春が来て、ずっと春だったらいいのに」

 

 



それは、誰が呟いた言葉だっただろう?




 







『遠い処から還ってきた少女』

prologue 〜その日〜

















天気がいい日だった。




心地よい風が吹いている、出掛けるには絶好の日和。


そう……俺と秋子さん、名雪にあゆの水瀬家一同が、電車で1時間程のところにある小さな山にハイキングに行くには絶好の日和。




………以前から決めていたことだった。




名雪は寝坊しないために、前日の夜7時から眠りについていた。


あゆは張り切り過ぎて眠れなかったようで、朝から目を充血させていて……それでもまだ元気いっぱいの様子だ。


秋子さんは早朝からお弁当の準備をしていたようで、テーブルの上には既にバスケットやタッパに詰め込まれたお弁当が用意されている。


もちろん……俺も今日という日が来るのを楽しみにしていた。





そして……………










「秋子さん……名雪さん、祐一君。あの……ボク、お願いがあるんだけど……」




最初に口を開いたのは、あゆだった。



「どうしたの?」



「何かあったの? あゆちゃん」



「………うん…………あのね……」



「お弁当にたい焼きを入れろなんてのはナシだぞ」



「うぐぅ、そんなんじゃないよっ!」



「祐一っ、あゆちゃんは真剣に話してるんだよ。もっと真面目に聞かなくちゃダメだよ」



「へいへい」




……思わず茶化してしまったのには、理由があった。


あゆのお願いが……俺が今朝起きた時から感じている事と、何か関係があるもののような気がしたのだ。





実は俺も……みんなに、ある提案をしたいと思っていた。




だけど、俺の感じていることは、まるで根拠などない、まさに「夢のお告げ」としか言いようのないものだったから……どうしても口に出せずにいた。


だから、あゆがもしその事を言おうとしているのではと考えると……どうしても茶化さずにはいられなかったのだ。





………でも、よくよく考えれば、そんな事があるはずがない。







何故なら………あゆは、あいつの事を知らないのだから。

















「あの……あのね、ボク、今日のハイキングは中止した方がいいと思うんだ」



「えっ?」



「な、なんでっ? あゆちゃん体の調子でも悪いのっ?」



「………………………」






驚きを隠せなかった。




漠然と感じていた通り、あゆのお願いは、俺が言おうと思っていた事と全く同じだった。ただし、理由は違うはずだ。




俺が今日のハイキングを中止したい理由は、









あいつが……真琴が、帰ってくるような気がしたからだ。







俺の手の届かない処に行ってしまった少女が、此処に還って来る日………朝起きたら、何故かそんな事を思っている自分がいた。



そんな夢を見ただけかもしれない。でも、俺はそんなものにさえ、すがり付きたかったのだ。






俺の心の中から、真琴はまだ消えてはいなかった。





真琴の笑顔、真琴の泣き顔、肉まんをおいしそうに頬張る姿、腕に巻かれた鈴、真っ白なヴェール、やさしい風の吹く丘……俺の中に、全て残っている。







誰かが言った……時は全てを忘れさせてくれると。



………それならば、その日が来るまでは真琴の事を想い続けたい。





誰かが言った……奇蹟など起こり得ないものだと。



………だったら、真琴が帰って来るのは必然だ。奇蹟など必要としない。








とにかく、俺は待ち続ける。そして、想い続ける………忘れる日が来る時まで。



だから………夢だったとしても、こんな気分のまま、家を離れたくはなかったのだ。





真琴が帰ってきた時に、家に誰もいないのは悲し過ぎるから。













「あ、あのね……今日は、誰かがこの家に帰って来るような気がするんだよ」




……………えっ!?




あゆの言葉が頭の中を駆け巡る。



あゆは……俺と同じ事を感じているのだろうか? いや、そんな筈はない。あゆは真琴の事を知らない。あゆが水瀬家の一員となったのは、真琴がいなくなった後の事だ。




……………って、あれ?


記憶が混乱している。あゆはいつから一緒に住むようになったのだろう? 真琴とあゆが一緒にいた記憶はないから、真琴が消えてからなんだろうけど……。それに、何故あゆが水瀬家に住んでいるのかも思い出せない……。




………どうしちまったんだ、俺は……。




突然の記憶の混乱。あゆの言葉。……思考が固まってしまう。









「誰かが帰って来るって……約束でもしてるの? あゆちゃん」



俺の混乱した様子には気付かずに、名雪があゆに話しかけている。



「ううん、そんなんじゃないんだよ。……うぐぅ、ボクにもよく分からないんだけど………とにかく、もうすぐ誰かが帰って来るんだよ。だから……ボクたちはここに居なくちゃいけない……」



最後の方は消え入りそうな声になる。今にも泣き出しそうなあゆの顔を見つめながら、それでも俺の思考は止まったままだった。




そして…………











「……わかったわ。それじゃ今日はみんなで家に居ましょうか」



秋子さんのその一言で、俺の思考は動きを再開する。


秋子さんが真琴の事を考えたのかどうかは分からなかったけど……その言葉は、いつだって正しいと思えるから……。






……そう、何も考えずに、ただ待てばいい。それ以外の事は、今は考える必要はない。








「う〜ん……残念」



ちょっぴり釈然としない顔をしながらも、あっさりと受け入れる名雪。もしかしたら名雪も真琴の事を思い浮かべたのかもしれない。




「…………祐一君は?」



潤んだ瞳で、あゆが俺に問い掛ける。それで初めて、俺は何も言葉を返していない事に気が付いた。






「ああ…………待とう」




…………………真琴を、俺たちの家族を









「うぐぅ………ありがとぉ」



あゆの瞳からは涙が溢れ出していた。くしゃくしゃになったその泣き顔を見ていると、さっきの疑問が、本当にどうでもいい事のように思えてくる。






あゆは、俺たちの……水瀬家の家族の一員だ。




それ以外に、何が必要だというのだろう?


















そして、時はゆっくりと流れ始めた。












俺たちは、とりあえずそれぞれの部屋に戻った。




名雪はもう一度寝直すつもりのようだった。


秋子さんは洗濯を始めたようだ。



なんでもない、水瀬家の日常が戻ってきていた。





でも……俺は、その日常の流れにうまく乗ることができなかった。




……ベッドに横になっても、まるで眠くならない。


……雑誌をめくっても、何一つ頭の中に入ってこない。




しばらく努力してみたが、どうやら無駄のようだ。



やがて、あきらめた俺は、ドアを開けて部屋を後にした。










階段を降りると、そこにはあゆの姿があった。




落ち着かない様子で、廊下をうろうろと歩き回っている。





……ここにも日常に戻れないヤツがいたな。




俺は苦笑しながらゆっくりとあゆに近づくと、その頭にぽんっと手を乗せた。




「うぐぅ……祐一君………」



「どうした? 何そわそわとしてるんだ?」




そう言いながら、頭をクシャクシャに撫でてやる。



「うぐぅ……やめてよ」



首を振って、俺の手から逃れようとするあゆ。でもその視線はいまだ宙を彷徨い、心ここにあらずな様子だった。




「……なあ、あゆ」



「…え? 何? 祐一君」



「お前は……誰が帰ってくると思ってるんだ?」




「え………そ、それは…」



「お前の知ってるヤツなのか?」




「………………たぶん」



「………一体誰なんだ?」



「……あの………名前は知らないんだよ」



「男なのか、女なのか」



「うぐぅ……それもわからないよ」



「年は?」



「……わかんない」



「それじゃ、何にも知らないって事じゃないか」




「うぐぅ………」




困りきった顔のあゆは、それでもその瞳に真剣な光を宿して、おれの顔を真っ直ぐに見つめてくる。






「でも……でもね、何処かで会ったことのある人だって、そう思えるんだよ」






「………………そっか」



俺はそれ以上何も言わずに、もう一度あゆの頭をガシガシと手荒く撫でた。



今度はあゆも逃げる素振りはみせなかった。





その時―――――







ザッ……ザッ……






玄関の扉の向こう側から、音が聞こえた。






ザッ…ザッ…ザッ……







誰かが……近づいてくる足音。








俺とあゆは、まるで石になったかのように身動きができなくなり、



ただ、食い入るように扉を見つめていた。







ハッ……ハッ………






扉の向こう側から………誰かの息遣いが伝わってくる。





 


懐かしくて、




愛しくて、





そこに向かって走り出したいのに、





それでも足は動かなくて、





ただ、立ち尽くしたままで、








そして―――――











俺とあゆが見守る前で、












扉は、開かれた。






 






太陽の光と、爽やかな風と共に、










其処に、立っていたのは………



 






『遠い処から還ってきた少女』



prologue that day

Part I Time Out of Joint

interlude dreamily

Part II World of Chance

epilogue I memory of dream

epilogue II like a dream

epilogue III fantastic story



Cast 


Makoto Swatari

Yui Aizawa

Kazuya Kurata

Sayuri Kurata

Shiori Kitagawa

Kaori Kitagawa

Shiori Misaka

Nayuki Minase

Akiko Minase


Yuichi Aizawa


Ayu Tukimiya



 

 





To be continued








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