ボクのうたはキミのうた

(夢の降り積もる街で-10)


あゆSS。

シリーズ:夢の降り積もる街で

では、どうぞ。

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ボクのうたはキミのうた (夢の降り積もる街で-10)
 

1月18日 月曜日
 

いつになく、ボクはぱっちりと目が覚めた。
見上げると、カーテンは朝日で白く輝いている。
ちょっと肌寒いけど…
「うーん…」
ボクは伸び上がって、起き上がると枕元の時計を見る。
7時。
まだ早い…だけど、もう眠くない。
カーテンのすき間から、外を見ると…
空はすっきり晴れてるし、雪が朝日に輝いて、まぶしいくらい。
今日は…いい日になりそうだな。
だって、朝からこんなにいい天気だし、それに…

『…明日の夕方、直接会って打ち合わせるか。』

放課後、かあ…
今日の6時間目は…簿記かぁ…
あの先生、結構早く終わるから…

『じゃあ…お互い、授業が終わった後に来るってことでどうだ?』

えへへ
ボクの方が先に行けるかな?
そしたら、祐一くんに、
『遅いぞっ』
って、言ってやるっ!
きっと、祐一くん…

『…名雪とな。駅前で待ち合わせだ。』

…そうだよね。
猫ちゃんのことで、時間決めるだけ…だから。
それだけのこと…

だって…

香奈美さんも言ってたように…
名雪さんと…祐一くん…

髪の毛を触ってみる。
ちょっとがたがたの、左の髪…
ボクは手を伸ばして、枕元に置いてる白いリボンを取る。
そして、頭にリボンを縛ると、立ち上がって、タンスを開ける。
鏡に映るボク…

『そりゃあ、お前…小学生にしか見えないだろ。』

…あはは。
ホントに、小学生みたい。
全然違うね…名雪さんとじゃ…
同じ年、なのに…

そうだよね。
祐一くんだって、こんなボクより…
こんな…
だから…
変な期待、しちゃダメだよ…

…期待?
ボク…

ボクは…

こつん
頭を鏡にぶつける。

…おしまいっ!
考えたって…
…うん。
せっかく早く起きたんだし…
食堂のお手伝いに行こうっ!

ボクはタンスから服を出すと、着替えて部屋を飛び出した。
 
 

いつものように名雪の部屋の目覚ましで目が覚めた。
どうでもいいけど…隣の部屋でさえこれだけ大きな音なのに、なんでそんな中で寝ていられるんだろう…
手早く着替えたオレは廊下に出て、名雪の部屋のドアの前で立ち止まる。
中でどんな顔で眠っているのか、見てやろう。
ちょっとドアに手を掛けて、そんなことを思ったが…
やっぱりやめて、オレはそのまま階段を降りて、ダイニングに向かった。
窓から見える空は快晴。
中庭の雪が白く輝いていた。
オレは朝の光の中を、ゆっくり歩いてダイニングに入った。
「…おはようございます、秋子さん。」
「おはようございます。」
「おはよう。」
「…あれ?」
なぜか、いつもよりも一つ多い答え。
オレが驚いて食卓を見ると、そこには赤い半纏姿の…
「…名雪。何でお前、ここにいるんだ?」
「…朝ご飯を食べるためだよ。」
「いや…それはそうだろうが…」
いつの間にか、オレは追い抜かれたんだろうか?
…いや、そんなはずはない。
「…ついさっき、お前の部屋で目覚まし、鳴ってたけど…」
「…あ、消すの忘れてた。」
名雪は言ったが、いつものように別に緊迫感もなく、イチゴジャムで真っ赤になったパンをもぐもぐ食べていた。
「…まあ、いいけどな。」
オレもとりあえず、向かいの席に腰かける。
「…名雪、めずらしく早いんですよ。」
オレの前に焼けたトーストの載った皿を置きながら、秋子さんが名雪を見ながら
「いつもこうだといいんですけどね…」
「…お母さん、言い方、ひどいよ…」
名雪が秋子さんを見ながら、ちょっと口をとがらせて
「わたしだって、早く目が覚めることもあるよ…」
「…はいはい。」
秋子さんは微笑みながら、キッチンへと戻っていった。
名雪は口をとがらせたまま、秋子さんを目で追って…
その目が、オレと目が合った。
名雪はパンを持つ手を止めて、オレの顔を見た。
そして、すぐにパンに目を落とすと、またもくもくと食べはじめた。
いつになく、食べるのが早い…
「………」
何なんだよ…
オレは言いかけた言葉を飲みこんで、パンにバターを塗りはじめた。
昨日、映画から帰ってから、名雪はずっとこの調子だ。
いったい、オレが何を…

『…あの夜のことも…思い出さないんだ?』
街灯に浮かぶ、名雪の顔のシルエット。
『…あの夜?』
『あの…最後の夜のこと…』
微かに光る瞳…

…7年前の…最後の夜。
オレは…何かしたんだろうか。
雪の中、この街で…

ガタン

ハッとして顔を上げると、名雪が立ち上がっていた。
「…ごちそうさま。」
名雪はキッチンの秋子さんに声をかけると、そのままリビングを出ていった。
「あらあら。」
それを見送りながら、秋子さんがキッチンからコーヒーカップを持って出てくると、
「どうしたんでしょうね、名雪。」
「…はあ。」
「今日は部活の朝練でもあるんでしょうか?」
「いえ…聞いてませんけど。」
「ですよね…」
ちょっと首をかしげながら、オレの前にカップを置く。
オレはそんな秋子さんの顔と、向かいの空っぽの名雪の皿を見た。
皿の横にはコーヒーカップが、わずかに湯気をたてていた。
残していくなんて…名雪らしくもない。
…このままじゃ、マズイよな。
「…ごちそうさまでしたっ」
オレはパンを全速力で食べると、コーヒーをやけどしそうになりながら飲み干して、席を立った。
「…あらあら、祐一さんまで。」
ビックリしながらキッチンから顔を出す秋子さん。
オレはちょっと手を振って
「…名雪と一緒に出ますから。」
「そうですか、では…」
「行ってきます。」
「はい。」
オレはそのままダイニングを出て、玄関へと向かった。
ちょうど玄関では、着替えを済ませて部屋から降りてきた名雪が、靴をはいているところだった。
「…名雪。」
オレが声をかけると、名雪は一瞬、オレを見た。
でも、そのまま靴を履くと、黙ってドアから出ていった。
オレも続いて靴を履くと、ドアを開けて外に出た。

外は今日も晴れていた。
道路の上の雪はすっかりなくなっていたが、あたりの雪景色はあいかわらず。
オレは前を歩いている名雪の後を追った。
今日はまだ走る時間でもないからか、名雪は普通に歩いていたので、オレはすぐに追いついた。
名雪は黙ったまま、前を見て歩いていた。
追いついたオレの方を見ようともしなかった。
オレも別に言う言葉もなく、ただ並んで歩き出した。
道路は雪はなかったが、薄く氷が張っていた。
歩く足音に、パリパリという微かな音が混じる。
今朝は晴れていたから、放射冷却ってやつかな…
オレは思いながら、あたりを見回した。
朝の光に白く光る雪…
その中をもくもくと並んで歩く…オレと名雪。
…何やってるんだろうな。
別に…喧嘩したわけでもないはずなのに。
昨晩の事…名雪の真剣な顔…
…とりあえず、この雰囲気のまま、学校に行くのは…
「………」
オレは名雪から、とりあえず空を見上げて、そして…
「…祐一。」
「…お、おう。」
見ると、名雪が足を止めて、オレに向き直っていた。
少し真剣な眼差しでオレの顔を見つめていた。
「昨日の事…だけど。」
「…ああ。」
「焦らなくてもいいんだよ。わたし…」
「………」
「だけど…」
名雪は口を閉じた。
黙ってオレを見上げていた。
その瞳に、雪が映って…

『…約束、だよ』
白い雪の中で…
『今度帰ってきた時は、その時は…』
『きっと…』
頭に載った…白く輝く…雪…

「…祐一?」

「…え?」

オレは名雪の顔を見直した。
名雪は不思議そうにオレを見ていた。
「…どうか、したの?」
「……いや…」

…今のは…
オレの記憶のかけら。
多分、今のは名雪…
だとすると、やっぱりあの少女は、名雪…なのか?
でも…

オレはもう一度、名雪の顔を見つめた。
名雪はオレを見ながら、ちょっと期待したように目を見開くと
「何か…思い出した?」
「……」
オレは首を振った。
何かを思い出した…のかもしれない。
だけど…
「…いや、何でもない。」
オレはもう一度、首を振った。
なぜか認める事が…思い出したくない気が…
「…そうなんだ。」
名雪はちょっとがっかりしたように目を落としたが、すぐに顔を上げると
「…でも。」
「………」
「…焦らなくてもいいけど…思い出して。絶対。」
「……ああ。」
オレは名雪に頷いた。
オレを見あげる名雪の顔は真剣で、少し紅潮して…
「…何やってるの、こんなところで。」
「…え?」
ビックリして振り向くと、そこに香里が立っていた。
オレたちの方を見て、少し怪訝な顔で
「…こんなところで見つめ合ってないでよ。」
「そ、そうじゃないっ」
「…まったく、朝っぱらから…」
「ち、ちがうよ〜香里〜」
名雪があわてて言うと、香里はにっこり笑って
「…ま、そういう事にしといてあげるわ。」
「…うー」
口をとがらせた名雪の肩を、香里はポンッと叩くと
「おはよう。今日は早いわね、名雪。こんなところで会うなんて。」
「…おはよう。」
「おはよう、香里。いつもこの時間なのか?」
オレが挨拶すると、香里は名雪の顔を横目で見ながらクスッと笑って
「そうね…昔、名雪と一緒に登校した頃を除いては。」
「…うー、そんなことないよ〜」
「やっぱり、そうだったのか…」
「祐一も、本気にしないでよ〜」
「…オレが本気にしないで、誰が本気にするんだ?毎朝、一緒に走ってるのはオレだぞ?」
「…うー」
名雪は悔しそうに口をとがらせると、わざとらしく腕の時計を見て
「…あ、こんなことしてる場合じゃないよ。」
「…まだ時間は早いんじゃないか?」
「せっかく早く出たのに、走りたくないもの。」
「…確かにそうだが…」
「さ、行こう。」
名雪は言うと、そのままパタパタと走り出す。
「…しょうがないわね。」
香里は苦笑しながら、名雪の後を追った。
オレも仕方なくその後を追おうとして…
…そういえば、今日、あゆの事…
「…香里?」
「…え?」
オレの声に、香里は振り返った。
少し怪訝そうな顔でオレを見た。
「…あのな…」
オレは言いかけたが、香里のすぐ後ろの方でオレを見ている名雪に気がついた。
…まずい。
猫の話は…名雪の前では禁句だ。
「…いや、何でもない。」
「………?」
香里が首をかしげながら、振り返って名雪の後を早足で追った。
オレは雪景色の中を歩いていく名雪の、そして香里を見た。

…猫の件は、とりあえず香里と二人きりの時を見計らって相談しよう。
あゆの猫の件…
…あゆ

あゆじゃないのか…あの少女は?
やっぱり…名雪?
さっきのシーンは…
でも…
オレンジ色に染まる街…
駆けていく少女
あれは…
…あゆのような気がして…

…よそう、とりあえず…今は。

オレは首を一つ振ると、ずいぶん前に行ってしまった名雪と香里を追いかけた。
 
 

昼休みの食堂は、いつものように人でいっぱい。
今日は一足早く食堂に来れたので、オレたち、つまりオレと名雪、北川、そして香里の通称・美坂チームは、食器を返すとなんとか揃って食堂を後にすることができた。
「…ふう。いつもながら、人が多いよな。」
入り口の混雑を抜け出したオレが言うと、北川も頷きながら
「まったく。今日はスタートダッシュがよかったから、まあよかったけどな…」
「それも誰かさんのおかげで危なかったけどね。」
香里が言いながら、名雪の顔を見る。
確かに、名雪がチャイムが鳴る寸前まで寝ていたものだから、オレたちは名雪を置いていくか、それとも名雪に殉じて行列に着くかの選択を強いられるところだった。
名雪がチャイムの音で目を開けたので、とりあえずオレと北川で抱えるように教室を出発できたのだが…
「…ん?何の事?」
オレたちの視線を感じたのか、名雪がオレたちの方を見た。
「…あなたは幸せねって言ってるのよ、名雪。」
香里が言うと、名雪はにっこり笑うと
「うんうん。今日のAランチのイチゴムース、特に大きかったからね。」
…本当に幸せらしかった。
オレたちは思わず揃ってため息をついた。
「…で、これからどうする?」
とりあえず、大ボケ娘は放っておいて、オレが北川に聞くと、北川は肩をすくめて
「ちょっと…隣のクラスに用事があるから…」
「あ、あたしもちょっと、今から部室によってから戻るわ。」
香里が言うと、名雪は首をかしげながら
「じゃあ、わたし、待ってようか?」
「…多分、5時間めぎりぎりにならないと戻れないわ。だから、教室に戻っててよ。」
「…うん。」
名雪は頷くと、オレの方を見て
「じゃあ、祐一。戻ろう?」
「…えっと…」
オレは名雪の顔を見ながら、ちょっと肩をすくめて見せて
「オレも、野暮用。」
「え?何の?」
「…ネイチャーコール」
「……ああ、うん…じゃ、わたし、先に戻ってるから…」
「おう。」
「じゃあ、後で。」
「はいはい。」
香里が頷く。
いつのまにやら北川も、目的地へと消えていて、オレと香里だけがその場に残る形となった。
香里は名雪の背中を見ていたが、オレの方をちらっと見ると
「じゃあ、相沢くん…」
「あ、ちょっと。」
立ち去ろうとする香里の背に、オレは声をかけた。
香里は振り返ると、怪訝そうに
「…なに?」
「…ちょっと、相談があるんだが。」
「…金なら、絶対に貸さないわよ。」
「そんなこと言うかっ」
「まあ、後で体で払うって言うんなら、考えないことはないけど…」
「…まだ言うか。」
「あたしの下僕として、こき使ってあげるわよ。」
「…オレはマジな話をしたいんだがな。」
「あら。あたしもマジメよ。」
「………」
オレは黙って香里の顔を見た。
「…冗談よ。」
「分かってるわっ」
香里はニコニコしながら、オレの顔を見ると
「えっと…時間ないから、歩きながらでいい?」
「おう。」
頷いて、オレは香里と一緒に廊下を歩き出した。
廊下は休み時間を過ごす生徒たちが行き交っていた。
オレと香里は特別教室のある別棟に向かって歩いていた。
「で、相談って?」
香里は歩きながら、オレの方を見た。
「…まあ、名雪のいないところでってことは、まあ予想は付くけどね。」
「…一応言っておくが、香里に愛の告白をするわけじゃないぞ。」
「あたり前でしょ。」
「一応、それは北川に了承を得てからじゃないといけないしな。」
「…どういう意味よ。」
「やっぱり、恋人の了承を…」
「あたしと北川くん…別にそんなんじゃないわよ。」
「そうなのか?何だ、つまらん。」
「…あなたを面白がらせるために、男と付き合うわけにもいかないわよ。」
言うと、香里は苦笑いを浮かながらオレの顔を見た。
「…例の猫ちゃんの件でしょう?」
「…ああ。」
オレが頷くと、香里は顔をほころばせて
「猫ちゃん、すっかり家に居着いちゃったわよ。もう、家中わが物顔で歩き回って、もう何年も前から住んでるって顔してるわ。」
「そうか…それはよかった。」
「ええ。」
香里は大きく頷くと、
「だから、心配ないわよ。」
「…だろうな。だけど…」
あゆが…ぜひ見たいって言ってるし…
「…なあ、香里。」
「なに?」
「お前…家にいつでも見に来いって言ったよな?」
「…ええ。」
香里はちょっと顔を曇らせた。
「…何か、マズイのか?」
「…ううん。あたしは…まずくないわよ。」
香里は言うと、小さく首を振ると、
「…あの子も、一緒なんでしょう?」
「…あゆの事か?」
「ええ。」
「ああ…あいつが見たいって言ってるから。」
「…そう。」
香里は一つ息をつくと
「…まあ、いいわよ。別に…あたしは。」
「じゃあ…今度、行ってもいいのか?」
「ええ。いつがいいの?」
「えっと…土日以外。」
「土日以外?」
「ああ。あゆのやつ、土日は百花屋でバイトだから…」
「…なるほど、確かにそうね…」
香里はちょっと考え顔になると
「でも…平日だと、ゆっくり見てもいられないしね…」
「…そうだな…」
確かに、あゆもあんまり遅くなるわけにはいかない。園の人に迷惑がかからないようにしないといけないしな…
「…どうするか…」
「…そうねえ…」
香里は無意識的にだろうか、長い髪を人差し指に巻きつけながら…
「…あ、そうだったわ。」
「え?」
「…ほら、明日…あれよ。」
「あれ?」
オレが聞くと、香里は横の壁を指して
「…これよ、これ。」
「……?」
オレは香里の指差す方を見た。
そこには一枚のポスターが張られていた。
シャンデリアの飾られたホールに、真っ白のテーブルが並んでいる。
そして、その上には華な食事…
そんな、かなり現実離れしたポスターだった。
「虫歯予防のポスターか?」
「…そう見えるんなら、それでいいわよ。」
「…ちょっとは否定してくれ。」
「あたしは相沢くんと違って暇じゃないから、そういうボケには付き合えないの。」
「悪かったな、暇で…」
オレは言いながら、ポスターをじっと見てみた。
「…舞踏会?」
「ええ。明後日だけど。」
「…冗談だろ?」
「本当よ。毎年の恒例行事だから。」
「…つくづく、変わった学校だな、ここは。」
「あたしもそう思うわよ。」
「…で、香里は参加するのか?」
香里がカクテルドレスを着ている姿を思い浮かべてみた。
…似合いそうな気がする。
「…馬鹿らしい。」
でも、香里は肩をすくめて
「お坊っちゃま、お嬢様には付き合えないわよ。」
「って、参加しなくていいのか?」
「いいのよ。自由参加なんだから。」
「なるほど。」
だったら、オレも参加しなくていいわけだ。
そんな場所…オレの方が場違いだからな。
「じゃあ、明後日は学校は休みか?」
オレが聞くと、香里はまた肩をすくめて
「いいえ。普通どうり授業があって、放課後に舞踏会があるの。」
「なんだ…じゃあ、しょうがない。」
「いいえ。でも、明日はその準備で午後から授業も部活も休みなのよ。」
「…マジか?普通、舞踏会のために…学校、半日休みにするか?」
「するのがうちの学校なのよ。」
香里は首を振りながら、オレの顔を見上げた。
「だから…明日はあたしも午後には家に帰ってるから。あの子の方は普通の日だけど…いつもよりちょっとでも早く帰って来れたら、普通の日よりはゆっくりできると思うけど?」
「確かに。」
今日の明日で急な話だが…まあ、後であゆに話してみよう。何とか…なるんじゃないか?
まあ、あゆ次第だが…
「じゃあ、あゆに話してみるよ。」
「そうして。」
「おう。じゃあ…」
オレは香里に言って、振り返って教室へ…
「…ちょっと待って、相沢くん。」
「うん?」
香里の声に、オレは振り返った。
香里はオレを、ちょっとあきれた顔で見ながら
「相沢くん…あなた、あたしの家、知ってるの?」
「…いや。でも、名雪に聞けば…」
「…名雪に、あたしの家に猫に会いに行くから家を教えろっていうわけね?」
「あ…そうか…」
…それはあとあと、まずいことになるな。
「じゃあ…」
「一応、住所教えとくわ。あとは、地図でも何でも調べられるでしょう?」
「そうだな。」
オレは頷いて、香里がそれから言った住所と近くの目印の建物やなんかを頭に叩き込んだ。
「…覚えた?」
「おう。完璧。」
「…ホントに大丈夫かしらね。」
苦笑する香里に、オレは肩をすくめて
「…まあ、住所さえ覚えてれば、あとはあゆが分かると思うから…」
「…そうね。」
香里は言うと、ふいにオレの目を真剣な顔で見た。
「…ねえ、相沢くん。」
「…うん?」
「だったら…あの子…あゆちゃんだけ、うちにくればいいんじゃないかしら?相沢くんが一緒に来る必要、ないと思うけど?」
「………」
香里の真面目な顔を、オレは見つめた。
…確かに、オレは猫にそんなに会いたいわけじゃないし…住所さえ教えたら、あゆ一人で行けるわけで…だったら、オレが行く必要は…
…でも…
「…いや、オレも一緒に行くよ。」
「………」
香里はオレの顔を見ていた。
オレは香里に一つ頷いて、振り返って歩き出した。
そして、2、3歩、歩いて…
「…相沢くんっ」
香里の声。
オレは黙って振り返った。
香里はさっきまでのように、オレを見つめていた。
オレの目を見つめながら、香里はちょっと顔をしかめると
「…相沢くん…あなた…自分がしている事の意味、分かってやってる?」
「…意味?」
オレは思わず、香里の顔を見た。
香里は黙ったまま、オレを見つめていた。
オレも香里の顔を、ちょっと曇った目をみつめて…

…オレのしていることの…意味?
何を言ってるんだか…

…いや。本当は、オレも分かっている。
オレが、あゆと一緒に香里の家に行こうとしている…
別に、オレは猫に会いたいってわけじゃないのに…なのに…それは…
…それは、オレが…あゆ…

…そうなのか?
オレは…

「…ちゃんと…考えてね。」
ふいに香里はオレの顔から目をそらすと、窓の外を見た。
「余計なおせっかいだけど…友達としては…ね。」
「………」
オレは黙ったまま、香里の見ている方を見た。
雪に覆われた中庭。
昼の光を反射して、雪が白く光っていた。
香里はしばらく中庭を見ていたが、やがてオレに向き直ると
「…じゃあ、あたし、行かなきゃならないから。」
「…ああ。じゃあ。」
香里は廊下を生物室の方に歩いていった。
オレはその場に立ったまま、香里の後ろ姿を見ていた。
やがて香里の姿が生物準備室に消えるまで、ぼんやり見送っていた。

…オレは…オレのしていることは…
そうなのか…?オレは…あゆを…

分からない。そうかもしれない。オレは…
…でも…まだ…オレの気持ちは…

オレはそのまま、白く輝く雪の中庭をしばらく眺めていた。
 
 

キンコーン
放課後のチャイムと同時に、教師は教室を出ていった。
オレは立ち上がると、思わず一つ伸びをする。
「…祐一、放課後だよ。」
「…分かってるよ。」
いつもの名雪の言葉に、オレは振り返って
「見れば分かるだろ?」
「挨拶みたいなものだよ」
「それで、どうしたんだ?」
「だから、挨拶みたいなものだよ」
「…つまり、特に用事があったわけじゃないんだな」
「…うん…」
名雪はちょっと目を落としたが、すぐに顔を上げると
「あ、ホントはあったんだよ。」
「…何が?」
「だから、用事が。」
「ふーん…で?」
「うん。」
と、名雪はオレを見上げると
「今日、これから部の用事で職員室に行かなきゃならないから…一緒に帰れないから。」
「帰るって…名雪、今日は部活はないのか?」
「ううん。あるよ。」
名雪は大きく首を振った。
「だから、昇降口までだけ。」
「…そんなもの、いちいち断ることないのに。」
「……だけど…」
言うと、名雪はオレを見上げた。
少し、不満そうな顔。
「…まあ、部の用事じゃ、仕方ないだろ。」
「…そうだけどね。」
名雪は言うと、一つため息。
「…大変だな、部長は。」
「別に…好きだから。走るのが。」
「それと部長は別だと思うが…」
「一緒だよ。全然一緒。」
言い切る名雪。
こういうところが、ただの大ボケ娘ではない…
そういう片鱗が滅多に見れないのが問題だが。
「…まあ、いいけどな。」
オレは言いながら、鞄を持って
「じゃあ、オレは…」
「…帰るの?」
名雪がオレを見上げて言った。
「…え?」
オレは名雪の顔を見た。
名雪はまじまじとオレを見ていた。
「…CDでも買ってからな。」
「…ふうん…」
頷く名雪。
…本当は、これからあゆと待ち合わせ、だけど…
何となく、言えなかった…
…名雪には。
「…じゃあな。」
オレは名雪に言うと、教室の出口に向かった。
「うん。じゃあ…」
声にちらっと振り返ると、名雪も自分の席で鞄を取っていた。
そして、その向こう、香里が自分の席からオレを見ていた。
ちょっとだけ、その顔が、その目がけわしくオレを…

…意味…か…
オレの…やっていること…
オレ自身、今はそれを…確かめたい気が…
でも、なぜかしたくない気も…

オレは目を戻すと、そのまま教室を出て、少し傾きかけた日のさし込む廊下を早足で歩き出した。
 
 

キンコーン
「…ばいばいっ!」
「あ、あゆちゃん…また明日。」
「うんっ!」
放課後のチャイムと同時に、ボクは教室を飛び出した。
思ったとおり、今日の簿記の時間は早くおしまい。
この分だと、きっと祐一くんよりも早く待ち合わせ場所に行けるぞっ!
靴を履きかえて玄関を出る。
外は日もまだ高いし、空はすっきり晴れてるし…ちょっと暖かいくらい。
校門を駆け抜けて、駅の方に走る。
朝は凍ってて滑る道も、もう昼過ぎだから大丈夫。
一生懸命走ってると、風が冷たくて気持ちいい。

…別にそんなに一生懸命、走ることないんだけど…
でも…
…でも、きっとボクが後だったら、祐一くん、またボクをいじめるよね、きっと。
『うぐぅのくせに人を待たすなんて、10年早い!』
なんて言ってさ。あはは。
うん。だから、急いでるだけだよっ

国道沿いの道を走って、駅前に出る。
駅前の歩道橋…昨日倒けちゃった階段を駆け上がる。
歩道橋を渡って、降りたところが待ち合わせのベンチ。
ボクはベンチの前で、止まって息を整えた。
う〜…心臓がばくばく言ってる…
でも、見回すと…
…まだ、祐一くんの姿はなかった。

よしっ!
ボクの勝ちだね。
来たら言ってやろう。
『祐一くん、遅いぞっ』
て。
きっと、祐一くん、悔しそうな顔するよね。楽しみ楽しみ。

ボクはほくそ笑みながら、ベンチに座った。
そしてとりあえず、あたりを見回した。
正面の道、遠くには商店街の街灯が見える。
後ろの国道を、車が次々に走っていく。
前を時々歩いていく、忙しそうな大人たち。
ここはボクのお気に入りの場所。
だけど、一人では来ない場所。
どうしてか知らないけど、寂しいから…
でも、今日は祐一くんを待ってるんだから…
寂しくは…
ない…けど…

…変な感じ。
まるで…こんなことが前にあったような…

お母さんを待っていた時かな?
仕事帰りのお母さんを、こうして待ってた…

…違うよね。ボク、いつも家でお母さんを待ってたもん。
外で待ってたことなんて、ないもんね…
それに、お母さんとこの街に着たこと、ないし。
元々住んでた隣町には施設がないから、ボクもこの街に来ただけだし…
だから、こんなところで誰かを…待ってたことなんて…

…そのはずなのに。
なのに、何でこんなに…こんなに…

ボクは空を見あげた。
青く晴れた空。
青い空…

『よう、あゆあゆ』
笑いながら…
『悪い、待ったか?』
ボクの方に来てくれる…
『あゆあゆじゃないもんっ!』
ボクが言うと、笑いながらボクの頭を…

…何…今のは?
今のは…祐一くん?
でも…子供、だった…祐一くん…ボクも…
変なの。ボクは祐一くんが初めて会ったのは、つい最近…
「あゆあゆ」なんて呼ばれ方、したことないし…
バカな想像…

…ありえないのに。なのに…
何でだろ。何で…懐かしい気持ちになるの?
どうして嬉しい…だけど…寂しい気持ちになるんだろ…
どうして…?涙、出そうな、そんな…
どうして…だろ…

ボクはまた空を見上げた。
なぜだか涙が出そうになりながら、空を見上げていた。
 
 

「…寒い。」
商店街にかかる道をオレは早足で歩きながら、思わず首をすくめた。
いつものように晴れてはいるが、風は凍りそうに冷たかった。
この街に来てから、もう2週間近く。
雪景色の街並みにもようやく馴れてきたが、この寒さには、まだ馴れない。
というか、馴れる事などあるのだろうか。
そんなことを思いながら、オレはまたあたりを見た。
ほぼ毎日来ている商店街は、少し先に見えていた。
避けた雪が道端に積もった歩道。
そこをぼちぼち歩いている、コートやジャケットを着こんだ人々。
見上げれば、屋根に積もった雪が晴れた空の太陽を反射して、白く輝いている。
いかにも雪の地方都市、そんな光景…
…別に元の街に帰りたいわけじゃないけど、ともかく、寒さだけはな…
そんなことを思いながら、オレは冷えた手をコートのポケットに入れながら、それでも足だけはともかく前へ進めていた。
…待ち合わせは放課後ってだけだから、別に急ぐ必要はないわけだが…
あゆはどちらかというと、名雪みたいに遅れてくるよりは早く来て待っている…
そんな気がする。
そして、オレが着いたら得意そうに
『遅いよっ!』
なんて言いながら…

…待ってるから、早く行かないと。
早く行ってやらないと…

…不思議な…焦り。
なんだろう。
この間感じたのと同じ…
行かなきゃならないっていう…
誰かが、待っているって…感じ…

…確かに、あゆが待っているんだけど…
…いや、待ってるとは限らない…

そう思いながらも、オレの足はいつの間にか駆け足になっていた。
そこそこの人通りの商店街を、オレは買い物のおばさんたちを避けながら駆け抜ける。
昼の陽射しに輝く商店街を抜けて、駅の方へと…

…この間の夕暮れよりもはっきりとした…
デジャヴ。
オレはこの商店街を、こうして駆けたことがある…
こうして、商店街を抜けて…
まっすぐ、雪の歩道を駆けて…
駅の方…その前の…
…木のベンチ。

…そうだ。
国道沿いの、歩道橋のそばのベンチ。
そこに、まだ落ちるには早い陽を浴びながら座っている少女…

「よう、あゆあゆ」

オレの口から出たセリフ。
言った自分がビックリしていた。
そんなことを言うつもりなどなかったのに…
どうしてそんな…

「…え?」

ベンチに座っていた少女、あゆが目を空からオレに向けた。
頭の白いリボンが揺れた。
「…祐一…くん?」
あゆはなぜか少し濡れた瞳で、オレを見上げた。
少し不思議そうな…驚いた顔。
「…あ、いや…」
オレはそんなあゆの目に、あわてて首を振った。
「…ごめん。変な言い方…したな。」
「……ううん。」
あゆはオレの顔を見つめたまま、ちょっと目をこすると
「…別に、気にしないよ。ただ、ちょっと…」
「………」
「…ちょっと…ね。」
あゆは目を伏せると、またオレをちらっと見て
「…遅いよ、祐一くん。」
言うと、微笑んで
「もう、帰ろうかと思ったよっ」
オレはあゆのその笑顔に救われた気がした。
「…どれくらい待ったんだよ。」
「20分くらい。」
「そのくらいで…ふっ、ガキだな。」
「ど、どうしてだよっ」
「オレなんか、2時間も待ったぞ。」
「…いつ?」
「お前と初めて会った日。名雪の奴に待たされて。」
「…だから?」
「だから、そのくらいで帰ろうと思ったなんて、そんな我慢のない奴はガキだ。」
「うぐぅ」
あゆは口ごもったが、すぐに悔しそうに
「…ボク、人を待たせたりしないよっ!」
「ほう…」
「ホントだよっ!いつも約束には、早めに行って待ってるもん。相手を待たせるなんて、したことないもん!ボク、待たせるよりも自分が待った方がいいって…思ってるから。」
「…いい心掛けだな。」
オレは言うと、にやっと笑ってみせて
「…それが本当ならな。」
「絶対、絶対、ホントだよっ!」
あゆは立ち上がってオレを見上げていた。
その真剣な目で、オレを見つめていた。
少し興奮したような、紅潮した頬で…
「…分かった。信じるよ。」
オレはあゆの方をポンッと叩くと、ベンチに座り込んだ。
あゆはオレを見つめて、一つ息をつくと
「…べ、別に…いいけど。」
少し目を伏せてベンチに座り込んだ。
そのまま、ちょっと気まずい感じでオレは黙っていた。
あゆも黙ったまま、地面を見ていた。
冷たい風が吹いて、あゆの頭の白いリボンが揺れた。
「…そういえば…」
…黙っていてもしかたがない。
オレはともかく、本題を切り出した。
「香里の件だけどな…」
「…うん」
あゆはあわてて顔を上げると、オレを見ながら
「香里さん…何て?」
「ああ…明日、どうかって。」
「明日?」
さすがに、あゆはビックリした声をあげた。
「いや、明日の今日であれだけど…」
オレは肩をすくめてみせて
「明日、うちの学校の舞踏会の準備があって、半日休みなんだよ。だから…」
「…あ、そうか。例の舞踏会なんだ。」
あゆは納得したように大きく頷く。
「…お前、うちの舞踏会…知ってるの?」
オレが聞くと、あゆは頷いて
「知ってるよ。うちの学校でもね、評判なんだ。やっぱり、優雅だねって…」
「…うらやましかったり…するのか?」
「うん!」
当たり前という風に頷くあゆ。
「…普通、呆れるもんじゃないか?」
「そんなことないよっ!そういうの、出てみたいよねって、うちの学校はそういうのはないから…うらやましがってるんだよ。」
「………」
オレは思わずあゆをまじまじと見た。
あゆがカクテルドレスを着て…舞踏会で踊っている姿を…
…ダメだ。全然思い浮かばない…
「…あゆ。」
「なに?」
「お前は舞踏会って柄じゃないぞ。どっちかというと…フォークダンスがお似合いだな。それも、男役。」
「…うぐぅ」
ちょっとへこむ、あゆ。
オレは思わず笑ってしまう。
あゆはそんなオレの顔を、ちょっと口をとがらせて見上げた。
「…そ、それで、だから…明日?」
「お、おう。明日、午後から休みで、香里はずっと家に居るって。だから、あゆ、お前さえ早く帰れたら、普通の平日よりは猫を見る時間があるんじゃないかって。」
「あ、なるほど。」
うんうんと頷くあゆ。
「だろ?まあ、お前、土日はバイトがあるから…それがいいんじゃないかって。」
「そうだね…」
あゆは言いながら、ちょっと考え顔になる。
多分、明日の授業予定を思い出しているのだろう。
「…うん。分かった。」
やがてあゆはオレを見上げると、大きく頷いた。
「明日はいつも通りか…多分、ちょっと早く帰れるかも。だから…」
「じゃ、決まりだな。明日、香里に言っておくよ。」
「うん!お願い。」
あゆは言うと、にっこり微笑んだ。
オレも思わず、顔に笑みが浮かべながら
「じゃ、待ち合わせは…」
言いかけると、あゆはちょっと目を見開いてオレの顔を見あげた。
「…一緒に行って…くれるの?」
「…あたり前だろ。」
オレはあゆに頷いて見せて
「だいたい、オレが香里の住所知ってるんだし。」
「でも、今聞けば…」
「…それに、あの猫がもらわれてったのは、オレがいたからだろ。いわば、オレにも責任があるからな。」
一瞬、香里の顔が頭に浮かぶ。
今の言葉は…嘘じゃないから。
でも、嘘じゃないけど…
「…だから、一緒に行くさ、もちろん。」
「……うん。」
あゆは頷くと、また笑顔を見せた。
オレもあゆに頷くと
「で、待ち合わせは…」
言いかけて、躊躇する。
ここに来る前は、あゆがOKしたら、明日の待ち合わせはまたここで、と考えていたのだが…

…なぜか、言う気になれなかった。
さっきのデジャヴ…
オレの…思い出?
思い出す…
思い出し…たくない?
オレは…

「…待ち合わせは、百花屋でどうだ?オレが二時過ぎから百花屋で待つってのは?」
…しまった。
言ってから、ちょっと後悔する。
百花屋で待ち合わせ、となると、香奈美さんに何か言われるなあ…
そんなことを思いながら、あゆの顔を見る。
あゆはオレの顔を見上げた。
…ちょっと瞳が、なぜか揺れて…
「…うん。それでいいよ。」
あゆは頷いた。
「ボクもそれがいいと思う。」
「…そうか。」
オレは頷いて言った。
考えてみれば、こんな寒いところで1時間とか、待つハメになったら大変だしな…
百花屋なら…暖かいし、時間をつぶすこともできる。
「じゃ、そうしよう。」
「うん。」
とりあえず、これで明日の予定は決まった。
これで今日の目的は果たしたわけだが…
「………」
「………」
オレは黙って座ったまま、あたりを見ていた。
あゆも黙ったまま、ベンチに座っている。
あゆの腕の時計を、ちらっと横目で見ると…3時半頃。
オレはまだ帰るには早いし、あゆもまだ帰らなくてもいい時間だろう…
あゆの腕の時計から、顔に目を移す。
その時、目を落としていたあゆが、ちらっとオレを見て、あわててまた目を落とした。
そして、手を顔にやると、足をぶらぶら…
「…あゆ、まだ時間…あるか?」
「…え?」
オレは立ち上がると、一つ伸びをした。
それからあゆに向き直って
「もし、時間があったら…商店街でもブラブラしないか?せっかくここまで来たんだから…このまま帰るってのもなんだか…だし。どうだ?」
「…うんっ!」
あゆは頷くと、ベンチから立ち上がった。
「祐一くんがそう言うなら…可哀想だから、付き合ってあげようかなっ!」
「…なんだとっ」
オレはあゆのおでこを指でピンっと弾くと
「うぐぅのくせに、そんなセリフ…100年早いっ!」
「…うぐぅ」
あゆはおでこを手で押さえ、ちょっとへこんだが、すぐに駆け出して振り返り、
「じゃ、行こっ!」
言うとまた駆け出した。
「…走ることもないだろうが。」
オレは苦笑いしながら、後を追って歩き出した。
 

オレたちが商店街についた時、冬の陽は見る間に傾きかけていた。
何度か振り返りながらも前を走っていたあゆは、商店街を入ったところで立ち止まってオレを待っていた。
「遅いよ、祐一くんっ!」
「…走ってこけるやつに言われたくないな。」
「…うぐぅ」
来る途中、何度か倒けかけたあゆは、オレの言葉に黙り込む。
オレはそんなあゆを横目に、オレはとりあえずあたりを見回した。
「さて…どうするかな…」
「…そうだね…」
あゆも立ち直ったのか、オレの横であたりを見回す。
日の翳りかけた商店街は、いつも通りの買物客で適当に込んでいた。
あたりを一通り見回して、あゆの顔を見上げると
「…じゃあ、百花屋に行く?」
「う゛っ…」
オレはあゆの顔を見た。
「今日は…バイトしてるの、香奈美さんか?」
「うん。」
「…却下。」
「え〜」
「…喫茶で話してどうするんだよ。それだったら、さっきのベンチでも一緒だろ?」
「…うん…」
ちょっと不満そうなあゆ。
…本当はそんなことよりも、揃って百花屋に入って行ったら、香奈美さんにからかわれる事間違いなしだからな…
「あ、じゃあさっ」
と、あたりをまた見回していたあゆが手をポンッと叩くと
「お互い、借りを返すっていうのは?」
「…借りって?」
「…うぐぅ」
あゆはちょっと口をとがらせて
「祐一くん、もう忘れたの…」
「…いや、覚えてるさ。」
オレはあわててあゆに言った。
借り、というのはこの間の肉まんと…あゆのたい焼きの事だった。
オレがあゆにたい焼きを、あゆがオレに肉まんをおごるっていう約束だったな。
「お前の肉まんの件だろ。」
「祐一くんのたい焼きとねっ」
気を取り直したように、にっこり笑うあゆ。
「…でも…」
オレは商店街を見回した。
「…あのたい焼き屋、今日もいないぞ。」
「…そうだねえ…」
あゆもあたりを見回すと
「…月曜だから、定休日かもね。」
「屋台のたい焼き屋に、定休日なんかあるのか?」
「もちろん!」
あゆは得意そうにオレを見上げると、右手の人差し指をピシッとオレに突きつけて
「たい焼き屋さんをナメちゃダメだよっ!あのたい焼き屋さん、きちんと定休日はあるし、一日何個作るか決めてて、それが売り切れたら材料がまだあっても、もう作らずに帰っちゃうんだよ。それくらい、自分のたい焼きに自信があるんだからっ!だから、街で一番おいしいんだよっ!」
「…そうか。」
「うん!」
ちょっと頬を紅潮させて頷くあゆ。
そこまで入れ込むほどのものでもないと思うが…まあ、たい焼きのこととなると、ひょっとしたらこのあゆも名雪の猫並みの思い入れがあるのかもしれない。
オレはとりあえず頷いておいて
「でも、じゃあ…たい焼きがお預けなら、肉まんは今回もなしにしとこう。また揃って返せる時にってことで。」
「…うん。」
あゆはちょっとがっかりしたように頷くと、あたりをまた見回した。
「じゃあ…どうしよう?」
「…そうだな…」
最初からあてがあるわけでもなかった。
来てみれば何か思いつくかと思ったが…
CD…は、なんとなくあゆが買いそうにもない…いや、バカにしてるわけじゃないが…
本…無難なところかな。本屋ならマンガもあるし、あゆも何か見るものがあるだろう。
とりあえず本屋へ、とオレは言いかけたが、あゆの視線に言うのをやめた。
あゆの目は、少し先、斜め向かいのゲームセンターに注がれていた。
「…ゲーム、好きなのか、あゆ?」
「…え?」
オレの言葉に、あゆは振り返るとあわてて手を振って
「そ、そんなんじゃないよ。」
「でも…今、見てただろ?別に隠す事じゃない…」
「べ、別に隠してないよっ!」
と、あゆは首を振りながら
「別にホント、好きってことないし…だいたい、そんなゲームするほど…お小遣いもないしさ…」
最後の方は、消えていくように小さな声になった。
…確かに、だからバイトをしているんだろうし…
「…ひまつぶしに、やるか?」
オレはあゆに笑って
「まあ、お前じゃ、何やっても一瞬だから金の無駄だろうけどな。」
「そ、そんなこと…」
「ないって言い切れるのか?」
「…うぐぅ」
詰まったあゆに、オレは笑いながら
「じゃ…行くぞ。」
「…う、うん。」
あゆはオレの後、あわてて付いてゲーセンに入った。
 

ゲームセンターは、昨日と同じ騒音に包まれていた。
…というか、静かなゲーセンというのは、ちょっと無気味かもしれない。
オレは少し入ったところで振り返ると、騒音に負けない声であゆに
「…で、あゆ、何が一番得意なんだ?」
「え…」
あゆはちょっとあたりの台をきょろきょろ見回すと、
「…何か、知らないのばっかりだから…」
「前に入ったの、いつなんだよ。」
「1年ほど…前かな。高校入学記念に、友達と遊んだんだけど。」
「高校入学…」
見事にほぼ一年近く前ということになる。
それじゃあ、ゲームの進歩には到底ついていけないだろう…
…って、オレもそんなにちょくちょくチェックしてるわけでもないけど。
相手があゆとなると…レーシングとか格闘系は、ないだろう。
麻雀…さすがにそれはまずいよな。
スキーなんかのシミュレーション…は見たところ入ってない。
音楽系は…一応、あるみたいだった。
「…なあ、あゆ。あれ、やったことある?」
「え?」
あゆはオレが指差した、流行の音楽系マシンをまじまじと見た。
「…やったこと、ない。」
「…そういえば、一年前だもんな…」
あの手のが流行り出したのは、その辺か…それ以降だった気がする。この辺じゃ、まだ入ってなかったのだろうか。
「…じゃあ、あゆ。前に来た時、友達とどんなゲーム、やったんだ?」
お手上げでオレが聞くと、あゆはちょっと首をかしげながら音楽系ゲームの少し手前を指差して
「…あれ、みんなでやったんだ。」
「…なるほどね。」
オレはちょっとどきっとしながら頷いた。
確かに、女の子同士だったら、それがふさわしいかもしれない。
そんな…それは、クレーンゲームだった。
そして…昨日の、オレの記憶のかけら…
オレの動揺をよそに、あゆはクレーンゲームに駆け寄ると、ガラスに顔をつけるように中を覗き込んで
「…あの時とは、賞品は変わってるね。」
「…一年前と同じ景品だったら、それはそれで恐いぞ。」
「あははは…確かにね。」
あゆはちょっと笑いながら、またガラスの中を覗いた。
オレはそんなあゆを見ながら、機械の操作盤のところに回った。
ガラス越しにあゆの顔が、ちょっとぼんやりとしているように…
「…で、取れたのか?」
「…え?」
ガラス越し、あゆがオレの顔を見た。
「友達とやった時、何か取れたのかって聞いてるんだよ。」
「ああ…あはは。何にも取れなかったよ。」
あゆは言うと、ちょっと苦笑いのような顔をして
「…ちょっとしか、ボクはやらなかったしね…」
「…何かほしいの、あったのか?」
「…ううん。」
あゆは小さく首を振った。
「ただ、友達とわいわいやるのが面白かっただけ…別に、ほしいのはなかったんだ…その時は。」
「…その時は?」
何となく気になって聞くと、あゆは口をつぐむと人形たちに目を落とした。
「…欲しかった物、あった気が…するんだけど。」
「…え?」
「……すごくそれが欲しかった気が…昔…」
あゆはガラスに顔を付けて、ぼんやりとした表情で…

『人形、欲しい…』
ガラスに顔を付けて…
『あの人形…』
小さな指で指差した、それは…
頭に白い…

途切れるイメージ。
今のは…何だ?
また…昨日の…
いや、ちょっと違う、今のは…いったい…

「…どうしたの?」
気がつくと、オレはガラスに手をついて目をつぶっていた。
目を開けると、あゆが隣でオレの顔を下から覗き込んでいた。
「…なんでもない。ちょっと…」
「…めまい?」
「そうじゃないけど…いや、何でもないって。」
オレはとりあえずしっかり立つと、笑顔であゆを見下ろした。
あゆはほっとした顔で、オレの顔を見あげて…

…イメージ。
ついさっき見えた少女の…
顔はしっかり見えなかったが…
やっぱり、今のは…

「…なあ、あゆ。」
「うん?」
オレは見上げるあゆの目をしっかりと見つめながら
「…7年前の冬…オレとお前って…会ってないか?」
「7年前の冬?」
あゆは驚いたように目を見開いて
「…いつごろの事?」
「…7年前の…冬休み。この街で…」
あゆはオレの顔を見上げたまま、口をつぐんだ。
そして、一瞬、口を開いて…
小さく、かぶりを振った。
「…ううん。そんなこと…ありえないよ。」
「………」
「だって…ボク、その頃は病院で眠ってたから。秋にお母さんと事故に遭って…目が覚めたのは、次の年の春だから。ちょうどその頃、ボクは病院で眠ってたんだよ。」
「…そうだよな。」
それは…分かっていたことだった。
あゆに事故のことを聞いた時、だいたい予想は付いていた。
秋に事故に遭って、それから冬に目が覚めたとしても…それからリハビリ云々で、冬休みの頃にオレと出会うなんてこと…あるはずはない。
分かってはいたのだが…
「…でも、どうしてそんなこと?」
あゆはオレの顔を見上げると、ちょっと首を傾げた。
オレは少し苦笑いしながら、その顔を…頭のリボンを見た。
「…そのリボンのせいかな。」
「え?」
「オレ…なぜか7年前の冬、この街にいた記憶が全然ないんだけど…ただ、断片的に思い出すことがあって…その時、誰か、オレと一緒にいた女の子がいたはずなんだ。その女の子…名前も顔も思い出せないんだけどな…頭に、白い…リボンがあった…気がするんだ。」
…我ながら曖昧な、変な話。
オレは肩をすくめながら
「…でも、考えてみたら…あゆはそのリボン、その…手術後にしてるわけで、オレの記憶では…その前のはずだしな。」
「…ううん。」
と、あゆはまた小さく首を振ると
「このリボンじゃないけど、ボク、昔から白いリボンはよくしてたんだよ。お母さんが、ボクに似合うよって、してくれてたから…」
「…そうか。」
「………でも…その女の子は…」
「…ああ。分かってる。オレの思い違いだ。」
「…うん。」
あゆは口を閉じて、ガラスの中の人形に目をやった。
オレも黙ってガラスを覗き込んだ。
蛍光灯の光の中、安っぽい人形が積み上がっていた。
オレの記憶のかけらと同じ…
…やめよう。そんなことを考えるのは…
「…あゆ。これ…やってみるか?」
オレはあゆの顔を見下ろして、財布を取り出して言った。
あゆはオレを見上げると、あわてて手を振って
「う、ううん!ボク…苦手だから。お金の無駄だから…」
「でも、やってみないと…」
「前にやって、よくわかったから。やるんだったら、祐一くん、やってよ。」
「オレが?うーん…」
オレはクレーンゲームの操作盤と、中の人形を見て…
「…よし、あゆ、来いっ!」
「え、ちょ、祐一くんっ」
オレはあゆの腕を取ると、隣の台に引っ張っていった。
そしてあゆをそこに立たせると、お金を台に挿入した。
チャララ〜ン
派手な音と共に、曲選択画面が現われる。
「ゆ、祐一くん、ボク…」
「よし、あゆだったら…これだっ!」
オレは適当にダンス系の音楽を選ぶと、スタートさせた。
ただちに曲が流れ出し、画面に記号が流れる。
「ゆ、祐一くんっ!ぼ、ボク…」
「あゆっ!画面のとおりに、足元の矢印を踏むんだっ!たったそれだけでいいんだぞっ!」
「そ、それだけって…」
「振り向くなっ!画面見て、ガンバレっ!」
「う、うぐぅ!」
あゆは叫びながら、一生懸命、画面通りに足を動かして…
「うぐっ、うぐぅ!」
「右じゃない、左だっ!ほら、前、前!」
「うぐっ!」
叫びながら足を動かし、画面を必死に追うあゆ。
それでも振り返ると
「つ、次は祐一くん、やってよっ!」
「…おう。あゆとは反射神経の出来が違うってとこ、見せてやる。」
「う、うぐぅ」
また振り返って必死で画面を追うあゆを、オレは笑いながら眺めていた。
 
 

「じゃあ、また…明日ねっ!」
「おう。じゃあな。」
言うと、祐一くんはちょっと手を振ると、商店街を反対側へ歩き出した。
ボクも振り返って駆け出して…
でも、振り返った。
祐一くん、コートのポケットに手をつっこみながら、ゆっくり歩いていた。
ちょっと背中、丸めて…

ううっ…
今日もまた遊ばれちゃった感じ…
あのゲーム、ボクには向いてないのに…むりやり…
でも…楽しかったけど…

そういえば、祐一くん、変なこと言ってた。
ボクと…前に会ってるかもって…
でも…ありえない事、だし…
そりゃあ、白いリボンは前からしてるけど。
だって、お母さんが買ってくれて…いつも、朝、してくれた…
あの日も、ボク…
あのリボンは、退院した時、持ち物と一緒に返してもらって…あれからきちんと、タンスの奥に大事にしまってある…
だって、あれはお母さんが…
…お母さん…

ボクは首を振ると、振り返って駆け出した。
今日は別に当番じゃないから、走ることはないんだけど、なんか…走りたい気分だから。
だって…明日はあの猫ちゃんと会えるからね。
香里さんのとこに…祐一くんと一緒…

…祐一くんと一緒に…行くんだよね。
いいんだよ…ね。祐一くんもそう言ってたんだし。
一緒で…いいよね。
ボクなんかに…付き合ってもらっても。
いいよね…用事、あるんだから。祐一くんも。
だから、ボクに付き合ってもらっても…

うん。
そうだよね。
だから…

明日、楽しみだなっ!

ボクは思いながら、夕日の道を園へと駆けていった。

<to be continued>

-----
…筆者です。
「仕切り屋・美汐です。」
…何も言うまい。長さについては…
「…最長新記録、続々更新ですね。」
…はぅ…今回こそは、次回への布石なだけで短いはずだったのにぃ…
「その分、次回が短い可能性は…」
…ないです(涙)まだ構成終わってないけど…きっと、そんなに短いはず、ないです(号泣)
「…いい加減、長さのことで愚痴るのはやめましょう。」
…お前が言い出したんだろうがっ!…はぅ。まあ、中身については…読めば分かるだろうし。着々と、話は進行していると…
「でも、過去の詳細とか、全体像はまだ見えてないですが。」
…そうだね…何でだろ。15回物のつもりだったのに…10回でこれだけ?ううっ…短く書く方法と共に、話の進め方も忘れちゃったのかなあ(涙)
「ほらほら、愚痴はやめなさい。次回は…いつごろになりそうですか?」
…分かんない(涙)明日、構成を始めて…週末までに書ければいいって感じかなあ…

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