『遠い処から還ってきた少女』


第ニ部 〜World of Chance〜(中編)















あたしと栞は病院に向かって歩いていた。




銀紙はポケットの奥に押し込んで、


なんにも考えないようにしながら、


ただ黙って病院へと向かう道を


ゆっくりとした栞のペースに合わせて、歩き続ける。






だって、考えたって分かる訳ないじゃない。





ど〜せコワクなるだけだし、すでにちょっぴりコワイし、



だから、考えるのヤメッ。



とにかく栞を病院に送り届けて……。



ダッシュでお家に帰ろうっ。





きっと―――――



ううん、絶対に―――――





祐一は居てくれる。






「どこほっつき歩いてたんだよ、バカ」



なんて憎まれ口をたたいて、



でもやさしい笑顔で、



あたしのアタマをグリグリなでてくれる。







それであたしは安心できる。




それであたしは怖くなくなる。




それであたしは幸せになれる。






だから―――――




早くお家に帰らなくっちゃ。




今夜は……久しぶりに、祐一のベッドで寝ようかな。


もちろん、ぴろも一緒だけど。


…………………………………えへへっ。







「……真琴さんっ」







……そうだっ、お家に帰ったら祐一と一緒にまた商店街に来ようっ。


肉まんをお腹いっぱいになるまで食べさせてもらっちゃおうっ。


あぅ〜っ、楽しみ〜っ。







「…真琴さんっ、真琴さんってばっ」







……でも、あんまり食べ過ぎちゃうと夕ご飯食べられなくなっちゃうな。


秋子さんの料理も食べたいし……う〜ん、悩ましいところね……。







「えぅ〜、返事してください〜」





「あぅ?」



……なにかがあたしの上着の袖を引っ張ってる。




あたしはようやく我に返って、なぜか自分が立ち止まってることに気付いた。


しかも栞がなぜか涙目になって、あたしの袖を引っ張っていた。




「あれ? なにしてんの、栞」


「なにしてんの、じゃないですぅ〜。なんで返事してくれないんですかっ…ぐすっ」


「へ? 栞なんか言ってたの? 全然聞こえなかったわよぅ」


「ぐすっ…ひどいです〜。さっきから何度も呼んでたんですよっ」


「あ、あはは…ごめんねっ。ちょっと将来について、真剣に考えたりしてたから」


「真琴さん、ニヤニヤしてましたよ」


「あぅ…あ、あたしは真剣に考えると顔がニヤけてくるのよっ」


「よだれも出てましたけど…」


「あぅ…真剣に考えるとよだれも出てきちゃうのっ。なによっ、なんか悪いっ!?」


「わっ、悪くないですぅ〜」



……ふぅ、なんとか勢いでごまかせたみたいね。よかったわ。



「で? どうしたの?」


「あ、はい……病院、着きましたよ」


「……へ?」


「あの、病院に着きましたって言ったんですけど…」


「へ? どこどこっ?」


「…ここです」



栞の指差した方に向き直ると、目の前におっきくて真っ白な建物があった。



「ここなの?」


「はい、そうです〜」


「なによぅ、着いたんだったら早く言ってくれればいいのにっ」


「何度も言いましたっ。真琴さんが聞いてくれなかったんじゃないですかっ」


「あぅ…ま、まあ着いたんだったら、早く中に入ろうっ」



あたしは栞の手を取ると、病院の正面玄関に向かって歩き出した。



「ま、待ってくださいっ、真琴さ〜んっ」



引きずられるようにして、栞も歩き出す。





そして、あたしたちはようやく病院の中に入った。





……もうすぐ、もうすぐで祐一に会えるのねっ。

















病院の中も真っ白だった。



意外と大勢の人たちが行き交う1階の総合受付を抜けて、あたしは慣れた足取りの栞の後について歩いていった。


階段を上がり、しばらく廊下を進んで、何科だか分かんないけど受付にたどり着く。受付を済ませた栞とあたしは、真っ白な廊下に置かれた深緑色の長椅子に並んで腰掛けた。


しばらくすると、受付の方から看護婦さんの声が聞こえた。



「美坂さん、美坂栞さ〜ん」


「はいっ」



栞は返事を返すとゆっくりと立ち上がり、それからくるりとこっちに向き直った。



「わざわざ送って下さって、どうもありがとうございました」



本当にうれしそうな笑顔でぺこっと頭をさげる。



「べ、別にお礼なんかいいわよぅ。それより早く診てもらってきてよっ、あたしここで待ってるから」


「えっ、待っててもらえるんですか? そ、そんな悪いですっ」


「あんたひとりで帰る気っ。ここまで来たらちゃんと送ってくわよっ」


「でも、けっこう時間かかると思いますけど」


「大丈夫っ、ちゃんと待ってるから早く行ってきなさいって」


「は、はい。あの……ありがとうございます。とってもうれしいですっ」



栞はもう一度ぺこっと頭をさげて、診察室へと姿を消した。


なんにもすることがなくなったあたしは、真っ白な壁を眺めながらぼ〜っとした時間を過ごすことにした。


祐一や肉まんのコトを考えながら、




余計なことは考えないようにして……。



















「……あぅ〜っ、ヒマ……」


栞が診察室に入っていってから、かなりの時間が過ぎた気がする。


時計がないから正確な時間は分からないけど、アタマの中で肉まんを10個くらい食べたし、祐一への新しいいたずらを5つも考えついたから、だいぶ長い間待ち続けているハズだ。



「……あぅ〜っ」



すっかり待つのに飽きてしまった。




ぐぐぐう〜…。




お腹の虫の大合唱はどんどん大きくなってきたし、


さらに喉まで渇いてきた。






「あぅ……そうだっ」



あたしはある事に気が付いて、上着のポケットに手を突っ込んだ。がさごそ。



「……あったっ!」


そうよっ、あたしお財布持ってたんじゃないっ。これでジュース買いに行けばいいのよっ。


あたしは取り出したお財布を握り締めて、長椅子から勢いよく立ち上がる。


何も考えずに廊下を駆け出そうとして、ふと我に返った。




……ジュース買いに行ってる間に、栞が帰ってきたらどうしよう。



きっと、あたしが待ちきれずに帰ったと思うだろうな。う〜ん……。




そうだっ。



あたしは上着を脱いで、座ってた長椅子に置いてみた。


うん、これなら栞が先に戻ってきても、あたしが帰ったとは思わないわね。


我ながらいいアイディアだわっ。


問題は全て解決っ。さっそく行動開始ねっ。


自販機、売店、なんでもいい。


とにかくジュース、あとできれば食べものっ。


あたしは財布をしっかりと握って、廊下を『歩き』だす。


ま、あたしももう大人なんだから、病院の廊下を走ったりするようなみっともないまねはできないのよね。



……ほとんど走ってるみたいな早足だけど、一応歩いてるんだからOKでしょっ。




とにかくジュースよっ。



ジュースっ〜!
















ないっ、ないわよぅ。


ぐるぐると病院の中を歩き回ったけど、どうやらこの階には自販機ひとつないみたいだった。




あたしは別の階に行こうと階段へと向かった。



そして階段がある角のところで―――――






どしんっ。





またしても、出会い頭の正面衝突。


今度はあたし歩いてたから、ちょっとよろめく程度ですんだけど、


ぶつかった相手をみると、床に尻餅をついていた。





……こ、今度はゼッタイどっちもどっちだと思うんだけど…。




やっぱりあたしが悪いような状況になってるような気がする。


「あぅ、だ、大丈夫っ?」


一応やさしく声をかけて、相手が立ち上がるのに手を貸した。


立ち上がった相手は、すごくキレイな顔立ちの女の子だった。


年は栞よりもちょっと上くらいに見えた。


あたしの手をほとんど借りずに、スッと立ち上がった女の子は、


どこも痛くなかったのか、全くの無表情だった。


どこにも怪我とかしてなさそうだから、あたしはちょっと安心したけど、



でも………。






……なんて冷たい目をしているんだろう。




……なんて冷たい表情なんだろう。




……まるで……心が此処にないみたい。




……なんだか…すごく悲しそうで、




……見ているだけで、こっちもつらくなってきて、




…………………………。





はっ。



あたしはいつの間にか、女の子の瞳を食い入るように見つめたまま硬直していた。


なんでだか分からないけど、目をそらすことができなくなっていた。



でも女の子は、そんなあたしを全く気にする様子もなく、


無表情のまま、あたしに向かって深々と頭を下げた。


「申し訳ありません。私の不注意でした」


かわいい声だったけど、瞳と同じで冷え切った感じがした。


あたしはぶるっと小さく身震いして、それからわざと明るい声を出した。



「あ、あはは…あたしの方こそ前見てなかったから。ゴメンねっ。大丈夫? 怪我とかしなかったっ?」



「大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ございません」


「あぅ…け、怪我なくてよかったわねっ。あ、あたしは倒れな……」


「それでは失礼いたします」



「あ……」


あたしの言葉をさえぎるように、女の子は別れの挨拶を口にすると廊下を歩き出していった。



あたしは呆けにとられて、小さくなっていく女の子の後ろ姿を見つめるだけだった。






あぅ…なんなのよぅ、あれ……。




全然会話にならなかったような気がする。


なんだかすごく気になる女の子だったけど、もう姿も見えなくなっちゃったし、


それに、早くジュースを買って戻らないと、栞を待たせることになる。


あたしは軽く頭を振って、階段の方に向き直った。





「……あれ?」





床に何かが落ちていた。


ちょうどさっきの女の子が倒れていた辺り、小さくて丸いモノ。


あたしはしゃがみ込んで、そのモノを拾った。



「……アメ玉」



女の子が落としていったんだろうか。ピンク色の包装紙で包まれた、小さなかわいいアメ玉……。


なんだか異様に大人びたあの女の子には似つかわしくない気がしたけど、


やっぱりあの子も小さな女の子なんだって思えて、


あたしはちょっとだけほっとした気分になった。


いまさら追いかけてアメ玉ひとつ渡すのもなんか変な感じだったから、


あたしはそのアメ玉を、そっとスカートのポケットにしまった。



「さ〜てっ、ジュース、ジュースっ」



気持ちを切り替えて階段を駆け上っていく。


早く買って、栞のところへ戻らなくちゃ。

















上の階も、下とほとんど変わらない光景が続いていた。


長い通路、真っ白な壁。


「あぅ、病院ってつくづく迷いやすい場所ねっ。ワザとなのかなっ」


ぶつぶつと文句を言いながら歩いていく。


すると、ちょっと前の方にあった洗面所の入り口から、小さな男の子が出てくるのが目に入った。


パジャマを着てるから、ここに入院してる子なんだろう。なんだかふらふらとした足どりで廊下を歩いていく。


と、その男の子がいきなり大きくよろめいて、パタッと廊下に倒れこんだ。




「あ、あぅっ!?」



あたしは慌ててその男の子のところに駆け寄った。


「だ、大丈夫っ。どっか痛いのっ? お医者さん呼んでこようかっ?」


男の子が顔を上げてあたしを見る。ちょっと脅えたような表情を浮かべていた。


「ほらっ、立てる?」


あたしは抱きかかえるようにして男の子を立ち上がらせる。


男の子はちょっとびっくりした様子で、それからあたしの顔を見つめて弱々しく微笑んだ。





……あれ? この笑顔…どっかでみたような…。




初めて会ったはずなのに、なんか見たことのあるような気がする男の子だった。う〜ん、どっかで会ったことあったかな?


考え込んでいると、男の子がかすれたようなか細い声で話しかけてきた。



「あ…ありが…と」



「あ、大丈夫? 歩ける?」



「……うん…」



「そう、よかったっ。ほら、あんたのお部屋はどこ? 一緒に行ってあげるからっ」



「……こっち…」



あたしは男の子を病室に送り届けることにした。


おんぶでもしていこうかなと思ったけど、意外と男の子が大丈夫そうだったから、しっかりと手を繋ぐだけにして廊下を歩いていった。








「ここなの?」


「……うん」


たどり着いた病室には、ベッドがひとつしかなかった。つまりは一人部屋だ。


「なんか広くていいわね〜。さ、早くベッドに戻りなさいよっ」


「うん」


男の子はあたしの手を離すと、ベッドに向かって歩いていく。


その姿をぼ〜っと見てたあたしは、そこで初めて男の子が、あたしが繋いでたのとは反対の手に何か持っているのに気がついた。


「あう、それなに?」


ベッドにもぐり込んだ男の子は、一瞬あたしの質問の意味が分からないようできょとんとしていたが、すぐにあたしの視線に気付いて、にっこりと笑った。


「…水鉄砲」


男の子はしっかりと握り締めたそれを掲げて見せてくれた。


あたしはベッドの横まで移動して、それをじっくりと観察した。


「本当だ。水鉄砲ね」


「うん」


男の子はまたにっこりと微笑んで、それから水鉄砲をあたしに向けて引き金に指をかけた。


「えっ? ち、ちょっとちょっと、待っ……」




プシュッ



言い終える前に、男の子はあどけない笑顔のまま引き金を引いていた。


次の瞬間、顔に冷たい水の感触。見事にあたしの顔に命中していた。



「あぅ〜っ! ナニすんのよぅ〜っ!」


あたしはシャツの袖でごしごしと顔を拭いながら怒鳴り声を上げた。


わざわざここまで連れてきてあげたのに、なんて仕打ちをすんのよっ。


いたずらにも程があるってものよっ。


とりあえず顔を拭ってから、あたしはキッと男の子を睨みつける。


と、男の子はあたしの剣幕にすっかり脅えてしまったようで、泣きそうな顔でこっちを見ていた。




……この子、もしかして自分が何をしようとしたのか分からなかったのかな。



「…もしかして、あんた水鉄砲で遊んだことなかったでしょ」


「……うん……。ごめん…なさい」


すっかりしょげ返っている顔を見ていると、怒る気がなくなってしまった。


「いいわ…もう怒ってないから。でもいきなり顔に向けて撃つのはもうやめてよね」


「うん……わかった」


あたしが態度を軟化させたのが分かって、男の子はほっとした顔になった。ちょっと不思議そうな顔で、手の中の水鉄砲をしげしげと眺めている。


「だいたい病院に水鉄砲なんて持ってきていいの?」


あたしはちょっと呆れたような声で問いかける。


男の子は視線を水鉄砲からあたしに移すと、今までで一番うれしそうな笑顔を見せて答えてくれた。


「…おねえちゃんが……持ってきてくれたんだっ」


「ふ〜ん、そうなんだ」



病院に水鉄砲持ってくるなんて、いたずら好きなお姉ちゃんなのかな?


でもこの子、本当にお姉ちゃんのことが好きなみたいね…。


なんだかちょっとうらやましくなって、あたしはその気持ちをごまかすように部屋の中をきょろきょろと見回した。


そしたらベッドの横に備え付けられている小さなテーブルに、ジュースの缶が数本置いてあるのが目に入った。



「あぅ、ジュースっ」



……しまったっ! また声に出しちゃったわっ!



慌てて男の子の方に目を向けると、男の子の視線は、あたしとテーブルの上のジュースをいったりきたりしていた。


「……あげる」


男の子はジュースの缶を手に取ると、あたしに向かって差し出した。


「あ、あははっ、いいのよっ。あたし別にお腹が空いてて喉も渇いてるなんて言ってないわよっ」



「……お腹も…空いてるの?」



……さらに墓穴。あたしの顔は真っ赤に染まった。



「……お菓子も…あるよ」


男の子はベッドから降りると、ベッドの下にもぐり込んで、そこから山のようなお菓子を抱えて出てきた。


……なんでベッドの下にお菓子があるんだろ?


「……はい」


気が付くとあたしは差し出されたお菓子の山を抱えて呆けていた。


「ち、ちょっと、なんでこんなにお菓子があるのよぅ。病院ってこういうの持ってきちゃダメなんじゃないの?」


「…おねえちゃんが……持ってきてくれたの」



……どういうお姉ちゃんなんだろう。ワケがわかんないわ…。



でも……おいしそう……。



……ちょっとだけなら…もらってもいいよね…。



「じ、じゃあ、ちょっとだけ食べさせてもらうわね」


上ずった声で宣言すると、あたしはお菓子の山にむしゃぶりついた。


なんとなく思ってたけど、一度食べ始めたらやっぱり止まらなかった。












「…ふぅ、満足っ」


気が付くとあたしはほとんど全部のお菓子を食べてしまっていた。


ジュースも3本飲み干していた。


「あぅ………」


お菓子の空き袋の束を見てると、すっごく恥ずかしい気分になった。


そ〜っと男の子の方を窺うと、案の定ニコニコとした笑顔であたしを見つめていた。



あぅ……。


「ご、ごめんねっ。なんだかいっぱい食べちゃったみたい…」


「ううん、僕はそんなに食べられないから…」


「そ、そう……」


恥ずかしさで耐えられなくなりそうで、あたしは強引に話題を変える。



「あっ、そういえば自己紹介がまだだったわねっ。あ、あたしは真琴っていうの。あなたは?」




「……一弥」



「………………え?」


「…一弥……倉田一弥っていいます」




く、倉田一弥っ!?


……よりによって、夢で見たあのクソガキと同じ名前。み、苗字まで一緒なんて、すごい偶然ね。



あたしはまじまじとクソガキ…じゃない一弥の顔を見つめる。




そして―――――





その顔の中に、確かに夢の中で会ったはずの少年の面影を発見して、


あたしは呆然と立ち尽くした。






こっちの一弥の方が、あのクソガキより何歳も年下に見えるけど……。




それでも、なにか深いところで似すぎている部分があるような気がして……。




なんだか足下がガラガラと崩れだしていくように感じて……。




名前が同じだけだって、自分に言い聞かせようとして……。




それでも心は認めてくれなくて………。









………あたしは、何処にいるの?








そんな疑問だけが頭の中をグルグルと廻っていた。









To be continued

 

 

 

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