『Marshmallow-Waltz』〜4th
 

 こんにちわ。詐欺師です。
 舞と佐祐理さんの「痛い」話であるはずのこのシリーズ。
 でも言い切れないのが悲しいところ(^^;

 この話は、No.17663の続きです。
 それでは、どうぞ。
 

  ―――――――−―――――――――――――――――−―――――――――
 
 

        『Marshmallow-Waltz』
               4th-『Human』
 
 

 春先の雨がもたらす冷たさ。俺は体を丸め、再び毛布にくるまる。
 地面に叩きつけられる雨粒がうるさい。
 リズムがあるともないともいえない、なんともいえないいらだち。
 不協和音。
 俺は頭まで毛布を引き上げた。何の音も聞こえないように。
何も考えないように。
 低気圧のせいか、もうほとんど残っていない傷跡が疼いた。
 
 

 舞の面会謝絶が解けてからさらに三日。
 佐祐理さんが病院に出入り禁止になってから三日。
 それは妥当な処置だっただろう。検査に回されなかっただけ、まだマシとも言える。
 ただ、次は確実にないだろう。
 精神病棟に送られる。
 そうなれば、終わりだ。
 俺たちは本当にバラバラになってしまう。
 崩れてしまう。
 世界ごと、すべて。
 だから…
 
 

「朝ごはんですよーっ」
 
 

 この「日常」を過ごすことしか、道はない。
 選択肢など。
 
 

 あれから、佐祐理さんの様子はまた少し変わった。
 あの「告白」のことには、二人とも触れようとはしない。
 俺は答えが見つからなくて。
 佐祐理さんは…よくわからない。
 もうあきらめているのか。それともまったくの逆か。
 わからない。
 わかりたくないのかもしれない。
 俺が答えを探そうとしないように。
 

「…祐一くん、だいじょうぶ?」
 

 気がつくと、佐祐理さんが俺の顔を覗きこんでいた。
「なんか顔色悪いですよ。熱でもあるんじゃない?」
 心配そうに、顔が曇る。
 俺の時だけ。
 俺のことに関してだけ、表情が変わる。
 笑顔から。
「…大丈夫だよ。ちょっとボーッとしてただけだから…」
「そう…ですか」
 少しだけ寂しそうに、佐祐理さんが顔を離す。
「何かあったら、早めに言って下さいね。お薬いっぱいありますから…」
「…ああ。ありがとう…」
 俺の言葉に、佐祐理さんが微笑う。。

 …………?

 違和感。
 形容しがたい、けれど確かな違和感。
 今、それをはっきりと感じた。
 目の前の女性から。
 佐祐理さんから。

「どうしたんですか?」

 言葉にできないもどかしさ。
 でもそれが、わずかな直感をますます確信させる。
 なんなんだ…
 …なんなんだ…これは。

「…俺、部屋に戻るよ」

 佐祐理さんの顔を見ないように、俺はその場を離れた。
 けれども背中に刺さる視線は、傷跡のようにそこに残った。
 
 
 
 

 ――ばふっ! 

 ベッドに飛び込み、息をつく。
「…もう、一週間になるな…」
 思い出したかのように、そんな言葉が口をつく。
 舞が入院してから。
 佐祐理さんの心が消えてから。
 もう、一週間になる。
 二人だけの生活。

 自分にだけ特別な表情を見せてくれる人。
 自分のことだけを見てくれる人。
 嫌じゃない。
 それが佐祐理さんなら、なおさらだ。
 嫌じゃない。
俺の知ってる佐祐理さんなら。
 舞のことが大好きだった佐祐理さんなら。
 でも、今は違う。
 今の佐祐理さんは…

 …今の…
 
 

 突然、何かが生まれた。
 頭の片隅に。
 それはだんだん大きくなって、言葉になる。
 さっき感じた違和感。
 きっとそれは、ずっと感じていたもの。
 佐祐理さんの眼差し。
 

   『何かあったら…』
 

 あの眼差しは…

 姉の弟に対するものではなかった。
 恋人に対するそれでもなかった。
 あれは、まるで…

 …いや、よそう。
 考えても仕方のないことだ。
 今はただ、眠りたい。
 まだ、一週間。
 そして先には、これからどれだけ続くとも知れない日々が待っている。
 …嫌な時間は、経つのが遅いっていうけど…
 心の動かない日々。
 非日常的な日常。
 きっと、さっきの言葉は間違いだ。
 「考えたくない」
 これが、正解。
 絶望の中で、いっそ狂ってしまえるなら。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

     『…狂いたいの?』
 

 声。
 

     『どうして?』

 
 狂ってしまったほうが、楽になる。

     
     『絶望の中で?』

 
 絶望の中で。
 

     『でも、だめね』

     『届かない』
 

 何故?
 

     『足りないの』

     『決定的に』
 

 絶望が?
 まだ足りない?
 

     『絶望だけでは届かない』

     『足りないの』
 

 何が?
 
 
 
 

     『……飢えが』
 

     『心の叫びが、あなたには決定的に足りないの』
 
 
 
 

 イメージ。
 脳に直接響くような。
 目に浮かぶのは、少女の顔。
 …いや、口。
 
 
 
 

     『彼女は飢えている』 

     『今も、昔も』
 

 何に?
 愛情に?
 

     『愛情に』
 

 何故?
 俺たちの思いが足りなかったのか?
佐祐理さんへの思いが…
 

     『…愛されたい、だけが欲ではないの』
 
 
 
 

     『愛したい、もまた欲なのよ』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 目はぱっちりと開いていた。
 頭の中が冴えわたる感じがする。
こんなことは、久しぶりだった。
 寒さのせいではない。
 

     『彼女は飢えている』
 

 佐祐理さんが、飢えている。
 愛情に。
 愛を注ぐことに。
 

     『出会ったんですよ、わたしが頑張れる目標と』
 

 それはいつか聞いた言葉。
 佐祐理さんの、舞への思い。

 断ち切られた、思い。
 
 

 その時、俺はわかった。

 佐祐理さんの舞への思い。それはきっと恋愛感情じゃなかった。

 そして今の、佐祐理さんの俺への思い。

 それもきっと、違う。

 あの眼差しは、母親の眼差しだった。

 その前は恋人の…その前は姉の…

 探していたんだ。佐祐理さんは。必死に。

 殻の中の心で。

 自分の、自分だけの愛情の形を。

 受け止めてくれる誰かを。
 

 だから――
 
 
 
 

 …コンコン

「祐一くん。外に出ましょーっ」
 
 
 
 

 雨はまだ降っていた。
傘に打ちつける雨音は大きく、地面からの跳ねっ返りでズボンの裾はすぐべちょべちょ
になった。
 そんな中を、佐祐理さんはうれしそうに歩いていく。
 濡れることなど、まったくおかまいなしで。

 なんのために外に出たのかはわからない。
 俺も聞かない。
 はっきりしているのは一つだけ。
 
 「俺は、佐祐理さんの役に立てるのかもしれない」

 それは希望。
 とてもとても小さな。でも大きな。
 
 

「…祐一くん」

 佐祐理さんが足を止める。
 人気のない通り。
 車も来ない通り。
 水かさを増して流れる川のそばで、
 ただ、雨だけに包まれて。
 佐祐理さんの中で、何かが変わる。
 母から姉へ。
 姉から恋人へ。
 気づいたから、やっとわかる。
 その静かな叫びも。
 
 

「…私のこと…好きですか?」 
  
 

 見つめる眼差し。
 真剣な思い。
 でも、歪められた思い。
 それは本当にわずかな。でも、それで十分な歪み。
巧みに裏返された心。

 だから、俺は…
 
 

「…ああ」

「……え?」
 
 

「…好きだよ」
 
 

 

 なんとも言えない距離。
 なんとも言えない眼差し。
 俺の真意を図りかねているような…
 自分の思いに戸惑っているような…
 そんな表情が、不意に、綻ぶ。
 

「……私もです」
 
 
 

 佐祐理さんは純粋だった。

 純粋すぎたから、こうなってしまった。

 だから、後ろめたい。

 さっきの言葉は嘘ではない。

 だが、本当でもなかった。 

 微妙なすれ違いを利用して…

 俺は…ずるい人間だ。

 狂う資格も、きっとないのだ。
 
 
 
 

 そして、空気が動く。

 ゆっくりと縮まる世界。二人を中心に、収束する。

 半径1メートルの世界。存在するのは、俺たち二人と、雨粒だけ。
 
 

「…約束を…ください」
 
 

 佐祐理さんが目を閉じる。

 俺のすぐ近くで。

 そして、俺は…

 その「飢え」を満たすために…

 佐祐理さんのために…

 目を閉じて…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 小さな肩を、そっとつかむ。

 胸の前で握りしめられた両手が、小さく震える。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  
 …………違う。

 ……これはきっと……違う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「…佐祐理さん」

「……えっ?」
 
 
 
 

 俺は走り出した。前ぶれもなく、佐祐理さんの手をつかんで。

 傘はいつのまにかなくなっていた。顔にあたる雨粒に目を細めながら、それでも
俺は走った。
 

 「……この愛じゃない」

 
 最後の最後に、気づいたこと。
 

 「佐祐理さんの求めているのは、この愛じゃない」
 

 それは男女の愛ではなく、家族の愛でもなく、

ただ一人、佐祐理さんだけが見つけることのできる――
 
 
 
 

「…着いたよ」
 
 

 濡れねずみの二人が辿り着いた場所。

 息を切らせながら、見上げる場所。

 それは病室。

 舞が眠る、白い檻。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 …コンコン

「…舞、開けるぞ」

 軋むような音を立てて、白い扉が開く。

 迎え入れるのは電子音。

 病室に足を踏み入れるのは、三人。

 俺と、佐祐理さんと、担当の医者。

 佐祐理さんのお目付役。

『…まあ、今は手が空いているからな』   

 ありがたかった。

 そして、うれしかった。

 舞を診てくれているのが、こんな医者で。
 
 
 
 

「…佐祐理さん」

 ベッドの横で、俺は手招きする。

 しぶしぶ、といった感じで、佐祐理さんも近づく。

 そして、見下ろす。

 舞の顔を。

 幸せにしたいと願い、そして殺してしまうところだった、親友の顔を。

 その表情に変化はない。

 ただ無機質に、にらむように、見つめている。

 部屋の隅で、医者が息を吐くのがわかった。 
 
 

「…佐祐理さん」

 俺はその手を取った。

 そして、シーツの下から舞の手を持ち上げ、それに重ねた。

「…舞の手だよ」

 そっと、自分の手を放す。

 残されたのは、二つの手。

 佐祐理さんの手に添えられた、舞の冷たい手。

「…………」

 無感動に、その手の甲を見つめている佐祐理さん。

 しかし、一瞬。
 
 
 
 

 医者が小さく声を上げた。

 俺も思わず息を呑んだ。

 そして、震えた。
 
 
 
 

「…………あ……」
 
 

 佐祐理さんの喉から、音が漏れる。

 かすむ音。

 すぐに消え去りそうな、かすかな音。

 でも、それも…
 
 

「……あれ……?」
 
 

 やがて大きな嗚咽に変わる。

 しゃくりあげるように、

 そんな自分に戸惑うように、
 
 

「…私…なんで…」
 
 

 佐祐理さんは泣いていた。

 舞の手の甲に、大きな染みをいくつも作って。

 ただ、泣いていた。

 落ちてしまった染みを拭っては、また拭って…

 それでも止まらない雫を、延々と拭って…

 舞の手の何かを、必死に拭っている。

 それは、傷跡。

 一つではない、いくつもの…

 飢えた山犬の、牙の跡。
 
 

「なんで……私…わたし……」 
 
 

 佐祐理さんは泣いていた。

 閉ざしてしまった心で、それでも。

 殻を突き破ってしまうほどに。

 叫び声は、確かに届いた。

 強く、強く願っていたから。
 
 

「…佐祐理さん」
 
 

 俺の声に、涙で濡れた瞳を向ける。
 
 

「……舞、だよ」
 
 

 …こくん
 
 

 佐祐理さんは頷いた。

 きっとまだ、心は戻っていないけど。

 でも、頷いた。

 それは、俺が泣いていたせいかもしれないけど。
 
 

 雨音が、ただただ優しかった。
 

                                  <つづく>

  ―――――――――‐――――――――――――――――‐―――――――

 あらためまして。詐欺師です。
 「痛い」話として、また「狂気」をテーマとして始めたこのシリーズ。
 この回が、実質上のラストです。
 
 「痛み」を期待されていた方、申し訳ありません。
 「狂気」を期待されていたLOTHさん(きっと一人だけ(笑))、申し訳ありません。
 ほとんどの痛みや狂気は、3rdの方で終わらせました。
 「不充分!」という方は、遠慮なく(^^;

 それではラスト、エピローグの5th-『eternal memories』へ、どうぞ。
 

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