ボクとボクの猫以外はみんな秘密を持っている

(夢の降り積もる街で-7)


あゆSS。

シリーズ:夢の降り積もる街で

では、どうぞ。

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ボクとボクの猫以外はみんな秘密を持っている (夢の降り積もる街で-7)
 

1月15日 金曜日
 

「お姉ちゃん…お姉ちゃん…」
…誰かがボクを揺らしている。
ゆさゆさ…
「…ねえ、お姉ちゃん…」
「…ん…」
ボクは目を開ける。
部屋の中、もう明るい…
「お姉ちゃん、起きた?」
「…うん。ミイちゃん…おはよう。」
「おはよう、お姉ちゃん。」
ボクを揺らしていたミイちゃん、にっこり笑った。
「…今、何時?」
「9時だよ。」
「…9時か……って?」
あわてて置き上がる。
枕元の時計…
ホントに9時だっ!
「た、大変っ!」
ボクはあわてて立ち上がると、タンスに駆け寄った。
そして、服を出しながら
「遅刻しちゃったよぉ…」
「…お姉ちゃん?」
「ミイちゃんも、何してるんだよ!学校、どうしたの?」
「…学校?」
ミイちゃん、ぼんやりボクを見てる。
ミイちゃんも、学校に遅刻だよ!
「ほら、早く学校…」
「…お姉ちゃん。今日…休みだよ。」
「…え?」
ミイちゃん、ボクを見て…
…1月15日…
…あ、成人の日か…
「…そ、そうだったね…」
思わず、その場に座り込む。
そうだよ。今日は休みだった…
「…お姉ちゃん?」
ミイちゃん、くすくす笑ってる。
うう…恥ずかしい…
「…あはは。ボク、忘れてたよ。」
「お姉ちゃん、そそっかしいんだから…」
まだ笑っているミイちゃん。
「…遅刻したかと思ったよ。」
「お姉ちゃんらし?」
「…うぐぅ」
「あははは…」
ミイちゃんは、また笑った。
思わず、ボクも釣られて、笑っちゃう。
「…あはは」
「あはは…」
…気がつくと、ミイちゃんがボクを見ていた。
「…お姉ちゃん。」
「…え?」
「…久しぶり、笑ったね。」
「…え?」
「お姉ちゃん、この間の…あの日から、ちょっとおかしかったから。」
ミイちゃん、ボクの顔を見て、ちょっと心配そうな顔で
「…ミイ、ちょっと心配で…」
…ミイちゃん…
「…あはは。」
ボクは、笑って見せた。
「…大丈夫。ちょっと、疲れてただけだから。」
「…そう?」
「うん。でも、今日はよく眠ったから…眠りすぎて、ちょっと寝ぼけちゃったくらいね。」
「…あはは。」
ミイちゃんはまた笑った。
ボクも一緒に笑って…
…ごめんね、ミイちゃん。心配かけて。
あれから…祐一君にいつ会うかって、いつも緊張してるみたい。
なんか、いつも…
でも…
「…さ、ボク、今日はバイトに行かなきゃ。」
「あ、そうだね。」
ミイちゃんは頷くと、立ち上がって
「じゃあ、朝ご飯、一緒に食べよ!」
「うん。」
「じゃあ…あたし、先に食堂に行ってるね!」
「わかった。すぐ行くよ。」
「うん!」
ミイちゃん、部屋を飛びだしていった。
ボクはタンスから、服を出して…
…今日は、バイト。だから…
だから、祐一君と会うかもしれない…
多分。
たぶん…ボク…
…ボクは…
…言わなきゃ。
決めたんだから。
言おうって。
きっと…今日。
きっと…
 

「…ふぁぁ…」
目を開けると、あたりはずいぶん明るかった。
窓からさし込む光は、もう傾いている。
時計を見ると…
3時すぎ。
…久々によく寝てしまった。
まあ、昨日は遅かったからな。
片付けの最後の仕上げ…のつもりで片付けだしたマンガの山。中には引っ越しのごたごたでまだ読んでないマンガも入っているのに気がついて、読んでしまったから…
オレは伸びをすると、とりあえず着替えて廊下に出た。
廊下は静かだった。
オレが階段を降りる音だけが響く。
誰もいないらしい…
そう思いながら、オレはリビングのドアを開けた。
「…起きられましたか、祐一さん。」
「…秋子さん…」
秋子さんがソファに座って、オレに振り返っていた。
ティーカップを持って、どうやら休んでいたらしい。
「…おはようございます。」
「はい、おはようございます。」
秋子さんはティーカップを持ったまま、ソファーから立ち上がると
「…食事にしますか?」
「あ、いえ…」
「…そうですね…」
秋子さんは壁に掛かった時計を見上げて、ちょっと微笑んだ。
「…今から本格的に食べたら、夕食が食べられなくなりますね。」
「…そうですね。」
起きたばかりのせいか、まだ食欲はない。
もう少ししたら、何か軽いものを腹に入れればいいか。
オレはとりあえず、秋子さんの向かいのソファに腰をおろした。
「…名雪は?」
「…多分、眠ってます。」
「まだですか?よく目が溶けないもんだ…」
オレが言うと、秋子さんはにっこり微笑んで
「一応、午前中に一度起きて、ご飯は食べたんですけどね。」
「…で、また寝てしまった?」
「…多分。それっきり、物音もしませんからね。」
「…はあ。」
「…まあ、毎日、部活で疲れてるでしょうし…」
…確かに、名雪は陸上部の部長ってことで、結構毎日、部活で帰りが遅い。
でも…
…まあ、さっきまで眠っていたオレが言えたことじゃないか。
「…コーヒーでも飲みますか?」
気づくと、秋子さんが立ち上がってキッチンに向かっていた。
「いえ…」
「わたしのカップを返すついでですから。」
秋子さんは言うと、振り返って
「コーヒー、それとも紅茶にしますか?」
「えっと…」
コーヒーという気分じゃなかった。
「…紅茶か…何かを。」
「…何か…」
秋子さんはちょっと首を傾げて考えていたが、
「…では、こんなのはどうですか?」
と、にっこり微笑んでキッチンに入った。
そして、棚の奥をがさがさと探るような音がして…
数分後。
秋子さんは湯気の上がるティーカップを持ってキッチンから現われた。
「…はい、どうぞ。」
「あ、どうも。」
手を伸ばして、カップを受け取る。
…何か、不思議な香りがした。何となく、懐かしいような…でも、不思議な感じ…
「…何ですか、このお茶は。」
「…まあ、飲んでみてください。」
見上げるオレに、微笑んだまま答えた秋子さん。
その微笑みに、オレは黙って飲んで見ることにした。
カップに口を付け、熱いその液体を一口。
「……?」
ほのかな甘みが口に広がる。
そして…わずかな苦み。微妙な酸味…
…懐かしいような…
「…秋子さん…これ…」
「…いかがですか?」
秋子さんはオレの顔を見て、ちょっと首をかしげる。
オレはもう一口、そのお茶を飲んだ。
「…おいしいですね。」
「そうですか…よかった。」
秋子さんはにっこり微笑むと、オレの向かいに腰かけた。
オレはそのお茶を味わいながら飲む。
何種類かのお茶のブレンドだろうか?
よくは分からないが…なんとなく…
「…何となく、懐かしい味ですね。」
「…そうでしょうね。」
「え?」
秋子さんは頷くと、天井を見あげるように
「昔…祐一さんがこの家に最後に来た冬に、何度か出した物ですから。」
「………」
「だから…懐かしいと感じても、不思議ではないですね。」
「……はあ。」
オレは秋子さんの顔を見た。
確かに…懐かしいような気のする味だった。
でも…本当に懐かしい感じでは…ない。
そして…この街も…この家も…
名雪も…秋子さんも…
懐かしいような感じもあるし、思い出の断片も浮かぶことはある…
でも…
「…秋子さん。」
オレはカップをテーブルに置くと、秋子さんに向き直った。
考えて見れば、秋子さんと二人きりでじっくりと話す機会は、初めてだった。
だから、オレがこっちに来てからの疑問を…それを話す機会…
「…はい?」
秋子さんはオレの顔を見た。
オレはソファに座り直した。
「…秋子さん。オレ…覚えてないんです。」
「……?」
「…この街に来ていた頃…特に、7年前の冬のことを。この街に来て、この家に、街並みに…懐かしさを感じないわけじゃない。思い出すこともちょっとはあるんです。ですけど…」
「………」
「…なぜか…どっかに幕が掛かっているようで…思い出せない…いや、思い出したくないみたいなんですよ。まるで…」
秋子さんは黙ってオレを見ていた。
真剣な眼差しだった。
オレは息を呑む込むと、続けて
「この7年間、名雪からの手紙にも返事も出さないで、年賀状も出さなかった…そのことも、なんか、まるで…まるで…」
「秋子さん。7年前…オレは…オレに、いったい…」
「…祐一さん。」
ふいに秋子さんが口を開いた。
真剣な眼差しでオレを見つめたまま、秋子さんは…
小さく、首を振った。
「…人は、悲しいことがあると…本当に悲しいことがあって、自分の心が壊れてしまうほど悲しいことがあると…」
「…秋子さん?」
なにを言っているんだろう?オレが聞いたのは…
でも、秋子さんは続けて
「…悲しみを何とか心に沈めて、一生、それを抱えて、でも生きていく…それができたらいいと思います。でも…人間って、弱いですから。時に、逃げてしまう…時に、忘れて…時には美化して。自分のために…残された他の人のために…」
「…秋子…さん?」
秋子さんの目には、涙が浮かんでいた。
天井を見上げるような眼差し。
でも、その視線は、まるでそこにはいない人を、もういない人を追っている、そんな眼差しで…
「…秋子…さん…」
オレの言葉に、秋子さんはハッとしたようにオレを見た。
一瞬の沈黙が、リビングに流れる。
「…ああ、すいません。変な話をしましたね。」
と、秋子さんは、何事もなかったように微笑んだ。
「…えっと…」
「…ねえ、祐一さん。」
とまどうオレに、秋子さんは微笑んだまま、ちょっと首を傾げて
「きっと…思い出すべき時に、思い出すと思いますよ。何もかも。」
「…はあ…」
「無理に思い出しても、きっとよくないと思います。思い出すべき時…その時までは、無理に思い出そうとしたり、思い出させたりする必要はない…わたしは、そう思うんです。」
言うと、秋子さんはオレのからのカップを持つと、ソファから立ち上がった。
オレは…
…そのまま、秋子さんの顔を見あげた。
秋子さんの言うことは、意味が分からなかった。
でも…オレは…
…何となく、オレはそれ以上、秋子さんに聞く気になれなかった。
というか、聞くことはない、今は…
そんな気持ちになっていた。なぜだか分からないけれど。
「…祐一さん?」
気がつくと、秋子さんは目の前にはおらず、キッチンから顔を出して、オレの方を見ていた。
「…はい?」
オレが振り返ると、秋子さんは首を傾げて
「わたしは、もうしばらくしたら名雪も起きてくると思いますから、それから買い物に行こうと思いますけど…祐一さんはどうしますか?」
「…そう…」
オレは秋子さんの顔から、窓の外に目をやった。
傾いた陽が、わずかにオレンジ色に染まりだしていた。
時間は…だいたい4時。
お茶のせいか、逆にお腹が少しだけ減っているのを感じる。
「…今から、オレ、出かけます。」
オレは秋子さんに言った。
とりあえず、用事もないし…どこかで何かを買って食べよう。
それに…今日は休日だし。あゆもきっと、今日はバイト…
オレはソファから立ち上がった。
「…そうですか。」
秋子さんは頷くと、
「行ってらっしゃい。」
「はい。行ってきます。」
オレは廊下に出て、玄関に掛けてあるコートを羽織ると、日の傾いてきた雪景色へと外に出た。
 

カランカラン

ドアベルの音。
祐一くん…?
カウンターに隠れて、入り口を…
「…い、いらっしゃいませっ」
…違った。
ボクは急いでお客さんのところへ、メニューを持って行く。
「…どうぞこちらへ。」
女の子が二人。
常連さん。
「あたしは…チョコパフェ。」
「わたし…イチゴサンデー。」
「はいっ」
メニューとレシートを持って、カウンターに戻る。
「店長、これ。」
「はいよ。」
店長さんはレシートを受け取って、順にはさみ込んで…
「…あゆちゃん。」
「はいっ」
「…待ち人来たらず、だね?」
「…え?」
見上げると、店長さん、ニコニコ…
…ニヤニヤ笑ってる。
「そ、そんなんじゃないですっ」
「…そうかい?」
店長さん、そのまま引っ込んじゃった。
…うぐぅ
べつに、待ってるわけじゃ…

…ないよ…

…待ってるのかな。
今日は…多分、来る…
…祐一くん…

…来ないでほしい。
来なければ、ボクは…
ボクは…

…来ない
来る
来ない
来ないで…

カランカラン

ドアベルの音。
ボクは…

「ごめん、遅くなって!」

入ってきたのは、香奈美さんだった。
「…あ、こんにちわ…」
「あゆちゃん。ごめんね、遅くなって。」
香奈美さんは言って、いつものように笑いながら
「サークルで引っかかっちゃってね。」
「そ、そう…」
「……あゆちゃん?」
ボクの顔を見て、香奈美さんは首を傾げた。
「…どうしたの?」
「え?」
「…あ、香奈美ちゃん、いらっしゃい。」
店長さんが店の奥から、ニコニコ笑いながら
「あゆちゃん、これ、お願い。」
「はいっ」
ボクは店長さんの置いた、チョコパフェとイチゴサンデーをお盆に載せた。
「じゃあ、着替えてくるから、その次から代わるわ。」
「うん。」
ボクは香奈美さんに頷いて、お盆をお客さんに運んだ。
お客さんの方の前に、注文の品とレシートを置いて戻る。
バイトも、もうすぐ終り。
外は…もうずいぶん日が傾いている。
時間は…4時。
…冬はすぐ、夕方になっちゃうな…
「…あゆちゃん。」
「…はい?」
振り向くと、店の奥から香奈美さんが出てきてた。
百花屋の制服…香奈美さん、似合うよね…いつも思うけど…
「…あゆちゃん、今日…」
香奈美さんはピンクのスカートの皺を直すと、ボクを見て
「…ずっと待ち人状態なんだって?」
「…え?」
見ると…香奈美さんの後ろ、店長さんのニコニコ顔。
もう…
「そ、そんなわけじゃないですっ」
「ふうん…ホントに?」
香奈美さん、ボクの目をじっと覗きこんだ。
切れ長の目…ちょっといたずらっぽくクルクルと…
「…ち、違います」
「…ふうん?」
「…ボ、ボク…」
ボクはあわててカウンターの後ろに駆け込んだ。
「交代します!」
「…あははは。」
香奈美さんの笑い声。
ニコニコしている店長さん。
うぅ…遊ばれてる…
ボクは店長さんの横を抜けて、店の奥に駆け込む。
そして、すぐに元の制服に着替えるとコートを手に飛び出した。
「…ご苦労さま」
「はいっ」
店長さんに頭を下げて、カウンターから出る。
「…あゆちゃん。」
「…お疲れさまっ」
頭を下げると、香奈美さんはにっこり笑った。
「…お疲れさん。」
「じゃあ、また明日っ」
「…うん。」
ボクはドアを開けて、外へ…
「…あゆちゃん?」
「…はい?」
振り返ると…
香奈美さんが笑って、右手の親指を出すと
「あゆちゃん…ガンバレ!」
「……香奈美さん…」
…何を頑張れっていうの?
もう…
「…はいっ」
でも、ボクは頭を下げると、外に出た。
香奈美さんなりに、気を使ってくれてるの、分かるし。
だけど…
祐一くん、今日は来なかった。
ボクは…
ホッとしてる。
今日も、言わなくてすんだから…
…でも…
…はあ。何か…このまま帰るのも…
「…どうしようかな…」
いつもの商店街。
帰り道は、先を右に曲がる。
でも…
…そういえば、お腹、減ったな。
今日はお昼、サンドイッチ少しだけにしたから…
帰る前に…なんか食べていこうかな。
見回すと…
…そういえば、しばらく食べてないな、あの…肉まん。
冬だけなんだよね…ちょっと高いけど…
ボクは財布を覗いた。
…うん。大丈夫…ボクだけなら。
帰る前に食べちゃえば、いいよね…
うん。そうしよう。
「すいませんっ!肉まん一つ、下さい!」
「…はいよっ」
湯気でいっぱいのケースを開けて、おばさんが肉まんを一つ、紙袋に入れた。
「はい、一つね。」
「うん!」
お金をわたしながら、袋をもらう。
「…あちち」
「あはは。熱いうちに食べるとおいしいよ。」
「うん!」
ボクは袋を手にして、ちょっと開けて見る。
暑い湯気と…おいしそうな匂い。
楽しみ、楽しみ。
でも、帰る前に食べないと…みんなに悪いよね。
思いながら、ボクは商店街を見回した。
どこで食べていこうかな…
百花屋…ってわけにはいかないよね。
ゲームセンター…は空気、悪いし。
うーん…
「…にゃあ」
「…?」
小さな…声。
足元に、何か…まとわりついて…
「…お前…」
「…にゃあ」
…仔猫だった。
白い体…黒い靴下と耳。長い尻尾…シャムみたいな…
「…にゃ」
仔猫は見上げると、また鳴いた。
何か…袋を見ているみたい。
「…お前…肉まん、食べたいの?」
「…にゃあ。」
…偶然だとは思うけど…
仔猫はボクを…袋を見あげたまま。
うーん…どうしようかな…
仔猫の顔を、ボクは見た。
何か、物欲しそうな…でも…なんか寂しそうな…
「…お前、ついてきたら…分けてやるよっ」
「…にゃあ」
仔猫は頷いた…ように見えた。
「…よしっ」
ボクは仔猫に笑うと、ゆっくり歩きだした。
行く場所は…決まってる。
ボクのお気に入りの場所。
 

そう、ボクのお気に入りの場所。
でも…滅多に来ないけど。
ここから見る景色は…特に夕方はきれいだから。
でも…何か、寂しいから…一人では来ないから。
だけど…
今日は一人じゃない。
「…食べるか?」
「…にゃあ」
まだ熱々の肉まんを二つに割ると、湯気がふわ?っと上がる。
おいしそうな肉まん。
ボクはちょっと端をちぎると、足元に置く。
「…さ、どうぞっ」
「………」
仔猫はかけらに近寄ると、パクッと…
…食べるんだ…初めて知ったよ。
おいしそうに食べている仔猫を見ながら、ボクも一口。
…おいしい。
もう一口、頬張りながら、ボクはお気に入りの景色を見る。
この場所から見る…商店街。
後ろの道路…駅。
夕日を浴びて、オレンジに染まって…
このベンチは、ボクのお気に入りだから。
だから…滅多に来ないんだ。
特に一人では…絶対に来ない。
だけど…今日は…
「…お前がいるからさっ」
「……?」
仔猫、顔を上げた。
…食べ終わったからだろ?分かってるよ。
もう一かけ、置いてやる。
仔猫はまた、パクッと口に入れる。
…よく食べるね…
「…ねえ、仔猫ちゃん」
「………」
仔猫はおいしそうにかけらを食べている。
…一心不乱って言うのかな、こういうの。
他になんにも考えないで、食べてる…
「…ねえ、仔猫ちゃん…」
「………」
「…キミには悩みってないの?」
「………」
「…あはは。」
思わず、笑っちゃった。
なに言ってるんだろ、ボク…
ホントに…仔猫に言ってどうなるんだよ…
それに、この子だって、きっと野良なのに…
悩みがないわけがないのにね…

…そうか。

「…お前も…ボクと一緒だね。」
「………」

また肉まんをちぎって、仔猫にあげる。

「あははは…よく食べるね…」

お前…捨て猫かい?
ボクは…捨てられたわけじゃないんだよ。
捨てられたわけじゃないけど…
…一人なのは一緒だね。

「ここはね、仔猫ちゃん…ボクのお気に入りの場所なんだよ。」

夕日が照っているベンチで
こうして座って、
人が歩いていくのを
ぼんやり見つめていると
ボクは…

寂しくて…
でも
何か楽しいことがボクの方に来るような
わくわくした気持ちになれるんだ…
例えば…

…祐一くん…
今日、来なかった…

ホッとして…
でも…
…何か、足りないような…

…寂しい?

違うよっ
寂しいなんて、そんなこと。
ボクは、ただ…
言おうって、決めたから…

今日は言わなくてすんだみたい。
だから、ホッとしてるだけ…
それだけ…

…でも

今日、来なくても
明日、来たら
言わなきゃいけないんだ

明日、言わなくても
明後日…

明後日、じゃなくても
いつか…

…いつか

言わなくちゃいけないから。
言わなきゃ…

言わないでいても…

…言ったら、祐一くんは…

『…そうなの…あゆちゃん…』
「…あはは。うん。』
そんな目で見ないで…
『大変だね、あゆちゃん…』
『あはは…そんなことないよ…』
ボクはみんなと変わらないよ…
…もう馴れたけど。
笑うのも…笑って、ごまかして…

「…ねえ、どう思う?キミは…」
見下ろすと、仔猫はボクを見ていた。
白いからだが夕日にオレンジ色に染まっていた。
まわりの雪も染まって…
ボクはだいぶ冷たくなってきた肉まんを持って、仔猫に笑いながら
「…もっと食べたいかい?」
 

空はオレンジに染まっていた。
商店街の店野や寝に積もっている雪も、夕日を反射してオレンジ色。
夕日は商店街の向こう、駅の方に見えていた。
家を出てからぶらぶらと、とりあえず商店街に来てはみたものの…
…百花屋にあゆはいなかった。
『あはは。すれ違いね、祐一くん』
…楽しそうに笑っていた香奈美さん。
別に…あゆに会いたくて行ったわけじゃ…
『あら、じゃあ、何しに来たの?』
…思いっきり、それで突っ込まれて。
香奈美さん…オレは苦手かもしれない。
苦笑いをしながら、オレはもう一度あたりを見回した。
…オレンジ色の街。
オレンジ色の…

『…バイバイ』
駆けていく少女
オレは…
『ああ…また明日な。』
まぶしい夕日に目を細めながら…
手を振って…
手を…

…今のは…
なに…誰だ?
思い出せない…
名雪…
…そうかもしれない。
…そうじゃないかも…
顔が…
オレンジ色の光で…
オレンジ色…

…なぜだろう。
向こうに…行かなきゃならない気がする。
何かが…誰かが待っている…
そんな気がする。
それも…急がないと…
きっと、寂しがるから…
…寂しい?誰が?
思い出せない…だけど…

オレは駆け出した。
商店街の向こう、駅の方へと…
駅の方…その前の…
オレンジ色に染まる、確か…
確か、そこには
…ベンチが…
木のベンチ…

オレは立ち止まった。
オレンジ色に染まる雪の中で、オレンジ色に染まる木のベンチ。
そして…

「…あゆ。」
「…え?」

座っていた小さな少女…
ベージュ色のダッフルコート…
頭の白いリボン…
…あゆが顔を上げた。
「…よう、何してるんだ?」
「……あ…」
あゆはあわてたように立ち上がる。
その手から、何か白い物が…

「…あっ」

あゆの足元から、その白い物をかすめるように何かが…

「あっ…待ってっ!!」
あゆはあわてて後を追う。
…猫?
白と黒の…猫。
「…あゆ?」
「祐一くん!捕まえてっ!!」
あゆの叫びに、オレは追いかけた。
その猫…白い体に黒い足と耳、そして長い尻尾の仔猫が、白い物をくわえて、オレンジ色に染まった歩道を駆けるのが見えた。
まだ小さい猫だが、足は早い。
オレが追う目の前で、仔猫は直角に進路を変えた。
ガードレールをくぐって、そのまま道に飛び出す。
車通りの多い国道を、器用に車を避けて…
「…このっ!」
オレはガードレールに足を掛けて…

「だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっ!!!」
「うわっ!」

…気がつくと、オレは歩道に転がっていた。
そして…
オレの腰に、小さな体がしがみ付いていた。
震えながら…
「…ダメだよぉ…」
「………」
しっかりとオレの腰にしがみ付いて…
しっかり…
「…お母さん……」
「……あゆ?」
あゆの振るえる腕を、オレはほどこうとした。
あゆはしっかりとしがみ付いて、離れようとはしなかった。
「…あゆ…」
「…いやだよぉ…」
「…あゆ…」
「………」
「……あゆ?」

「……あ」

あゆはやっと顔を上げた。
涙で顔が濡れていた。
その目が赤く…オレンジ色に…
夕日のオレンジに染まって…
「…祐一…くん?」
「…ああ。」
「……祐一くん…」
あゆは…
オレにしがみ付いていた。
オレは…
「…大丈夫。」
「………」
「…な、あゆ…」
「………」
あゆはしばらく、そのまま震えていた。
オレは座ったまま、あゆを…
抱きしめていた。
 

「…ごめんね、その…取り乱しちゃって…」
あゆの震えが留まったのは、それからしばらくしてからだった。
もう、あたりはオレンジから赤に染まっていた。
オレたちはあゆが座っていた木のベンチに座っていた。
あゆはやっと顔を上げると、オレの顔を見ていた。
ちょっと微笑んで…
…いや、少し無理している顔。
「…いや…」
オレは空を見上げた。
赤い…夕焼けの空。
あゆは…黙った。
オレも黙っていた。
あゆのさっきの言葉を思い出していた。
『お母さん…』
『いやだよぉ…』
あゆは確かにそう言った。
それは…
…いや、やめよう。そんなことを考えるのは。
あゆが言いたくないなら…聞くべきじゃない。
オレは…
「…祐一くん。」
「…うん?」
声に目を落とすと、あゆはオレを見ていた。
「…びっくりした…でしょ?」
「……そうだな。」
オレはあゆの顔を見て、ちょっと笑った。
「…お前がこんなに積極的とは思わなかったぞ。」
「…え?」
「いきなり抱き着いてくるんだからな…」
「…そ、それは…」
「相手があゆでも、さすがにちょっとオレもどきっとしたぞ。」
「…うぐぅ」
例によって言葉に詰まるあゆ。
でも、すぐに顔を上げると
「…祐一くん。」
「…ん?」
「…ありがと。」
「………なんだよ」
突然のあゆの言葉に、オレもちょっと恥ずかしくなって、あゆの頭をぐりぐりと…
「…あっ」
と、あゆはちょっと焦ったようにオレの手を見た。
…そういえば、前も…
「…すまん。」
「…あ、ううん…」
あゆはあわてて首を振ると、顔を下に落とした。
オレは手のやり場に困って、とりあえず、手を膝に…
「…ボク…祐一くんに、内緒にしてたこと、あるんだ。」
「………」
あゆはオレを見上げていた。
少しうるんだ、でも真剣な瞳…
「…何だよ。」
「…うん…」
あゆは口を閉じて、また目を落とした。
何かを決心するように…
オレはそんなあゆに
「…なあ、あゆ…別に…」
でも、あゆは顔を上げると、オレの言葉の上から
「…ミイちゃん、知ってるでしょ?」
「え?」
いきなり、全然関係ないミイちゃんのこと…
「…あゆ…ミイちゃんの知り合い?」
「……祐一くん、ミイちゃんに…ビスケット、買ってあげたよね?」
「…なんで知ってるんだ。」
オレはさすがに驚きながら、あゆの顔を見た。
あゆはちょっとだけ、くすっと笑った。
「…ミイちゃん、ハンカチを二回洗濯した…お姉ちゃんの話して。そのお姉ちゃんに、祐一くん、ビスケット買ったんだよね。」
「…ああ。」
「…そのお姉ちゃん…ボクだよ。」
「……え?」
わけが分からず、オレはあゆを見た。
ミイちゃんが言ってたのは、施設の…園のお姉ちゃんのことで…
…そのお姉ちゃんが…あゆ?
…ちょっと待てよ…ということは……
オレはあゆの顔を見た。
あゆの顔…
…二度洗濯するハメになった、ちょっと頼りないお姉ちゃん…
「…え?」
「…あはは。」
あゆは笑うと、横の国道に目をやった。
赤く染まった横顔で、通り過ぎる車を見た。
「…ボクのお母さんは、ボクがホントに小さい頃にお父さんが亡くなって…それで、ボクを一人で育ててくれたんだよ。だけど…」
「…だけど、7年…8年前になるのかな?急いで道を渡ろうとして…ボクの目の前で…」
あゆの声が詰まった。
オレは何も言えずに、あゆの横顔を見ていた。
夕焼けに染まったあゆの横顔を、ただ見つめていた。
「…その時、ボクも事故に遭ったんだ、と思う…よく覚えてないけどね。」
あゆは目を国道から目を戻した。
オレにはあゆの目に涙が、微かに浮かんでいるのが見えた。
「…それから、しばらく…ボクは眠っていたらしいんだ。何ヶ月も…だけど、ボクは目が覚めて。おかげで、一年、学年が下になっちゃったけど。」
人ごとのように言うあゆ。
オレはそんなあゆの目を、じっと見つめていた。
あゆは目を遠く、赤く染まった商店街を見ていた…
…いや、何も見てはいない目で…
「お母さんも…お父さんもいない…親戚も見つからなくって。で、ボクは施設にお世話になってるんだよ…あはは。」
あゆは自嘲するように笑ってオレを見た。
でも、その目は決して笑っていなかった。
オレの目を真剣に見つめていた。
オレの表情をうかがうように。
そんなあゆの顔を、オレは見つめた。
赤い夕日が映っている、あゆの大きな目を…
「…そうか。」
声がかすれているのが、オレにも分かった。
何を言えばいいのか、分からなかった。
あゆはオレが言うことを、聞き逃すまいとしている。
それは分かっていた。
分かっていたから…だからこそ…
…オレが言う言葉。
オレの…取るべき態度。
「…そうか。」
オレはもう一度、息をついて言った。
最初から決まってるじゃないか。
オレは…
「…もうちょっと早く言ってほしかったな、あゆ。」
「え?」
真剣なあゆの顔が、不思議そうな顔に変わって
「祐一くん…」
「…そうと知ってたら、あんな高いビスケットなんか買うんじゃなかったぞ。」
「…祐一くん?」
「もったいないことしたぞ…あゆになら、ガム一枚でももったいないくらいだ。」
「…ちょっと、祐一くん…それ、どういうことだよ!」
「そのまんまだ。お前がお姉ちゃんだなんて…100年早いわ。」
「…うぐぅ」
例の口癖。
あゆは目を落とした。
でも…
あゆの肩が、震えていた。
でも、それは涙のせいではなくて…
「…あはははは」
あゆは顔を上げて、笑った。
いつものあゆらしい顔で、笑っていた。
そして、オレも思わず笑っていた。
 

「…そろそろ、帰らなくていいのか?」
どのくらいそうして笑っていただろう。
空はずいぶん赤から黒に染まりだしていた。
オレは立ち上がって、あゆを見下ろした。
頭の白いリボンが、落ちる夕日の残光に、微かに赤く染まって見えた。
「門限…あるんじゃないか?」
「あ…うん。」
頷くと、あゆは立ち上がった。
「…家…園まで送ろうか?」
「え?」
あゆはオレを見ると、あわてて手を振って
「…い、いいよっ」
「…なに遠慮してるんだよ。」
「…他のみんなに見られると…何か言われるから…」
「…それは困るな。警察に通報されても困るし。」
「…何でだよっ」
「いや…ロリコンとか…少女誘拐と疑われるかと。」
「…うぐぅ」
あゆは言葉に詰まったが、すぐに顔を上げた。
「…じゃ、ボク、帰るね。」
「…おう。」
「…うん。」
そして、手を振りながら、あゆは歩道を駆けて…
「…あゆ!」
オレはその後ろ姿に声を掛けた。
あゆは振り返ると、首を傾げて
「…なに、祐一くん。」
「お前…明日もバイトか?」
「うん!」
「…何時から?」
あゆはオレの顔をじっと見た。
そして、にっこり頷いた。
「…2時から5時だよっ」
「…そうか。」
「うん!」
あゆは大きく頷くと、
「…じゃあねっ」
オレに手を振ると、振り返って駆けていった。
「…じゃあなっ」
暗くなっていく空の下、オレの声が聞こえたのか、あゆは駆けながら手を振った。
そして、ベージュ色のコートが、国道沿いの道を駆けて…
オレはその姿が消えるまで、そこに立って見ていた。
黙って見送っていた。
 

空はもう真っ暗。
だんだん、星も出てきている。
あたりはすっかり冷えてきて、走っているボクの吐く息も真っ白。
ボクは走りながら、星の出ている空を見あげた。
何となく、うれしかった。
ううん、何となくじゃなく…
…こんなことなら、悩まないで言えばよかった。
やっぱり、祐一くんは…
うん。いい人、だよね…
だから、ボクは…
…ボクは?
ボクは立ち止まると、すっかり冷たくなった顔をこする。
…何考えてるんだよっ
ボクは…ボクは別に…
祐一くんなんて、口が悪いし…いつもボクのこといじめるし…
それに…
…でも。
ボクのこと、聞いても変わらなかった…
ボクのこと、震えてる…ボクを抱きしめてくれた…
…暖かくて…強く…
「…わっわっわっ」
な、何考えてるんだよっ
うぐぅ…やめやめ!今の…なしっ
ボクは首を振って、また走り出した。
もうすぐ今日の約束の門限…走らないと間に合わないよっ!

すっかり暗くなった道を走りながら、ボクは…
ちょっと顔が熱かった。

<to be continued>

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…筆者です。
「仕切り屋・美汐です。」
…はぅ…何でこんなに長いんだよぉ…
「…確か、エピソードを削ったんじゃなかったんですか?」
…削ったんだよ。削ったんだけど…まず、秋子さんがあんなにしゃべるとは思わなかったし…その上、仔猫とのエピソード…あゆの告白…もっとシンプルで短いはずだったのに…
「…というか、あなたが書いたのではありませんか?」
…そうなのよ(涙)そうなんだけど…はあ。また1.5倍の長さ…2倍の時間が掛かったし…ていうか、一日で書いた長さとしては一番だぞ、これ…それも、風邪をおして(爆)
「会社まで半休して…風邪は口実だとしか思えません。」
…違うよぉ…喉と微熱、ホントにあるんだよ…ということで、次はちょっと間が開く予定。
「奥さんと子供が帰ってくるからでしょう?」
…そのとおり(苦笑)次はいつ書けるかな…あはは。

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