Air SSもどき
美凪シナリオ終了必須。ネタバレあり。

この話を、Kosさまに捧げます。

・この話は美凪シナリオのエピローグ、みちるとの別れのシーンから分岐した…
 ように見える話ですが、実際のAirのシナリオとは微妙に違いがあり、繋がりません。
 それでもよろしければ…どうぞ。

-----
 

『…海が見たいな。』

そう言ったのは、みちるだった。
だからオレたちはこの場所に来た。
オレと遠野が初めて出会った、校庭裏の防波堤。
オレたちは浜風をいっぱいに受けて、波打ち際で遊んでいた。
まるで、日が暮れるのも忘れて遊んでいる、小さな子供のように。

いつまでも続けばいいと思っていた。
この夢がいつまでも続けばいいと思った。
日が暮れてしまうことも
帰らなきゃならないことも
忘れていつまでも遊んでいられると
 

『…もう、限界なんだよ、みちるも…美凪も』

『…あと3日…それしか、もう…』

あの夜
夜空に瞬く星のように、今にも消えそうな姿で
みちるが言った言葉も

オレたちはいつまでも遊んでいたかった。
いつも一緒の、仲良しの姉と妹
そしてそばにオレがいて。

そんなことは夢でしかないことは分かっていた。
オレたちにもそんなことはよく分かっていた。
夕暮れはもうすぐそこまで近づいていることも
オレたちを呼ぶ声がもうすぐそこまで近づいていることも

その3日目が今日だということも

お別れがもうすぐそばまで来ていることを
今日が終わる前にそれが来てしまうことも
それは分かっていた。
分かっているつもりだった。

だけど…
 
 
 

   Blowin' in the Wind, over...far over the Air

 

 
 
 

「…あっ」

海から吹く強い風が、砂を巻いて吹き過ぎた。
波打ち際から上がってオレの方を見ていた遠野が、小さな声を上げてその場にしゃがみこんだ。

「…どうした?」
「…目に、砂が…」

オレは波打ち際から遠野のそばに寄った。
遠野は右目を押えてしゃがみこんでいた。
オレは遠野の前に同じくしゃがんで、手をそっとはがすと、遠野の顔をのぞき込んでみた。

「…ちょっと、見せてみろ。」
「………」

遠野は一瞬、ためらうように手に力を入れたが、すぐに力を抜いてオレを見上げるように目を開けた。
大きな瞳がわずかに濡れてオレを見上げた。

「……何ともないみたいだけど…」
「……痛い、です。」

少し抗議するように言う遠野。
確かに、少し目は赤くなっているようだが、砂らしきものは、もう見えない。

「…多分、涙と一緒に流れたんだろ」
「………」
「……ふっ」

「……!」

オレが念の為にその目に息を吹き掛けると、一瞬、遠野は大きく目を見開いた。
それから、ちょっと遅れて目をぱちぱちと瞬かせると

「……びっくり」

いつものタイミングのズレに、オレは思わず苦笑する。
遠野のその大きな目は、オレの目の前にあった。
遠野はそのまま、瞬きもせずにオレの顔を黙って見上げていた。

波の音
わずかに砂浜を渡る風
風に揺れる遠野の長い髪から、かすかにシャンプーのような匂いがした。

…いや、それは多分、遠野の匂い。
どことなく甘いその匂いは、確かにやはりみちるの、どこか日向臭い匂いに似ている…
 

……みちる?
 

オレは急いで立ち上がると、辺りを見回した。

こんなに遠野にオレが接近しているのに…なぜ、みちるはオレの邪魔をしに来ない?
いつもなら、どこからかキックが飛んでくるはずなのに…

「……遠野っ」
「………!」

遠野も顔をこわばらせると、立ち上がって辺りを見回した。
夏の海岸…夕暮れ迫るオレンジ色の空と海。
わずかに広がった砂浜…そして、その向こうに見える家々、赤く染まる山。
砂浜に見えるのは、オレたちだけ…

オレたち、だけ
 

「……まさか…」
 

かすかに風の中、聞こえた遠野の声。
震える声はそのまま、叫びとなってあたりに響く。

「……みちる…そんなっ」

「……いや、違うっ」
 

そんなはずはない
確かに、今日が約束の日…お別れの日だと分かっているけれど
だけど…

オレはもう一度、辺りを見回した。
 

オレたちに何も言わないで、あいつが行くはずはない!
 

もちろん、それはあくまでもオレの勘。
まだあいつは近くにいる…行ってなんていないはずだ。

「…まだ、時間は…」
「…でもっ」

遠野の腕がオレの胸をギュッと掴んでいた。
か細い、今にも折れそうな腕が、それでも強く…

「…じゃあ…」
「………」

遠野の見上げる瞳
オレは思わず見つめて

揺れる大きな瞳
濡れた瞳が揺れて
まるでそれは大きな、大きなシャボン玉…
 
 

「……行こう、遠野。」
「…え?」
 
 

遠野は大きく目を見開いたまま、オレを見上げた。
オレは…
 

「…あいつは…まだいるはずだ。オレたちの…お前たちにふさわしい…場所で。」
「……わたし、たち…」
「……ああ。あの場所…思い出の、場所…」

「………!」

遠野は目をいっそう大きく見開くと、大きく息を呑んだ。
そして、何も言わずに、転がるように砂浜を…
 

「…待てっ、遠野っ!」
「………」
「待つんだ…待てったらっ!!」

オレは駆けだした遠野の後を追うと、腕を掴んで引き止めた。

「…離してくださいっ!早く…早く、行かないとっ」
「待つんだ、遠野っ!!」

オレは思いきり遠野の腕を引いた。
そして、バランスを崩してオレの方に倒れかかってきた遠野を、オレはしっかり腕の中に受け止めて

「このまま…このままでいいのかっ?」
「…早く…」
「…遠……美凪っ!」

オレは腕の中、もがく美凪の体をきつく抱きしめた。

「このままで、ホントにいいのかっ!」
「………!」

オレの言葉に、美凪はビクッとしたようにもがくのをやめた。
そして、振り返るとオレの顔を見上げた。

「このまま…オレたちが見送って、それでいいのか?それだけで…本当に、いいと思ってるのか?」
「……往人さん…」
「……それで本当に、全て…終わりなのか?この夢は…お前の夢で、それでいいのか?それで…」
「………」
「……それで、本当に…」

オレは口を閉じて美凪の顔を見つめた。
それ以上は、何も言わなかった。

言わなくても…分かるはずだ。
お前が抱いていた夢…罪は…お前だけのものじゃない。
それは…

「………」

美凪はオレを見つめて、大きく頷いた。

オレは掴んでいた美凪の腕を離した。
美凪は砂の上、倒れそうになりながら2、3歩歩くと、振り返った。

「………必ず。」
「……ああ」

オレが頷くと、美凪は海岸を一生懸命駆けていった。
そして、真っ赤に染まる海岸の防波堤の陰、美凪の姿が消える前に、オレも駆けだした。
 
 
 
 
 
 
 

  夢…。
  幸せな幻想。

  夢…。
  望むこと。

  夢…。
  追いかけて止まないもの。

  夢…。
  この世界…。

  目が覚めれば、そこに残るものは…?

  幸せに触れることの出来た満足感…?

  失った幸せに対する虚無感…?

  抱きしめ続けることの出来ないものは忘れてしまう…?

  全てを…?

  夢は思い出にならない…?

  でも…。

  みんな気づいている。

  みんな知っている。

  …本当は、夢の終わりを望む人間なんていないことを…。
 
 
 
 
 
 

駆けるオレのそばを、音をたてて強い風が吹き過ぎていった。

『…もうすぐ、風が吹くの…』

寂しそうに笑うみちるの顔

『…だから、乗り遅れないようにしなきゃ…』

乗り遅れたらどうなるんだ?
オレは聞こうとした。
だけど
 

分かっていたんだ。
もう、限界だということは。
夢が夢でいられるのは、もう…
 

夕日に真っ赤に染まった今日も人影まばらな商店街を、オレは息を切らしながら駆け抜けた。
美凪と買い物をした商店…みちるに人形を見せた医院の前。
今となっては楽しい思い出がいっぱいの商店街。

オレはもう少し、何かを出来たのかもしれない。
二人のためにもう少し、何か出来たのかもしれない。
せめて楽しい夢を見せてやることが
オレにだってもう少し、出来たのかもしれない。
だけど

オレにできるのは、もう、駆けることだけだった。
あいつがいる…きっといるはずの場所へと
オレは駆けていった。
駆けて
 
 
 
 

たどり着いたのは
 
 
 
 

「ふぅ〜〜〜〜〜〜」

ぱちんっ。

「わぷぷっ」

「んにゅぅ〜」

ごしごし…
 

「ふぅ〜〜〜〜〜〜」

ぱちんっ。

「わぷぷぷっ」

「んにゅぅ〜」

ごしごし…
 

「ふぅ〜〜〜〜〜〜」

ぱちんっ。

「わぷぷっ」

「んにゅぅ〜」

ごしごし…
 

顔をテカテカにして、顔を真っ赤に染めた少女がそこにいた。
いつもの駅舎の前のベンチ、ストローをくわえて座っていた。
もう何度目かのシャボン玉を、膨らませかけては弾けさせて。

「ふぅ〜〜〜〜〜〜」

顔をこすると、また真剣な顔で膨らます。
何が楽しいのか、オレにはよく分からない。
出来ないシャボン玉。
飛ばないシャボン玉。
 

『飛べない翼に、どんな意味があるでしょうか。』
 

美凪の言葉に、あの時、オレは何も答えなかった。
オレにも分からなかったから。
そんな翼の意味なんて。
でも

今なら、言えると思う。

オレは息を整えると、小さく息を吸った。
そして、ゆっくりと少女の方に足を踏みだした。
 

「……熱心だな。」
 

ぱちんっ
 

「わぷぷぷぷっ」
 

弾けたシャボン玉が、真っ赤に染まった少女の顔に細かく散った。

「んにゅぅ〜」

少女はあわてて顔をごしごしとこすった。
そして、ストローを持ったまま、オレの方を見た。

「……あんたが声をかけるから、割れちゃったじゃないの。」
「…オレのせいか。」
「そうよっ!決まってるでしょ、往人」

いつものように甲高い、少女の声がした。
だけど、その顔はいつになく、微笑んで…

「…下手くそだな、お前」

オレはかろうじて笑いながら言ってやった。

「…もう少し、優しく吹けばいいんだ。」
「………」
「そうすれば…」

きっと出来る。
シャボン玉がきっと吹ける…

オレは手を伸ばして、みちるの手からストローを借りようとした。

「オレがやって…」

「……ううん。いい」

みちるは小さく首を振ると、スッと立ち上がった。
そして、短いズボンの埃を払うようにして、トトンっと後ろに下がった。
まだ石けん水に濡れたストローを、そのままポケットに入れた。

「…もう…いいよ。」
「でも…」
「……もう、時間、ないから。」

みちるは言うと、また首を振った。

「……いいよ。」
「……みちる…」
「……それよりも」

そう言うと、目線をオレの顔からそのまま空へと上げて

「……来ないのかと、思った。」
「………」
「……もう…間に合わないかと…」
「……ば〜か」

オレはみちるに笑って見せた。

「…お前が勝手に黙って先に来たくせに…なに言ってるんだよ。」
「……うん…」

みちるはつぶやくように言った。
真っ赤に染まった空を見上げたまま、みちるはそのまま続けて

「…本当は、誰も来ないで…その方がいいかもしれないとも…思ったけど」
「………」
「……でも…」
「……ば〜〜か」

オレがもう一度言うと、みちるは真っ赤に染まった顔でオレを見た。

「…何よぅ、バカバカって…往人…」
「……バカにバカといって、何が悪いんだ。」

オレは言いながら、首を振った。

「オレが間に合わなくとも…美凪が間に合わないなんて…そんなこと、ないだろ。」
「………」
「……もしもそんなことがあったら…」

お前がここにいる、意味がないじゃないか。
この夢をみんなが見た、意味がないじゃないか。
この長い、長い夢が…

「……でも…」

みちるはつぶやくと、不安に染まった瞳でオレの後ろを見やった。
いるはずの人を捜して瞳が揺れた。

「……大丈夫。」
「………」
「…大丈夫だから。」

オレはそんなみちるの瞳を見つめて頷いた。

大丈夫。
絶対、間に合うから。
絶対、間に合って…欲しい…
 

「……大丈夫…」

願望にも似た気持ちで、オレはもう一度、みちるに言った。

「……うん…」

みちるはまだ揺れた瞳のまま、小さく頷くと口をつぐんだ。
真っ赤に染まった駅舎の入り口で、少女は黙るとくるりとまた辺りを見回した。
その姿は、まるで今にも消えそうに…

「……みちる…」
「……んにっ」

オレが思わず叫ぶと、みちるはびっくりしたようにオレの顔を見た。

「なに、往人。いきなり、大声…」
「……みちる…」

いつものようにちょっと身構えたみちる。
でも、その姿は…

「……どうしても、お前…」

オレは思わず、もう何度目かの問いをみちるにぶつけていた。

「…だめなのか?どうしても、ずっと…」

「……ば〜か」

みちるは、だけど、小さく首を振りながらオレに笑った。

「バカだねえ、往人は…」
「……でも…」
「……夢は、夢なんだよ。」

みちるは言って、そして

「だから…いつまでも見ていたら、先に進めないんだよ。何度も…前に、何度も言ったじゃない。なのに…」
「……でもっ」

「…そんな顔、しないでよ。」

みちるは微笑んだまま、小さく頷いた。

「だから、そんな顔、しないで。だって…」
 
 
 
 

ごうっ
 
 
 
 
 
 

強い風が吹いた。
何もかもを飛ばしそうに強い風が吹いて
 

オレは思わず、目を閉じた。
 
 
 
 

「……これは、出発なんだから。」
 
 
 
 
 
 
 

カンカンカンカンカン
 
 
 
 
 

耳に聞こえる、遠い…聞き慣れた、でも、聞くはずのない踏切の鳴る音。
わずかに焦げたような、エンジンの臭い。
風の止まる気配。

オレは目を開けた。
 
 

「……みちる…」
 

「…出発…だから…」
 
 

みちるは駅の改札口の向こう、プラットホームに立っていた。
もう錆付いて動かない、改札口の向こうで、オレの方を見て微笑んでいた。

「………」
「……だから…」

微笑みは、すぐに崩れそうになって
それでも少女は、笑って
 

発車のベルが消えたプラットホームには、来るはずのない列車が止まっていた。
黒塗りの木製の客車を1台だけ連結した、古い古いディーゼルの列車。
旧式の手動のドアの前に立って、みちるはオレにかろうじて笑みを浮かべると

「…じゃあ…」
「……待てよっ」

乗り込もうとするみちるに、オレは駆け寄ろうとした。
オレの腰ほどしかない改札を、オレはまたいでみちるの方へ…

「…ダメっ!」

みちるの叫び。
オレは改札口の前、立ち止まってみちるの顔を見た。

「…それ以上、来ては…ダメだよ」
「……でも…」
「…そこを越えたら…おしまい。何もかも、今、すぐに…」

みちるの声。
それは間違いなく真実。
オレはそれ以上、動けなかった。
だけど

「…待てよ…」
「……往人…」
「……もうちょっとだけでいいから…待ってくれっ」

オレは改札にすがって叫んでいた。

もうちょっとだけ…
必ず、来るから
絶対来るはずだから…

オレはみちるの顔を、見つめて…
 
 
 

たったったっ
 

かすかな足音。

でも、それは間違いなく、近づいてくる…
 

「………」

そして、それはみちるの耳にも届いて
 

みちるはオレの後ろ、目をこらして
 
 
 

「………あ…」
 
 
 
 
 
 
 

「……みちるっ」
 
 

長い髪を乱して走ってくる、少女の姿。
オレは振り返らなくとも、その姿が見えた。
そして…
 
 

「………」
 
 

もう一人の姿。
 

聞こえる足音は、二つ。
その足音は…
 
 
 
 

止まった
 
 
 
 
 
 
 
 

「……どうして…」
 
 
 
 

みちるの口から漏れた、それは風の音。
吹き過ぎる風に、消えそうなくらい小さく、そしてかすれていて
 

「…もう…みちるは…」

お別れは、終わった。
みちるの目が、オレにそう言っていた。
 

もう、終わった
生まれることのなかった少女と、生むことのできなかった母との出会い
楽しい、そして悲しい束の間の時
そして、別れは…もう終わった。
終わったのだ。

終わった…
 

「…なのに…」
 

みちるの責めるような目が、揺れながら、でもオレをしっかりと見ていた。
 

「…終わって、ないだろ」

オレは小さく首を振った。

「この夢は…まだ終われないだろ。」
「…でもっ」
 
 

「この夢は…二人の夢じゃないんだから。」
 
 

みちるは息を飲んで、オレの顔を見つめた。
オレはみちるの顔を見つめて、そして、振り向いた。
 
 

「………」
 

立ち止まった足音。
オレの目に映る女性。
 

「この夢は…」
 

夢。
これは夢たちのかけら。
3つの違う夢のかけらが重なった
これは夢。
 

誰が悪いとか
誰が望んだとか
誰が夢見たとか
そんなことは問題じゃない。

この夢は3つの夢が重なって
この夢は3つの願いが重なって
束の間膨らんだシャボン玉
小さな夢のかけら
だから
 

誰も覚めたいと思ったわけじゃなく
誰も夢の終わりを望んだわけじゃなく
ただ大きく、大きく膨らんだ夢はいつか離れていく
ストローから離れて、そして空へと上がっていく
それは覚めたかったからじゃない
膨らませたかっただけなんだ。
大きく、大きく膨らませただけなんだ。

だけど

だから
 
 

重なる夢が一つでもはじけてしまったら
残りの夢のかけらも
一緒に
 

『…もう、限界なんだよ、みちるも…美凪も』

だからだろ…みちる?
お前のあの言葉は

ずれ始めたかけらは消えるんじゃない
大きくなったシャボン玉がストローから飛び立つように
旅だっていくんだ
オレはそう思うんだ
だから
 

「…あの人の夢でも…あったんだろ。だから…」

「………」
 

オレの言葉に、女性は不思議そうにオレを見た。

美凪は何と言ってこの人を引っ張ってきたのか、オレには分からない。
何も分かっていないような瞳で、女性はオレを見た。
一人の女の子を産み
一人の女の子を産むことが出来なかった女性
束の間の出会いを知らない
束の間の別れを知らない母

オレは目を閉じた。
そして、言った。
 
 
 

「この人も、お別れを…言わせてあげるべきじゃないのか?みちる…」
 
 
 

「……お前の母親にも」
 
 
 
 
 
 
 

「………!!」
 
 
 
 
 
 

小さな、叫び。
オレの背中
目の前の母
隣で手を引く姉
 
 

オレが目を開けると、そこには
手を伸ばし、よろけるように一歩、足を踏みだす母親がいた。
また一歩足を進めた、母親の目には涙。
かつて、流すことすら忘れてしまった涙の滴
瞳をあふれて
頬を伝って
 

足がもう一歩
また一歩
 

「……みちるちゃん…」
 
 

ためらうような
とまどうような
忘れていた何かを思い出すような母親の声。

みちるはただ立って
ただ立ち尽くして
自分に近づいてくるその姿を
母親を
見つめて

見つめて
 
 
 

「……みちるっ」
 
 
 
 

叫び声。
失った娘を呼ぶ、母親の叫び。

両手を差し出して
よろけるように駆けだす母親
その手の先に
 
 

「……やっぱり…やっぱり…あなた、みちる…みちるっ」
 
 

叫んで

改札口の鉄柵に掴まって
 
 

「……みちるっ!!」
 
 

ほら、ごらん

これは夢
だけどみんなの夢だった
3人の夢だったんだ
そんなことがお母さんに分からないはずがないじゃないか
自分の娘を分からない母親なんているわけがないじゃないか
あんなにお前を望み
あんなにお前を願い
あんなにお前を愛したお母さんがお前を忘れるなんて

どんなに悲しくたって
どんなに辛くったって
どんなに忘れたように見えたって

そんなことあるわけがなかったんだ

なあ
みちる

なあ
美凪
 
 

「…みちるっ」
 
 

自分を忘れようとして
自分を責めた姉が叫んだ
改札口に駆け寄った
鉄柵を掴んだ
そして
 
 
 
 

母は
 
 

姉は
 
 
 

妹は
 
 
 
 

涙を流しながら
手を伸ばしながら

まるでそのまま伸ばせばお互いの手がしっかり繋がって
そのままずっと
そのまま永遠に
この一瞬を留めておけると信じているように
手を伸ばして
 

伸ばして
 
 

「…みちるっ」
「みちるっ」

「…お母さん…お姉ちゃんっ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「お母さんはっ」
 
 
 

「…わたしは」
 
 
 

「みちるはっ」
 
 
 
 
 
 
 
 

ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

甲高いベルの音があたりの音をかき消した。

母と
姉と
妹の声

3人の言葉

別れの言葉を全てかき消して
ベルの音が全ての音を
全ての声をかき消して
何も聞こえない
聞こえなくって
 
 
 
 
 
 
 
 
 

でも
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

聞こえた
 
 
 
 
 
 
 
 
 

確かに聞こえた
それは夢の終わり
3人の交わした最初で最後の言葉

それはあいさつ

それは普通の会話

あるはずだった
交わされるはずだった
全ての言葉
家族の会話
そして
 

お別れのあいさつ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

お別れの
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

みちるは涙を拭きもせず
ベタベタに濡れた顔で微笑んで

その姿は
 
 
 
 

タラップを駆け上がって
 
 
 
 
 
 
 

「…みちるっ」
 
 
 
 
 
 
 

母と姉の叫び
消えた背中に
 
 
 
 

叫んで
 
 
 
 
 
 

でも
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

プシューーーーーーー
 
 
 
 
 
 
 
 
 

車輪が動く音
 
 

ゆっくりと走りだす列車。
吐き出された排気の臭い
軋む車輪の音
 
 
 
 
 
 
 

「……みちるっ」
 
 
 
 
 
 
 
 

誰も答えない叫びが響く中
列車は動きだし
列車は走りだして
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ふわっ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1台しか連結されていなかった客車の窓のすき間から
走りだした列車の風にも割れることもなく
キラキラ、キラキラ光る丸い大きな

それは
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

シャボン玉が一つ、空へと舞い上がった。
大きなシャボン玉が真っ赤な空へと
浮かんで
空へ
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「…みちるっっっっっ!!!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ごうっっ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

強い風が吹いた
全てを吹き飛ばすように強い風が
 
 
 

オレは思わず、目を閉じて
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

真っ赤に染まった廃線の駅舎
沈んでいく夕日

一人の女性と
一人の少女が

母と娘が
抱き合って泣いていた。
何事もなかったような真っ赤な夕暮れに
 
 

オレは立ち尽くしていた。
黙って見つめていた。

キラキラ光るシャボン玉
空へと舞い上がっていく
暮れていく真っ赤な空へと昇っていくシャボン玉を見つめていた。
 
 
 
 
 
 
 

いつまでも
いつまでも
消えずにまっすぐに空へと昇っていくシャボン玉を
見送った。
見送るしか

オレには
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

夏とはいえ、朝の風はさすがに涼しい。
オレはもう見慣れた街の景色をゆっくり見回しながら、バス停への道を歩いていた。

こんなに長くいることになるとは思わなかった町。
寂れたような小さな町並みに、わずかな愛着のような物すら感じる。
でも…

オレは長居をし過ぎた。
もう、出発の時だ。
オレの役目は…終わったのだから。
始発のバスの時間まで、あと少し。

母親と美凪、二人を送ってからオレは、廃線の駅舎に寝転んで決心した。
そして、すぐに出発のための準備をしたのだ。
…と言っても、持っていく物などほとんど何もなかったが。
ほとんど、身一つ…あとは、オレの商売道具…ポケットの人形。オレの一生の道連れだけ。

『美凪を…お願い』

みちるは口には出さなかった。
でも、瞳がオレにそう言っていたのは、分かっている。
だけど
 

オレが美凪にできることは、これだけだと思う。
美凪が母親と一緒にいられるならば、オレのいる必要はない。
いや、いない方がいい…いいのだから。
オレはオレの道を行き…美凪は、母親と幸せに暮らす。
それが一番いいことで…
…それこそが、みちるの望みだと
だからこそ、オレは
 

オレはバス停の前で立ち止まった。
そして、時刻表をのぞき込んだ。
バスの時間は…
 
 

「……早いですね」

「……え?」
 

知っている…声
オレは振り返って
 

「……びっくり?」
「………」
 

遠野美凪がオレの後ろ、少し首を傾げてオレを見ていた。
いつものように無表情な、でもオレには分かる笑みを浮かべながら

「……えらい?」
「……ああ…」

オレはかろうじて、美凪に答えた。
美凪はフッと微笑むと、こくりとうなずいて

「…よし」
「………」

オレはそんな美凪の顔を見ながら、まだぼんやりしていた。
なぜ、美凪がここに…

「……見送り…か?」
「………」

オレの言葉に、美凪は黙ったまま、オレの顔を見つめていた。
それしか、オレには思いつかなかった。
どうしてだか分からないが、美凪はオレが出発しようとしていることを知って…
だから、見送りに来たのだと…

「…ご苦労様だな。」
「………」

オレが言うと美凪は、また首を傾げた。
そして、オレを見上げるようにしながら、いつもの声で

「……えらい?」
「……偉い、偉い。」
「……じゃあ…粗品。」

言うと、美凪は目を足下に落とした。

…また、いつものお米券だろう。
オレはあわてて美凪に

「いや、オレはもう、粗品は…」
「……違う」

と、美凪は顔を上げると、大きくかぶりを振った。

「…国崎さんが…」
「……オレが?」

驚いてオレが言うと、美凪は頷いた。

「…粗品」
「……粗品、ねえ…」

…そういえば、えらいのが美凪なら、粗品…賞品をあげるのはオレの方だ。
だが、オレには、美凪にあげられるような物は…

「……でもな、美凪…」

オレが苦笑して言うと、美凪はオレの顔をじっと見つめた。
そして、小さく息を吸うと、頷いて

「…じゃあ、言葉で…いいです。」
「……言葉?」
「………」

こくりとうなずく美凪。

言葉なら…確かに、オレにも何とかなる。
でも、どんな言葉を…

「…じゃあ、どんな言葉がいい?」
「………」

美凪は一瞬、うつむいた。
それから、顔を上げると、オレの目をジッと覗きこむようにして
 

「…ください、言葉を…」

「だから…」

「…もう一度、私に」
 
 

「……一緒に、この町を出ようと…」
 
 
 
 
 
 

「……え?」
 
 
 
 
 

「……一緒に行こうと、言ってください」
 
 
 
 
 

オレは思わず、美凪の顔を見直した。

「いったい、何でそんな…」

冗談を…
 

言いかけて、オレは
 
 
 
 
 
 

言葉を飲み込んだ。

美凪の瞳は、真剣だった。
真剣な顔でオレを見つめていた。
今にも泣きそうにみえるほど、真剣なその眼差し…
 

「……バカなこと…なに、バカなこと言ってるんだよっ」

オレは美凪の肩を掴んだ。
その細い肩を思い切り揺らして
 

「…バカなこと言うなっ!お前は…」

「………」

「…お前は、やっと一緒に…お母さんと一緒に、暮していけるんじゃないかっ!暮せるように、なったんじゃないかっ!!苦しんで、苦しんで…やっとっ!」

「……でも」
 
 

オレの腕にガクガクと揺らされながら、美凪は
でも、オレの目をしっかりと見つめたまま
 

「……お母さんが…」

「………」

「…言いました。『私には、二人の娘が…いる』と。」

「……え?」

オレは思わず、美凪を揺らす手を止めた。

「そして…」

美凪はそんなオレの手をそっと取った。
そして、オレの顔を見上げながら、ゆっくりと
 

「……言いました。『私には二人の娘がいた…娘が二人いるのよ』と。『それはずっと…ずっと変わらないことなのよ』と。」

「………」

「…『私には素晴らしい…とっても優しくて、素晴らしい娘が二人いて…娘たちにはこんな、情けない…本当にダメな母親だけど、そんな母親がいる…それは、ずっと変わらないから』と。『いつまでも…いつまでも変わらないから』と。そして…」
 
 

「…『だから、あなたたちは好きな所へ…好きな人と、好きな所へ行きなさい。あなたはどこへ行っても、胸を張って生きていける素晴らしい娘です…私の誇り。このダメな母の、たった…二つの誇りなのですよ』と。『そして、どこへ行っても…あなたたちがどこでなにをしていても…私はここにいます。あなたたちの母親は、こんなダメな母親だけど…いつもここにいて、あなたたちのことを思っているのだから…』と。『さあ、行きなさい…』そう言って、お母さんが…」

「………」

「………」
 

オレは何も言えないで、美凪の顔を見ていた。
そして、思い出していた。
この美凪の、その顔に面影の似た、一人の…母親の顔…
 

「……迷惑?」
 

「………」
 

美凪はふいに不安そうに顔を曇らせた。
そして、首をかしげると、オレの顔をうかがうように見た。
オレは…
 
 
 
 

プシューーーー
 

気がつくと、いつの間にか目の前にバスが止まっていた。
オレの目の前に、開いたドアの向こう、入り口のタラップ。
その奥から運転手が、オレの顔を疑わしそうに見ていた。

「…お客さん…乗るの?」

「………」

オレは運転手の顔から、美凪の顔に目を移した。
美凪はまだうかがうようにオレの顔を…
 

オレは空に目をやった。
真っ青な空。
どこまでも、どこまでも続いていく空
 

この空はきっと地の果てまで
そして空の果てのあいつのところまで続いている

だけど
もう一方の果てには一人の母親がいて
どこまでもどこまでも続く空をいつまでも、いつまでも見上げている…
 
 
 

「……美凪」

オレは空から美凪の、少し曇った顔に目を移した。
そして、そっと手を伸ばして、その細い腕を取った。
 

「……一緒に、町を出よう。」

「……国崎さん…」

「……おまえに、世界を見せてやるよ。」
 
 
 

美凪はにっこりと微笑んだ。
オレが今まで見た中で、一番の笑顔で

だから
オレたちは
 
 
 
 
 
 
 
 

プシューーー

ブルルルルルルルル
 
 
 
 
 
 

動きだしたバスの中、私は彼の隣で
彼の腕に掴まるように座って窓の外を見る。
町が次第に遠ざかっていくのが見える。
見慣れた町
私が生れ育った町

たくさん悲しいことがあった
たくさん苦しいことがあった町

でも

たくさん楽しいことがあった
たくさんうれしいことがあった町

母と
父と
そして
みちると出会い
暮し
遊んだ町が遠ざかるのを
私は見つめながら
 

でも
悲しくはなかった。
寂しくもなかった。

だって
この空はお母さんに繋がっている。
この空はみちるに繋がっている。
私の母
私の妹
私が愛し
私を愛してくれる人たちに繋がっているから。
それは分かっているから。

そして分かっているから。
私はいつかこの町に帰る。
その時、私を迎えてくれる人がいるということを。
たとえどんな姿でいつ帰ったとしても
その人は笑ってくれることを
そしてこう言ってくれるから
 
 

『…おかえり』
 
 

だから、つかのまの別れに
いつか帰るための一時の別れに

私は彼の腕をしっかり握りしめながら
窓の外に流れる町を見つめながら

そっと
 
 
 
 
 
 
 

それはお別れじゃない
出会いのための言葉
 
 
 
 
 

   『さようなら』
 
 
 
 

<END>

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あとがきに代えて

これはAirのSSではありません。
これはわたしがAirのSSを書かない理由を書く代わりに書いた、SSもどきの代物。

この話は美凪シナリオです。
だけど、もう一つの美凪シナリオの、本当に最後の部分の抜粋のような、そんな物。
そして、本当は長い長いそのシナリオは、書かれることはない。
なぜならば…

この話は美凪シナリオから徹底的にある物を排除して書いたものです。
そのある物とは…二つの要素です。
すなわち、一つは…『Lien』(C)Puple
そして、もう一つは…『Air』の観鈴・神奈シナリオの要素を全て…つまり、『Air』たる要素。
だから、これはAirのSSではないもの…そう言っているのです。
でも、わたしには、Airで何かを書こうとすれば、どうしても…そうなる。
Airたる要素を抜かない限り、わたしにはAirでSSを書けそうにないのです。
しかし…

そんな物を書くことは、わたしにはできないから。
Airでない物をAirで書くことは、わたしはしたくない。
だから…

これはわたしの最初で最後の、AirのSSもどき。
読んでくださった方々に、お礼を。
そして…

こんなSSもどきの代物ですが、この話をKosさまに捧げます。

2001.1.18 LOTH inserted by FC2 system