祐一は浪人後、名雪と同じ大学に通っています。
名雪は現役合格なので、先輩(笑)
天野も同じ大学に現役合格。何の因果か祐一と同じ学科です。
なぜだか、天野も同じ研究室だった。
天野もインターフェイスの研究をするらしい。
ちょっと前に、疑問に思って聞いた。天野の今までの単位の取り方からしてこっちじゃなくて遺伝子系の研究に向かうと思っていたからだ。
「それは……相沢さんがいるからです」
天野はしばらく俯いてから、オレをまっすぐ見据えて小さな声で言った。
「……そうか」
オレはかろうじてそれだけ答えた。
奇跡の刻を過ごしてから、5年。天野と付き合いだして3年。だが、オレと天野の関係は、つかず離れず、だった。
多少物足りないような、だが、ほっとするような、そんな関係。
多分、北川には笑われるんだろう……な。
とはいえ、そろそろ家に帰ってテレビでも見るかな、と思い、荷物をまとめて外に出る。
と、大学の正門前に名雪がいた。
「よ」
オレは片手を挙げ、挨拶した。
「あ、祐一、待ってたんだよ。よかった、学校にいて」
名雪はパタパタと走ってオレの前に立つ。
「何か用か?」
「うん。祐一、アパートの更新っていつだっけ?」
「来年」
名雪はそれを聞いて笑顔になる。
「よかった。じゃ、すぐには更新じゃないんだね」
「ああ、それがどうした?」
「う〜ん、ここじゃなんだから、家にこない?」
名雪の誘いに、オレは一瞬躊躇する。
「どうしても?」
「うん、お母さんと一緒に話したいから」
オレはため息ひとつつくと、頷いた。
「ちょっと待っててくれ。荷物置いてくるから」
「じゃ、いっしょに行こう」
「……そこの喫茶店で待ってろ」
オレは正門前の喫茶店を指差し、財布から千円札1枚を抜き取って、人差し指と中指ではさんでヒラヒラさせる。
「うー、いっしょに行ったっていいじゃない」
「ばかやろ。付き合っている女ですら連れていったことないんだぞ」
「え……?」
「なんだ、その意外そうな顔は……オレが女と付き合ってたらおかしいのか?」
「えと……そんなことは、ないんだけど……」
名雪とは最近やっとまともな会話ができるようになったが、相変わらず色恋沙汰関連ではちょっとぎこちなくなる。
オレはとりあえず千円札を名雪に握らせるとアパートへと向かった。
「……で、話ってなんだ?」
「家に着いたら話すよ」
名雪は複雑な表情でそう言った。
「ふぅむ……まあ、いいけどな」
オレは窓から外を見る。一面の銀世界。
「そういえば、おまえ、まだ百花屋でバイトしてんのか?」
「ううん。就職活動しなくちゃいけなかったから」
「そうか……で、決まったのか?」
「え?」
「就職」
名雪はオレから視線を外し、俯く。
「わりぃ。まだだったのか……ちょっとは景気がよくなったっていっても、女子大生の就職は大変だよな」
「ううん、決まったよ」
名雪は俯いたまま、首を左右に振って否定する。
「そうか、よかったな」
「うん……」
列車が駅に着く。オレと名雪は列車を降り、改札を抜け、駅前のロータリーに降りる。
「……懐かしい、な」
そう、2時間の遅刻を食らった、あの場所。3年ぶりに立った。
「そう?」
名雪があっけなく言うから、ちょっと意地悪したくなった。
「ああ……今思い出しても、よくオレ死ななかったな、と思うぞ」
「うー」
「うー、じゃない。おまえが悪いんだ」
オレは名雪の頭を軽く小突くと、水瀬家への道を辿る。隣に名雪がいないので振りかえる。
「ん?どうした、名雪?」
「ううん、なんでもない」
名雪は小走りにオレの隣に来る。
「こけるなよ」
「この街で20年以上暮らしてるんだよ。そんなことあるわけ……きゃっ」
「はぁ〜」
オレは肩を竦めて首を左右に振りつつ、ため息。転んだ名雪に手を差し出す。
「何やってんだ。寒いんだからとっとと行くぞ」
「……うん」
名雪はオレの手に掴まると立ちあがり、小走りに先を行く。
「おいおい……またこけるぞ」
「そんなことない……きゃぅ」
……あいつには学習能力がないのか。
「ただいまー」
名雪が玄関を開けて入っていった。
「ほら、祐一も」
「……おじゃまします」
「違うよ。ただいま、だよ」
「……ただいま」
オレらの声を聞いてか、奥から秋子さんが出てくる。
「おかえりなさい。祐一さん」
「うー、わたしには?」
「おかえり、名雪」
「うん、ただいま」
相変わらず、というか、なんというか……。
「お久しぶりです」
「そうね……祐一さん、痩せました?」
「まあ……男の独り暮しなんて食糧事情は悪化の一途ですから」
「あらあら……だめですよ」
明子さんは頬に手をあて、困った子ね、といった表情でオレを見る。
「さ、こんなところで立ち話もなんですし」
そう言って秋子さんはリビングへと向かう。
オレはコートを玄関のハンガーに吊るし、後を追う。
「……で、話って、なんだ?」
リビングでコーヒーを飲みながら、名雪に訊く。
「うん。あのね、四月から、またこの家で生活しない?」
「はぁっ!?」
「わたしは、就職で東京に行っちゃうから、この家でお母さん独りになっちゃうんだよ」
「はあ……まあ、そりゃ構わないけど……いいんですか?」
オレは秋子さんに視線を向けた。
「賑やかなほうが嬉しいですから」
「はあ……」
オレは曖昧な返事を返した。
「あ、そうそう……祐一さん、お義兄さんにちゃんと住所連絡しました?」
「いいえ」
「それで、こっちに届いてたんですね……ちゃんと連絡先教えないとだめですよ」
秋子さんはそう言うと、封筒をオレに渡す。
オレは秋子さんにも連絡先を教えていなかった。3年間、なんの連絡もしなかったのに、以前と変わらず接してくれる……なぜだろう。オレにはわからない。
オレはとりあえず封筒を受け取る。差出人は親父だった。封を切って中の手紙を見る。
『前略
あ〜堅苦しい話はナシだ。
とりあえず、喜べ。おまえに妹が出来た』
「はぁ〜!?」
思わず叫び声を上げる。
「どうしました?」
「いや……妹が出来た、らしい」
「あらあら……姪が増えたのね」
秋子さんが嬉しそうに言う。
「何考えてるんだ、ウチのクソオヤジ……歳考えろよな」
ため息をついて、手紙を読み進める。
『もう3歳になる。今度の土曜日の朝にそっちに行くから予定を空けておくように
草々』
……クソオヤジ……3歳、だとぉ。おまけに土曜に来るだぁ?明日じゃねぇか。
「ねぇねぇ、祐一、その子の名前は?」
「書いてない」
「え?」
「書いてないんだよ、あのクソオヤジめ」
オレは手紙を握りつぶす。
「明日、こっちに来るから、そのときにでも訊くしかないだろうな」
オレはため息をついて、コーヒーを飲み干す。
「ご馳走様でした。とりあえず、オレは帰ります」
立ちあがると、秋子さんがオレの肩を押さえた。
「夕飯、食べていきなさい」
「はあ……」
「それから、部屋はあのままにしてありますから、今日は泊まっていきなさい」
「うん、それがいいよ」
名雪も秋子さんに同意する。
「悪いですし……」
「明日、何時にお義兄さん来るかわかりませんよ?あの人のことですから、多分かなり朝早くに来るでしょうけど」
鋭いところを突かれた。オレはソファに座りなおす。
「……わかりました。お世話になります」
秋子さんはにっこりと微笑む。そして、名雪の方を向いた。
「じゃ、名雪、夕飯のお買い物行って来てくれる?」
「うん、いいよ……夕飯何にする?」
「名雪に任せるわ」
「わかったよ。じゃ、祐一、行こ」
「は?」
「は?じゃないよ。買い物、行こ」
「……わかったよ」
オレはゆっくりと立ちあがる。
「ああ、そうか」
オレは頷くとベッドから降り、カーテンを開ける。
眩しい、朝日。いい天気だった。
オレは着替えると階段を降りる。
「おはようございます」
秋子さんはキッチンで朝食の準備をしていた。
「あ……おはようございます」
久しぶりに嗅ぐ、コーヒーとトーストの香り。
オレは3年前に座っていた席に座る。
「おふぁあようございます」
名雪がダイニングに入ってくる。欠伸混じりの挨拶。
「おはよう……まだ眠いのか?」
「ちょっとね」
名雪は目を擦りながら席につく。秋子さんが微笑みながらトーストとコーヒーを持ってくる。
「イチゴジャム〜イチゴジャム〜」
……この歳になっても名雪は相変わらずだった。オレはトーストにバターを塗り、食べる。
トゥルルルルルル
秋子さんは電話の呼び出し音を聞き、立ちあがって電話を取る。
「はい、水瀬ですが……あらお義兄さん……え?あら、そうですか……わかりました」
電話を切ると秋子さんはオレに向かってこう言った。
「今、家の前にいるそうよ」
「……クソオヤジ……」
オレは玄関に向かう。
「よお、祐一、元気だったか?」
オヤジは右手を上げて挨拶を寄越す。左手には女の子を抱いていた。女の子はオヤジにしっかり掴まり、顔を胸に埋めていた。こっちに見えるのは二本のちょんまげ。
「まあ、な。で、その子がオレの妹か」
「そうだ」
「ほほう……で、名前は?」
「まあ、待て」
オヤジは女の子を軽く揺すると、下に降ろす。どうやら抱かれて眠っていたらしい。
「ん〜」
不機嫌そうな声を上げ、オレを見上げる。つぶらな瞳。とても兄妹とは思えんな。
「ほら、お名前、言いなさい」
オヤジが女の子の頭を軽くなでる。女の子はぺこりと頭を下げた。
「あいざわまこと、さんさいです」
「どうだ、かわいいだろう」
「まこと……ね。相沢祐一、22歳だ」
オレは妹を抱き上げた。
「真実の真に楽器の琴で真琴だ」
「ほう……」
オレはちくちくする痛みを感じていた。よりによって同じ字かよ……。
「命名は、誰がしたんだ?」
「母さんだが」
「ほう……あの話はしたのか?」
「あの話……?おお」
オヤジはぽん、と手を打つ。
「すっかり忘れてたよ。してないしてない」
オヤジは首を左右に振る。
「本当だな?」
「すっかり忘れていたくらいだ。してるわけないだろう」
まじめな表情。信用していいみたいだ。とすると、偶然の一致、か……。
「いらっしゃい」
秋子さんがいつのまにか後ろに立っていた。オレは真琴を抱いたまま振り向く。秋子さんの隣には名雪も立っていた。
「あら、かわいい子ね。お名前は?」
「あいざわまこと、さんさいですっ」
元気に答える真琴。
「まこと……。いい、名前ね。私は水瀬秋子、歳は秘密」
秋子さんは真琴にそう言うと、頬に手をやり、オレを見る。名雪を見ると、硬直状態。
「おい……名雪」
「あ……水瀬名雪、22歳だよ」
オレは首だけオヤジの方を向いて訊く。
「ところで、オフクロはどうした?」
「ん……あ、その、だな……」
オレは真琴の靴を脱がせながらオヤジの言葉を待つ。
「んー……その、だなぁ」
真琴を床に降ろし、オヤジの方に向き、ビシっと指差す。
「でぇい、歯切れの悪いっ!とっとと言わんか!」
「……入院中」
「はぁ!?なんでまた?」
「子宮筋腫」
「で、どうなんだ?」
「どう、って何がだ?」
「命にかかわるとか、そういう類なのかと聞いている」
「そんな大げさなことはない……と思う。医者の話を聞いている限りではね。ま、2週間ほど入院が必要だが、ね」
オヤジは上がりこむとさっさとリビングに移動する。オレはオヤジの後を追おうとしたが、ズボンの裾を引っ張られて、下を見る。
「あう」
期待に満ちた視線で真琴がオレを見上げている。
「なんだ?」
「抱っこ」
オレは無言で真琴を抱きかかえる。真琴はオレの腕にひしっと掴まった。
「祐一、モテモテだな」
「うるせぇ、クソオヤジ」
オレの膝の上には、真琴。オヤジよりオレに懐いているってのはどういう事態だ……。
「うむうむ」
オヤジは顎に右手をあて、頷いている。
「なにが『うむうむ』だ」
オレはオヤジを斜に見る。
「いやいや、いいねぇ。うんうん」
「だぁかぁらぁ、なにがいいんだ?」
真琴を見る。オレを見上げていたが、目があったとたん、俯いてふるふると頭を振っている。しばらく頭を振った後、支えているオレの手を小さい手で掴んで、また頭を振る。そしてオレをしばらく見上げて、また俯いて頭を振る。
「なあ、真琴……楽しいのか?」
「うきゃ〜」
……お願いだ、日本語を喋ってくれ。
「あらあら、祐一さん、よっぽどこの子に気に入られたのね」
秋子さんがリビングへ入ってきて、コーヒーをテーブルに置き、オレを挟んで名雪の反対側に座る。
「う〜、わたしも抱っこしたい」
「わかった……ほれ、真琴。名雪ねーちゃんとこ行って来い」
オレが真琴を抱き上げようとするとオレの服をぎゅっと掴んで放さない。
「や〜ん」
「……やだとさ。名雪、諦めてくれ」
「うー……」
オレは真琴を元通り座らせる。真琴はオレの袖をぎゅっと掴んでオレをしばらく見上げた後、オヤジのほうを向いた。
「これだけ懐いているんだったら安心して頼めるな」
「何がだ?」
「いや、な。母さんが退院するまで、真琴、預かってくれ」
「オヤジ……オレは理系学生で、火、木、土と昼間は学校で実験なんだがな……誰がその間、見るんだ?」
「えーと……名雪ちゃん……は、だめか……」
「当たり前だ」
「うー、なんで?」
「おまえ、真琴に嫌われてると思うぞ」
「そんなことないよ。多分」
名雪は自信たっぷりに答える。
「ね、真琴ちゃん」
「おねーちゃん、きらいっ」
名雪に覗きこまれると、真琴はぷいっと顔を逸らした。
「うー」
「それみろ」
「うーん……参ったな」
クソオヤジが唸っている。
「あらあら……ね、真琴。私は?」
秋子さんが覗きこむ。まことはしばらく秋子さんを見て、それから唸った。
「あう」
唸り方まで一緒かよ……とぼんやり思っていたら、泣き出した。
「あらあら」
秋子さんが真琴を抱き上げるとその胸にすがってわんわん泣いた。
なんのかんの言って、母親から離れてたんだし、心細かったんだろう。
泣き止んだ。なんかもぞもぞ動いている。
「にーちゃ〜ん」
……もう戻ってくるんか。
「真琴、オレの膝のほうがいいのか?」
「うん」
頷くと、オレの膝の上にちょこんと座る。ため息。どうも振りまわされている気がする。
「さて、どうしたものかな……」
「あ……オレ、今日実験……行かないとマズい。悪いな、オヤジ。出る」
「う〜む……」
「とりあえず、悩んでいてくれ。真琴、オヤジんとこ行け」
「や〜ん」
……ため息。
「や〜ん、じゃない。にーちゃんはこれから用事があるんだ」
「一緒に行くのぉ〜っ」
「……子供は行けない場所なんだよ」
「やだぁっ!」
手足をじたばたさせ、喚く真琴。
「やだ、じゃない。言うこときかない子は、こうだ」
こつんと軽く叩く。
「うっ……うっうっ、うっぎゃあああぁ〜」
……かわいくない泣き声。
「ぎゃあああ〜」
……火がついたような泣き声ってのはこう言うのを言うんだな。
オレは立ちあがると真琴をソファに転がして、すたすたとリビングを出る。
「ぎゃああぁぁぁ……」
背後の泣き声が止む。オレはダッシュで玄関に向かい、コートを引っつかみ、靴に足を急いで突っ込んで玄関から飛び出す。
玄関を閉じると、ドアの向こうでぎゃあぎゃあ泣き声。オレは駅に向けて走り出す。
「にーちゃん」
「うぉっ」
券売機前に真琴。
「ど、どうやって来た……」
「わたしが抱えて走ってきたんだよ」
背後に名雪。
「余計なことしたのはこいつかっ」
オレは振りかえると、拳骨を固め名雪のこめかみをぐりぐりする。
「痛いよ祐一〜」
「痛いようにやってるんだ、あたりまえだろう」
足元にひしっと抱きつかれる。見ると真琴がオレの足を抱きかかえている。
「にーちゃん」
オレはとりあえず名雪を解放し、真琴を抱き上げる。
「ったく……ほれ、名雪、責任持って連れ帰れ」
真琴を名雪に渡そうとする。
「っぎゃあああ〜にーちゃー、にーちゃー」
……こいつ……。ため息ついて真琴を抱きなおす。
「わあったよ。とりあえず、学校に連れて行く。教授に追い出されたら、諦めろ。いいな?」
「ひっく、ひっく……きょうじゅ?」
「ん……すっごく怖くて偉い人、だ。オレなんかじゃぜんぜん勝てないくらいな」
「にーちゃん、勝てないの?」
「ああ。その人が『だめ』って言ったら諦めてくれ」
「あう……うん」
真琴は素直に頷く。それを確認して、オレは名雪を見る。
「おまえ、もう講義ないよな?」
「うん」
「じゃ、ついて来い」
「え、なんで?」
「教授に追い出された後、誰が真琴の面倒見るんだ?」
「あ……そうか」
「あう……あのおねーちゃん、きらい」
「贅沢言うな。だめだって言われたらとりあえず名雪と遊んでいろ。2時間もすれば実験は終わる」
オレは切符を買うと改札を通り抜ける。後ろに名雪がついてきていた。
「ふふ」
「んだよ、気持ち悪いな」
名雪の含み笑いを聞き、振りかえる。
「そうしてると、若いパパさんみたいだよ」
「……やめてくれ」
この講義は、別名「後期救済講義」のひとつだ。単位の足りない学生の駆け込み寺的講義であり、普通なら休みに入っている期間でもやる。ま、一種の補習、ってやつだ。
当然、担当している教授は基本的に学生の味方だ。だが、さすがに関係のない、しかも幼児ときては……あまり期待はできないだろう。
オレは真琴の手を引いて、教授の部屋に向かう。
ドアの前で深呼吸。そしてノックした。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
オレは真琴の手を引いて、部屋に入る。真琴には道すがら静かにしているようにと厳重に言い渡してある。静かにしていないと、確実に追い出されるぞ、と脅しつけてもある。
「おや、相沢君……その子は?君の子供かね」
「いいえ……妹なんですが」
教授は右の眉をピンと跳ね上げた。
「妹……随分歳が離れていますね」
「ええ、まあ」
教授は真琴を見るとにっこり微笑んだ。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
真琴はオレを見上げる。オレは頷いてやる。
「あいざわまことです」
「ほほう。まことちゃんか」
教授は目を細めていた。真琴はにっこりと笑う。
「ほうほう……いいものをあげよう……ほらっ」
教授は白衣のポケットをごそごそと探ると、綺麗にラッピングされたキャンディを取り出した。
「ありがとう」
真琴はキャンディを受け取るとちゃんと礼を言い、それをポケットにしまう。
「食べないのかい?」
「うん。おやつのじかんにたべるの」
「おりこうさんだねぇ」
教授は真琴の頭を撫でる。
「で、どうしたんだね?」
教授は急に真顔に戻り、オレに視線を飛ばす。
「ええとですね……母が入院しまして、2週間ほど妹を預からないといけなくなりまして……」
「あー、みなまで言わなくてよろし。同室を許す」
「え……?」
「こんなかわいい聴講生なら歓迎だ」
「あ、ありがとうございます」
オレが頭を下げると真琴も頭を下げた。
「実験中は注意して見ているように。私も見ているがね」
「はい、もちろんです」
「ところで、相沢君」
「はい?」
「君は、他に講義、取ってないだろうね」
「ええ。他には取っていません」
「じゃ、大丈夫だね」
教授は微笑む。
「はい……ところで、教授」
「なんだね?」
「なんであんなキャンディ、持ち歩いているんですか?」
「あ、あはははは。いや、なに。甘いものが好きなんでね……ほれ」
教授は机の引出しを開けて見せた。ぎっしり詰まったお菓子。
「うわ……」
「それに、低血糖症よく起こすんでね。まあ、必要に迫られて、ってわけだ」
「はあ……」
「さ、講義の時間だ。行こうか」
オレは教授とともに教室へと向かう。
今回、使う金属は、なんと金。う〜む、何に蒸着させよう……。
「あ、硬貨とかに蒸着させてはだめですからね」
壇上から教授が言う。
「それは硬貨変造で犯罪です」
ちぃ……新しい100円玉だとか言って名雪を騙そうと思ったんだが。
鞄の中をごそごそ漁る。ん〜、何もないな。
「蒸着させるものがない人は、ここにいくつかアルミ板があります。これを使ってください」
オレはアルミ板を貰いに行く。その途中でピキピキっと閃いた。
鞄の中からニッパと金属やすりを取り出す。理系学生なら持っていて当たり前の一品だ。
「相沢……なんでそんなもの持ち歩いているんだ?」
「失礼な、理系学生なら持っていて当たり前の一品だろう?」
「んなもん持ち歩いているのはおまえくらいだ」
同じテーブルの人間があきれたように言う。
「ところで、相沢」
「なんだ?」
「その子は、なんだ?」
「妹だ」
「へぇ……」
後ろのテーブルの女の子がそれを聞いていたらしく、オレに話し掛ける。
「随分歳の離れた妹さんなんだね」
「オレもびっくりだ」
「え、なにそれー」
女の子はけたけたと笑う。
「今日初対面なんだよ」
「え?」
女の子が固まる。同じテーブルのメンバーも固まった。真琴はにこにこ笑っている。
「まあ、そういうわけだ。さ、実験準備だ。すまんが、オレはちょいと手のかかることしないといけないし、こいつも見なくちゃならないんで、準備しておいてくれないか?」
オレが同じテーブルのメンバーに言うと、とりあえず隣に座っていた奴が頷いてくれた。ありがたい。
オレはアルミ板に筆記体でレタリングし始める。その線にあわせてニッパで切り落とし、角をやすりで削り落とす。
穴のために鞄の中をごそごそと漁る。うむ、ハンドドリル発見。これも理系学生必携の一品だ。
「相沢……ドリル持ち歩いていて重くないか?」
「気にしたことないな」
オレはハンドドリルで穴を開け、やすりで仕上げる。うむ、会心の出来だ。
「相沢、随分作業早いな」
「そうか?慣れれば簡単に作れるぞ」
「すごーい、今度わたしにも作ってよ」
後ろのテーブルの女の子が言う。
「気が向いたらな」
オレはウィンクし、今作ったアルミ板を蒸着させるべく下準備を始める。
「あとは、ピンをつけて、出来あがり、と」
余ったアルミ板をやすりがけし、安全ピンを挟みこんで瞬間接着剤でくっつける。
きらきら輝く「Makoto」の文字。
「ほほう、相沢君、器用だね」
後ろに教授が立っていた。
「あ……」
「うんうん。本来なら提出してもらうんだが、いまちょっと見てみようかね」
教授はオレから名札を取るとしげしげと眺める。
「ちゃんと面取りまでしてあるね。関心関心」
教授は名札の縁を指で撫で、頷く。
「うむ。相沢君。とりあえずAをあげよう」
「え?」
教授がさらに耳打ちする。
「さらに君の母上が退院するまでの講義の出席免除もあげよう」
「え?」
オレはびっくりして教授の顔をまじまじと見る。教授は笑顔で真琴を見る。
「私だって鬼じゃないしね。それに来週からの実験はちょっと小さい子には危険だ」
来週は確か、X線での分子構造解析……確かに危ない、な……。
「ありがとうございます」
オレは頭を下げる。蒸着の時間中寝ていた真琴は、きらきら光るものが出てきているのでちょっと興味を引かれているのかテーブルの上のものをじっと見ている。
しかし、講義の時間中、言われたとおり静かにしていた。今も本当は手がだしたいんだろうが、それでもオレの言い付けを守ってじっと静かにしている。
「それにね、私はもう少しうるさくなると覚悟していたんだがね……こんなにいい子なんだし、退屈な思いをさせるのも悪いし、かといって家庭の事情じゃあねぇ……」
教授は真琴を見ながらそんなことを言う。真琴は教授の方を見て、にっこり笑う。
「真琴、どうした?」
オレが訊くと、真琴は教授に抱きついた。
「このおじちゃん、好き」
……教授をおじちゃん呼ばわり……。
「おじちゃんも、まことちゃん、好きだぞ」
きょ、教授……もう少し威厳があると思っていたんだが、新たな面発見。
同じテーブルの面子もちょっと固まる。まあ、そうだろうな。
「あー、蒸着した物は提出するように。今回のレポートは免除。というより、書きようがないからね。採点はとりあえず生成物で行うから、ちゃんと自分のものだとわかるようにして提出しなさい」
教授は急に教育者の威厳をまとい、そう言う。
「相沢君、君のは提出しなくていいから、そのまま持っていきなさい。もう採点したからね」
「あ、はい……」
オレは荷物をまとめると、真琴の手を引いて教室を出る。
教室を出たところで、しゃがみこんで真琴の胸に名札をつけてやる。
「わあ、きれー」
「綺麗か。よかったな」
「うん。ね、にーちゃん、これ、なんて書いてあるの?」
「これか。これはな、まこと、と書いてあるんだ」
「ありがとー、大事にするー」
真琴は嬉しそうに笑うと、名札を掴んでじっと除きこんでいた。
「にーちゃん、どこ行くの?」
「ん?腹減ってないか?」
「ぺっこぺこ〜」
真琴はそういうと腹を押さえる。
「よし。じゃ、ご飯にしよう」
「うん」
オレは真琴を連れて学食に入る。
「な、何がいい?」
「あう〜、ハンバーグ」
「ハンバーグか……」
Aランチがハンバーグとスープ、ライス、サラダのセットだった。オレはAランチの食券と、味噌ラーメンの食券を買う。
どう考えてもAランチを残すだろうから、残りはオレが食って、それだけでは足りないから味噌ラーメンを食うつもりでいた。
オレは先に席を取る。真琴を座らせるとかなり椅子が低かった。
「うーむ……さすがに学食に子供用の椅子はないよな」
オレはしばらく考える。しゃあない、最悪膝に乗せて食わせるか。
「相沢さん、その子、どうしたんですか?」
「妹だ」
オレは振りかえりながら答える。後ろには、天野。
「随分歳の離れた妹さんですね」
「はう……今日3回目」
「何がですか?」
「そのせりふ聞くのが」
オレはため息をつく。
「まあ、誰でもそう言うと思いますが」
「そうだな」
天野は真琴の方を向く。
「お名前は?」
「あいざわまことですっ」
真琴は元気に答える。硬直する天野。うーむ、やはり真琴って名前は刺激が強すぎるよな、実際。
「相沢さん」
ぎぎぎ、と音がしそうな感じでオレの方に向く天野。
「偶然だが、漢字も一緒だ」
「ご両親は知っていらっしゃるんですか?」
「……前に一度だけ話したことがある。が、知っているのはオヤジだけで、命名はオフクロだ」
「そうなんですか」
天野は複雑な表情で真琴を見る。
「おねーちゃん、名前は?」
「あ、ごめんね。天野美汐といいます」
「みしおねーちゃんだね」
真琴はにこにこしている。こいつ、人の好き嫌いがかなり激しいみたいだ。初対面で好きな奴にはにこにこするが、嫌いな奴にはにこりともしない。頭の痛い性格だな。
「にーちゃん、おなかぺっこぺこ」
「あー、はいはい。わかったよ」
オレはとりあえずAランチを取りに行く。
テーブルに戻ると、天野が真琴を膝の上に乗せて座っていた。
「お、真琴、いいな」
「うん」
真琴はにこにこして座っている。
「天野、いいのか?」
「いいですよ。こうでもしないと相沢さん、昼食べられないでしょう」
「すまないね」
オレは天野の前にAランチを置く。
「相沢さん、フォーク、どうしましょうか?」
確かに、学食にあるフォークは大きくて鋭い。子供には使いにくいだろう。
「ふっふっふ。こんなこともあろうかと、こういうものを持ち歩いているのだ」
オレは鞄からプラスチックのフォークを取り出す。コンビニ弁当についてくる、小さ目の使い捨てフォーク。
「普通の人はそんなものを鞄に入れていません」
「オレは普通じゃないからな」
そう言って笑う。
「そうでしたね」
天野は真顔で切り返す。
「……なんか負けた気がするのは気のせいか?」
「気のせいではありません。相沢さんの負けなのです」
天野はナイフとフォークでハンバーグを一口サイズに切り分けながら言う。
「相沢さん、スプーンはありますか?」
「そこにコーヒースプーンを持ってきてある」
「用意周到ですね」
「なあに」
オレはにやりと笑ってみせる。
「いただきまーす」
大声で宣言する真琴。周囲の視線が痛い。
「なあ、天野」
「なんですか?」
「なんとなく、周囲の視線が痛いんだが」
「そうですね」
天野は真琴が食べている様子を見ている。
「オレの予測なんだが」
「なんでしょう?」
「真琴、オレと天野の間の子供だと思われているみたいだぞ」
「私は別に構いませんが」
オレをまっすぐ見る天野。
「あ、左様で」
「ああ、真琴、そんな風にしたらこぼしますよ」
……しっかり母親してるな、天野よ……。
オレはため息をつくと味噌ラーメンを取りに向かう。
「どうしたんですか?」
「いやなに、オヤジが来ていてな。まあこいつを預かるって話の途中だったんで、一応話のケリつけてこようかと思ってね」
オレは真琴を顎で指し示す。
「で、どうするんですか?」
「ま、預かるよ」
「そうですか」
「ところで、天野」
「はい?」
「おまえ、後期救済講義取ってないよな。なんでいるんだ?」
「相沢さんに会いに来てはいけませんか?」
天野は俯いて小さな声で言う。オレは天野の頭を軽く叩く。
「そりゃどうも」
真琴が天野の膝の上で大あくび。
「にーちゃん、眠い」
「げ……寝るな」
オレは天野の膝から真琴を抱き上げ、床に降ろす。
「眠ぅい。抱っこ〜」
「だぁ」
オレは天を仰ぐ。しょうがないので真琴を抱き上げる。真琴はしばらくもぞもぞとして、そして熟睡。ぐぉ、重い……。
天野がくすくすと笑う。
「子供は寝ると重くなりますからね」
「んなあほな。なんで重量が変わるんだ」
「でも、実際、重たいでしょう?」
要は掴まって自分の体重のある程度を支えているから起きている間は軽い、ってことなんだろう。重量的には変わらないはずなんだ、と言い聞かせてしっかりと抱える。
「こりゃ鞄は無理だな。ロッカーにぶち込んでおくか」
オレは鞄を空いている手で持ち、学食を出る。
「相沢さん、鞄、持ちますよ」
「重たいぞ?」
「真琴よりは軽いでしょう?」
「まあな」
天野はオレの手から鞄を受け取ると、後ろについて歩く。オレのロッカーは幸いにも学食の近くにあるのですぐ着いた。
オレは自分の鞄を詰め込むと、ロッカーからコートを引っ張り出し、外に出る。真琴のコートを真琴の肩に引っ掛け、オレは自分のコートを肩から引っ掛けようとする。
「手伝いますよ」
天野がコートを受け取り、オレの肩に引っ掛けてくれた。
オレはある考えが閃いた。
「なあ、天野」
「なんでしょうか?」
「とりあえず、オレのオヤジに会うか?」
「え?」
「どうする?」
振りかえると、立ち尽くす天野がいた。
「え?え?え?」
困惑している。
「ま、そろそろはっきりさせたほうがいいと思ってな。どうだ?」
「はっきりって……?」
「あー、まあ、アレだ。別に結婚を前提とかそーいう話じゃないんだが、付き合っている人ってことで紹介しておきたいじゃないか」
オレは空を仰ぎ見ながら言う。
「あの、その、えーっと、あの……」
オレは天野を見る。俯いてあたふたしている天野を見て、微笑む。
「何、別に取って食われるわけじゃない。嫌だったらいい。無理強いはしないから」
「……はい」
天野はオレをまっすぐ見ると返事をした。うーむ、まだ時期尚早だったか。
「じゃ、行きましょうか、相沢さん」
「お?」
天野はすたすたと正門に向かう。
「会いに行くんじゃないんですか?」
「お、そうだな……ちょっと待て」
オレは携帯を取りだし、水瀬家に掛ける。
「相沢ですけど……オヤジいます?」
オレはウィンクを天野に寄越す。
「おー、クソオヤジ。まだいたな。よし、じゃあ、今から30分後に駅前商店街の百花屋って喫茶店で待ち合わせだ。あん?ああ、食ったよ。ああ。うん、じゃあな」
オレは電話を切ると天野を見る。天野は目を丸くしていた。
「相沢さん」
「なんだ?」
「その、いつもああいった感じで話されているんですか」
「あ、うん。まあな」
オレは駅に向けて歩き出す。天野はオレの脇について歩く。
「仲のいい家族なのですね」
「ん〜、あまり考えたことはないな。まあ、思ったことをはっきり言い合う家族だとは思うが」
天野はオレの顔を除きこんで微笑む。
「そういうのを仲がいいっていうんですよ」
「よ」
オレが左手を上げて挨拶する。
「おお、来たか……真琴、寝ているな」
「まあね。重たいったらありゃしない」
オヤジはオレから真琴を受け取る。
「ところで、そのお嬢さんは?」
「あ、ああ。天野美汐さん、だ。一応、付き合っている」
「初めまして。天野美汐と申します」
「ほほう……初めまして。このバカ息子の父親です」
「誰がバカだ」
「おまえ以外にあるまい?」
オレと天野はオヤジの向かい側のシートに座る。
「ははん……呼び出したのは、これが理由か」
「これって言うな、クソオヤジ」
そこへウェイトレスがやってくる。
「アメリカンと……」
「レモンティをください」
「了解。アメリカンとレモンティで」
「かしこまりました」
ウェイトレスが引っ込む。
「ふむふむ……で、祐一とはどこまで」
オレは無言でメニューでオヤジの頭を引っぱたく。
「痛いな、何するんだ」
「初対面の人に聞く質問か、それが」
「う〜む……」
オヤジは真琴を抱きなおし、考える。
「悩むなクソオヤジ」
天野はしばし呆然としていたが、くすくすと笑う。
「どうした、天野?」
「いえ……相沢さんのお父様というので、どういう方かな、と思っていたのですが、なるほど、と思いまして」
「お褒めに預かり恐悦至極」
再びメニューでドツく。
「痛い……」
「褒めてない。ったく、これで人のことをバカ息子って言うんだからな」
オレは腕を組んでオヤジを睨み付ける。がすぐに腕を解き、肩を竦めてため息をつく。
「ま、こんなのに育てられればバカに育つよな」
「そうそう」
「頷くなクソオヤジ」
再びメニュー攻撃。
「親の頭をポンポンポンポンドツくな」
「ドツかれたくなかったら、まともな親になれってーの」
「やだね〜だ」
「……はぅ」
オレのため息に、天野のくすくす笑いが重なる。
「本当に仲がいいんですね」
「オレとしては否定したいんだがな、その意見には」
「ふふ」
天野は微笑む。オヤジはしばらく天野を見て、そして頷いた。
「うんうん、いいねぇ、うんうん」
「……ついに脳みそに蛆でもわいたか?クソオヤジ」
「それはさておき、だ」
オヤジはジェスチャー付でそう言った。軽いんだよな、ったく。
「真琴なんだが……」
「預かるよ。講義免除も貰ったしね」
オヤジはため息をついて肩の力を抜く。
「助かった……で、だ。次の問題に行こうかと思うんだが」
「んだよ」
「なんで3年間も引っ越したこと黙ってたんだ?」
「そっちだって妹が生まれたこと3年間黙ってたじゃないか」
「うっ……」
「ま、そーいうことで」
オレはコーヒーを飲む。オヤジはしばらくテーブルの上の自分のカップを見つめていたが、ふいに顔を上げる。
「まあ、あれだな。そういうことにしておくか」
オヤジはニヤリと笑う。
「下手なこと抜かしやがったらオフクロにあることないこと吹き込むからな」
「……チッ」
オヤジは舌打ちする。
天野はまたくすくす笑う。
「悪いな、天野。ぜんぜん話に絡めなくて」
「いえ……楽しいですし」
天野はそう言うとレモンティを飲んだ。
「さて……話は終わりだ。オヤジ、いつ帰るんだ?」
「今日の夜には帰るぞ」
「了解。んじゃ、御代よろしく」
オレはオヤジから真琴を受け取り、席を立つ。
「あ、おい」
「この歳になったら、あまりベタベタするもんじゃないだろ?」
「……そうだな」
オヤジはふっと寂しそうに笑う。
「ま、なにかあったら連絡しなさい。私は、おまえの父親なのだから」
「そうだな」
オレは真琴をしっかり抱きなおし、オヤジに振りかえって言う。
「2週間したら真琴を連れて、そっちに行くよ。朝まで飲もうぜ」
「それもいいな」
オヤジは微笑む。
「できれば……」
「なんだ?」
「天野さんにお酌してもらえるといいんだけどな」
「オフクロに言いつけてやる」
「うっ……今の発言忘れてくれ」
天野はくすくす笑って言う。
「いいですよ。私も暇ですから、一緒に伺います……ご迷惑でなければ、ですけど」
オヤジが天野を見る。笑顔でだ。気色悪いったらありゃしない。
「迷惑だなんて、そんな。大歓迎ですとも。うふふふふふふ」
「オヤジ、オフクロに言いつけておくからな」
「うっ……な、何も悪いことしてないじゃないか」
「……ふ〜ん。まあそういうことにしておこう。オフクロがどう思うかは知らないがね」
「……ごめん、祐一。勘弁して」
オレは真琴を見て、そしてオヤジを見る。
「ま、今回は見逃してやる……ところで、どうでもいいことなんだが」
「なんだ?」
「親の威厳ってのはどこにいっちまったんだろうな?」
「んなもん、とっくに棄てた」
胸を張って答える親父を無言で見据え、ため息をついて店を出る。
「あーん、祐一ちゃん、見捨てちゃいや〜ん」
見捨ててやる。
「面白いお父様ですね」
「まあな。他にはいないタイプの父親だと思うぞ」
「相沢さんは、ああいうタイプの父親になると思います」
「げ……そりゃ勘弁願いたいね」
「無理ですよ。そっくりですから」
天野はくすくすと笑って、オレの顔を下から覗きこむ。
「んな旦那貰った奥さんは大変だぞ」
「んー、そうでしょうか?相沢さんのお母様は大変だったのでしょうか?」
オレはしばし記憶を掘り出す……なんか一緒に楽しんでいたような気がするぞ。
「……大変じゃなさそうだな」
「でしょう?」
天野はここでちょっと俯いてそれから、オレをじっと見た。
「私もうまくやっていく自信があります」
小さく言う。
「お、お、おまえ、いきなり、な、何を言う」
オレは耳まで真っ赤になるのがわかった。天野は、オレが抱いている真琴の鼻を人差し指でちょん、とつつく。
「ね、真琴。大丈夫よね?」
「あう〜うにゅ」
天野の耳も真っ赤だった。
「おまえ、赤くなってそんなこと言うな。恥ずかしいじゃないか」
「……そうですね」
しばらく雪の中に佇む。
「帰るか」
オレは空いている左手で天野の右手を掴む。
「あ」
「さ、帰ろう。家まで送っていくぞ」
「はい」
天野は嬉しそうに返事をした。オレはその返事を聞き、踏み出す。
「ま、予行演習みたいなもんだな」
天野にオレは笑いかける。天野もオレを見て笑う。
少しずつ、前へ。
そう。まだ始まったばかりなのだから。
「アシスタントのHymnです」
さて、今回の作品、LOTH様への捧げ物として書いてみました。
「ばかやろーですね、あなたは」
んでだよ〜
「捧げ物でこんなもの出すんですか」
あう……
「伏線びしばし張って、未解決で終わりですか」
うっ……えーと……そこはそれ、ちゃんとシリーズ化する。
「あなた、前回のシリーズ、何ヶ月かかりました?」
うっ……
「がんばりなさい」
はい(T-T)
えーと、なんとなく尻切れトンボですが、シリーズ書いたらすべてお送りいたしますのでご笑納くだされば幸いかと。
「破棄しても構わないです。こんなのページ汚しですからね」
……そだね。構成もなってないしね。
「わかっているなら努力しなさい」
うん。がんばるよ。
では最後に。拾萬ヒットおめでとうございました〜
「おめでとうございました〜」
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ささやかなコメント by LOTH
100000hit記念に微風護衛さまに戴きました。
微風護衛さんはご存じのとおり、「真琴の還ってこない真琴SS」の名手でいらっしゃいまして…
…って、こんな言い方ってひょっとして失礼ですか?(笑)
この話は、どうやらこの後、続いていく話のようです。
Storm Princessということで…ちび真琴、嵐を呼ぶ王女さまとして大活躍の予感って感じですね(笑)
真琴が還ってこない、美汐と祐一のほのラブな感じといい…
わたしの某オリジナルなファンタジーを髣髴とさせる『妹』真琴の出方といい…
ああ、オリジナルの話、続編ではないけど2を書かなきゃなあ、とか…
夢・夢の大学生編を書かなきゃなあ、とか…
Picturesと『にんぎょひめ』を統合するエンディングのハーフオリジナルを書かなきゃなあ、とか…
…なんか、わたしの心をちくちくと突っつくんですけど(苦笑)
ともあれ、この雰囲気は好きです。
こんな感じでこの話、どうなっていくのか…多分、ほのぼの〜ほのコメ〜ほのラブ辺りで展開するのかな…とか
勝手に思いながら…
微笑みながら読ませていただきました。
ちなみに、3才はもっと騒がしくて自分勝手でおしゃべりだと思うけどな…
…って、それはうちの子だけなのかっ!?
…親が悪いんだろうなあ…はあ(涙)
ともかく、微風護衛さま、ありがとうございます。
ぜひ、完結させてくださいねっ!(ぷれっしゃあ)
2000.9.26 LOTH