ボクは街の幻燈屋さん (SS書きさんに贈る詩)


ボクは街の幻燈屋さんです

何のことを言ってるのかって?
それは、わたしのシリアスSSに関する態度の話です。

わたしは二次創作をしています。
その素材は、人様のゲームとそのキャラ。
わたしはそのゲームのシナリオの、そのキャラの欠けていると思うところを埋めるべく、
自分の持っている色付きガラスでそのキャラに似せたガラス玉を作ります。
そして、それをわたしという幻燈機に掛けて、に幻燈を写します。

はわたしが作ったもの。
自分で作った、SSは書くあるべきという壁。足かせ。
わたしにとってSSの定義は、非常に狭い物だから。

わたしは原作でない物を、極力排除してしまう。
原作にないオリジナルなキャラに頼ったストーリー。
原作にない勝手な出来事。例えば、キャラの親が死ぬとか、キャラが事故に遭うとか、それが必要最小限でない物はダメ。
他のゲームのキャラクター、設定が入るのはダメ。
それから…

はっきり言うと、Kanonを越えるドラマを書くのはダメだってことです。
それが、壁。

なぜそんな壁を作るか。
それはわたしはオリジナルから入ってきたからだと思います。
12の年に書き始めたから、もう20年くらい、わたしはオリジナルを書いてきた。
その間、二次創作にあたる物は、たった一度書いただけです。
そして、Kanonというゲームを知り、SSを知った。

だから、わたしはKanonをはみ出したくない。
Kanonを越える気はない。
自分が、ここまではKanonだと思う、そこに壁を作って、それを越えないように自分に足かせをして。
それがオリジナルに対する仁義であり、二次創作とオリジナルとの境界をはっきりさせておくことだから。
二次創作を越える物は、オリジナルで書くべきだ
それがわたしの、オリジナルへの敬意だから。

そして、その壁に、わたしが作ったガラス玉のキャラを映して、幻燈を見せます。
映画じゃない。ドラマじゃない。
ころころ転がるガラス玉に、自分の思いを投射して、自分の作った壁に映す。
最低限の背景で、最低限のドラマで。
それは日常という名のドラマ。いつもとほとんど変わらない世界。他の誰とも違わない人々。何気なく流れる時間。
わざとドラマを排し、伏線を最低限にして、場面展開も省いて、ガラス玉のピカピカ光る光だけを映したくて。
それを映して、ガラス玉を光らせて、楽しんでいます。

たまに通りかかった人が、立ち止まってくれて。
「あ、なかなか面白いね。」
そう言ってくれて。
そんなことを夢見たりして、毎日飽きもせずにちょっとずつ違った幻燈を映しています。

見に来てくれる人は、やっぱりうれしいです。
でも、その中にいる、自分もそんな幻を作りたいと思う人、SSを書く人、これから書いていこうと思う人。
そんな人を見てると、こんなところで立ち止まってていいの?って、思わないではいられません。

わたしはここで満足ですから。ここで幻燈を映していたくて、ここにいる。
だけど、他の人は、SSを書く人は、いや、物を書く人はすべからくもっと大きな世界を目指すべきです。
もっと素晴らしい物を目指すべきです。
こんなわたしが作る、ちゃちなガラス玉ではなく、宝石のような話を目指すべきです。
緻密に構成し、伏線を張り巡らせ、キャラを生き生きと描写し、感動的なドラマを、素晴らしい人間ドラマを目指すべきです。
こんな歪んだガラス玉で、自分のちゃちな幻燈機で遊んでいるべきじゃない。
上を目指すべきです。人を救う虚構を、虚構ゆえに現実を動かせるドラマを、目指すべきです。目指さなくてはいけません。
一本書いて満足できる、そんな人でないなら。次はもっといい物を書こう、そう思う人なら。
それが、物書きの業。そして、あるべき姿です。今からどんどん書いていく人の、あるべき姿です。

じゃあ、お前はどうなんだ?
そう言われるかもしれない。
わたしの年は、ほぼ言いました。そんなもんです。
わたしの物書き歴は言いました。もう、そんなになります。
わたしのオリジナルとSSに対する考えも言いました。それがわたしの限界です。
だから…

わたしは満足なんです。
ここで、こうしてちゃちなガラス玉で、ちゃちな幻燈機で、ちゃちな幻燈を映すのが
「誰か立ち止まって見てくれたらいいあ」
そんなことを思いながら、毎日幻燈を映して、そして立ち止まってくれる人がいて。
とても満足しています。目指すものはそれですから。わたしがSSで目指したもの、そして目指しているものは
だから…

上を目指す人、上を目指さなきゃならない人、すべからく物を書く若い人たちは、ここから上へ行ってほしい
わたしはここで立ち止まって、幻燈を映しながら、そんな人たちを見上げて、
「…あの人たちも、ここで立ち止まってくれたよなあ」
なんて言いながら、たとえばそんな気持ちを『二人の旅』なんて幻燈にして、映して、笑いたい。
そして、また誰か立ち止まって、ちょっとだけ見てってくれないかなあ、そんなことを思いながら、変わらぬ幻燈を映しながら。
歪んだガラス玉で出来た、自分だけのキャラを、一人抱きしめて、自分の幻燈機の光でピカピカ光らせて。

それはとっても美しいから。わたしから見れば、どんな宝石よりも美しいから。
でも、それは幻燈機の光を消して、壁の外に出して見たら、ただの煤けたガラス玉。ちゃちな歪んだ玉ですけど。
だけど、いいんです。わたしのガラス玉ですから。
こんなガラス玉でも、立ち止まった人が、
「うん、こんなのもいいね」
そんなこと言ってくれるんだから。わたしの愛しいガラス玉です。毎日、抱いて寝てもいいくらい、愛しいガラス玉ですから。

だけど、こんな自己満足の世界を、物を書く人は目指すべきじゃない
それはわたしには一番よくわかるんです。
挫折しても、上を目指してほしい。ドラマを、人間を、書いていってほしい。
そのためには、もっともっとすごくて上手い人に影響を受けてほしい
例えば、WAYさんとかヴェーテルさんとか、HIDさんとか…思いついただけでもそれだけ、もっと他にもたくさんいます。
そんな人たちの影響を受けて、どんどん進んでほしいなってそんな事、思いながら。

ボクは街の幻燈屋さん。
毎日毎日、飽きもせずにちょっとだけ変わった幻燈を映して喜んでます。
誰かがたまに立ち止まって、上に行った人たちもたまに振り返って、
「うん、前も見たけど…なかなかいいよね。」
そんなこと言ってもらえるよう、それだけ頑張る幻燈屋さん。
そんなもんだと思ってます。
そして、そんなもんなんだと思ってほしいんです。
わたしに影響を受け過ぎるべきじゃない。そんなもんじゃないんです。
わたしのガラス玉は、わたしだけのものだから。歪んだ、煤けた、でも愛しいガラス玉なんだから。
そんなものを作ることを、物を書く人はすべからく目指すべきじゃありません。
そんなものに過度に影響を感じる、それは悪いことですから。

だけど、たまには立ち止まって、
「おやじ、まだこんなことしてたの?」
なんて言って
「…昔、見たよね。懐かしいね。これも面白かったよね。」
なんて言ってもらえたら、それだけでいいな、なんて思ってる。

ボクは街の幻燈屋さん。
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