傘に降る雨・始まりの雨

〜あなたを待つ間に 3〜


ONE SS。
里村茜&上月澪

シリーズ:あなたを待つ間に

では、どうぞ
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傘に降る雨・始まりの雨 〜あなたを待つ間に 3〜
 

雨が降っていた。
梅雨の雨が降っていた。
梅雨の雨が止みもせず、私の上に降っていた。

それは分かっていた。
私にも分かっていた。
分かってはいたけれど、私は歩いていた。
雨の中を。
降り続く雨の中を。
 

『…悪いけど、作業の邪魔だからどっかに行ってくれないか?』
『ここにはな、家が建つんだよ』
『勿体ないだろ、これだけの土地を遊ばせて置くのも』
『周りの土地だって立派な家が建ってるだろ?』
『あれにも負けないくらいの家が建つぞ』
 

立ち尽くしている私に、すまなそうに言った人たち。
ヘルメットの下の顔も、雨に一青に濡れていた。
作業服を着たその人たちを、私は見つめるだけだった。
黙って見つめていただけで

だって
分かっていたから。
その人たちが悪いわけではないことは。
悪いのは…

そう、悪いのは
行ってしまったあの人。
私を置いてえいえんにいなくなったあの人。
そして

私を救ってくれた
微かな希望にすがり
裏切られて
絶望して
それでも待ち続けていた私を
救ってくれた人。

『お前は…ふられたんだ』
その一言で、私を救ってくれて
新しい日常を
変わりない日常を
私と歩いてくれる

私が待ち続けた場所から
引き離してくれた人。

なのに
私を置いて行ってしまった

浩平

身勝手な人です、あなたは。
悪いのはあなたです。

でも
そんなあなたを待っている
勝手に待っている私
私も悪いんです。
私も勝手です。

それは分かっています。
分かっていたんです。
分かってはいたのです。
だけど
分かっていたけれど
 

浩平
あなたを待つ場所が
なくなってしまいました。

あなたと出会った場所が
あなたに救われた場所が
あなたとお別れして
あなたを待っていた場所が
なくなってしまいました。

なくなってしまいました。
 

浩平
私はどうしたら
どこで待てばいいのでしょう。
あなたを待っている場所をなくしてしまった私は
この雨の中で

あの日と同じ雨の中
いつも同じ雨の中
あの日からずっと降り続いているような雨…
 

「………?」

何かが私を引き止めた。
何かが

誰かが私の服の裾を引っ張っていた。

私は振り返った。

「………澪さん?」
「………」

澪さんが私の服の裾を握っていた。
赤い小さな傘の下、私を見上げていた。
不思議そうに
心配そうに私の顔を見上げて立っていた。

『濡れてるの』

澪さんは私の裾を離すと、スケッチブックを取り出して、私に開いて見せた。

私は傘も差さないで歩いていた。
あの場所にいた時は、確かに持っていたのに。
いつの間にかなくした、ピンク色の傘。
いつも差していた
あの日にも差していた傘を
私はいつの間にか持っていなかった。

「…そうですね。」

私は頷いて後ろを振り返った。
あの傘を探すために。

だって
あの傘はあの時も差していたから。
あなたと出会った時も
あなたとお別れした時も
この降りしきる雨の中
思い出の雨の中をいつも
私がしていた傘だから
あなたとの思い出に繋がる傘だから

「…では。」

振り返った私の服の裾、また引っ張られて

見ると澪さんが、ふるふると首を振っていた。
そしてスケッチブックにサインペンを走らせた。

『学校、遅れるの』

腕時計は、もうすぐ8時半を示そうとしていた。
私は澪さんにもう一度頷いた。

「…いいんです。それよりも、澪さんが遅れます。」

澪さんは私の顔を悲しそうに見上げた。
それからスケッチブックを抱きしめると、ふいにうつむいてしまった。

「…澪さん?」

私は思わずそんな澪さんに声をかけた。
澪さんはびくっとしたように、顔を上げて私を見た。
そして…

「………?」

にっこり微笑むと、私に手を差し出した。
傘を持っている手を、私に差しだした。

「…澪さん?」

わけも分からずに、私は澪さんの顔を見た。
澪さんはこくこくと頷くと、そんな私の手に傘を押しつけた。
そして大きく頭を下げると、鞄を持って走り出した。

「…澪さん、傘…」

私の声にも、澪さんは振り返らずに駆けていった。
頭のリボンが雨に濡れ、しおれたまま揺れていた。

そのまま澪さんは角まで駆けていった。
そして私に振り返ると、また頭を下げて角を曲がっていった。
スケッチブックを抱きしめて、鞄を頭に載せながら、澪さんの姿は角の向こうに消えた。

私は呆然とそれを見ていた。
手にした澪さんの小さな赤い傘の上、音をたてて落ちる雨の中
澪さんの手の温もりが残る傘を握り締めていた。
温かい雨が降りしきる中で。
 
 

雨が降り続く昼休み。
私は三尾さんの傘を持ち、文化部の棟を歩いていた。
静かな廊下に雨の音が、うるさいくらい響いていた。
私は入り口のプレートを、一つ一つ見ていって、やがて一つのプレートを見つけて立ち止まった。

『演劇部』

澪さんはここにいると、傘を返しに行った私に澪さんのクラスメートと教えてくれた。
私はドアに手をかけると、そっと開いて中を覗いた。

澪さんは中にいた。
中で何かを見つめては、ため息をついているようだった。
私はドアを大きく開けて、中に入ると澪さんに

「…澪さん。」

「……!!」

澪さんは体をビクッとさせると、恐る恐る振り返った。

「………」…はぅ〜〜〜〜〜

そして私を見つけると、ため息をついた。
私はそんな澪さんに近付くと、手にした傘を差し出した。

「…どうもありがとう。」
「………」

澪さんは傘と私の顔を交互に見ると、机の上のスケッチブックを取ってサインペンを走らせた。

『まだ降ってるの』

差し出したスケッチブックの黒い文字。
私は少し微笑んで

「…傘、ありますから。」

ピンクの傘はすぐに見つかった。
澪さんの傘をさしながら戻った道の途中
コンクリートの壁の横、電信柱に隠れるようにピンクの傘は濡れていた。
降りしきる雨の中、ひとりぼっちで濡れていた。
持ち上げると溜まった水が、大きな音を立てて落ちた。
ピンクの傘から透明な水が、流れて落ちていた…

「…だから、大丈夫です。」

澪さんはちょっと困ったように私を見上げていた。
でも、すぐに大きく頷くと、私の手から自分の傘をとった。
そしてまだ少し濡れている傘を抱きしめると微笑んだ。

私はそんな澪さんの顔をぼんやり見つめていた。
これで用事は終わったから、教室に戻ればいい。
そう思いながらも、何となく私は澪さんをぼんやり眺めていた。
そして何となく、澪さんのさっきまで見ていたものを見た。

それは台本のようだった。
何度も読み返されたものらしく、少し破れかけた表紙に、かすれて読みにくい題。

「…台本、ですか?」

思わず私が聞くと、澪さんはびっくりしたように私の顔を見上げた。
そしてちょっと顔を赤らめて、こくりとうなずいた。
私はそのまま、台本に手を伸ばして…

「あら、あなた…名前と学年、クラス、教えてくれる?」

「……え?」

大きな声に振り返ると、入り口から一人の女生徒が部屋に入ってきた。
そして私の顔を見て、ちょっと首をかしげた。

「…あれ、あなたは確か…」
「………」
「…3年の…」
「…里村茜です。」
「…あ、そうだったわね…」

彼女は明らかに落胆した口調で言った。
それから私の顔を見ると、小さく頭を下げた。

「私、演劇部の部長している、長谷川早絵。」
「………」
「…ごめんなさい。入部希望者かと思ったものだから…」

私が黙っていると、彼女はもう一度頭を下げた。
そして、私の影になっていた澪さんに気がつくと

「里村さん…澪ちゃんの知り合い?」

不思議そうに私を見る演劇部長さん。
私は澪さんを見た。
澪さんはにこにこしながら私を見上げていた。

「…はい。」

「…そう。」

長谷川部長は不思議そうな顔のまま、小さく頷いた。

多分、私と三尾さんにどんな接点があるのかと、不思議に思っているのだろう。
でも、確かにそうだった。
澪さんと私…
なぜこうしているのか、私も不思議な気がしてくる…

私は澪さんの顔を見つめた。

「…でも、困ったわね、澪ちゃん。」

長谷川部長は今度は私ではなく、澪さんに向かって

「このままじゃ…夏のコンクール、無理かもね…」
「………」はぅ〜〜

長谷川部長の言葉に、澪さんはため息をついた。
そして、私を見上げると、急いでスケッチブックにペンを走らせた。

『部員が足りないの』

…別に私は何を聞くつもりもなかった。
でも、きっと澪さんは、私が理由が聞きたくて澪さんを見ていると思ったのだろう。
私は頷いて、長谷川部長の方を見た。
長谷川部長も澪さんのスケッチブックに頷いた。

「そうなの…部員が足りなくて。舞台に出なくても…雑用だけでもしてくれる人、何人かいたら何とかなるんだけど…」
「………」はぅ〜〜
「…でも、このままじゃ…参加辞退しないといけないかも。」
「………」ふるふるふる

澪さんは思い切り頭を横に振っていた。
長谷川部長はそんな澪さんにニッコリと笑うと、私の方を向いた。

「…ごめんなさい。こんな、関係ない話して。」
「………」
「……でも、もし…」

長谷川部長は私の顔をじっと見つめた。
でも、すぐに苦笑しながら首を小さく振った。

「…いえ、本当に…ごめんなさいね。」

私は長谷川部長の顔を見つめていた。

窓の外の雨は次第に弱くなって、雨の音ももうほとんど聞こえなかった。
微かな雨の音と共に、澪さんのため息が聞こえた。
スケッチブックと小さな青い傘、抱きしめた澪さんの…

「…はい。」

私の口から声が出ていた。
雨の音より大きな声で私は言った。

「…入ります、演劇部に。」

「…え?」

本当に驚いた顔で、長谷川部長は私の顔を見た。
びっくりしたような息が、澪さんの方から聞こえた。
 

でも、本当に驚いたのは、言った私だった。
雨の音もほとんど消えた静かな演劇部室で、自分の言葉に本当に驚きながら、私は長谷川部長の顔を見つめていた。

<to be continued>

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…筆者です。
「仕切り屋・美汐です。」
…さて…物語は始まったと。
「…というか、こんな話だったんですね、これ。」
…ふっふっふ、そうなのだよ。
「…でも、ONE本編の焼き直しな気も」
…ぐはっ…それを言われると…でも、この話では別に茜はえいえんには行かないし、澪と恋に落ちたりもしないぞ。
「…当たり前です。そんなことしたら、それこそ焼き直しでしょう。」
…あははは、まあ…そんなわけでこれは、ほのぼのと優しく、痛い展開もなく、茜のいつもとちょっと違う、だけど日常を…書いていこうと思うわけ。そんな…お話だから。 inserted by FC2 system