コメントに甘えるんじゃないわよっ!


By 香里 From『夢の頃・夢の季節』 って感じですね(苦笑)

前回、実は書いたときから分かってたんですよ。
あれは古い恨み節であって、一面の真実だと思うんですけど、やっぱり一面だってことは。
途中に書いた、コメントを書く側の論理だって正しい。あの時もそう書きましたが。
でも、あれだけ長くなった雑談を、もう倍ほど続けることはできませんでした(苦笑)
…3時間近くかかって書いてたし。あれでも、少し削ってるんですよ…
そんだけの時間があれば、わたしの場合、SSが1〜2本書けるんだから(爆)

まあ、でも、昔のわたしの恨み節ってことで、あと、感想を書かない人への説得と、感想つかなくて泣きながら
消えていった人たちへの鎮魂歌(演歌ですけど…)を書いたつもりなんですけどね。
だから、コメントを書いている人からみると、うーん、なんて思うの、当たり前だったりする。
分かってましたけど…ま、そんなに真剣に見る人もそうはいないと思ったりして…あそこで終えました。

でも、完全にそれは失敗。やっぱり、また敵を作ってしまったようで(苦笑)
いーんですけど。もう、慣れましたけど。いや、マジで。
Key様の旧SS掲示板だけでも、わたしが反感くらってるひと、何人いるか…想像したくないですから(爆)

でも、わたしがあんな恨み節ばっかりの情けない奴(いや、そうなんですけどね…)だと思われるのもなんだし、
一応、わたしも社会人、そして会社員として生きているくらいだから、物事が一面だけで語れないってことは承知しているし、また多様な価値観を尊重する、というのがわたしの信念なんですから…
…でも、なぜかわたしのまわりの人は、わたしのことを変だとか、物知らずとか、純粋過ぎとか…最後のは誉めてくれているようなんだけど…言われることが多いです。なんでだろ…
会社入った時、先輩に『お前のような奴は俺の会社生活でも初めて見た』と言われたのが最初で、それ以来、いろんな人に…あぅ…なぜだ…

…えっと、ともあれ、やっぱり、あの恨み節の後半となるはずだった話、書かないわけにはいかないですよね。
というわけで、今回はもう少し真面目にコメント論など。

コメントって難しいです。
…って、いきなり前回を否定するようですけど、でも、本当に難しい。
でも、なんで難しいのか、それ、考えてみました。
やっぱりそれは、感想mailと違ってコメントはそれ自身が人目に触れるってこと、なんですよね。
最近、感想mailがはじめてくるようになって、しみじみと再認識したんですけど。

コメントは感想だけど、純粋な感想とは違います
掲示板でコメントをつけること、それは一種の自己表現になってしまいますから。
それは一種の、3次作品になってしまうから。
たとえP.N.で書いても、それは書いた人の自己表現として人の目に触れます。
次にまた他のコメント書いたときにも、見ていた人は、ああ、あの人だって思いますよね。そして、書く側もそれを意識しないではいられない。
そして、だからこそ暗黙の了解のように、極端なことは言いづらい。相手の感情を、読む人の感情を逆撫でするような表現は書きづらい。あんまり稚拙に見える感想は書きづらい。
個人的なmailなら、ある意味、どんなことでも書けます。
わたしがいただくことができた数少ない感想mailの中には、本当はわたしのあるシリーズ、すごく誉めてくださってるんだけど、前後を見るとなんか、普通のSS書きだとムカッと来るようなことが書いてあるmail、来たことあります。
まあ、わたしは自分も含めてそういうのは慣れているので(苦笑)逆に笑っちゃいましたけど。
でも、そういうのもアリです。そして、わたしなんかは大歓迎です。本音っぽくって好きです。またほしいです。

でも、コメントはそうはいかない。
だから、返す方も結構、気を使って、考えて書きます。
はっきり言って、わたしのようなバカなペースで書く人間の場合、一週間に書くコメント返しの時間で1本SS書けるでしょう。返すべき本数が多いし、真面目にコメントしてくれている相手に失礼のないコメント書くのは、わたしのような考えなしで人にコメント付けては相手を怒らせるようなセンスの人間には、とっても時間をかけなきゃならないんです。
それに、先に進んだシリーズの前の方に後からついたコメントに、返すことができない。
気持ちがそこには戻れないし、書いてあることはもう次の展開で書いてあったりする。書くことがない。『読みました』だけのコメント返ししか出来ない。それ…でも、無礼じゃないでしょうか、逆に。そう思ってしまう。

そういうわけで、コメントって難しいですよね。

…で、話、終われません。待って下さい。
皆さんは見たことありませんか?
いっぱいついているコメントの中に、要約すると『わたしのSSにコメントありがとう。わたしもこれ、読んでます』という2フレーズしか内容のないコメント。
これ、感想ですか?3次作品ですか?
もちろん、どちらとも違いますよね。じゃあ、これ、おかしいんじゃないですか?
…とは、わたしも思ってません

コメントはコミュニケーションでもあるからです。
そんなの、mailでやれ!
そう言うこともできるかもしれませんけど、やっぱりmailは敷居が高い。なんか、送りつけて、読め!って言ってる感じがします。その点、コメントは掲示板の機能として書けるわけで、ある意味、見たくなきゃ見ないでいいわけで。だから、書きやすい。そういう面もありますよね。
コメント返しだって、この面でもすることあります。『コメント読みましたよ。』それしか中身のない返し、書くことあります。これってコミュニケーションだからです。コメディについたコメントへの返しなんて、ほとんど、そうな気がします。
…だからこそ、わたしはコミュニケーション拒絶された気がして、前回の恨み節があるんですけど(苦笑)

そうして、コメント付けあう同士の仲間が出来る。コメントを付けあう。
それには、それらのSS作家さんの励みになることの他に、効能があります。
それは、コメントが多い作品が読まれやすいということです。

皆さんはあまり知らない掲示板に行ったら、あるいはいつもの掲示板でも全てのSSを読む暇がない時には、どのSSを読もうか、どうやって選びますか?

多分、まずは名前ですね。知った名前があったら、それを読む。自分が読みたい物である可能性が高いから。
では、次は?

やっぱりコメントが多いSSじゃないでしょうか?みんな、読んでコメント付けてる。これはいい作品である可能性が高いんじゃないか?そう思う。まあ、ベストセラーがどんどん売れるのと同じ心理ですよね。わたしだって、そんな感覚あります。

そうして、そのSSを読む。もちろん、得るものがあります。

でも、はっきり言って、掲示板にあるどんなSSだって、実は読めばそこから受ける物はあるんです。それが多いか少ないか、質はどうか、は別にしてもね。
でも、読まないと、それは受けない。だから、読んだSSにしかコメントも付けられない。当たり前ですね。
こうして、コメントがいっぱいついたSSと、そうでないSSの格差は広がっていくことがあります。

違う?
いえ、そんなことはありません。現実ですよ。多分、あなたが目を逸らしていただけです。
コメントがつかなかった作家さんは、きっと忘れませんよ。その現実を。
そうすると、どうするか。やっぱり、仲間を作ろうとする。コメントを人に付ける。
打算だと言われれば、その通りですよ。でも、やっぱりコメント0は辛いんです。悲しいんです。
でも、それなりに真剣に付けます。自分のために。でも、相手のSSを読んで付けるんです。感想として、きちんと書きますよ。
すると、目をつけてもらえる。仲間意識を持ってもらえる。
今度はコメントが付く。うれしい。コメントを返す。相手のSSにもコメント付ける。
…繰り返す。めでたしめでたし

…となればいいんですけど。
真面目にSSというものを、自分の作品という物を考える人は、こうなったらこうなったで悩みます。
今ついてるコメントは、わたしのSSをきちんと読んで感じた感想、3次作品なのか?
それとも、知り合いのわたしという人間に挨拶でついてるだけなのか?

でも、分からないです。なぜなら前にも言ったように、コメントはその人の自己表現の一つでもあるから、人の目にも触れるから、変なコメントを付けてくるはずがないんです。やっぱりオブラートに包んだ部分、奥歯に物が挟まったような部分、あるわけです。
そんなのを見ていると、思い始めるわけです。そんな、自分のSSへの疑惑。

みんな、自信がないんです。もちろん、わたしもです。読んで、何かを感じてもらえる作品書けてるか。自分の才能に。自分に。
でも、同時に知りたくない部分もあるんです。目の前に、『お前には才能がない』なんて事実、突きつけられたくないんです。
だから、人に打算でもコメントし続けるし、コメントがつかないとやっぱり悲しい。
でも、ついたからって本当にうれしい気がしない。

…で、結局、悩んで掲示板を去ったりします。
そこまで行かなくても、やっぱり悩んでいるんです。

なぜこんなことになるんでしょう。
コメントがつかないことに悲しむ。
コメントがついていることに疑惑する。

それってやっぱり、コメントは感想であり、3次作品であり、コミュニケーションであるからです。
この3つは分離できないからです。渾然一体としているから。
その姿が、すなわちコメントというものなんだから。
だから…

本当の、そんな悩みや悲しさの解決法、それは

コメントに甘えるんじゃないわよっ!

ってことなわけです。
自分を持つこと。自分という物をしっかり持って、たかがコメントと思うこと。
自分の書きたいこと、表現したいことを書くんだってことをしっかり心に刻み、コメントが付く付かないは二の次にして。
コメントつかないかな〜なんて思う、それは甘えですから。人には人の考えが、やり方があります。
そんな相手に振り回されて、自分を曲げるのは無意味です。参考にして、示唆を受けて、でも自分のものにするためにコメント、感想はあるんだって。そう思って読む。そう思って書く。
大切なのは自分。自分をしっかり持って、コメントはその補助であって大黒柱でもつっかえ棒でもないってこと。
そう思って書く。そう思って読む。

…でも、それが出来るのは、本当に心が強い人です。
凡百の者、わたしなんか、前回を雑文を見れば分かるでしょうけど、いつまでたってもそんな境地にはなれません。
付かなきゃ悲しいし、打算でも人のSSにコメントし、でも自分のSSに付いても何か心が晴れない。
これって無い物ねだりしている子供みたいなもんです。コメントに甘えてるんです。
分かってます。分かってますけど…

…時々、コメントのことで悩んで、暴走を始める自分がいる。情けないなあって思いながら。
だから…

コメントに甘えるんじゃないわよっ!

自戒です。仕切り屋・美汐さんにいつもそう言ってもらいたいですけど、あの人はわたしの一部過ぎて(苦笑)
またわたしが暴走していることがあったら、誰かコメントでもメールでもいいですから、上のセリフ、言ってやってください。
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