『なあ、天野。
この空の下に、真琴やお前の大切なあの子がいると言ったら信じるか?
紺と朱色にグラデーションのかかったこの空の下で、元気に跳ね回っているといったら信じるか?
気持ちのいい風が吹くこの広い丘の何処かで。
又は、俺達が知らない場所かも知れないが。
同じ色の空の下、同じ日の光を浴びて。
何時ものように元気でいると云ったら信じるか?
なあ、天野』
『いいえ、出来ません。
信じることなんか出来ません。
2人は消えてしまったのに・・・・・・・
私に懐いてくれていたあの子は私の目の前で消えてしまったのに・・・・・・
信じることなんか出来ません。
・・・・・でも。
それでも私は信じてみたいとも思っています。
もし、何処かで元気に暮らしていてくれるのなら。
きっとそのうちに会うことが出来ますから。
たとえ、姿形が変わっていても・・・・・
たとえ、どんなに月日が流れても・・・・・
きっと私は分かります。
だって・・・・・家族ですから。
だって・・・・・友達ですから』
・・・・・
・・・・・・・・
短い音と共に吹き抜ける風。
揺れる草の音。薫る緑の匂い。
・・・・・・・・・
又、風が吹く。先ほどよりは強い風。
風は髪をかき上げ、その髪は頬をくすぐって。
私はそっと、頬にかかった髪を手でゆっくりとかき上げて。
・・・・・・・・・・・・
少し、肌寒いです。
風の所為も、勿論あるでしょうけれど。
今まで閉じていた目をうっすらと開けて。
・・・・・沈みかけの太陽。
あと少しで、濃い紺色の世界。
もう冬が終わり、春が既に来ているとしても日の暮れはまだ寒さが残ります。
目の前には空が広がっています。
そう、吸い込まれそうに広い空。
深く、大きい・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・
だんだんと強くなる風。
身体に震えが走ります。
ふと、違和感。
何故、頭の下に温もりを感じるのでしょう・・・・
何故、心地よいのでしょう・・・・・
そして。
間を置かずに、開いた目の視界の半分を占拠する影。
「お、起きたのか、天野?」
声を掛けてくるのは、男の人。
高校の先輩で、相沢祐一さん。
・・・・・私と同じ経験を持った、人。
私は軽く目を瞑って・・・・
「はい、つい先ほど」
また目を開く。
先ほど影にしか見えなかった相沢さんがよく見えます。
私を左の方から見下ろして、少し意地悪そうに笑っています。
もっとも、相沢さんはよくこういう風に笑うので、別に他意はないのは分かっていますから。
優しさと照れを隠す、衣。
これが一番合っている表現だと思います。
「男の膝枕っていうのも乙なもんだろ?」
私は相沢さんの伸ばしている足を枕に、横になっているみたいです。
だから、心地よかったのですね。
ふくよかでもなく、けれども決して堅くなどない感触。
そして・・・・・・・その温もりが伝わってきたことが。
それがなによりのものでしたから。
少し驚きましたけど・・・・・・・嬉しかったです。
でも、素直にそんなこと云えませんから・・・・・・
「感想を求められても困ります。・・・・・それに、何故膝枕なんかしていたのですか?」
並んで、話をするわけでもなく・・・・・ただ座って。
・・・・・・そのうちに寝てしまったのでしょうか?
「わからないか?」
からかうような口調で。
でも、それは不快ではありません。
「はい」
今度は素直に答えることが出来ました。
「そうだろうな。別に俺が特に何を考えた訳でもないし」
「・・・・・・どういうことですか?」
「本当いうと、天野が船を漕ぎながらこっちに倒れ込んでくるからさ、俺が驚いたよ。で、肩により掛かってきたんだけど、天野のびっくりする顔を見たかったから膝枕にしてみようと思ってさ」
いたずらっ子みたいあどけない顔をこちらに向けて。
「まあ、驚かすのには失敗したみたいだがな」
照れ隠しに頭を掻いたりする相沢さん。
いつもの通りで、それが嬉しくて、楽しくて。
だから。
「・・相沢さんのする事にはもう、慣れましたから」
自然に笑っていられる自分がいます。
相沢さん、私、貴方の前では何でもないように笑っていられるのですね。
そんな自分が不思議です。
「もう起きるのか?」
優しい目。一瞬、惹きつけられてしまいます。
狡いですよ、相沢さん。どうして・・・どうしてそんな目が出来るのですか?
羨ましいくらいに澄んだ目で。
「はい。これ以上迷惑をかけれませんし」
名残惜しい・・・・・とは思いましたが、自分の中で掛け声を掛けて起きあがります。
掛け声・・・やっぱり、おばさん臭いでしょうか。気を付けなくてはいけませんね。
「あっ・・・・」
静かにずれ落ちる、大きな上着。
相沢さんのもの。私にかけておいてくれたのでしょうね。
多分、膝枕をしてくれていたのも、上着を脱いでかけてくれるためだったのでしょう。
不器用な隠し方ですね、相沢さん。
「・・・・・ありがとうございます」
真琴。
私、分かったような気がします。
最近・・・・・いえ、本当はもっと前から分かっていました。
何故、相沢さんに惹かれたのか。
何気ない、でも包み込むような優しさ。芯から受け止めることが出来る強さ。
真琴は、だから、祐一さんを好きになったのですね。
「あ、ああ」
素っ気なくても・・・でも照れの入った態度は分かります。
もう一度、私の中で『有り難う御座います』とお礼を繰り返します。
本当に、感謝しているんですよ。
・・・・・・・・・・・・・・
風が冷たい空気を運んできます。
私は慣れていますからいいですが・・・・・・
「寒くはないですか?」
相沢さんは越してきたばかりですから、多分寒いでしょうけど・・・・・
「大丈夫だ・・・・・多分な」
いつもの表情で、でも微かに震えて・・・・・
「これ、お返しします」
相沢さんの上着を叩いて汚れを取ってから、相沢さんの前に差し出します。
「天野、寒いんだろ?」
「私は慣れてますので」
確かに寒いですが、我慢できないことはありません。
「着ておけって。まだ、冷えてくるぞ」
「私は大丈夫ですから」
それよりも、相沢さんの方が寒そうですよ。
「まあ、そういうなって。天野に風邪をひかれると俺が真琴に怒られる」
相沢さんは私の手から上着と取ると、その上着を私の肩に掛けてくれました。
少し強引ですけど、でも。
・・・・・暖かいです、相沢さん。身体も、心も暖かいです。
それに・・・なんだか相沢さんに抱かれているようで、恥ずかしいです。
「それに・・・・・・・こうすれば、俺も暖かい」
肩に掛かっていた手で急に引き寄せられて・・・・・
「あっ・・・・・・・」
私の頭は・・・・・・相沢さんの胸の中に収まって。
・・・・・・・・・・・・
風の音も、寒さも消えていって・・・・・・
私を引いた手とは逆の手で更に抱き寄せられて・・・・・
相沢さんの温もりと、相沢さんの音で全てが染まっていきます。
「・・・・・真琴に怒られますよ」
暫く経って・・・・・・言えた言葉がそれだけでした。
「許して貰うさ」
丘を見ながら・・・・・丘の先に見えるものに向かって。
小さな声で・・・・・・でも私にはっきりと聞こえる声で答えてくれます。
「・・・・・・・・・私の意見は聞かないのですね」
云うだけの、僅かな抵抗。
「振り払わないでいてくれるからな。それが答えだと思ってる」
・・・・・・・すっ
抱かれたままの格好から、そっと右手を動かして。
相沢さんの胸の手を当てて。
顔も胸に埋めていきました。
私は何時から貴方を好きでいたのでしょう?
真琴、貴方が去ってから?それとも、相沢さんが私に話しかけてくれてからでしょうか。
・・・・・・・わかりません。
でも、これだけは・・・・・
相沢さん、私は貴方が好きです。
そのままで、どのくらい時間が経ったのか分かりません。
でも、見えていた太陽が沈んで。
今はこの空は濃紺の世界が広がって。
所々に散らばって見えるのは光る星。
「なあ、天野」
『なあ、天野』
夢の中と重なる言葉・・・・・・
『この空の下で、元気に跳ね回っているといったら信じるか?』
夢の続きの言葉が思い出されます。
・・・・・・そう、夢の中での言葉。
もしそうならば、どんなにいい事でしょう。
この空の上から、この丘を見下ろすことが出来たなら・・・・
そうしたら、あの子を見つけることが出来るかも知れません。
真琴を見つけることが出来るかも知れません。
私は羽根を持った天使になりたい・・・・・・
そんな事を考えて。
「なんですか、相沢さん?」
考えを隠すように、何時も通りの口調の私がいます。
「なんで、天野はここに・・・・・・なんで俺の側にいてくれるんだ?」
私の身体に回した手をそのままに。
「別にいいじゃないか、俺なんかに付き合わなくっても」
苦しそうに言い募って来ます。
「毎日毎日この丘まで・・・・・・・大変だろ?」
「私は・・・・・・大変ではありません」
相沢さん。
友人との思い出の場所に来るのは、私はもう苦痛に感じることは無くなりましたから。
貴方のおかげで、そう私は変わることが出来たのですから。
もう、私は大丈夫です。ですから、大変なんて事はありません。
「確かに・・・・・ここには悲しい思い出があります。あの子の事も・・・・・・真琴の事だってそうです」
胸の奥に貯まるものを全て吐き出すように静かに、でも大きく深呼吸。
「でも・・・・・・目を反らしていてはいけないんです」
だって・・・・私は今まで反らし続けてきたのですから。
でも、だからこそ今度は・・・・
「この奇跡を受け止めて、もしも、またこのようなことがあるのなら・・・・今度は悔いのないようにしていきたいんです」
それが私の今の考え。
「・・・強いな、天野は」
「・・・・・・・そんな事ありません」
だって・・・・・・前を向かせてくれたのは相沢さん、貴方ではないですか。
強いのは相沢さんの方ですよ。
私は教えて貰っただけです。ただ、それだけなんですよ。
「相沢さんのおかげです」
・・・・・もしも、私に声を掛けてくれなかったら。
「相沢さんのおかげなんですよ」
・・・・・もしも、真琴と友達にならなかったら。
「私が前を向けるようになったのは」
まだ私は自分の過去ばかりに目を向けて、無味乾燥な時間を過ごしていたでしょう。
「本当に・・・・・感謝しています」
どう・・・しましょう・・・・・・
・・・・・・想いが溢れて・・・・・止まりません。
「・・・・だから・・・・・・そんな事・・・・・・言わないで下さい」
胸に当てた掌に力が入って・・・・
相沢さんの服にしがみついて・・・・
・・・・・涙が頬を伝って落ちました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
肩を、背中を震わせる私をぎゅっと・・・・・痛いほど強く、私を抱いて。
「御免」
と、小さく耳元で囁いて・・・・・・
涙が止まって、気持ちが治まって・・・・・
私は夢の話を相沢さんにしました。
夢の中での相沢さんと私の会話。
あの子が、真琴が生きていたら・・・・・夢物語かも知れません。
でも、あの子が、真琴が存在していたこと。
これは奇跡です。
そして、それが想う力が引き起こした奇跡であるのなら。
それを信じて・・・・・・信じて。
帰ってくることが出来るように、信じて待っていようと思っている事。
全てを相沢さんに話しました。
そして通る声で、力強い声で相沢さんは答えてくれます。
「俺は信じてる」
強い意志を持った目で、この丘を見据えながら。
「あいつがまた俺の前に現れることを信じてる」
抱いていてくれた手を、私の頭に添えて。
「だから、天野も信じてくれているなら、奇跡はまた起こるかも知れないな」
私を見ながら、目を見ながら。
軽く、優しく私の頭を撫でながら語るように話してくれます。
でも、相沢さん。
「違います」
驚いたような顔になった相沢さんにかすかに満足しながら。
私は自分でも驚くくらいの笑みを一杯に浮かべて。
「起こるかも知れない、ではありません。奇跡は起こすためにあるんですよ」
私がこんなにも前向きになれたのも、実は奇跡なのかも知れません。
奇跡がこんなにも身近にあるのなら。
それに、相沢さんとなら、私・・・・・・・きっと。
ですから。
相沢さんと私の二人で。
目の前にあった奇跡をもう一度。
「ですから、一緒に奇跡を起こしましょう!」
相沢さんの顔が驚きから・・・・・・一瞬、ほんの少しの間、泣きそうに見えて。
色々な想いが、感情が交叉して・・・・・・
最後に浮かんだのはいつもの相沢さんらしい、いたずらっ子みたい笑顔でした。
「ああっ。そうだなっ。一緒に起こすか!」
「はいっ」
丘から街への帰り道。
もうすっかりと暗くなった道を二人で歩いて。
いつも通るこの道。
でも、いつもとは少し違った帰り道。
それは私の右手の暖かさ。大きい手。
私の横に貴方がいること。
それが恥ずかしくて・・・・・でも嬉しくて。
相沢さん。
横目で顔を見ながら、きゅっ・・・と強く握って。
真琴に・・・・・私、負けたくありませんから。
だから・・・・・これからこう呼んでも良いですか?
「・・・・・・祐一さん」
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ささやかなコメント by LOTH
60000HIT記念ということで、いつも感想をくださる黒斗さんにいただきました。
わたしのページでは珍しい(笑)名雪属性である黒斗さんは、他のキャラへの思いをわたしのSSで深めることができたということで…
いや、わたしが勝手に書き飛ばしたことで、そんな風に思えたのなら、それは本当にうれしいことです。
でも、特別公開ページのオリジナル、少女小説に至るまで感想を必ずくださる、
そのことにわたしの方が、本当に感謝でいっぱいなのですけれど。
SSは…美汐です。わたしが決して書かないタイプの…美汐です。
いえ…それではちょっと語弊があるでしょうか。『グノシェンヌ』と『夢・夢』がありますから…
でも、『グノシェンヌ』では美汐を明確に悲恋に落したし、『夢・夢』は真琴を知らない美汐…
わたしには、真琴を思いながら祐一と微妙に恋に落ちていく美汐の心情…それは書くことができません。
書く事は可能なのですが…書ける自信もありますが…決して書かない…書きたくないと思っているのです。
理由は…よくわかりません。多分…わたしがこの少女に恋しているからかもしれません。
…って、わたしの美汐はわたしの分身ですから…それってナルシズムですね(苦笑)
でも、この作品の美汐は…わたしが知っている美汐で、その思い、戸惑いも…とっても分かる気がします。
真琴に還ってきてほしい…同時に祐一のことを思う…そんな、戸惑う少女の気持ちが、素晴らしく表現されていて。
黒斗さんらしい、想いの見えるSSになっていると思います。わたしは…好きです。