『遠い処から還ってきた少女』
epilogue I〜夢の記憶〜
……白い羽が舞い降りる……
(遠い未来、または遥かな過去のとある場所で)
少年と少女が森の中を歩いている。
「………………………………」
「………………………………」
「…………………………あのさ」
「えっ!? なにっ!?」
「祐衣も…………見たんだよな?」
「………………うん」
「………消えちゃったんだよ……な」
「………………うん」
少年は呆然とした様子。少女はちょっと涙目で、2人とも顔色が良くない。
「………真琴お姉ちゃん……」
「…なあ……ホントに…あのお姉ちゃん、いたのかな?」
「えっ!? どういうこと?」
「俺たちさ……最初から幻を見てたんじゃないのかな?」
「ど、どういうことっ? 一弥くん、変だよっ」
「だって……」
「真琴お姉ちゃんは幻なんかじゃないっ。わたしたちと一緒にいたじゃないっ。話だってしたし……手だって繋いで……たん………だから………うぅっ」
少女の目から大粒の涙が溢れ出し、それを見た少年は慌てて謝る。
「ごめん祐衣っ。俺が悪かったから、もう言わないから、だから…泣きやんでよ」
「……ひどいよ……」
「ごめんっ、本当にごめんっ」
「……………うん……」
少年と少女は、しばらく無言のまま歩き続ける。少女は嗚咽を堪えるように俯いたまま、少年はそんな少女を時折心配そうに見やりながら……。
「………………………………」
「………………………………」
「…………………………でもさ」
「………………うん」
「真琴お姉ちゃん………何処へ行っちゃったんだろう?」
「………………………うん」
「……………俺さ……思うんだけど……」
「………………………うん」
「真琴お姉ちゃん……自分の家に帰ったんじゃないかな」
「………………えっ?」
「だってさ、あそこはお願いの叶う場所なんだぜっ」
「………………………………」
「真琴お姉ちゃんは、自分の家を探してたんだし。だから、きっと……帰れたんだよ」
「………………………………うん……そう、だねっ」
「そうさっ! きっと「お願い」が叶ったんだっ!」
「うんっ。真琴お姉ちゃんは、お家に帰れたんだねっ」
俯いていた少女が顔を上げる。涙の跡が残るその顔には、うっすらと笑顔が浮かんでいた。その笑顔を見た少年の顔からも、ほっとしたような笑みがこぼれた。
「あっ!!」
「ど、どうしたの? 祐衣っ」
「大変だよっ、急がないともうすぐ真っ暗になっちゃうよっ!」
「え? そ、そうだなっ。急ごうっ、祐衣っ」
「うんっ。走るよ、一弥くんっ」
夕暮れの中、少年と少女が、森の中を駆け抜けていく。
……白い羽が舞い降りる……
(遠い未来、または遥かな過去のとある場所で)
私はその時、確かに一弥の声を聞いた。
夕暮れ時の商店街。
行き交う人々の姿。
ざわめき、エンジンの音、そして……一弥の声。
久しぶりに聞いた声。でも、間違えようの無い声。
……聞こえるはずの無い声。
気がつけば、その声に導かれるように、商店街を抜けて走り出していた。
何処へ向かっているのかもわからなかった。
でも、無意識に動き続ける私の足は行き先を知っているようで、私は自分の身体を信じる事にした。
例え裏切られたとしても、これ以上失うものは何も無かったから。
揺れる視界の中を、景色が流れていく。
そして、いつの間にか私は薄暗い森の中を駆けていた。
その森の中には、予感が在った。
もう一度、一弥に出会えるという予感。
もう一度、失った時を取り戻せるという……予感。
そして……私の身体は、私を正しい場所へと導いてくれた。
………木々の生い茂る森の中に、ぽっかりと開いた空間。
その中心に在る大きな切り株に、身をもたれかけて眠る1人の少年……。
私はその場所で、長い間失われていた未来を取り戻した。
その少年は、記憶が失われていた。
だから、私は一弥の母になった。
そして、もう一度……一弥と一緒に…………
今度こそ………………
今度こそ、間違えないように。
……白い羽が舞い降りる……
(遠い未来、または遥かな過去のとある場所で)
「ねぇ、栞」
病院を出てしばらく経って、心配そうな顔のママが話しかけてきた。
「なぁに? ママ」
「あなた、さっき病院でおかしなこと言ってなかった?」
「え? ううん、別に何も言ってないよ」
「ほら、ひとりで宙に向かって何か喋ってたじゃない」
……やっぱりママには見えなかったんだ。
「別になんでもないよ。あれはひとりごとっ」
ママは難しい顔をしている。
「そう……ならいいんだけど」
「………あはっ」
ママに見えないように、私はいたずらっぽく笑う。
あれは私たちだけの秘密の約束っ。
ママも知らない秘密があるって、なんだか楽しい気分だった。
「あれ? 道がちがうよ、ママっ」
ママはいつもなら右に曲がるはずの道を、まっすぐに進もうとしていた。
「ん、いいのよ。お家に帰る前にちょっと寄るところがあるから」
「ふ〜ん、どこへ行くの?」
「駅よ」
「電車に乗るの?」
「違うわよ。駅で待ち合わせしてるのよ」
「……パパ?」
「パパはまだ会社でしょ」
「じゃあ、誰?」
「……ママの妹よ。栞にとってはおばさんね」
おばさんと言ったとき、ママはなんだか楽しそうに笑った。
「わぁ、そうなのっ?」
ママに妹がいるなんてはじめて聞いたから、私はびっくりした。
「ええ、そうよ。ずっと外国にいたから、栞は会うのは初めてね」
「うわ〜。楽しみ〜っ」
「そろそろ着く頃だから、ちょっと急ぎましょう」
「うんっ。ねぇねぇ、駅に行くんだったら、帰りにアイス買ってっ、ねっ! いいでしょっ?」
「ふふふっ。絶対にアイスは買うと思うから、安心しなさい」
「?」
いたずらっぽく笑うママが気になったけど、アイスが食べられると思うとどうでもよくなっちゃって、
「急ごう、ママっ!」
私はママを追い抜いて駆け出した。
「ほらっ、ちゃんと前を見てないと転ぶわよっ」
ママも笑顔で、私を追いかけてきた。
駅前のロータリーの信号で、私とママはようやく立ち止まった。
私は信号が早く青に変わらないかとウズウズしていた。
ママは、ロータリーに立つ人たちを、目を細めて見つめていた。
「ねぇ、ママ」
「えっ? なに?」
「ママの妹の名前、なんて言うの?」
「………ふふっ、内緒よ」
「え〜〜っ、そんなのひどいーっ」
「ひ・み・つ」
ママの笑顔が憎らしかった。ママに秘密があったって全然楽しくないっ。
「ほらっ、信号変わったわよ。行きましょ」
「えぅ〜」
私はほっぺたを膨らませながら、ママの後について行った。ママはロータリーの方に目をやっていて、そんな私を全然見てくれてなかった。
そして…………
「栞ーーっ!!」
ロータリーの真ん中で、ママがいきなり大きな声で私を呼んだ。
私はママの真横に立っていたから、びっくりしてママの方に向き直った。
……ママは私を見てなかった。なんだか泣き出しそうな顔で、ロータリーの先の方を見つめていた。
そして、ママの視線の先へと目を向けると、小柄な女の人がこちらに向かって駆け寄ってくるのが見えた。
「お姉ちゃんっ!!」
その女の人は、息を切らせて私とママのところまで走ってくると、思い切りママに抱きついた。ママは目に涙を浮かべて、その女の人をしっかりと抱きしめていた。
私は訳もわからずに、そんな2人をオロオロと見つめることしかできなかった。
やがて、ゆっくりと身を離した2人が、やっと私の存在を思い出してくれた。
ママはちょっと照れたような表情を浮かべながら私を見て、
「栞…この人が、ママの妹よ」
と、ようやくその女の人を紹介してくれた。
……そんなのわかってるっ!
長い間放っぽって置かれた私は、すっかり拗ねて、黙ったまま。
するとママの妹さんが、私の目の前まで近寄ってきて、
「こんにちは、栞ちゃん。私がママの妹の……美坂栞ですっ」
ニッコリと笑って、丁寧に挨拶してくれた。
………私と同じ名前なんだ……。
ママの秘密の訳がわかった。
私と同じ名前の女の人の、真っ直ぐに見つめる視線が眩しくて……私はごにょごにょと小声で挨拶を返すことしかできなかった。
「……初めまして……北川……栞…です」
それを聞いた栞さんは、私の耳元に口を寄せて、他の誰にも聞こえないような小さな声で囁いた。
「初めまして、じゃないですよっ」
その言葉の意味がわからなくて、私はきょとんとしてしまう。
栞さんは、そんな私をおかしそうに見つめながら、
ちょこんと人差し指を伸ばして、自分の頬に当てて、
はっきりとした口調で、こう言った。
「やっと………約束、守れたねっ」
……白い羽が舞い降りる……
(遠い未来、または遥かな過去のとある場所で)
少年と少女が、商店街の中を歩いている。
「ふぅー。やっとここまで帰ってこれたなー」
「うん。もうだいぶ暗くなっちゃったね」
「はぁ……お腹減ったなー」
「……………………………」
一瞬表情を曇らせる少女。戸惑った顔でその少女を見つめる少年。
「ど、どうしたの? 祐衣っ」
「うん………真琴お姉ちゃん、今ごろご飯食べてるかなぁ……」
「……た、食べてるさ、きっとっ。お家に帰って、ガツガツとさっ」
「………そうだねっ」
「そうそうっ。あんな食い意地張ってるヤツ、あんまりいないぜっ。人のお菓子とジュース、残さず食べちゃうんだからさっ」
「え? 一弥くん、真琴お姉ちゃんにジュースなんてあげてたっけ?」
「……えっ!?」
少年は自分の発した言葉に驚いて、しばらく考え込む。
「うーんと………なんだろ? 何かそんな気がしたんだっ」
「ふーん……」
少年は曖昧に言葉を濁すが、少女もそれほど気にした様子は無かった。
そして………
「おーいっ、祐衣ーっ!」
ふたりの前方から、呼びかける声がした。
そこには、少年と少女に近づいていく1人の男性の姿があった。
「あれっ!? パパ!?」
少女が驚いたような声をあげる。男性は穏やかな笑みを浮かべて、少女の前に立つ。
「なんだ、こんな時間まで遊んでるのか? 暗くならないうちに帰らなくちゃダメだろっ」
「パパ……どうしてココにいるの? 迎えに来るのはまだ先じゃなかった?」
「そうなんだけど……ちょっと北川に呼ばれてな」
「おじさんに?」
「ああ、今日栞がこっちに帰ってくるって言うから、みんなで集まることにしたんだ」
「栞ちゃん? ずっとこっちにいるよ?」
「ああ、そうか……。香里……北川のおばさんの妹の名前も栞って言うんだよ」
「ふ〜ん…そうなんだ。じゃあ、おばさんの妹さんが帰ってくるの?」
「そうだよ。栞……その妹は、病気を治すためにずっと外国にいたんだけど……ようやく治って、帰って来れることになったんだ」
「じゃあ、今日はもしかして、お祝いのパーティー!?」
「ああ、そうなるな。……と、一弥君…だろ? 久しぶり」
「はいっ。こんばんは、おじさんっ」
「しばらく見ないうちに大きくなったなぁ。お母さんは元気か?」
「はいっ。元気です」
「そうか。……そうだっ、一弥君、お家に帰ったらお母さんに声かけてくれないかな? 栞が帰ってきたから、北川の所に来てくれ、って」
「は、はいっ。……あの……僕も行っても、いいですか?」
「もちろん」
「じ、じゃあ、僕、母さんを呼んできますっ! 失礼しますーっ!!」
少年は飛び跳ねるようにして駆けて行った。後には少女と男性が残される。
「………ねえ、パパ?」
「ん? なんだ、祐衣?」
「ママは、来てないの?」
「もちろん来てるぞ。来ないわけないじゃないか」
「そうだよねっ。……でも、どこにいるの? 栞ちゃんのお家?」
「いや、そこで買い物してるよ。そろそろ出てくると思うけど」
男性が一軒の店を指し示したちょうどその時、そこから1人の女性が出てきた。
「あっ! ママーーっ!!」
少女はその女性に向かって走り出した。
買い物袋を抱えたその女性は、自分に駆け寄る少女を、笑顔で迎える。
「ママーっ!!」
少女は、女性の胸に向かって飛び込んでいった。