暖かい春の日差しが差し込む教室。
ただでさえ眠気を誘うその空気に、老教師の眠気を誘う声が追い討ちをかける。
その子守唄に逆らいきれず机に顔を伏せている人たちが何人もいる。
「くー……」
当然の様にあたしの前の名雪もその中の1人。
『春眠暁を覚えず』とはよくいったもので…さすがにあたしも少し眠かったけれど、それでも普段通りにノートを取り続ける。
(それにしても……)
黒板を見る際に写った教室の風景に微かな違和感を覚える。
いつもなら男子の方が大半寝てるはずなのに、なぜか今日はほとんどの男子が起きていた。
珍しい事もあるものねと思いながら、またノートを取る作業に戻ろうとした時視界の端に、なにか白い物が動くのが写った。
何事だろうとそれに視線を移すと、床に一枚の紙切れが落ちていた。

『我がクラスにおける女子の人気投票の実施の旨ご報告いたします。
なお男子生徒のみの投票で、秘密裏に実施。投票受付締切本日放課後』

あたしがそこに書かれた文字をさりげなく目で追っていると、相沢君が慌ててそれを拾った。
何事かと思えば……
なんの事はない。どうやら男子連中が居眠りしてなかった原因は今の企画のおかげらしい。
もっとも……居眠りはしなくなっても授業が身に入らない事には変わりないでしょうけど。
そんな事を思いながら、再び視線を前に向けて再び授業に集中しようとした時だった。
いつの間に起きたのか…………
(きゅぴーん!!)
そこには、さっきまで紙のあった床を異様なぐらい目をぎらつかせて見つめる名雪がいた。
(なんか…………凄く嫌な予感…………)
あたしの頬を、一筋の嫌な汗が伝っていった…………
 
 



名雪まっしぐら、香里まっさかり




 
 

「香里、話があるんだけど廊下まで来てくれるかな?」
休み時間に入ったとたん、案の定というか、名雪があたしに話し掛けてきた。
「えっと…ごめん、あたしは次の時間の準備が忙しくて……」
どうにも嫌な予感がしたあたしは、なんとかそれを断ろうとした……けれど……
「そっか…………そうだったんだ…………」
とたんに名雪が悲しそうな顔を見せる。
「親友だと思ってたのに……いざとなっとたら話も聞いてもらいないような、そんな表面上の寂しい関係だったんだね……私達……」
「……いくわよ、今すぐっ!」
結局ささやかな抵抗も虚しく、あたしは廊下へと連れ出される事になった……
 

「それで……なんの用なの?」
本当は大体見当がついていたけど、あえてそう聞いてみる。
「香里、さっき祐一が落とした紙は見たよね?」
予想通り、名雪の用事はそれだった。
「さっきのって……人気投票のやつ?」
「うん、それだよ」
「一応見たけど……それがどうかしたの?」
「どうかしたのって………どうもこうもないよっ! これって絶好のチャンスなんだよっ!!」
名雪が目をらんらんと輝かせながら語る。
……こんな時の名雪は、恐らく相沢君がらみでなにかを企んでいる時……それも、どちらかというとろくでもない事を…………
「チャンスって……なにが?」
「もちろん、私と祐一がラブラブになるチャンスだよっ!」
案の定、帰ってきた答えはそれだった。
ほんと……名雪の思考の9割9分って相沢君で占められてるんじゃないかしら……
「……それで……いったいどこをどうしたらそうなるの……?」
「あのね、私考えたんだけど……今まで祐一に私の想いが届かなかったのは、私がいとこだから、距離が近すぎて私の魅力に気づかなかったからだと思うんだよ」
「まぁ……確かにそういう事も一部にはあるかもしれないけど……」
「だから、今回の人気投票で私が一番になれば祐一も私の魅力に気づいて…………」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

(えっ、名雪が一番!?)
人気投票の結果発表を見て驚く祐一。
そこの一番上にはよく見慣れた少女の名前があった。
(なんであいつが一番に選ばれるんだ……?)
これまで名雪の事はよく知っていたつもりだった。
けれど……あのおっとりしてどこかとぼけた雰囲気のいとこがそれほど魅力的だったろうか。
そんな事を思いながら、すぐ横に座っている名雪の顔を眺める。
(確かに……可愛い事は……可愛いよな……)
普段から見なれたはずのそのあどけなさの残る横顔に、不意に胸が高鳴る自分を感じてしまう。
(名雪ってこんなに可愛かったのか……)
その少女の今まで気づかなかった魅力に、思わず我を忘れて見とれる祐一。
「ん、どうしたの?」
だから、突然名雪がこちらを向いたとき、焦って思わず顔を真っ赤にしてしまう。
「あれ…? どうしたの、祐一……顔が赤くなってるよ……?」
「……なんでもない」
「何でもない事ないよ……凄く真っ赤な顔をしてるよ?」
「本当になんでもないんだ…………だって、俺の顔が赤いのはお前に見とれてただけだから…………」
「……ゆ、祐一…………」
「……どうした……お前の顔も赤くなったぞ」
「………当たり前だよ…………だって……好きな人からいきなりそんなこと言われたんだもん……」
「え……お前……俺の事を……?」
「うん…………」
「実は俺もお前の事が…………」
「祐一ぃ!(抱き)」
「名雪……っ(抱き)」
「ああ、ゆういちぃ〜〜〜(はあと)」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「完璧ぃ…………完璧だよぉ…………完璧すぎるよぉ!」
宙の一点を見つめながら、恍惚とした表情を浮かべて絶叫する名雪。
そんな名雪の前をたまたま通りかかった女生徒が、目を合わせないようにして足早に通り過ぎていく。
「…………そう…………それじゃあ頑張ってね…あたしは陰ながら応援してるから……」
『触らぬ名雪に祟りなし』
そう考えたあたしは、早々に教室に戻ろうとする…
「ちょっと待って」
…けど、もう少しのところで名雪から呼び止められてしまう。
「香里には応援じゃなくて、協力してもらいらたいんだよ」
あたしの肩をがっちり掴みながら名雪がにこやかに言った。
「…………協力って?」
「私が一番になれるように手伝って欲しいんだよ」
「なにを手伝うの…?」
「色々と、だよ」
「ちなみに…もし断ったら?」
「それはそれでしょうがないよ」
名雪にしては珍しく、あたしの肩から素直に手を離す。
「え…?」
「香里には香里の事情があるんだからね、無理強いするわけにはいかないよ」
ど、どうしたっていうのかしら……?
さすがに名雪も自分の暴走ぶりに気がついたの…………?
…………ううん、ここで安心したら駄目よ。
絶対にこの後、『でも…』とかいって言葉を続けるんだから……
「でも…」
「…………」
…………やっぱりね。
こうまで予想通りの展開だと、悲しいを通り越してむしろ清々しいわね…………
「もし、香里が断るって言うのなら…………」
断るって言うのなら…………?
「…………謎ジャ……」
「喜んで手伝わせて貰うわ!!」
名雪の言葉を遮って、力いっぱいそう答える。
いったい謎ジャムをどうする気だったかは分からないけど…………
はっきりいって、例えどうするつもりであってもアレには絶対に関わりたくなかった。
「ありがとうね、香里っ」
そう言って、無邪気な人懐こい笑顔を浮かべる名雪。
これで、前の台詞がなければ素直に可愛い笑顔だと思えるんだけど…………
「お礼に、駅前のパン屋さんで好きなだけおごってあげるからね」
「いらないわよ、あんな怪しいものっ」
「……美味しいのに…………」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「では、今日はそこの列だな」
次の英語の時間、教師が指差したのはあたしたちの座っている列だった。
(わ、当たるよぉ……)
名雪が困ったように小声であたしに話し掛けてきた。
(どうしたの? 予習やってないの?)
(うん……)
それもそうね……授業中にあれだけ爆睡してるんだもの。
(香里……さっそくになるけどお願い、助けてよ…)
(…しょうがないわね…)
別に転校生でもないこの娘が今更答えたところで、結果に反映されるとはおもえないけど……
だいたいの成績なんて把握されてるはずだし……
ま、それでも答えられないよりは答えられた方がいいのは間違いないしね。
(じゃあ、お願いするよ。ほら、ここ)
そう言って、教科書の一部分を指差してくる名雪。
(……分かる?)
(もちろんよ。これはね『彼がその場所を訪れたのは、彼女に会いたかったが為である』っていう意味よ)
(えっ! 『祐一がこの町にやってきたのは、名雪に会いたかったからである』? そんな……やっぱり祐一も私の事を……)
(だぁっ! 誰がいつ相沢君と名雪なんて言ったのよ! 真面目にやんないんだったらやめるわよっ!)
(ご、ごめん…………つい…………)
(はぁ…………いい? 続けるわよ?)
(うん、お願いするよ)
(それでね、続きは『彼は、自分にとって彼女より大事なものがない事に気がついたのである』ね)
(えぇ!? 『祐一は、名雪が誰より大切な存在である事に気づいたのである』!?
祐一…やっと気がついてくれたんだね! 私のこの想いに! ああ……祐一…………祐一ぃ……………祐一ぃぃぃ〜〜〜!!)
(…………ダメだわ…………この娘…………)
結局そのまま妄想モードに突入した名雪は、教師に当てられるまで戻ってくる事はなかった。
当然問題に答えられはしなかったけど、幸せな妄想に浸っていたためかその表情はやけに満足そうだった。

ああ……相沢君が来る前の、ぽけぽけっとしてて、それでもまともだったあの頃の名雪はどこへ…………
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「えー、それではこれより漢字の書き取りテストを行う」
カタンとチョークを置いて、教師がそんなことを言った。
「なお…この結果は成績には反映されはしないが、高得点者とその逆の者も発表するからな、そのつもりでやるように」
そんな事を言って、暗に手を抜かせないという事を匂わせる。
まったく……煽るのが上手い教師ね。
(願わずとも、戦いの場は用意されたって訳だね…………)
そして……その煽りをまともに受け、燃え上がってしまってる人、約一名。
(今回ので、なんとしてもさっきの英語の失敗を取り戻すよっ!)
名雪が決死の表情であたしの方を見る。
確かに名雪としてはさっきの英語での失敗をここで取り返しておきたいところなんでしょうけど……
(でも……名雪って漢字得意だった?)
(ううん、あんまり得意じゃないよ。だから、今回も香里に協力してもらうよっ)
(……それって、あたしにテストの答えを教えてくれ事……?)
(うん、そうだよ)
(でも、それようするにカンニングでしょ……? それはさすがに良くないと思うんだけど……)
あたしは一応そう言って名雪をたしなめる。けど…………
(香里、それは違うよっ)
異様に真剣な目で、名雪がそれをあっさりと否定する。
(カンニングが問題なのはそれをする事で不正に成績を良くしようとするのが問題なんだよっ。
私の場合はそんな事はどうでもよくて、ただ祐一への愛のためにカンニングするんだから……だから何にも問題なしだよっ!)
コブシを握りしめて、そんな事を力説する名雪。
(分かったわ……協力するわよ…………)
もう何を言っても無駄だと悟ったあたしは、ため息混じりにそう答える。
まぁ、成績には関係ないって教師も言ってるし、一回くらいならいいか…………
そう思うことが、せめてもの自分へのいい訳だった。
(それじゃあ、あたしが答えを言っていくから名雪はそれを書き写し…………)
そこまで言って、ふと気がついた。
もしもこのテストの中の漢字に名雪の妄想を膨らませるような言葉が含まれていたら、さっきと同じような結果になるんじゃ…
(……香里……?)
(名雪。作戦変更よ。まず先にあたしが素早く問題を解いてそれを渡すから。あなたは余計な事を考えずにただそれを模写しなさい)
(…どうして……?)
(下手に一問ずつ教えたら、またあなたの思考がどこかにいっちゃうかもしれないでしょ)
(あ、そっか……それもそうだね)
(いい? 余計な事は考えずに、ただ黙って写すのよ。その後でなら、どれだけ妄想に浸ってもいいから)
(うん、分かったよ)
しっかりと頷く名雪。
これで、とりあえずは大丈夫かしらね……

「それでは……はじめっ」
教師のその声を合図に、教室中からペンを動かす音がいっせいに聞こえてくる。
名前と出席番号を記入して、あたしもさっそく問題にとりかかった。
 
 
 
 

問1. 逢瀬
一問目は『おうせ』ね。
…………いきなり名雪の妄想をかきたてそうな単語が出てきたわね…………
やっぱり作戦を変更しておいて正解だったわ。

問2.抱擁
次は『ほうよう』…………
…………これは……絶対に意識飛ばしてたでしょうね。
写すときにでもどっかいかなきゃいいけど……

問3. 潤う
『うるおう』ね……これならそれほど妄想を煽るような単語じゃないから大丈夫ね。
…………
…………そう言えばこれ…………北川君の名前と同じ字よね…………
…………逢瀬…………抱擁…………潤…………

『美坂……会いたかった……』
『あたしも……ずっと待ってた……』
『美坂っ!!(抱きっ)』
『ああ…………潤……(はあと)』

…………はっ!?
い、いけないいけない……危うくあたしが妄想の世界に浸るところだったわ…………
まったく……名雪に言っておいて自分が意識飛ばしてどうするのよ……
今は問題を解くのに集中しなきゃ……
自分自身にそう言い聞かせ、軽く深呼吸をしてから次の問題へと取り掛かる。

問4.接吻
…………『せっぷん』…………
…………
…………逢瀬…………抱擁…………潤…………接吻…………

『潤………』
上目遣いに潤を見上げた後、そのまま静かに目を閉じる。
『…………美坂』
その意味を悟ってくれた潤は、それ以上は何も言わず唇を重ねてくる。
『………んっ…………』
『うん…………ん…………』
初めて触れ合った唇と唇。
その感覚にしばし酔いしれる。
『美坂…………いいか……?』
唇を離した潤が、優しい瞳であたしを見る。
それは、これから行われる行為とあたしの意思の確認。
もしここであたしがやめてと言えば、きっと潤はやめてくれるだろう。
でも、潤だから…………他の誰でもなく、あたしの大好きな潤だったから…………
『……うん』
あたしは顔を伏せて、ほんの僅かだけ首を縦に振った…………
………………
…………
……

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「…………嘘つき」
気がつくとテストは終わり、目の前には拗ねた名雪の顔があった。
「…………ごめんなさい…………」
あたしは返す言葉もなく素直に謝るしかなかった。
……あたしとした事が、まさか自分が妄想に浸るなんて…………名雪がうつったのかしら…………
「おかげで私0点として名前を発表されたんだよ〜……凄いマイナスだよ〜…………」
「本当にごめんなさい…………だけど、それだったらどうしてあたしを起こすなり、自分で問題を解くなりしなかったの……?」
あたしがそう素朴な疑問を尋ねると、名雪が顔を少し顔を紅らめてばつが悪そうな顔をする。
「だって……問題の1問目を読んだら私も意識が飛んじゃったんだもん……」
「…………」
悲しいぐらいまぬけな2人だった…………
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「まずいよ、このままじゃ……」
向かいに座っていつものようにAランチを食べていた名雪が言った。
「せっかくの『人気投票で1位になって祐一に私の魅力に気付いてもらって、そのまま2人はフォーリン・ラヴ大作戦』が台無しだよ……」
……相変わらずネーミングセンス最悪ね…………
……まぁ、作戦名はおいといて……確かに午前中はいいとこなしだったからね。懸念する気も分かるけど……
「いったい何が悪かったのかな……」
「たぶん…その直情思考が全部悪いと思うわよ……」
……今回はあたしも人の事は言えないけど……
「どうしよう……今からでも、なんとか挽回する作戦ってないかな?」
「挽回する作戦って言われてもねぇ……」
放課後まで後二時間分しかないわけでしょ…………
「本来女子には秘密裏に行われてるものだから表立って動くわけにもいかないし……もしそれがばれたら、かえってマイナスになる危険性があるからね……」
「そっか…………」
それに、さっきからなにかしようと画策しては、それが無駄な結果に終わってるからね……
実際、この娘だったら何にもしないでいつも通りに振る舞ってた方が良かったんじゃないかしら?
友人としてのお世辞を抜きにしてもかなり可愛い方なんだし。

「あ、そうだっ。いい事思いついたよ」
私がそんな事を考えていると、名案とばかりに名雪が手をたたきながら言った。
「どんなアイデア…?」
「あのさ、このクラスの女子で男子から人気ありそうな人って誰だと思う?」
「そうね…3年生になったばっかりだからよく知らない人もいるけど…………でも、なんでそんな事を…………」
そこまで聞いて、はたと気がついた。
名雪の目が、妖しい光を発している事に。
そして、今この場で名雪がした質問の意味に。
「……いいアイデアって…………まさか名雪、闇討ちを……」
「…………(ニヤソ)」
「…………」
…………なにも言わなくても、その笑顔が全てを如実に物語っていた。
……間違いなくこの娘はやる気……ううん、むしろ『殺る気』だわ…………
「え、えっとねぇ…………このクラスで1番目立ってるのって名雪なんじゃないかって思うわよ…………」
あたしは額に汗をかきながら、なんとか犠牲者を出さないようにそうやんわりと答える。
「え……そうかな……?」
「そうよ………ほら、うちのクラスってそんなに目立った娘もいないじゃないの、ね?」
「……うん…………でも……」
「それに比べて名雪なんて、陸上部のキャプテンだし色々と目立つ行動が多い(奇行が多い)から……」
「……あ、そっか、私部長さんだもんね」
「そうよ、だからそんな手を使わなくても、そのまま普通にしてればきっと大丈夫よ」
「……そうだね。あと他に目立ってる人って、一年生の頃からずっと学年主席を取り続けてる香里ぐらいだもんね」
「そうよ、他に目立ってるのなんて、あたしぐらいのもん…………え?」
「あ……」
一瞬、あたしと名雪の間の時が止まった気がした。

「……香里…………」
名雪のあたしを見る目が明らかに変化した…………
そう、その目はまるで…………獲物を狙うハンター…………狩猟者のような目に…………
今にもその質量を変化させて、エルクゥの力を解放させながら襲ってきそうな雰囲気だった。
「な、名雪っ、落ち着いて!!」
「香里……ちょっと体育館裏まで付き合ってもらえるかな?」
「嫌! 絶対に嫌っ!」
「心配しなくても大丈夫だよ……昼休み中には終わるから……」
それはつまり、昼休みで私の人生が終わるっていう意味……?
「香里と会ってからの5年間……いろいろあったけど楽しかったよ」
名雪の中では既に、あたしとの別れを惜しむ回想モードが始まっていた。
……このままじゃヤられる…………
本能でそう察知したあたしは、こんな時こそとばかり学年主席の脳みそをフルに活動させる。
「待って、名雪! あなた大きな勘違いしてるわ! あたしが学年主席だから人気があるって言ったけれど、そんな事はむしろマイナスでしかないのっ!」
「……え……それ…どういうこと?」
突然そんな予想外のことを言われたためか、一瞬名雪が驚いた表情を見せる。
「いい、男子にとってあんまり頭のいい女子っていうのはね、敬遠されこそすれ好まれるものじゃないのよ」
あたしはもちろんその隙を見逃さず、一気に言葉をまくしたてる。
「仕事がばりばり出来るキャリアウーマンだって、オフィス内じゃ浮いた雰囲気になるとか…ドラマだってそういうもんでしょ?」
「……言われてみればそうかな…………」
「それと同じでね、女だてらに頭がいいと御高くとまってるとか、冷たい印象とかもたれていいイメージなんてもたれないんだから」
「ふ〜ん……そういうものなんだ…………」
それで何とか納得してくれたように、名雪の気が静まっていく。
「そうよ。だからね、男子にはあたしみたいな女よりも、名雪みたいにぽけーっとしててどこかぬけてる感じのする娘の方が好まれるのよ」
「香里…もしかして、酷い事言ってる…?」
「そんな事ないわよ」
「うー」
そう言って拗ねる名雪の顔は、すっかりいつもの表情に戻っていた。
なんとか助かったみたい……我ながらたいしたソフィストぶりだわ。
あとはこれで、名雪が1位をとってくれる事を祈るばかりね。
まぁ……ライバルになりそうな強力な娘がいなさそうっていうのは事実だし…………
相沢君の事さえぬかせば、明るく可愛い天然娘って感じのこの娘ならたぶん大丈夫だと思うけど…………
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そして、放課後。
最後の授業が終了した後、1人の男子生徒が黒板になにやら書き込んでいく。
『第一回女子人気投票結果発表』
そう書かれた黒板の文字に、男子も女子も、誰もがそれを食い入るように見つめていた。
そして、その右端に大きく書かれた名前は…………

『1位 美坂香里 10票』

おおーっとクラス内にどよめきがあがる。
「…………」
「…………」
視線があたしに集中するのを感じたが、あたしも名雪も言葉を発しないままその結果を眺めて呆然としていた。
「……なんで……?」
自然と口をついて出たのは、疑問の言葉。
だって…自分が選ばれるなんて微塵も考えてなかったから。
昼休みに学食で名雪に言った言葉、あれは別に嘘でもなければ謙遜でもない。
学年主席を取ってたせいでそれなりに知名度があったのは認めるけど……それだけのはず。
あたし自身は可愛げもなければ愛想もない、そんな女のはずだし、そんな女だと思われているとずっと思っていた。
いったいあたしなんかのどこが良くて投票したのか……あたしにいれた人たちに聞いてみたくさえなる。

…………けど、まぁ…………今の問題はそんな事じゃなくて。
そう、それよりも当面の問題は…………
「…………」
黒板の方を向きながら、視線はあさって方向を見ているこの隣の親友をどうするかって事…………
昼にあんな事を言っておきながら自分がちゃっかり1位になってるんだから……
普通であれば、嫌味で鼻持ちならない女に思われても仕方がないと思う。
例えあたしにそのつもりがなくても。
…でも、この名雪は幸か不幸かそういう事に対して怒りはしないだろう。
名雪がこだわるのはただ一点。
『あたしが、名雪が相沢君とラブラブになるのを邪魔した』
それが結果的なものだったとしても、名雪にはそれが全なわけで。
つまり…………この名雪から徐々に強くなりつつあるプレッシャーが非常に怖いわけで…………
「あ、あの…………名雪…………」
沈黙に耐えられなくなったあたしは、とりあえず謝ろうと決意し先に話し掛ける。
「こんな事いっても許してもらえないでしょうけど…………ごめんなさい」
「香里。許すも許さないもないよ」
名雪が、やけに穏やかに笑って言った。
けれどあたしにはその笑顔が、殺す相手に贈り物をするというイタリアン・マフィアのそれに見えた……
「さ、それじゃあちょっと話があるから体育館裏に行こうか」
「…………」
やっぱりさっきの台詞は、『許すも許さないも、許す気なんてまったくないよ』という意味だったらしい。
あたしの命……風前の灯火…………?
「な、名雪……一回落ち着いて話し合いましょう……暴力はなにも生み出さないわ……」
「うん、そうだね。それじゃあとりあえず体育館裏に行って話し合おうか」
「…………」
どうやら、どうあっても話し合いをするつもりはないらしい。
どうすればこのピンチを切り抜けられるかしら……
あたしが再び学年主席の脳をフル活用してなんとか活路を見出そうとしたその時だった。

「美坂、1位だってな。凄いじゃないか」
突然横からそう話し掛けれらた。
あたしは渡りに船とばかりにその声の方向をむく…………けど…………
「ほんと、まさか香里が1位になるとはな」
その話し掛けてきた相手って言うのが、相沢君と北川君だったわけで…………
この状況で他人から話し掛けられるのは確かにありがたかったんだけど、その相手が相沢君じゃ火にガソリンどころか水素を注いでいるようなもので…………
実際名雪のあたしを見る眼は、もはや肉眼では直視できないほどきっつい視線になってるわけで…………

「それに水瀬さんも2位だしな。2人でワンツーフィニッシュなんて凄いよな」
「え?」
北川君のその言葉に、あたしと名雪がそろって黒板の方をむく。
すると、確かにあたしの名前の横に『2位 水瀬名雪 9票』の文字。
「名雪……よかったじゃない。ほら、2位だって立派じゃないの、ねぇ?」
あたしはなんとか少しでもフォローを入れてくれる事を期待して相沢君に話をふる。
「確かに立派だけど……1位の香里に言われても嫌がらせにしか聞こえないと思うぞ?」
…………あなたに期待したあたしが馬鹿だったわ…………
もしも思念で人が殺せたら、あたしはとっくに死んでるわ…………
そう思わずにはいられないぐらい、名雪からは負の想念がひしひしと伝わってきていた。

「どうした、名雪。そんな顔して。俺は2位だって大したものだと思うぞ」
するとさすがに相沢くんたちもそんな名雪の様子に気がついたのか、遅まきながらそんな事を言った。
「そうだよな。水瀬さんの2位だって確かに凄いよなあ」
そんな言葉が聞こえてるのかどうか、まだあたしに向けて負の想念を発し続ける名雪。
あたしがやっぱり明日の朝日は拝めないのかと諦めかけた時だった。
「…ああ、それでこそ俺も1票入れた甲斐があるってもんだ」
「……えっ?」
その言葉を聞いた瞬間、名雪の首が物凄い速さで相沢君に向けられる。
「祐一…………私に入れてくれたの……?」
「ん、ああ……まあな」
それを聞いた名雪の顔が、にへらっという擬音が聞こえてきそうなほど弛んだ笑顔になる。
「……そっかぁ…………祐一……私に入れてくれたんだぁ…………」
なんていうか…………それはもう、下がる目じりがえびす顔。
さっきまでの剣幕はどこへやら、この世で1番幸せ者であるかのような、そんな幸せいっぱい夢いっぱいの表情だった。
「なんだ、名雪……実は2位になれたのがそんなに嬉しかったのか? ダメだぞ、志はもっと大きく持たないと」
そんな名雪を見て、相沢君がそんな見当違いのことを言う。
「…………」
あたしは、とりあえず助かったという事を感じで安堵しながらも、そんな相沢くんの言葉に呆れていた。
…………まったく……なんでこうまで鈍感かしらね。
どうして気づかないのかしら…名雪にとって、他の一票じゃなく相沢君の入れてくれた一票がどれだけ大きかったって事に。
結局、好きな人からの一票をもらえた事が1位になる事なんかよりどれだけ嬉しかったかって事に。
……………………
…………って…………そう言えば北川君は誰に入れたのかしら…………
…………もしかして、なにかの弾みで、まかり間違って……あたしに入れてたりとか…………
…………ううん、してるわけないわよね。どうせ。
これまでの経験から言って、こういう時ってまず、希望どおりにいった事なんてないんだから。
それに……あたしみたいな可愛げない女なんかにいれるぐらいなら他の娘にいれてるはずよね。
きっと北川君だって名雪か誰かに…………

「なんだ、相沢。水瀬さんに入れてたのか」
「そうだけど…………そういうお前は誰に入れたんだよ」
「俺か? 俺は…………」
そう言って、ちらっとあたしの方に視線を送る。
「……え…………?」
…………う、嘘…………
「へぇ……お前は香里にいれたのか」
「ん、まあな……」
……ホント…………に…………?
北川君が…………あたしなんかに…………?
堂々とあたしの前で言うぐらいだから深い意味はないって思うけど…………
それでも…………

「ふ……ふふ…………」
やっぱり嬉しいものは嬉しくて。
自分でも現金だなって思うけど。
それでもやっぱり、自然と笑顔がこぼれて。
「なんだ、香里。お前もやっぱり1位がそんなに嬉しかったのか」
「意外だな。美坂って、こういう事にあんまり興味がないのかと思ってたけど」
別に1位になれた事が嬉しかったわけじゃないけど。
でも、本当のことを言うのは照れくさいから。
「北川君……ありがとうね」
「は? なんのお礼だ…?」
「北川君が一票いれてくれたお礼よ」
「別に俺だけがいれたから1位になれたわけじゃないんだぞ」
そう言って、少しだけ照れたように笑う北川君を見て。
本当は1位になれた事のお礼じゃなくて、北川君が入れてくれた一票が嬉しかったからそのお礼。
よっぽどそう言いたかったけれど。
でもそれを言葉にするのはやっぱり恥ずかしかったから。
「それでも………嬉しかったのよ」
だからそう誤魔化すように微笑んで。
だけどもそれは、抑えきれなくて自然にこぼれてくる心からの笑顔で。
「ね、名雪」
「うんっ、ありがとうね、祐一っ」
不思議そうな顔をする男2人を前に、名雪と一緒にそう微笑みあって。
 
 

今日はそんな、ちょっぴり幸せな春の一日だった。
 
 







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