日曜日の夕暮れ時

私は少し緊張しながら水瀬家のインターホンを押しました。
少しの間の後、足音が聞こえたと思うとドアが開きました。

「はいはい……って、なんだ栞じゃないか。どうした?」

幸いにも出て来てくれたのは祐一さんでした。
これも私の日頃の行いがいいからですね、やっぱり。
「突然おしかけて申し訳ないんですけど…祐一さんにお願いがあってやって来ました」
「お願い…? 悪いが今月はあまり余裕がないぞ」
「いえ、今日はおごって欲しいとかそういうことじゃありません。祐一さんにしか出来ない事をお願いしに来たんです」
「俺にしか出来ない事……なんだ、それ?」
「はい、それはですね……」
私は大きく息を吸って答えました。

「私に子供を産ませて下さい!!」
 
 
 
 
 

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栞まっしぐら


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「……」

どうしたんでしょうか…? 祐一さん……いきなり壮絶に頭を床に叩き付けて、とっても痛そうです…

「祐一さん……地面に頭からつっこむ趣味があったんですか?」
「お前がいきなり変な事を言い出すからだっ!!」
ガバァと勢いよく立ち上がる祐一さん。どうやら大丈夫なようです。
「怪我はしていないようなので……それでは早速お願いします」
「お願いって……なにをだ?」
「子づくりですっ!」

再びガンッという音と共に床に頭から突っ込む祐一さん。やっぱりとても痛そうです。
「祐一さん、その趣味やめた方がいいと思いますよ。あんまり身体に良くなさそうですから…」
「だから趣味じゃないっ!!」
再び勢いよく立ち上がる祐一さん。

「…なんだか話が進みませんね」
「誰のせいだ」
「誰のせいですか?」
祐一さんが黙ってじっと私の方を見ます。
「…え? もしかして私のせいなんですか?」
「他に誰がいるんだ」
「私は伝えるべき事を端的に伝えたつもりなんですけど…」
「端的すぎる! あんな事をいきなり直で言われて分かるかっ!!」
「そうですか……それじゃあ分かりやすい様に言い直しましょうか?」
「ああ、そうしてくれ」
「要するに……中出しでお願いしますということです」
「余計に直だあぁぁぁーーっ!!!」
「なんだか今日の祐一さんは怒鳴りっぱなしですね」
「誰のせいだっ!!」
「もしかしてまた私のせいですか?」
「……はぁ……もういい……それより話を先にすすめるか」
そう言いながらなんだか疲れた様子の祐一さん…色々大変みたいですね。

「それで……なんだって急に子供が産みたいなんて言い出したんだ?」
「それはですね、お姉ちゃんに復讐するためです」
私はにっこりと笑ってそう答えました。
「復讐……? なんで栞が子供を産むことが香里に復讐することになるんだ?」
「お姉ちゃんにも私と同じ苦しみを味あわせてあげるためです」
「……? 香里と喧嘩でもしたのか…?」
「喧嘩なんかてものじゃありません…私は一生消えない心の傷をつけられたんです!」
「心の傷って……いったいお前と香里の間になにがあったんだ…?」
「そうですね……それはもう、聞くも涙、語るも涙の辛いお話なのですが……」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

―――あれは、昨日の晩ご飯のあとの出来事でした
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「あのね、栞。ちょっと話があるんだけどいいかしら…」

私がリビングでくつろいでいると、お姉ちゃんがそう声をかけてきました。
なんだかその表情がいつもより随分ぎこちのない様子なのがわかりました。

「どうしたんですか? 随分あらたまって…」
「う、うん……ちょっと大事な話があるのよ…」
随分と歯切れの詰まったような喋り方でした。
なにかただことじゃなさそうです…
そう感じた私は、テレビを消してきちんと姿勢を正しくして座り直しました。

「それで、なんですか。大事な話って」
「う、うん…そんなにあらたまれるとちょっと話しづらいんだけど…」
「でも大事な話なんでしょ」
「そ、そうなんだけどね…」
「…? とりあえず…話してみてよ」
お姉ちゃんらしくない煮え切らない様子を疑問に思いながらも、私は話を進めてくれるように促します。
「……」
お姉ちゃんは何かを考える様にして一呼吸置いた後……覚悟を決めたようで私の方をまっすぐに見つめて言いました。

「あたしね……赤ちゃんが出来たの」

「……え……」
「……えええええええぇっ!?」
「………あ、赤ちゃん……ですか……?」
「…うん」
「ほ、本当ですかぁっ!?」
「……やっぱり……驚いた?」
「…それは…当然……驚きましたけど……」
「その赤ちゃんって……今、そのお腹の中にいるんですか?」
「ええ…そうよ……」

そう言って優しくお腹をなでるお姉ちゃんは、今までに見た事もないほど穏やかな表情をしていました。
「その赤ちゃんって……もしかして北川さんの子供ですか?」
私がそういうと、恥ずかしそうにうつむきながら首を小さく縦に動かしました。
まぁ…北川さんとは随分前から仲が良かったですけど……
…それにしても…まさか子供まで出来ていたなんて……

「あの……それで……」
「うん?」
「……その……産むん……ですか?」
「……うん。北川君にこの事話したら……
『……無理にとは言えないけど…俺は……産んで欲しい……』って……
『責任とかじゃなく、香里のことが好きだから……予定よりは早くなったけど……』って…
…そんなこと言いながら照れくさそうに笑ってて……
……それを聞いたら私も同じ気持ちみたいで……
予定よりは早くなったけど……いずれはこうなりたいって思ってみたいだから……
……だから…私は産むつもり……」

「そうなんだ……それじゃあ、おめでとうございます、ですね」

「うん…ありがとう、栞……」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「……はぁ〜……まさか……あの香里に子供がねぇ……」

黙って話を聞いていた祐一さんが、呆然とした様子で呟きました。

「驚きましたか?」
「ああ、そりゃあ…なぁ……」
「俺も香里と北川が付き合ってたのは知ってたけど……まさか子供まで出来てたとは…」
「ええ……私も驚きました……」
「それにしても…ここまでの話を聞いてる限り、栞も香里の子供が出来た事を祝ってて…
ただの仲のいい姉妹の会話にしか聞こえなかったんだが……一体なにを復讐する必要があるって言うんだ?」

「……それが……ここからなんです! ここから私はお姉ちゃんに一生消えない心の傷を植え付けられたんです!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「それにしても……なんだか不思議な感じですね。お姉ちゃんが『お母さん』になるなんて……」
私はなんだかまだ信じられない様子でそう言いました。
「あら、そうは言うけどね…」
それを聞いたお姉ちゃんが、少しからかうような微笑を浮かべながら言いました。

「栞だって『おばさん』になるのよ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

……え……?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

……お……おばさん…?

…私……この若さで……おばさんになるんですか……?

それは確かにお姉ちゃんに子供が産まれれば私はそうなるんでしょうが……

…でも……この若さでおばさんなんて……

間に『あ』をいれたらおばあさんじゃないですか…

こんなに若くて小さくて可愛いらしいのに…おばさん…

胸だってまだ成長しきってないのに…おばさん…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「……ちょっと……栞……どうしたの?」

「……酷い……」
「…え?」
「酷いですぅ、お姉ちゃん!! なんの相談もなしに勝手に私をおばさんにするなんてっ!!」
「え…あの……別におばさんになるっていったって、血縁上の関係がそうなるっていうだけで…たいした問題じゃ……」
「いいえ! お姉ちゃんは分かってないんです! おばさんになるという事がどれほど大変なことか!!」
「そ…そんなに大変なことなの……?」
「そうですよっ! このままいくと私はKanon1おばさんくさいと言われている天野さんよりおばさん的存在になってしまうんですよ!」
「……なんの話よ……」
「それだけじゃありません! おばさんになってしまったら私のチャームポイントであるミニスカートをはく事も許されなくなるんです!」
「……なんでそうなるの?」
「だって…昔、森高千里さんが『私がおばさんになっても』で歌ってたじゃないですかっ!」
「……いや……あの歌のおばさんはそういう意味じゃないと思うんだけど…」
「…この年でもう若い子には負けるなんて……まだまだやりたい事もたくさんあったのに…」
「…別にやればいいじゃないのよ…」
「いいんですっ、私なんてオープンカーの屋根はずして格好よく走ってくれる人もいないのにおばさんになるんですぅ〜」
「……その歌から離れなさいって…」

「しかもこれだけじゃありません」
「…まだあるの?」
「あります! おばさんなんて肩書きもらったら、クラスの中で更に肩身の狭い思いをする事にもなるんですぅ!」
「…どうしてよ?」
「今でさえ、私は休学で留年していたせいで、クラスの中じゃ1つ上として先輩なんですよ!」
「それは…そうでしょうけど……そんなの別にいいじゃないの」
「よくありません! 別に先輩面したい訳じゃありませんから同学年の様に扱われるのならそれでいいんです!
……それなのに……なぜかみんなの私を見る目が後輩を見る目なんですぅ!」
「……それは……つらいわね……」
「そうですよ! 私なんて一度も『美坂先輩』なんて呼ばれた事ないんですから!」
「……まぁ……なんとなく分かる気もするけど……」
「それなのに……これで『おばさん』なんて肩書きもらって、
『美坂先輩』どころか、『美坂おばさん』って呼ばれるようになったらどうしてくれるんですかっ!」
「……そんな事ありえないと思うけど……」
「ふん、いいんです! お姉ちゃんは幸せ一杯の『お母さん』になるのに、
私は派手な水着もとても無理なみじめな『おばさん』になるんですぅ〜」
「だからその歌は忘れなさいって……それに派手な水着なんて最初っから無理じゃない」
「……どうしてですか……」
「胸が足りないから」
「……酷い…人が気にしてることを……お姉ちゃんのばかぁ〜〜〜〜〜!!」
「あっ、栞!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「…と、いうことがあって……私は家を飛び出してここへやって来たというわけです」

「……」
「…祐一さん?」
どうしたんでしょうか、なぜか無言で頭を抱えてしまいました……
「お前……そんなことのために子供を産むとか言い出したのか……」
「はい、そうです! という訳で祐一さん! カモーンですっ!」
「カモーンじゃないっ!!」
またも青筋立てて怒鳴る祐一さん。
「あんまり血圧あげると体によくないですよ」
「誰のせいだと思ってるんだ!!」
「……ひょっとして……またまた私のせいなんですか?」
「……もういい」
「ところで……なんで子供を産む事が香里に復讐する事になるんだ?」
「なんでって…私が子供を産めばお姉ちゃんも『おばさん』になるじゃないですか」
「……」
「どうしたんですか?」
「理由…それだけか?」
「それだけですけど」
「…それ…全然復讐になってないと思うぞ」
「えぇ? そうなんですか?」
「確かにあの天野よりおぼさん的存在になるのは多少辛いかもしれんが……別に香里がそれをたいして気にするとは思えないだろ」
「…言われてみれば…そうかもしれません……」
「それに香里に対して『香里おばさん』なんて勇気溢れる発言をする奴がいるとは思えないぞ」
「それじゃあ私がしてることは意味がないという事ですか」
「はっきりいって…ないだろうな」
「そうなんですか……がっかりですぅ…」

「……」
「……あのなあ、栞……復讐はいいけど、そんな事で子供を産むなんて簡単に口にするものじゃないぞ」
「それは分かってますけど……でも……一度そう考えたらどうしても産みたくなったんです……」
「…そんなに香里に復讐したかったのか?」
「いいえ、復讐もそうですけど……それよりも……本当は羨ましかったんです…」
「羨ましかった?」
「…はい…幸せそうなお姉ちゃんを見て…優しい顔でお腹の中の赤ちゃんをなでるお姉ちゃんを見て…
…それで羨ましくなって……私も……その…祐一さんの子供を……」
「……それでか……急に子供を作るなんて言いだしたのは……」
「……ええ……」
「だからって…そんなに急いで産もうとしなくたって……」
「…それはそうなんですけど……でも……思い立ったらすぐに行動しないと…不安なんです」
「……不安?」
「…はい……今は……病気が奇跡的に治って……こうして幸せですけど……」
「もしかしたら……明日にはこの幸せが遠いところにいってしまうんじゃないかって……」
「私……人よりずっと短い、限られた時間しか生きられないと思って育ってきましたから……
だから……今まで出来るうちにやりたい事をやるようにしてきたんです…
今日出来ることが…明日はもう出来ない身体になってるかも知れないですから……」
「それで…産みたいと思ったら止まらなくなってここに来たってわけか」
「…あの……はい……」
「……馬鹿だな、栞は」
「わ、酷いですぅ」
「今はもうあの頃とは違う。栞の病気は治ったんだ。もう…短い残り時間に怯えていたあの頃とは……違うんだ」
「……祐一さん……」
「子供が産みたいのならいつでも協力する……でもな…今が幸せならそんなに焦る必要はないだろ」
「俺はいつまででも栞のそばにいる。だから楽しみなことはとっておけばいい。
幸せが遠くに見えても焦らなくていい…俺は栞のそばにいて……必ず栞を幸せにするから……」
「……なんだか……プロポーズみたいですね……」
「そんなつもりは微塵もないぞ」
「わ、そんなにはっきり否定しなくても……」
「……俺は……自分の正直な気持ちを言っただけだからな」
「……祐一さん……なんだか余計に恥ずかしい事いってますよ……」
「…ほっとけ」
「……でも…嬉しいです……」
「……祐一さん……大好きです…」
「……栞……」
「……祐一さん……」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

それから数ヶ月後……
 
 
 
 

美坂家のロビーに私と祐一さん…それにお姉ちゃんと北川さんが集まって座っていました。

「まったく……しょうがないわね」
お姉ちゃんが呆れた様子で呟きます。
「ほんとだな。そんなことじゃ義兄として心配だぞ」
北川さんもお姉ちゃんの横に座ったまま同じように呟きます。
「本当ですよね」
私もそれに続いてそう呟きました。

「おい、栞までそんなこというのか。だいたい俺一人が悪いのか?」
「だってねぇ……それだけ格好いいこと言ったんでしょう? それなのに……」
「それは確かにそうだが……栞の方だって随分乗り気だったんだぞ」
「わ、そんなこと言わないで下さい」
「でも実際そうだっただろ」
「そ、それは……その……祐一さんがあんな嬉しいこと言ってくれるから……」
「そうだろ? あれだけ雰囲気的に盛り上がったんだから…これは仕方のないことだよな」
「それは……そうですけど……やっぱり格好悪いですぅ……」
そう言いながら私はお腹を優しく撫でます。
「でも……嬉しいですけど…」
「ま、栞が幸せなら良いんだけど…」
そんな私を見ながら、お姉ちゃんが苦笑いを浮かべながら言いました。
「それにしたって…節制と説得力がゼロじゃない」

「結局……その後の行為で子供が出来ちゃうなんて……」
 
 

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ささやかなコメント by LOTH

芥さんに贈っていただきました。
贈っていただけた理由は…話せば長くなることと、言っていいのかわからないので、まあ…とりあえずは
わたしが『ヒロイン入れ換え戦』を芥さんのところで連載しているから…ということにまずはしておきましょう(笑)

ご存じのとおり、芥さんはコメディ・ギャグ系ではわたしの目標でもある方です。
その方から2度目の贈り物…それも、ギャグ系で、しかも暴走系の栞(笑)
なんか、既にその設定が見えるオープニングだけで大爆笑してしまったんですけど(爆)
いや…栞って、やっぱり自爆系の暴走が似合いますね…メインモチーフが『私がおばさんになっても』By森高だし(笑)
何気に美汐がひどい言われようだし(核爆)
祐一の吉本新喜劇なリアクションといい、香里の栞を気づかうようで何気に酷なセリフといい…至芸ですね。
ラスト近くでほのぼの…わたし的に言う実感ほのコメ(笑)で終わると思いきや、ラスト…そう来たかっ!という落ち。
もう…ただ楽しませてもらいました。ギャグの贈り物は、初めてでしたし…わたしの方から、というのはあるんですけどね。
こういうのは大好きです。別に贈り物はほのぼのやシリアスに限るなんて絶対にないわけで…本当にうれしいです。
 
 

『勝手にまっしぐら』へ  『"なゆかお"シリーズ』へ

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