舞SSのようでそうでないような…Kanonパラレルワールド系SSもどきです。

では、どうぞ
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   雪の記憶はない
   白い雪の記憶
   雪に包まれて
   その冷たさの中
   暖かさの中で
   眠った記憶が僕にはない

   ないはずだ

   でも
 
 
 

    いつか会えるから、きっと

        2.こんにちわ・じゃあまたね

 

 
 
 

1月 7日 木曜日
 
 

「…寒い。」

手も足も、体中が冷たくなっているような。
少なくとも布団から出ている顔だけは、凍ったように痛みすら感じそうな、そんな冷たさ。

「…ここは、どこだ?」

わずかに目を開けながら思わず言ったオレは、次の瞬間、さすがに苦笑した。
そう、ここは…

「………はあ」

オレは一つ息をついて、布団から起き上がった。
刺すようにあたりは冷たいが…それは眠る前の時点でもう分かっていたことだ。
そう、オレはこの寒さのただ中にやってきたのだ…自分で決めたことだ。

カシャッ

ゆっくりと何もない部屋を横切ると、掛かっていたカーテンを開けた。
次の瞬間、真っ白な光が網膜に飛び込んでくる。
穏やかな朝の日差しと、目を閉じても瞼を突き抜けてくる銀色の光。

「寒いわけだよな…」

思わずそんな言葉が口をついて出る。
四角い窓の外には、一面の雪景色が広がっていた。
庭木の上も、向かいの屋根もその向こうも、視界に飛び込んでくるもの全てが、白一色に覆われていた。
昨日、辿り着いた時にはもう日は落ちていたから、この中庭からの景色は見ることがなかったが、こう目の当たりにすると…確かにオレは雪国に来たのだと覚悟せざるを得ない。
この雪国…

…ピンとこないな。
オレが昔ここに来たのは、雪の頃じゃなかったんだと思う。
この景色も…この寒さにも、多分、記憶はない。
多分…

10年以上前のことだからな。
思い出せなくても不思議じゃない。
多分…

オレはぼんやりとした記憶の奥の風景を思い出そうと…

  バタンッ!
  ドタドタドタ…

オレは思い出そうと…

  ドタドタドタ…。
  「あっ…わたしまだパジャマだよっ…」

思い出そう…

  「うー…本当に時間ないのに…」
  バタンッ!

…思い…

  バタンッ!
  「お母さんっ、わたしの制服ないよ…」

…思い出せないって、こんな状況で。
ったく…

オレはとりあえずドアのところまで歩いていって、ドアを開けて顔だけ出してお隣さんの方を見た。

「時間ないよ〜、時間ないのに〜、どうしよう…」

お隣さんはパジャマのまま、部屋の前をまた階段へと向かおうとしていた。
と、ふと振り向いた途端にオレとばったりその目が合うと

「あ…おはよう、祐一」

にこっと微笑みながら、まるで今までもそうだったというように朝の挨拶をする。

「……」

あまりに普通のリアクションだったので、思わず言葉が詰まる。

「ダメだよ、祐一。朝はちゃんとおはようございますだよ」
「…おはようじゃないぞ、名雪」

オレがちょっと眉を顰めて言い返すと、名雪はぼんやりとオレの顔を見た。

「…じゃあ、おはようございます。」
「………」
「………?」

ちょっと首をかしげた名雪。
オレは思わず苦笑して

「…おはよう。」
「あ、うん。おはよう。」

名雪はのんびりと言うと、こっくり頭を下げる。
それから、ちょっと首をかしげて

「早いね。祐一は今日までお休みなんだから、もっと眠っててもいいのに」
「…お前が騒いでるから起きてしまった、とは考えないのか?」
「………え?」

3テンポ遅れて、ちょっと目を丸くする名雪。
でも、反応はそれだけで

「…別に騒いでないよ。」
「十分騒いでるだろう、朝からあれだけドタドタと。」
「だって…」

名雪は言いかけると、ポンっと手をたたくと

「そうそう、時間と制服がないんだよ」
「制服?」
「うんうん。」
「…って、オレに言われてもな…」

全くマイペースな少女。
昨日は、ちょっと魅力的な女の子にみえたのだが…いや、今でもそう言えばそう言えるのだが…
「うー、そうだけど…でもっ、祐一、わたしの制服知らない?」

多分、10年前と変わらない、そんな気が…する。
多分、こいつはこんな奴だった…
…多分…

「だから、オレが知るわけないだろ。」

オレは言いかけて、ふと昨日の夜のちょっとした場面を思い出した。

「…制服って、昨日も着てた変な服のことだろ?」
「変じゃないよ…」
「それ、昨日、お前があわてて秋子さんに洗濯してもらったんじゃなかったか、確か?」
「………あっ」

名雪も思い出したのか、踵を返して階段を駆け降りる。
そしてしばらく後。

バタバタバタ

「あったよ」

ハンガーにかかったままの制服を抱きかかえるように、階段を駆け上がってくる。

「でも、ちょっと湿ってる…」
「まぁ、そうだろうな。」
「どうしよう…」
「コタツの中に入れておくと、すぐに乾くぞ。」
「そんなことしたら、しわになってダメだよ…」
「靴にドライヤーと並んで、冬場の生活の知恵だぞ。」
「そんな生活の知恵、やだよ…」
「まぁ、着てればすぐに乾くだろ。」
「うん、そうだけど…」

名雪はちょっと考えていたが、決心したのか自分の部屋に入っていった。
オレは白い息を吐きながら、隣の部屋に

「でも、今日はまだ冬休みなんじゃないのか?」
「うん、でも、わたしは部活があるから」

ドア越しの声は続けて

「わたし、部長さんだから」
「…だったら、もっと早く行け。」
「…うーー」

多分、口をとがらせているらしいうなり声。
冬休み最後の日、それでも部活に行くという話は昨日の学校からの帰りに名雪から聞いていた。
その時も『部長さんだから』とうれしげに言っていたけれど、その顔に何か逆に不安な感じがなぜかしていたんだが…

「うー…」
「…朝、弱いだろ、名雪。」
「…え? あ、うん。」

制服を着てドアから飛び出してきた名雪に言うと、名雪はちょっと足を止めて俺の方をまじまじと見上げた。

「…どうして分かったの?」
「分からいでか。」
「…うーー」

名雪は不満そうに言ったが、すぐにちょっと悲しそうに

「…わたし、朝が弱いから。」
「らしいな。」

オレは名雪の顔をまじまじと見ながら

「だったら、ちゃんと目覚ましを掛けてだな…」
「掛けたよ。」
「今朝もか?」
「うん。」
「…何時に?」
「7時。」
「…今は?」
「……8時半かな?」
「…で、部活の始まりは?」
「……8時半かな?」
「…おい……」

意味ないだろ…

オレはそれ以上何も言えず、名雪の顔を見た。
名雪はそんなオレの顔を見上げながら、一つ瞬きをしたと思うと、

「そうそう、こんなことをしてる場合じゃないんだよ。」
「………」
「急いで部活に行かないといけないんだよ。」
「……そうだろうな。」
「そうなんだよ。」

オレの皮肉にも、名雪は天然なのかわざとなのか…いや、間違いなく天然だろう…ともかく、うんうんとうなずくと、

「急がないと、間に合わなくなっちゃうよ。」
「…ていうか、もう間に合ってないんじゃないのか?」
「…うーー」

バタバタバタ

それでもあわてて階段を駆け下りる名雪に、オレは何となくそのへんにかけておいた上着を羽織ると、後を追って階段を降りた。
名雪は玄関で靴をはいていたが、振り返ってオレの方を見上げると

「…出かけるの?」
「この格好で、出られると思うか?」

オレの問いに、名雪は真面目な顔でちょっと考えると

「…凍死するから、やめといたほうがいいよ。」
「行くわけないだろ。」
「………本当に?」
「……するかっ」

それでなくとも、パジャマに上着一枚ではほとんど防寒の意味がないくらい、家の中とはいえ玄関先は息が凍るほど寒い。

「…くれぐれも、外に出る時はきちんと服を着て、コートを着て出てね。じゃないと…」
「しつこい。オレはそこまで馬鹿じゃないぞ。」
「………

名雪はそれでもまじまじとオレの顔を見上げた。
それから、にっこりと笑って

「うん、そうだね。祐一はそんなこと、する子じゃなかったよね。」
「………?」
「うんうん。」

一人で納得している名雪。

「…何だよ。」
「ううん。いいんだよ。」
「………」
「うんうん。」

それ以上何も言わず、にこにこしている名雪。
オレはそれ以上、聞くのは止めて黙っていた。

名雪が言いたいことは、分かる気がする。
でも…オレには記憶が…ないのだ。
昔の記憶。この町で過ごした記憶。多分、名雪と過ごした…

「…そういえば、町を案内しなきゃって言ってたよね、昨日。」
「……あ、ああ。」

オレがあいまいにうなずくと、名雪はにこにこしながらさっさと話を続けて

「今日は冬休み最後の部活だから、昼過ぎには帰って来られると思ってたんだけど…」
「…けど?」
「…考えてみたら、ちょっとした打ちあげをしようって言われてたんだったよ。だから…」
「…ちょっと遅くなる、ってことか?」
「……うん…」

名雪はすまなそうに小さくうなずくと、急いで首を振りながら

「でも、早めに抜け出したら…」
「…部長さんだろ?」

オレは名雪に笑ってみせて

「部長さんなのに、抜けてどうする?」
「でも…」

まだ何か言いたげな名雪。
オレは重ねて

「大丈夫。別に今日じゃなくてもいいしな。」
「でも、明日は学校だし…」
「…ま、大丈夫さ。それからでもいいし…今日、一人で出てみるのもいいかもしれないし。ま、一応、昔来たことがあるんだし…」
「…でも…」
「そんなに変わってないって、昨日、お前も行ってただろ、名雪。だったら、何とかなるさ…多分。」
「………」
「…大丈夫。出かける時は上着を着て、コートを着ていくさ。」
「祐一…」

ちょっと困ったような顔をした名雪は、でもその目がふと下駄箱の上の置き時計に止まった。

「…い、急がなきゃ!」

それから、まだ履きかけだった靴をあわてて履くと、玄関のドアノブに手をかけた。
そして、オレの方に振り返ると

「と、とにかく、わたし、行くから…」
「おう。」
「…気をつけてね。」
「……それはオレの台詞だぞ。お前、足元危なそうだし。」
「だ、大丈夫。陸上部だから。」

なんだか理由にならない理由を口にしながら、名雪はドアをくぐり、真っ白に光る外に出ていった。
そして、もう一度振り返ると

「ごめんね、祐一。」
「気にするな。それより、急げよ。」
「う、うん」

名雪うなずくと、玄関のドアを閉めながら手を振って

「行ってきます。」
「…気をつけて」
「…だから、わたし…わわっ」
 

バターン
 

……見事な天然だよ、名雪…

ドアの向こう、多分見事にコケたらしい名雪の姿が見えるようだった。
オレは思わず笑いだしてしまった。
笑いながら家の中、廊下を歩いていった。
 
 
 

廊下の奥はリビング。
といって、別にリビングに行く気もなく、冷たい廊下をゆっくりと歩いていたオレに、

「…お茶が入りましたけど、祐一さん」
「…え?」

廊下のさらに奥、突き当たりのダイニングからの柔らかい声。
言うまでもなく、それはこの家の主人、秋子さんの声だった。

「…もし良かったら、ですけど…」
「…あ、はい。」

再度の秋子さんの声。
オレはあわてて答えると、ダイニングのドアを開けた。

「…おはようございます、祐一さん。」
「…あ、おはようございます。」

秋子さんは正面のテーブル、白いポットの前に座っていた。
そしてオレの顔を見ると、にっこり微笑んで立ち上がると、ポットから白いカップにお茶らしきものを注いだ。
それから、そのカップをオレの方、テーブルの上に滑らせて

「…どうぞ。」
「…あ、はい。」

オレは進められるまま、カップの前のイスに腰をおろした。
秋子さんは小さくうなずくと、ゆっくりと自分のカップを持ちあげて一口、中身を口に入れた。

「…いただきます。」

オレもカップを手に取ると、不思議な香りの湯気を上げているお茶らしきものを一口、口に入れた。

「……これ、何ですか?」
「…ハーブティーです。」

…それは分かるのだが…
そのへんで飲んだことのあるような、普通のハーブティーではない。
しかし、まずいというわけではなく、どちらかと言えば…いや、はっきりいっておいしい。
おいしいのだが…

「………」

オレはもう一口、そのハーブティーを口に入れた。
この味、この香り…多分、オレの知らない…いや…どこか…

「……名雪のお見送り、ご苦労様です。」
「……え?」

秋子さんの声。
ぼんやりしていたオレは、ちょっとあわてて秋子さんに向き直った。

「あ、いえ…別に。」
「…大変だったでしょう?」

柔らかな微笑を浮かべる秋子さん。
オレはちょっと苦笑して

「…いつもああなんですか?」
「いえ、いつもの朝はもっと大変ですよ。」
「……なるほど。」
「明日から大変ですね、祐一さん。」
「…はい?」
「お願いしますね、祐一さん。」
「……お、オレ?」

あの調子で、学校に行くとなったら…
さすがに驚いたオレに、秋子さんは変わらぬ微笑みで軽くうなずいた。

……マジすか?
え、えっと…

「え、あ、いや…」
「…………ふふっ」

と、あわてて再度聞き返そうとしたオレに、秋子さんの微笑みはふいに笑顔にかわった。

「…冗談です。」
「………」
「……ふふふ。」

あっけにとられたオレの顔を見ながら、秋子さんはもう一口、ハーブティーを口に入れた。
そして、オレの顔を見ながらうなずくと

「…変わらないですね、やっぱり…祐一さん。」
「………え? 秋子さん…」
「……何でもありません。」

オレの問いに、でも秋子さんは答えずにカップを持って立ち上がった。
オレもそれ以上、聞かずに口を閉じた。

多分、秋子さんは、10年前のオレのことを言っているのだろう。
だが…オレにはその時の記憶がぼんやりとしかない。
ぼんやりとした…それでいて不思議な暖かい感覚。
それは、ひょっとしたら…秋子さんの…?

もう一口、ハーブティーを飲みながら、オレは自分のカップを片づける秋子さんに目をやった。
オレのおばさん…名雪の母親。だけど、そうは見えない若々しい秋子さん。
お母さんの妹…でも、その容姿はお母さんにはほとんど似ていないと、誰かが言っていたいた。誰かは忘れてしまったが…
かすかな記憶しかない、写真さえろくに残っていないお母さん…
秋子さんはそんなお母さんにつながる、オレの知る唯一の人で…

「…一緒に行くとなると、多分、学校まで朝が大変ですよ。」
「…え?」

気がつくと、秋子さんがポットを手にテーブルの向こうに立っていた。
どうやらオレはちょっとの間、ぼんやりしていたらしい。

「あ…そうでしょうね。」
「ええ。」
「………」
「昔から、ですけどね。昔から…」
「………」

………?

なぜか、秋子さんはそういうと、ちらっとオレの顔を見た。
何となく…オレの顔色をうかがっている様子。

…いや、多分気のせいだろう。
秋子さんとは10年ぶり、小さい頃に会っただけなのだから…
きっと他意はない、癖のようなものなのだろう…多分…

オレはそう思い直しながら、カップをとってハーブティーの最後の一口を飲んだ。
そして、口に広がるあの不思議な香りを飲み込んだ。

「ごちそうさまでした…おいしかったです。」
「…そうですか。」

オレが言うと、秋子さんは答えてオレの置いたカップに手を伸ばしながら

「…お気に召しました?」
「……ええ。」
「…そうですか…」

気のせいか、小さなため息のような…
いや、多分、気のせい…

「…朝食は、どうします?」
「え、あ…いや…」

やっぱりオレの気の回しすぎだったんだな。
オレはそう結論づけると、ちょっと考えて

「…いや、部屋に戻ってとりあえず、身の回りのものくらい、片づけてからにします。今日は荷物が届くとはずだし…」
「そう…そうですね。」

秋子さんはうなずくと、オレのカップを持って席を立った。
そしてキッチンに向かいながら

「手伝うことがあったら、言ってくださいね。」
「はい…ないと思いますけど。」

片づけといっても、昨日手持ちしてきた荷物を整理するくらいのこと…人の手を借りることもない。
それよりも…

「それより、ひょっとしたら…」
「……?」
「…またちょっと寝てしまうかもしれないし。実は久々にこんな時間に起きたので…」
「……ふふふ」

秋子さんは左手にオレのカップを持ちながら、右手で口を押さえるとくすくす笑った。

…でも、本当のところ、冬休みに入ってからこっちに来るまで、母さんが起こしに来ないのをいいことに、昼ごろまで毎日寝てたからな…

「じゃあ…」

秋子さんはひとしきり笑うと、カップを持ち直してオレにうなずき

「では、一寝入り…一片付きしたら降りてきてください。朝食にしましょう。」
「…はい。」

オレの答えに、キッチンへ消えていく秋子さんの背中は、でもわずかに震えていた。
オレは席を立つと、ダイニングから廊下へと、2階の自分の部屋に向かって歩きだした…

…でも、マジでこの分だと…多分…
 
 
 
 

「……はあ。」

思わずついた溜め息すら白い。
まさに白一色なあたりを見回して、オレは思わず体が震えるのを感じた。

マジで…寒い。
細かい雪を含んだ冷たい風がコートに容赦なく吹き込んでくる。オレの持っている中でも一番厚手のコートだが…多分、このへんでは薄手のコートということになるのだろう。といって、そのへんを歩く人たちが毛皮のコートを着ているわけでもないが…
…ていうか、名雪なんか体操着で歩いてたよな…ひょっとして、人種が違ったりするのか…?

我ながらバカなことを考えながら、凍った道を滑らないように慎重に歩いていく。
といって、別にあてがあるわけでもないが…

結局、恐れていたとおり、オレは部屋に戻ってそのまま寝てしまった。
いや、ちょっとは片づけようとして、実際、ちょっとはやったんだ…ちょっとは。
でも、とりあえず物を置こうとベッドに座り込んだ次の瞬間…

…はあ。
まあ、いいけどな…結局、荷物は全部届いたわけじゃなかったし。
どのみち、全部片づけることはできなかったわけで…

「……はあ。」

言い訳じみたことを考えながら、思わず吐き出した息はやはり白く凍っていた。
昨日の名雪のセリフによれば、まだまだ寒くなるらしい…

…マジで選択を誤ったかもしれない。
何となく、部屋も片付かないまま水瀬家をふらりと出たこと…いや、それ以前に、この街へやってきたこと。
お母さんが死んでから、全く疎遠になってしまった秋子さんの家。
おぼろげな記憶にしかない従兄弟の名雪。
10年ぶりの、ほとんど記憶にない街。
そして、記憶にあるはずもない雪…

昨日、既にだいぶ暗い学校からの帰り道、名雪に街の様子をあれこれ説明された時には、暗いせいで分からないだけかもしれないとも思っていた。
だが、明るい冬の日差しの中、あらためて見直しても、やはりあたりの風景には全く覚えがなかった。
かすかな記憶のかけら、わずかな思い出すら、オレの頭には浮かんでこなかった。
だから…

だのに…なぜだろう?
あの、昨日の夕刻の不思議な感覚は?

いや、あれはただの夕刻の、いつもの感じだったのだ。
そう、いつもオレが感じる、夕暮れの気配。
なぜだかうれしくて、そして悲しい感じ。
いつだって夕暮れに感じる、そう、それはただのデジャヴ。
それだけだ。それだけ…

…それだけ…なのか?
あの校舎の、あの夕暮れの…

…分からない。
オレは思わず首を振って、白い雪を踏みしめた。
そしてなんとなく、昨日、名雪に教えられた商店街への角を曲がった。

商店街へ向かったのには、別に対した理由はない。ただ、この町にしばらく住む以上、商店街くらい自分一人で行けるようになりたかったから…漠然とそんなことを考えていただけのことだった。
角を曲がってしばらく歩くと、雪をかぶったアスファルトの道から赤いレンガ風の歩道へと、道の様子が変わっていた。どうやら到着したらしい商店街は、歩道と街灯がそれらしくデコレートされてはいたものの、よくある田舎の商店街だった。
せめてアーケードでもあったら、もうちょっと寒さもしのげたりするのに…
コートに突っ込んだ手さえもかじかみそうになりながら、オレは思わないではいられなかった。
第一、商店街に来たって、別に用事はない…

…まあ、避寒がてら、レコード屋をまずは探すか…

オレはそんなことを思いながら、適当に流れている人並みをぼんやり眺めていた。
ぽつりぽつりと歩いているのは、コートを着こんだ人たち。当然ながら、オレと面識がある人など一人もいやしない。
そう、一人も…

「…あ、危ない」
「……え?」

驚いたような、それでいて落ち着いて聞こえる女性の声。
オレはとりあえず、あたりを…

ドカッ

「………痛ってえ…」
「いった〜〜〜〜い」

突然の衝撃。
暗転した世界。
…いや、目の前に何か…

ていうか、それ以前に背中が…後頭部が…

「………だ、大丈夫ですか…?」

大丈夫じゃない…ていうか、えっと…誰?

とりあえず、目を開けてみる…ていうか、目は開いてるか。
ということは、やっぱりオレの顔の上に、何か…赤っぽい何か…

「………?」
「……もう、いったい…え?」
「……え?」

オレの顔の上に載っていたもの…赤っぽくて柔らかい何かが、ゆっくりと持ち上がる。
ゆっくりと、そこに白い襟…そして、大きな瞳、オレの顔にふわりと落ちる長い黒髪、紺のリボン。
少し開かれた赤い唇から、白い息がオレの顔、なでるように…
 

「……ゆ、祐一くんのエッチっ!」

バコっ

次の瞬間、頭に激痛。
目の前を星が飛んだような、そんな痛さにオレは思わず頭を抱えると、雪の上をごろごろと転がってしまった。
それから、傷む頭を抱えたままで顔を上げると

「…な、何なんだよ、いったい…」
「…ま、舞…そんな、いきなり…」
「………だって、祐一くんが…手がエッチだったんだもん。」

…なんなんだ、手がエッチって…
だいたい、いったい今、何が…

オレはくらくらする頭をフルながら、恐る恐るあたりを見回して見た。

「………あ……?えっと…」
「……あ、こ、こんにちわ、えっと…相沢さん?」
「…………」

そういって、頭を下げた…確か、生徒会長の倉田さん。
そして、その横で胸を鞄で覆うように立って、オレの方をちょっとにらむようにしている…

「……お前か、舞…いきなり、何すんだよっ」
「…祐一くんが、触ったからだよ。」
「…触った?」
「…わたしの…」

言いながら、舞はかばんで自分の胸をことさらまた鞄で隠すようにして

「………触ったからだもん。」
「………おい。」

オレはようやくはっきりしてきた頭を振ると、立ち上がった。

「ていうか、何で舞がオレの上に乗っかってたんだよっ!そっちがぶつかって、オレの上に乗ってきたんじゃないのか?」
「…祐一くんこそ、ぼんやり立ってて通行の邪魔だったんだよ。」
「なにっ」
「本当のことだもん。」
「………」
「………」
「……あ、あの…」
「………」
「………」

オレは舞の顔を、舞はオレの顔をキッとにらみつけていた。
そして、そんな舞の横で倉田さんが、ちょっと困った顔でオレと舞とを見ながら、

「…ほら、そんなことでこんな人前で、喧嘩なんかしないで…」
「…喧嘩なんかしてないよ。祐一くんが強情だから。」
「それはこっちのセリフだっ」
「………」
「………」
「………」

そのまま、オレたちは黙ってにらみ合っていた。
そばを通る人たちが、何事かとオレたちを見ているのが分かる。
冷たい冬の風が、雪を含んで吹き過ぎる。
オレたちは、黙ったままで…

「……ごめんなさい。ぶつかったのは、わたしの不注意。」

と、いきなり舞が深々と頭を下げると、にっこり笑った。
そして、オレの方に右手を差し出すと、催促するように

「さ、今度は祐一くんの番。」
「…え?」
「…ほら。」
「………」

驚くオレに、舞はまたにっこり笑うと、小さくうなずいた。

「…どうぞ。」
「……あ、ああ…」

オレはそんな舞に、思わず苦笑してしまい

「…オレの方も、まあ、不可抗力とはいえ、女の子の胸を触るなんて…」
「祐一、そんな、直に言わないでよ」
「……悪い。まあ、その…触ったのは、確かに悪かった。ごめん。」
「……うん。」

オレが頭を下げると、舞はまた大きくうなずいた。

「……はあ」

そんなオレたちに、ちょっとわざとらしくも安心したように倉田さんが溜め息をついた。

「…もう、やめてね、舞も、相沢さんも。子供じゃないんだから。」
「………うん。」
「………はい。」

オレ達はそんな倉田さんに小さく頭を下げてみせた。
倉田さんは小さくうなずくと、オレ達を見ながらクスッと笑った。

「…それにしても、偶然ですね…昨日といい、今日といい。」
「…はあ。」
「………」
「…それとも、偶然じゃないとか?」
「え?」

見ると、倉田さんの顔はオレ達を面白そうに、ちょっと探るように見ていた。

「…違います。」
「……そうですか?」
「そうだよ、佐祐理。」
「………」

オレと舞が言うと、倉田さんはちょっと首をかしげてオレ達を見た。
それから、ホウッと白い息をつくと、またにっこり微笑んで

「…それならそれで、いいんですけど。」
「………」
「………」
「…でも、これが偶然だとしたら…ひょっとしたら、運命なのかもしれませんね、こうして私たちが逢うことは。」
「…さあ、それは…」

オレが言いかけた時、舞が小さくうなずきながら真顔で

「そうだよ。」
「…え?」

オレと倉田さんは、ちょっとびっくりして舞の顔を見た。
舞はオレと、それから倉田さんの顔を見返すと、その顔がフッと微笑んで

「…きっとね。まあ…嫌な運命ってこともありうるけど。」
「…そうかもしれませんね。」
「おいおい。」

オレが突っ込むと、倉田さんはまたにっこり笑って

「だって、最初がわたしの忘れ物のせいで、今度は舞の不注意で衝突ですから。」
「…どっちもオレのせいじゃない。」
「今度のは、ぼーっと立ってた祐一くんにも責任があるけどね。」
「…こら」

オレが思わず舞をにらむと、舞は笑みを浮かべたまま、手にした矢立て…というのだろうか、多分弓道の矢を入れるらしい筒のような鞄…をスッと両手で握って

「…何か文句、あるの?」
「……いや。」
「………」
「………」

「……あはは」

一瞬の沈黙の後、倉田さんの笑い声が響いた。
オレは、そして舞も、その笑い声に思わずつられて笑ってしまって

「……何やってるのかな、オレ達は」
「…全くだよね。」
「あはは」

気がつくと、あたりの通行人…中には多分部活帰りなのか、名雪や舞たちと同じ制服の生徒たちがこちらのほうを見ている気配。

…やばい…よな?

オレが舞の、そして倉田さんの顔を見ると、二人とも小さくうなずいた。
そしてオレ達は、何事もなかったようにゆっくりと…
…次第に足を速めながら、商店街の大通りを歩いてその場を離れた。
 
 
 
 

「……あー、恥ずかしかった。」
「…ていうか、誰のせいだと思うんだ?」
「祐一くん。」
「…あのなあ…」
「…あははは」

倉田さんの笑い声に、オレも思わず苦笑しながら正面に座ってハンバーガーをパクついている舞の顔を見るしかなかった。

ここは商店街の中のハンバーガーショップ。そろそろ夕刻へと向かうガラス窓の外は、冬休み最後の日らしいを過ごしている私服の生徒たち、そして部活帰りらしい何種類かの制服の生徒たちがちらほら歩いていた。
そしてもちろん、このハンバーガーショップの中にもちらほら…

…ていうか、どうしてオレはこんなところに、それもこの二人と一緒に入っているんだろう?あまつさえ、なんで一緒にハンバーガーなんて食べてるんだ?
そもそも、ここへ入ったのは、とりあえずさっきの場所から離れるため…が、いつの間にか先頭を行く舞に誘導され、気がつくとハンバーガー一つ持ってここに座っていたという感じ。
だいたいが、人目を避けるというなら、学生のよく入るハンバーガーショップに入たりするのは意味ないと思うが…

そう思う間にも、やはり何やら視線を感じる。
時折、オレ達のほうを見つけては何やらそばの友人にちょっと驚きの顔でヒソヒソやっている姿が目に映る。
多分、それはさっきの騒動のせいじゃない。
多分、それは…

「あははは。でも、舞が引っ張るから、わたし、息が切れてしまいました。」
「というより、佐祐理が遅いんでしょ。わたし、そんなに速く走ってなかったもの。」
「そんなことはないです。舞が思い切り引っ張ったから…」

たわいもない会話を続ける目の前の舞と倉田さんに、その視線の原因はあるのは間違いなかった。
というか、その二人に、見知らぬ男のオレが一緒にいることが、だろうけどな…

オレはとりあえず、手にしたハンバーガーを一口食べながら、目の前の二人をあらためて眺めてみる。
倉田さんは…確かに生徒会長らしいというか、いわゆる天は二物を与えるというか、美人で…しかも知的な感じの落ち着いた美人。一方、舞は…本当のところ、黙っていたら…いや、口を開いても本当は、倉田さんとは反対に活発な感じの、まあ…結構、美人だよな…
そのうえ、生徒会長と弓道部長とくれば、学校では知らぬものなしの美人コンビなのだろう。
それが、二人で知らない男と、ハンバーガーをパクついているとなると、これは…

「…いきなり、転校前から有名人になったかも…」
「……え?転校って?」

思わずつぶやいたオレの言葉に、倉田さんがふと振り向くときょとんとした顔でオレを見ると

「えっと…相沢さん、転校なさるんですか?」
「…違うよ、佐祐理。」

倉田さんの言葉に、舞は軽く掌でペンっと倉田さんの額を叩いて

「祐一は、転校してくるの。そうでしょ?」
「あ、そ、そう。明日からね。」

答えながら、オレは驚いて舞の顔を見た。
そんな話、オレはした覚えが…

「…舞。なんでそんなこと知ってるの?」
「……え?」

同じく、突っ込んだ倉田さんに舞はあわてたように

「えっと…あ、そう、うちの学校に、相沢祐一なんて生徒はいなかったのに、昨日、校内で見かけたから。だから、そうだと思って。」
「…でも、他校生で、ただ偶然、昨日学校にいただけかもしれないでしょう?」
「……でも、当たったんだからいいじゃない。」

ぷいっと横を向いて答えた舞。
倉田さんはそんな舞の顔色をのぞきこむように見ていたが、すぐにちょっと微笑んで

「…そうですね。そういうことにしておきましょう。」
「…佐祐理」
「ともかく…」

振り向いてちょっとにらんだ舞に、でも倉田さんは無視するようにオレを見やると

「相沢さんは、わが校に転校してこられるのですか?」
「…あ、ええ。」
「では、以前はどちらに?」
「えっと…」

オレは前の学校、ここから遠く離れてしまった街の校名を告げた。

「…です。」
「……そちらの方から…では、この街へは、ご両親の転勤か何かで?」
「…まあ、そういうことになりますね。」

…転勤のせいといえばそうなる…親にくっついてきたというわけじゃないけど。
そのへんを説明する気にもなれず、オレはとりあえずそう答えて

「まあ、これが初めてってわけじゃないですけどね、転校は。父親が転勤が多かったので、小さい頃から結構あちこちに転校してきたから…ここも、転勤では来たことないですけど、来たのは初めてじゃないです。」
「前にも、来たことが?」
「ええ。10年ほど前に一度、しばらくいたことがある…ようです、多分。」
「…多分?」

倉田さんはちょっと首をかしげると、不思議そうに尋ねた。
その隣では舞が、ちらっと倉田さんの顔を見たが、変わらず残り少なくなったハンバーガーを口に持っていった。
オレはそんな二人に、なんて説明したらいいのか、考えた…

というか、説明することはないのだ…思い出せない、ただそれだけのことで…
…思い出せないだけで…

「…全然覚えてないので。まあ、オレも小さかったし、ちょっとの間だけしかいなかったから、きっと…」
「……飲み物、要る?」

と、急に舞がすっと席を立つと、オレと倉田さんを交互に見ながら

「…佐祐理は、コーラでいい?」
「……ええ。」
「…祐一くんは…水ね。」
「おいおい…」

舞はちょっと手を振ると、振り向いてカウンターへと歩いていった。
オレは思わず肩をすくめて、そんな舞を目で追っていた。

「…あの…相沢さん?」
「……あ、え…」

と、小さな声で倉田さんがオレを呼んでいた。
一瞬、そうとは分からなかったオレは、気づいてあわてて振り返ると

「はい?」
「…あの…」

倉田さんは、オレの顔を見上げるようなちょっと見上げるような感じで見つめると

「…相沢さんは、本当は…舞とは、どういう関係なのでしょうか?」
「……はい?」
「ですから、ですね…」

そう言うと、倉田さんはちらっとカウンターの方、舞の後ろ姿を見ると

「その…昨日は『初めまして』とお互いにあいさつしたりしてましたけど、ずっと見てると、どう考えても舞と相沢さんが初めてとは思えません。初めてのフリをしていらっしゃるのがなぜなのかは存じませんが、わたしは舞の友達ですし、秘密は守りますから…」
「ちょ、ちょっと待ってください!」

深刻な顔でオレを見つめながら身を乗り出してきた倉田さんに、オレはあわてて首を思いっきり振って

「オレ、舞とは本当に、昨日会ったのが初めてですよ。」
「………」
「本当に、その前は会ったことがない…はずです。って言っても、前にここに来た時のことは覚えてないけど…10年も前のことだし、そんなのは…」
「…でも」

オレの答えに、しかし倉田さんはオレの顔をじっとのぞきこむように見つめたまま

「じゃあ、どうして舞は相沢さん、あなたのことを『祐一くん』と呼ぶんでしょうか。あなたはどうして舞のことを『舞』って呼び捨てにするんでしょうか。」
「…え?」
「舞は、もちろん人見知りする方ではなくて、誰とでもすぐに親しくなってしまいますけど、でも…始めて会った人をいきなり名前で、しかも『くん』と呼んだりはしません。少なくとも、わたしが知る限りでは初めてです。」
「………」
「それに、相沢さん。あなたもわたしに対しては『倉田さん』と呼んでますよね。同じ昨日であったばかりで、やっぱり同じあなたからみれば先輩なのに…舞のことは、『舞』と呼んでますよね?」
「……それは…」

倉田さんがじっと見つめる中、オレは説明しようとして口を開いた。
…しかし、何も言えなかった。

言えるはずがない。だって、自分でも分からないんだから。
オレにしたって、初対面から、いくら上級生だからっていきなり名前で『くん』呼ばわりされたことなんて多分ガキの頃くらいしかないし、なによりオレ自身が初対面の、しかも上級生をいきなり名前で呼び捨てたことなんて、今まで一度だってない。
昨日、出会った時から、それは思っていた。
思っていたのだけれど…

なぜだろう…それを不思議に思わないのは?
いや、不思議に思わなかったわけじゃない。ただ…

「……それは……」
「…それは?」
「………それは…」

なぜだか懐かしいような、不思議な感じ。
遠い昔に聞いたような、そんな気がする声。

  『祐一くん』

オレはひょっとしたら、昔…
…いや…

「…オレは…」
「………」

「…何ヒソヒソ話してるの?」
 

「……え?」
「……!?」
 

声に振り向くと、舞がトレイを持ってオレのすぐ後ろに立っていた。
トレイの上には、ドリンクのコップが三つ。
そしてそのコップの上に、ちょっと首を傾げた舞の顔が、不思議そうにオレと倉田さんを見下ろしていた。

「………あ〜〜〜」

と、その顔がふいにニッコリと笑うと、

「…祐一くん、佐祐理を口説いたって駄目なんだからね。もう、油断も隙もないんだから。」
「お、おいっ」
「…そうなんです。相沢さんがわたしに、付き合わないかって…」

倉田さんまでがにっこり笑うと、ホウッと息をついてみせた。
オレはちょっとあわてて

「ちょ、ちょっと待てっ」
「まあ、佐祐理はそんな、祐一くん程度に口説かれてなびくような、そんな安い女じゃないけどね。ねえ、佐祐理?」
「…そこまでは言わないですけど…そうとも言えますね。」
「おいっ」
「もう…祐一くんの女好き。」
「………おいおい…」

溜め息をついたオレに、舞と佐祐理さんは顔を合わせてくすくすと…
 
 
 

「………もうすっかり夕方になっちゃいましたね。」
「そうだね。」

二人の言葉どおり、商店街は夕焼けに赤く染まっていた。
先程まではまぶしく光っていた雪も今は赤に、そして次第に黒へと染まっていく。
暖かい店内では忘れかけていた寒さが、かすかに雪を含んだ風と共に吹き込んでくるようで、オレはコートの肩をすくめながら思わず身震いをした。

「…しかし、寒いな…」
「…今日なんか、まだまだだよ。」

オレのつぶやきに、あたりを見回していた舞が振り返って笑った。

「まだまだ、これからだんだん寒くなるから。」
「…マジかよ…」
「うん。ね、佐祐理?」
「あ、ええ。そうですね。」
「……はあ」

思わず吐いた息の、その白さにまた溜め息をつきたくすらなる。
そんなオレの様子を笑いながら見ていた舞は、小さく肩をすくめてみせると

「…冬だから。」
「……前に住んでた街は、冬だからってここまで寒くなかった。」
「……沖縄?」
「…違う」

寒さに口を開けると顔が突っ張るようで、オレは小さく首を振ってそれだけ答えておく。

「以前住んでいた所では、こんな雪は降りませんでした?」

そんなオレに、倉田さんがわずかに首を傾げながらまたあたりを見回して

「わたしはこの街の生まれなので、冬はこんなものだとずっと思って来たんですけど…」
「…少なくとも、3センチ以上の雪は積もらないですよ。」
「はあ。そうですか…」

倉田さんはもう一度、赤く染まったあたりを、雪景色をぐるりと見回して

「…でも、わたしはこの景色が…雪が好きなんです。」
「………」
「なんだか、雪が積もるとあたりの景色がすっかり変わって、なんだか違う街に見えて。でも、やっぱりそこはよく知ったこの街で。そんな感じが…わたしは好きなんです。だから、雪が降りはじめるとちょっとウキウキしてしまうんですけど。」
「…その気持ち、わたしも分かるよ、佐祐理。」

舞もうなずくと、やがて黒に染まっていく夕焼けの街を見渡して

「祐一くんは…雪は嫌い?」
「…さあ。ここまで積もった雪の中で過ごすのは、初めてだしな…」
「……じゃあ、冬は嫌い?」
「……ここまで寒いのは、嫌いだな。」
「……夏は?」
「………」
「…………この街は?」
「………?」

舞の口調がなんだかおかしい気がして、オレは顔を上げて舞の顔を見た。
舞はオレをまっすぐ見ていた。
その顔からはなぜか、もう笑いは消えていた。

「舞…」
「…………祐一くん…」
 

   『祐一くんは…この街が嫌い…?』
 

遠い声。
かすかな、記憶の闇の中。
幻のような
もう忘れてしまった記憶のような
それは…
 

   『祐一くん…』
 

オレは…
 

「……あの…そろそろ帰らないと…」
「……え?」

倉田さんの声。
オレは現実に戻って、ハッと振り返った。

「あ、えっと…」
「……そうだね。佐祐理、そろそろ門限だもんね。」

舞もいつの間にかまた笑みを浮かべながら、倉田さんに小さくうなずいていた。
倉田さんはそんな舞にちょっと頬をふくらますと

「…そんな門限なんてないの、知ってるくせに、舞。」
「そんなことないよね。ちょっと遅くなると、家中で大騒ぎして探しはじめるでしょ。」
「……そこまでは、ないです。お母さまが心配性なだけです。」
「…そうなんですか?」
「………」

なにげなく、オレが聞いた言葉に、倉田さんはちょっと舞を見ると、わずかに苦笑に見える笑みを浮かべた。

「…まあ、ちょっと…仕方がないことも…」
「…さ、帰ろう、佐祐理。」

佐祐理さんの言葉にかぶせるように、舞が大きな声で言うと、オレの方に向き直り

「じゃあね、祐一くん。」
「…おう。」
「…では、さようなら。」
「ああ、さようなら。」

二人は言うと、そろそろ灯がともりだした商店街をオレの帰る方向とは逆に駅の方へ歩きだした。
オレもとりあえず、二人に背中を向けると、水瀬家へと…

「…祐一くん!」
「……?」

少し低い、でも通る声。
オレは振り返った。

「じゃあ…またね。」
「………」
「じゃあね。」
 
 

   『じゃあ、またね』
 
 

真っ赤に染まった景色。
真っ赤な夕日。
手を振って
大声で言いながら手を振る
 
 

   オモイダシテハ イケナイ
 
 

ふいに、目の前が暗くなった気がした。
何かが、オレの目の前に立ちふさがったような
オレをひきとめる何か
力強く
でも
暖かい…
 

いつの間にか目をつぶっていたオレは、ゆっくりと目を開けた。
あたしは闇に染まろうとしていた。
小さな後ろ姿が二つ、商店街から消えていこうとしていた。
並んであるいていく、制服の後ろ姿。
オレは…
 

空が赤黒く染まっていた。
すっかり日の落ちた空はわずかに星が瞬きだしていた。
オレは雪を踏みしめたまま、空を見曲げていた。
どこかへ…いつかへ繋がっているような、そんな空を見上げて立ち尽くしていた。

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