかすように、わざとらしく大声をあげた。
「さあっ! 早いトコ行こうぜっ。日が暮れちゃったら行けなくなっちゃうからさっ」
……なんで勝手に決めてんのよ、クソガキ。ちらりと祐衣を見ると、どうする? って顔であたしを見つめていた。
………しようがないわね。
「わかったわよぅ! どこでもいいから早くいくわよっ。あたし時間がないんだからっ」
確かに神様でも何でも頼りたい気分だった。一弥はけっこう本気そうだったから、あたしもなんだかそこに行きたいって気持ちになってきていた。でも……。
ぐぐぐう〜…。
あぅ……ヤバイくらいにお腹が減ってる。このままだともうすぐ歩けなくなっちゃいそう。
「あぅ……お腹減った……」
「へ? なんだ、真琴姉ちゃんハラ減ってるのかよ」
……あぅ〜っ、またしても口に出ちゃったわっ! よりによってこのクソガキの前でっ。
あたしが恥ずかしさのあまり固まっていると、一弥はポケットからなにやら四角い包みを取り出して、あたしに向かって突き出した。
「ほらっ、これ食べなよ。母さんの手作りチョコレート、すっごくうまいんだぜっ」
た、食べものっ!
……気が付くとあたしの手が勝手に動いて、一弥の手からチョコレートをひったくっていた。包みを開けるのももどかしく、チョコのかたまりを口に放り込む。
あぅ〜っ、おいしいよぅ〜。
口の中で甘味がじわっと広がって、あたしは腰が砕けてしゃがみこみたくなるくらいうっとりした気持ちになった。はっきりいって肉まんを食べている時以上に幸せな気分だった。
……ふと、我に帰るとチョコレートは全部あたしのお腹の中に収まっていて、祐衣がニコニコ、一弥がニヤニヤしながらあたしを見つめていた。
「あぅ………」
恥ずかしくて、空の彼方へ走り去りたくなった。しかたがないので、さっきの一弥と同じように、今度はあたしがごまかすような大声をあげた。
「さあっ、さっさと行くわよっ! あたしは早くお家に帰らなくちゃいけないんだからっ」
「うんっ、行こうっ真琴お姉ちゃん」
祐衣があたしの右手を掴んでにっこりと笑う。一弥はポケットに手を突っ込んだまま、黙ってニヤニヤし続けている。
「一弥っ! 早く案内しなさいよっ! そ、それからっ」
あたしは大声を張り上げて一弥を睨みつける。
「あ…ありがとねっ。チョコレート、おいしかったわっ」
あたしはそう言い放つと、きょとんとしている一弥を無視して、公園の出口に向かって歩き出す。ぎゅっとあたしの右手を握り締めたままついてくる祐衣の手が、あったかくて気持ちよかった。
「あはは〜っ! 早いトコ探して、ウチでケーキ食べようぜっ、真琴姉ちゃん。チョコレートだけじゃ足んないだろ〜っ」
一弥があたしたちを追い越して、走っていく。祐衣はそんな一弥の後ろ姿を、微笑みながら見つめていた。
あたしたちは森の中を歩いていた。
日はまだ沈んでいなかったけど、うっそうと生い茂っている木々が太陽の光をさえぎっていて、あたりは薄暗かった。
「なあ、祐衣」
手をつないで並んでいるあたしと祐衣の前を歩いていた一弥が、振り向きながら話しかけてくる。
「なに?」
「そういえばさ、北川さん病院行ってるんだろ? またどこか悪くなったの? 大丈夫なのかな」
「うん、大丈夫だと思うよ。ちょっと風邪気味なだけで、今朝もけっこう元気だったし。祐衣が来てるんだから病院なんか行きたくないって頑張ってたんだけど、おばさんが強引に連れていっちゃったんだよ」
「ふ〜ん、北川のおばさんって心配性だよな。たしかに北川って体弱いけどさ」
「うん、そうなんだよ。栞ちゃんも困ってるみたい。……でも、一度パパに話したら、それはしようがないって言ってた。なんでかは分からなかったけど」
「北川のおじさんとおばさんって、祐衣のおじさんと友だちなんだよな」
「うん、そうだよ。パパだけじゃなくてママも友だちなんだよ」
「あ、そういえば母さんが祐衣のおじさん元気ですかって聞いてたよ。祐衣と一緒に遊びに来てくれって」
「そうなんだ。うん、分かったよ。帰ったらパパに言っておくよ」
……あたしは2人の会話をぼ〜っと聞き流しながら、祐一のことを考えていた。
なんだかこの2人を見てると、無性に祐一に会いたくなる。今ならけっこう素直に甘えられそうな気もしていた。……まあ、実際に会ったら、ケンカしちゃうかもしれないけど。
それにしても……。
あたしはさっきからヘンな気分だった。なんか頭の奥のほうで、ドクンドクンと鈍い音が鳴り響いている感じ。別に頭痛がするわけじゃないんだけど、なんだろう? なんか耳鳴りがしているみたい。
しかもそれはどんどんと強くなってきていた。
「もうすぐだぜっ、真琴姉ちゃん」
一弥が話しかけてきて、あたしははっと我に帰る。
「どうしたんだよ、静かになっちゃってさ。疲れたのか?」
「つ、疲れてなんかないわよっ。それより、その場所に行けば本当に思い出せるんでしょうねっ。こんだけ歩かさせて、何にもなかったらタダじゃすまないわよっ」
「大丈夫だってっ。真琴姉ちゃんが俺が考えている以上にバカじゃなければ、ゼッタイ思い出せるはずだよ」
一弥はケタケタと笑った。このクソガキっ、思い出せなかったらどうなるか分かってるんでしょうね。チョコレート1枚で懐柔されたなんて思わないことねっ。
「真琴お姉ちゃん! 着いたよ〜」
あたしの右手にしっかりとしがみついている祐衣が明るい声を出す。
前を向くと、森の中にぽっかりとひらけた空間があった。そしてその真ん中には、今まで見たこともないくらい大きな木の切り株……。
ドクン……。
また頭の中で音が鳴った。一瞬、目がチカチカして前が見えなくなる。
「真琴お姉ちゃんっ、こっちだよ〜」
いつの間にかあたしの手を離した祐衣が、一弥といっしょに切り株の周りをぐるぐると走り回っていた。
ドクン…ドクン……。
まただ……。どうしたんだろう、どんどん強くなっている。
あたしは不安な気持ちを振り払うように頭をぶんぶんと振って歩き出した。
ドクン…ドクン…ドクン……。
切り株の前まで歩いてくると、耳鳴りは最高潮に達した。目がぼやけてきて、切り株が2重にダブって見える。あたしは立っているのもつらくなってきていた。
「どうしたの? 真琴お姉ちゃん。気分悪いの?」
気が付くと祐衣が心配そうな顔であたしを見ていた。その横で、一弥も同じような顔をしている。あたしは一生懸命笑顔を作った。
「だ、大丈夫よ。別になんでもないわっ」
「でも……すごい汗だよ。顔も真っ白だし…」
「いっぱい歩いたから…汗かいただけよっ。それより、ここでお家のことを考えれば思い出せるのよねっ」
「う、うん、そうだよ。ねえ一弥くんっ」
「お、おぅっ。ここで、おうちに帰りたいってお願いすれば、ゼッタイに帰れるはずだよ。俺だって祐衣に会いたいって願い事……あっ……」
「えっ?」
祐衣はびっくりしたような顔になって、それから真っ赤になってうつむいてしまう。一弥も負けないくらい真っ赤になって、そっぽを向いている。
あたしはクスリと笑った。
……そうか、一弥って祐一に似てるんだ。
ひねくれてて、いじわるで、でも本当はやさしくて。
「あははっ。じゃああたし頑張って思い出してみるから、あんたたちはその辺で遊んでなさいよっ」
あたしはできる限りやさしい声を出して、切り株に腰掛けた。正直立っていられないくらい耳鳴りが強くなっていたから。
「う、うん」
「お、おぅ。早く思い出しなよっ、真琴姉ちゃん」
2人はちょっと離れたところでかくれんぼを始めた。一弥が鬼になったようで、木に寄りかかって数を数えているのが聞こえてくる。
「い〜ち〜、にぃ〜い〜……」
あたしはお家に帰れるようにお願いをした。祐一の姿を強く強く思い浮かべながら。
「しぃーちっ、はーちっ……」
耳鳴りはさらに強くなる。一弥の声もエコーがかかったように聞こえる。
「じゅーくっ、にぃーじゅっ。さあ、探すぞ〜っ!」
一足先に隠れた祐衣に続いて、一弥の姿も森の中に消えた。あたしはこの場所でひとりぼっちになった。まだ一弥が森の中をガサガサと歩く音は聞こえていた。
ドクン…ドクン…ドクン…ドクン……。
なんだか目が見えなくなってきたから、あたしは目をつぶった。そしたら少しだけ気分が楽になった。このまま寝ちゃいそうな感じ。
「はっけ〜んっ! 相沢祐衣みぃーつけたっ!」
……相沢…祐衣……?
あたしはぼんやりと一弥の声を聞いていた。なんだか意識が朦朧としてきたような気がする。
………あいざわ……相沢っ?
一瞬、意識がはっきりと戻った。ムリヤリ目を開くと、2人がこちらに戻ってくるのが見えた。
あたしは最後の力を振り絞って、声を張り上げた。
「祐衣っ! 祐衣っ!」
祐衣がとてとてとこちらに向かって走ってくる。
「どうしたのっ、真琴お姉ちゃん」
「祐衣っ、あんた相沢祐衣っていうのっ?」
「うん、そうだよ。どうしたの? なんか苦しそうだよ、真琴お姉ちゃん」
「祐衣…あんたのお父さんの名前、なんていうの? 教えてっ」
ドクン…ドクン…ドクン…ドクン……。耳鳴りがどうしようもないほど強くなってきて、祐衣の声も聞こえづらい。あたしは目をつぶって、祐衣の声だけに意識を集中した。
「どうしたのっ、お姉ちゃん、なんか変だよっ。真琴お姉ちゃんっ」
「名前……お父さんの名前は……祐衣っ」
「……祐一だよっ、真琴お姉ちゃん。パパの名前は祐一だよっ。それより大丈夫っ? おかしいよ真琴お姉ちゃんっ!」
ドクン…ドクン…ドクン…ドクン…ドクン…ドクン……。
……祐一? 相沢祐一? 同じ名前……何がどうなってるの? ここはどこなの? あたしはどこにいるの? 祐一はどこにいるの?
もう何も聞こえなかった。耳鳴りすらも感じられなかった。動くことも、目を開けることもできない。
意識が遠くなってきた。
あたしは……闇の中に落ちていった。
そして、意識がなくなる寸前に……。
闇の中に白く輝く羽が見えたような、そんな気がした。
第一部・終幕
To be continued