美汐さんに花束を(心象風景画 補遺)

美汐SS

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美汐さんに花束を(心象風景画 補遺)

  美宇
  わたしはあなたのことを忘れたわけじゃない
  あなたはわたしの妹だった
  わたしのほんとの妹だった
  だから忘れるはずがない
  忘れられるはずがない

空は今日も晴れている。
いつものように買い食いしようと、真琴は商店街をぶらぶらしていた。
と、ちょうど前の方から美汐が歩いてくるのが見えて、真琴は声をかけながら、美汐の方に駆け寄った。
「あ、美汐、どこ行くの?」
「…ああ、真琴。」
美汐はちょっと驚いたように、駆け寄ってきた真琴を見つめた。
その手には、小さな花束を抱えていた。
「……ちょっと、そこまで。」
「ふーん…きれいな花だね。」
「…はい。」
「…ねえ、ついて行っても、いい?」
花を見ながら真琴が言うと、美汐はちょっと躊躇して、
「えっ?」
「……ねっ?」
もう一度、真琴が顔を覗きこむ。
美汐はちょっと目線をそらす。
しかし、すぐにちょっと微笑み、
「………行ってもつまりませんよ?」
「…いい。だから…ダメ?」
「………いいですよ。」
そういう美汐の表情に、いつもと違うものを感じ、真琴は美汐の顔を覗きこみ、
「……ほんとに?」
「…はい。どうかしましたか?」
「だって…美汐、ちょっと困った顔、したから…」
「……何でもありませんよ。」
美汐はちょっと微笑んでみせた。
しかし、その表情は、いつもよりも固いものだった。
「だったら、いいけど…」
「…じゃあ、行きましょう。」
「うん。」
美汐はゆっくり歩きだした。
真琴はそんな美汐の顔を、のぞき見しながらついていった。

   歌を忘れたカナリヤは
   裏のお山に捨てましょか
   いえいえ、それはなりません
   だけど歌を忘れないカナリヤは
   忘れられなかったカナリヤは
   静かな場所に眠らせましょう
   もう歌わなくてもいいように

喫茶店。
真琴と祐一はテーブルに座り、暑い外を眺めていた。
祐一の前にはアイスコーヒー、
真琴の前にはイチゴサンデーが置かれている。
「…でね、行ったのが、墓地だったの。」
真琴は昨日の美汐の様子を、一生懸命説明していた。
「ふうん…」
祐一は、あまり気のない様子。
しかし、真琴はくじけない。
「なんかね、小さなお墓の前にお花を置いて、美汐、お参りしてた。」
「ふうん…お盆ももう過ぎたのにな。でも、天野の家のお墓なんだろ?」
「ううん。そうじゃなかったの。で、あたし、聞いてみたんだけど…」
「…普通、聞くか?」
「あぅ…でも、美汐、なんだか様子がおかしかったんだもん…なんだか、ものすごく真剣な顔してたんだもん…」
「墓参りにへらへら笑ってる奴は、普通、いないぞ。」
「あぅ…でも、なんか…おかしかったの。だから…」
「…で、天野、なんだって?」
「うん…『もう一人のわたしです。』って。」
「もう一人の…わたし?」
「うん…『わたしの恩人の…ひょっとしたら、もう一人のわたしです。』だって。祐一…意味、分かる?」
「そんなの、分かるわけないだろ。」
「そうだよね…」
真琴は言って、悲しそうに目を落とす。
祐一は、そんな真琴を見ていたが、ふと、視線を外へやる。
「…そういえば…」
「なに、祐一。心当たり、あるの?」
嬉々として上げた真琴の顔に、祐一はちょっと考えながら、
「心当たりというわけじゃないが…そういえば、2、3日前…」

   シャボン玉消えた飛ばずに消えた
   生まれてすぐに壊れて消えた
   風、風よ、もっと吹け
   生まれてすぐに消えた想いを
   空の彼方まで飛ばしておくれ
   そして願った人のところへ
   その想いを届けておくれ

ものみの丘は今日も優しい風が吹く。
美汐が一人で草のないところに立ち、鞄から古びたノートを出した。
そしてポケットからライターを出すと、火をつけた。
シュボッ
上がった炎をぼんやりと、しばらく美汐は見ていたが、やがてライターをノートに近づけた。
古びて乾いたノートには、すぐに炎が燃え移る。
美汐はノートを手から放した。
燃えながらノートは地面に落ちて、白い細かな灰を散らした。
「…なにしてるんだ、天野。」
その時、祐一が声をかけた。
ちょうど散歩に登ってきて、美汐の姿を見かけたのだ。
「…いえ、何でもありません。」
美汐は顔も上げずに言った。
「…こんな季節に、たき火か?」
「…それは違います。」
「分かってるって。…何燃やしてるんだ?」

祐一は覗き込んで見たが、ほとんど灰になっていて、何かは全く分からなかった。
「…なんでもありません。」
美汐がそう答えたとき、丘を強い風が渡った。
風は灰を巻き上げて、そら高くへと舞い上がる。
「………相沢さん。」
美汐は舞い上がる灰を見上げた。
「…なんだ、天野。」
「相沢さんは…空の向こうには何があると思いますか?」
「………?」
祐一は、まじまじと美汐を見た。
美汐は、しかし、真剣に空を見つめていた。
「……さあな。オレには分からない。」
「わたしは…天国があると思います。」
美汐は言いながら、祐一を見た。
「…天野はロマンチストだな。」
「…そんなことはありません。でも…」
と、美汐はまた空を見あげ、
「…空の彼方へ飛んでいけば、思いが届くと信じられるじゃないですか。」
「そうだな。多分…そうだよな。」
祐一は飛んでいったベールを思い出し、美汐と同じ空を見あげた。
空はすっきり晴れていた。

   かごめかごめ
   籠の中の鳥はいついつ出やる
   夜明けの晩にあの子は消えた
   跡も残さずあの子は消えた
   後ろの正面だあれ
   後ろの正面だあれ
   だけどそこにはだあれもいない

「…ということがあったな。」
語りおえた祐一に、真琴は腕組みをして、
「やっぱり…」
「なんだよ。それがどうかしたのか?」
「最近、なんか、美汐、元気がないの。」
「天野が…?」
祐一も、最近の美汐を思い出してみた。
「…そういえば、この夏すぎから元気がないな。」
「そうなの…だから、あたし、心配で…」
真琴は悲しそうに目を落とす。
「そうだな…お前の一番の友達だもんな…」
「うん…」
「失恋かな?…いや、天野に限ってそれはないか。」
「そんなことないよっ!美汐は可愛いから、だから…」
「…むきになるなよ。」
祐一は、真琴の髪をぐしゃぐしゃなでて
「でも、そんな風じゃないだろ?」
「うん…」
「…じゃあ、なんだろうな。」
「うん…あたしも分からなくって…」
真琴はそのまま肩を落とす。
祐一も、腕組みをして外を見つめた。
「………あっ!」
と、いきなり真琴が叫ぶ。
あまりの声の大きさに、喫茶店の客が一斉に見る。
「……ばか、声が大きい。」
「あぅ…」
真琴はしょんぼりうなだれたが、すぐに祐一に顔を寄せ、
「そういえば、ね、あたし気がついたんだけど…」
「なんだ。原因が分かったのか?」
「ううん…そうじゃないんだけど…」
「なんだよ。じゃあ、なんなんだよ。」
首をかしげる祐一に、真琴はちょっと紅潮した顔で、
「あのね、あたし、美汐を元気づけたい。よろこんでもらいたい。だからね…」

   迷子の迷子の小猫ちゃん
   あなたのお家はどこですか?
   ごめんなさいね、小猫ちゃん
   わたしが知っているのは
   迷子の狐の子供だけ
   迷子の狐のお家だけ
   だけどあの子のお家には
   今はもうあの子はいない
   そしてもう帰ってこない

日がだいぶ傾いていた。
美汐は歩道橋の上で、黙ってたたずんでいた。
下をくぐっていく車のために時折、歩道橋が揺れる。
美汐はそんな下の道に顔を向けてはいるけれど、その目は何も映っていない。
と、ふいに誰かが肩を叩く。
美汐はハッとして振り返った。
「…相沢さん。」
「…よう、天野……悪い。邪魔したかな。」
「…いえ。何もしていませんから。」
美汐は目線を泳がすと、また視線を道に戻した。
「こんなところで、何を見てるんだ?」
「いいえ…何も見ていません。」
「そうか…あのなあ、天野。」
「はい。」
「最近、お前、おかしくないか?」
「わたしが…ですか?いいえ。」
否定する美汐の声には、感情がこもっていない。
「そうか…」
「…ひょっとしたら…今のわたしが本当のわたしかもしれませんよ。」
「…だとしたら、悲しいな。」
「…悲しいですか?」
美汐は祐一を振り返った。
「ああ。悲しいな。それに、真琴はもっと悲しむな。」
「真琴が…」
「ああ。」
美汐の瞳が少し揺れる。
「…ええ。わたしは少し、おかしいかもしれません。でも…心配は要りません。」
「…ほんとにそうか?」
祐一が、美汐の瞳をのぞきこむ。
「……はい。」
美汐の瞳が揺れていた。
一瞬、祐一は口をあけたが、ふっと目線を時計にやった。
「…天野。オレはこれで帰るけど…お前、いつまでここにいる?」
「…もうすこし。夕日が沈む前には帰るつもりですが。」
美汐の言葉に、祐一は再度時計を見て、
「……そうか。じゃあ。」
「はい。では。」
そして、祐一は去っていった。
美汐はその後ろ姿を見ていたが、また目線を道に落とした。
そして、夕日があたりを照らすまで、美汐はそのまま立っていた。

   夕焼け小焼けで日が暮れて
   山のお寺の鐘が鳴る
   お手手つないでみな帰ろ
   わたしは一人で帰ります
   あの子の体の温もりと
   振り返った笑顔の思い出と
   一緒に一人で帰りましょう

やがて夕日が落ちる頃、美汐は家の前に立った。
多分、今日も誰もいない部屋。
ベルを鳴らしても意味がない。
美汐は黙って鍵を外すと、いつものようにドアを開けた。
パンッ
パンッ
パンッ
「きゃっ」
大きな爆発音と共に、急に目の前にまばゆい光。
美汐は驚いて立っていた。
「ハッピーバスデー、美汐!」
叫びながら、髪の長い少女が美汐に抱きつく。
その後ろから、野暮ったい少年がクラッカーを持って現れた。
「ハッピーバースデー、天野。」
美汐は何がなんだか分からず、そのまま立ち尽くしていた。
「…びっくりした、美汐?」
抱きついたままで真琴が言った。
「昨日のうちに美汐のお母さんに頼んで、家に入れてもらったの。美汐をびっくりさせたくて。ね、びっくりした?」
「……はい…」
やっとかすれた声が、美汐の口から出た。
「こいつの発案でな、びっくりパーティってわけさ。まあ、出席者はオレたちだけだから、ちょっと寂しいかもしれないけど、ちゃんとケーキも用意してるぞ。それも聞いて驚くな?真琴が作ったケーキだぞ。…もちろん、名雪と秋子さんがほとんど手伝ったけどな。」
「あぅ…真琴が作ったんだもん!」
真琴が振り向いてふくれている。
「はいはい。もうちょっとしたら、名雪も部活が終って駆けつけると思うし、そしたらもうちょっとは賑やかになるだろ。それまで、まあ、シャンパンでも開けて、ともかくゆっくり食べようや。」
「祐一…食べることばっか。」
「オレは育ち盛りなんだ。」
「いつまであんた、育つのよぅ…」
真琴はまたふくれたが、美汐が黙っているのに気付き、あわてて美汐の顔を覗きこむ。
「…美汐、怒った?勝手なことしたから…怒ったの?ごめんね、ほんと、勝手なことして。でも…美汐、最近、沈んでたから…だから、元気出してほしくって…
ね、怒った?ねえ、美汐?」
美汐は顔を上げた。その瞳が濡れていた。涙が瞳をあふれて落ちた。
「…ありがとう…」
かすれた声が、やっと漏れた。
「…こんな…こんなうれしい…誕生日なんて…ほんと…ずっとなかった…ほんと…」
声が涙で再び途切れた。
真琴をしっかり抱きしめた。
涙が顔を伝って、真琴の髪を濡らした。
「美汐…」
ちょっと困った顔をして、真琴は美汐の背中を優しく叩く。
美汐はしばらくそのままでいた。
そのまま、声を出して泣いていた。

  美宇
  わたしはあなたのことを忘れたわけじゃない
  あなたはわたしの妹だった
  わたしのほんとの妹だった
  だから忘れるはずがない
  忘れられるはずがない

  だけど
  だからもういいでしょう?
  あなたのことを話しても
  わたしの大切な友達に
  これからわたし一人じゃなくて
  あなたの思い出を友達と
  一緒に話せるようになっても
  一緒に話して過ごしたい

  ねえ…美宇
  あなたはわたしの妹だから
  わたしのほんとの妹だから
  これからもずっとそうだから

やがて、美汐は顔を上げた。
そして、なんとか息を沈めて、二人の顔を見ながら言った。
「わたし…わたしは…あなたたちに話したい…話したいことがあります。それは、わたしの、妹のこと…」

  美宇…
  いいよね…?

  写真の中の美宇は
  やっぱり笑っていた

<END>

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…筆者です。
「仕切り屋、美汐です。」
…なんか、本気で書かなきゃいけない話、だったんだよ。墓参りと、日記を燃やすこと。そして…美汐が二人に美宇のことを話すこと。
「これくらいのハッピーがあってもいいでしょう、この話は。だいたい、あなたは多分、美汐のSSを書いた人の中で、一番ひどい妖狐との出会いと別れを書いた人だと思います。」
…オレもそう思う。人のSS見ると、みんな優しいよね…でも、佐祐理さんや香里よりも、美汐は悲しい目にあってないと、おかしいとオレは思うから。だから、そうなった。
「というか…最初の話を書いた時、まだ美汐を好きじゃなかったからでしょう。」
…げっ…お見通しか。
「お見通しついでに…そこに花束を隠していますね。」
…げっ
「わたしもお払い箱ですか?」
…いや…けじめが必要だろう。だって…お前、この美汐だもん。美宇を背負った美汐。だから、これから違う美汐を書くのに、けじめが必要…
「…書けますか?あなたに、美宇を背負ってない美汐が書けますか?」

「あなたは真琴なら、自分の書いた真琴じゃなくても愛せるでしょうが…美汐は、自分の書いた美汐しか愛せません。なぜなら…わたしはあなたの分身だから。他の人が見て、同意できなかったり違和感があるわたしの部分は、みんなあなただから。あなたを投影しすぎたわたしを、切り捨てて新しい美汐が書けますか?」

「だいたい、香里さんとの話、今のわたし以外の美汐で書けますか?新企画も、それ以外も、美汐が新しく作れますか?できないでしょう?」
……はぅ。お前とは、切れないわけね。偶然、舞のピンチヒッターで出てもらっただけだったのに。
「そういうことです。だいたい、本当はわたしを切って、舞さんを次に切って、ぜんぶ手を引くつもりだったでしょう?」
…いや…そこまではまだ具体的には…
「…書きなさい。そんなことは、わたしが許しません。今度は、舞さんですね。」
…あぅ…はい。あ、でも一応、花束はあげとこう。
「…題名のためですか?」
…それを言うな。本編で花束あげるの忘れてたよ…
「…バカですね。そんなだから、わたしがいないといけないんです。」
…はあ。まあ、これからも頼むわ。アシスタントの仕切り屋・美汐さん。
「はい。では、次回は多分、M.Y.S.C.で。」
…ふあい。
「…その前に、寝なさい。」

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