約束 (夢の降り積もる街で-12)


あゆSS。

シリーズ:夢の降り積もる街で

では、どうぞ。

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『元気になって、一緒に外、遊びに行こうね。』

『うん』

頷く栞ちゃんが

『約束だよ』

『約束、ね』

『約束』

そう、約束したよね

ボクと
 

キミと
 

約束して
 
 

『…約束な』

『明日の朝は…』
 

キミの
 

キミは
 

キミは…誰?
 
 

『…いつもの場所で…』
 
 

キミは誰?
 

『…うん』
 

ボクは頷いて

ボクは約束を

キミと

ボクと
 
 

ボクは…
 
 

約束 (夢の降り積もる街で-12)
 

1月20日 水曜日
 

…ボクは目が覚めた。
窓のカーテン越しに、朝の光がさし込んで、部屋は明るかった。
枕元の時計を見ると…時間は、7時15分すぎ。
起きるにはまだちょっと早い。
ボクは思わずため息をつくいて、布団に入り直した。
そして、ぼんやり明るい天井を見上げた。

今のは…栞ちゃんの…夢。
退院して、きっとどこか一緒に遊びに行こうって、約束した…
栞、ちゃん…
病院でのボクの、一番の友達。
キミが…まさか…
だから、きっとボクは…

…ううん、それだけじゃない。

ボクは首を振って、目をつぶった。
さっきまで見ていた夢を思い出そうとした。

さっきまでの夢の中、ボクは…
他の誰かと約束を…
ボクは…
いつもの場所って…
それに、いったい、ボクは誰と…

…頭が、少し痛い…
何か…
ボクは…

何かが邪魔をしていた。
白い何かが…邪魔をして…
どうしても思い出せない…何か、そんな…

「…お姉ちゃんっ!」

廊下をバタバタ走る音。
ボクの部屋に近づいてくる。
ボクは目を開けると、起き上がって廊下を見た。
「お姉ちゃん、電話電話っ!」
ミイちゃんが入ってくるなり、いきなりボクに叫んだ。
「…電話?」
「うん、お姉ちゃんに。」
ミイちゃんは大きく頭を振る。
誰だろ、こんな朝から…
「…電話、誰からだった?」
「えっとね…」
ミイちゃんはちょっと首をかしげると
「…確か、かなみさんって言ってた。」
「かなみさん?」
ボクの知り合いで、かなみさんといえば…あの、バイトで一緒の香奈美さんしかいないはず。
それに、うちの電話を教えてある人自体、そんなにいないんだし。
「…うん、分かったよ。」
ボクはあわててベッドから立ち上がると、パジャマの上に着る上着を持って廊下を駆けだした。
 

「もしもし、代わりました。あゆですけど。」
置いてあった受話器をとってボクが言うと、電話の向こうから、聞きなれた声が
「もしもし、あゆちゃん?わたし、香奈美よ。朝からごめんね。まだ寝てた?」
「いえ、ちょうど起きたところだったから。」
「ホント?だったら、いいけど…」
香奈美さん、いつになく申し訳なさそうな感じで
「電話掛けたら迷惑って分かってたんだけど…ごめんなさいね。」
「いえっ、別に…」
「どうしても、できたらあゆちゃんにお願いしたいことがあって。」
「え?なんですか?」
「うん、えっとね…」
電話の向こう、香奈美さんはいつになく言いにくそうに
「…あゆちゃん、今日…帰りは遅い?」
「ボクですか?」
ちょっと、思い出してみる。
今日は6時間目までで…
「…多分、3時半くらいには終わると思うけど。」
「その後、何か約束でもある?」
「ううん。別にないです。」
「そう…」
香奈美さんが、ちょっと息をつくのが聞こえた。
「…ねえ、あゆちゃん。」
「はい。」
「その…今日、バイト、代わってもらえないかな?」
「え?今日のバイト…ですか?」
「うん。」
ちょっと、ビックリ。
そんなことを香奈美さんが言ってきたのは、初めてのことだし。
今日の香奈美さんのシフトは、確か、4時から…7時。
普通の園の門限、6時だから、遅くなっちゃう。
でも…
「…いいですよ。」
ボクは言った。
だって、香奈美さんにはいつもお世話になってるから。
だから、お返し、しなきゃ。
「本当?」
「はいっ」
「…別に、無理しないでね。ダメなら他にあたるから…」
「無理じゃないです。大丈夫だから。」
「…本当に?」
「はいっ」
ボクが言い切ると、香奈美さん、電話の向こうでほっと息をついた。
「…ありがとう、あゆちゃん。」
「いいえっ、どういたしましてっ」
でも、香奈美さん、バイトを休むとか、ほとんどしたことがないのに…
何で今朝、急に変わってなんて言うんだろ?
「それより、急に…どうしたんですか?」
「え?」
「香奈美さん、ボクが知るかぎり、バイト休んだこと、ないのに。」
「…あはは、まあね。今日は、ちょっと…」
ちょっとどぎまぎしている感じの声。
あ、ひょっとして…
「…香奈美さん、デート?」
「ええっ!?」
いきなり大きくなった声。
あはは、図星、だね。
「…やっぱりねっ」
「あ、違うのよ、あゆちゃん。別に…」
あわてる香奈美さんに、前に香奈美さんに言われたセリフ。
「…真奈美さん…」
「…うん?」
「…ガンバレっ」
ボクが言うと、香奈美さん、ちょっと黙った。
でも、すぐに
「…うん。」
と言うと、香奈美さんは笑って
「あははは。お返し、されちゃった。」
「えへへ。」
ボクも思わず笑った。
香奈美さん、しばらく笑うと、
「…じゃあ、ホントにお願いするね、今日。」
「はいっ!安心してデートしてきて下さいねっ」
「…あはは。このお返しは、またするからね。」
「あ、そんなの…気にしないで下さい。いつも、お世話になってるし。」
「そうはいかないわ。今度、必ずね。」
「えっと…」
真剣な香奈美さんの口調。
この間の、百花屋での話…だよね。
じゃあ…
「じゃあ、そのうちに。」
「ええ。じゃあね、あゆちゃん。」
「じゃあっ」
香奈美さんからの電話は切れた。
ボクは受話器を置いて、振り返ると
「…あれ?ミイちゃん?」
「…お姉ちゃん…」
ミイちゃんが、ちょっと恨めしそうな顔でボクを見上げていた。
「どうかしたの?」
ボクが聞くと、ミイちゃんは口をとがらせて
「…お姉ちゃん、今日…バイト、行くの?」
「うん。今の電話のお姉ちゃんと代わって、ね。」
「…………」
ミイちゃんは口をとがらせたまま、黙ってボクを見上げていた。
ボクはミイちゃんの顔、見つめて…
「…あ」
思い出した。
今日、ミイちゃんと、学校が終わってから商店街に行く約束だったっけ。
「ミ、ミイちゃん、ごめん…」
「お姉ちゃん、忘れてたんだ…ひどい…」
「忘れてたわけじゃないよ、忘れてたわけじゃ。」
ボクはあわてて言い訳して
「ただ、今の電話の香奈美さん…お姉ちゃんのバイトでお世話になってる人なんだよ。だから…」
「じゃあ、ミイはどうでもいいの?」
「そ、そういうわけじゃ…」
急いで首を振る。
ミイちゃんは、まだボクの顔を見上げていたけど
「…じゃあ、今度…どっか、一緒に遊びに行ってね?」
「うんうん。」
ボクは大きく頷いて
「約束するよ。」
「じゃあ…今度の休みね。」
「え?お休みは…ダメだよ。」
「どうして?」
「お休みは、お姉ちゃん、バイトだもん。」
「え〜〜〜」
ミイちゃん、大きくイヤイヤをすると
「ミイ、ずっとお姉ちゃんとお休みに遊びに行ってないもん!だから、行こう?」
「だからね、ミイちゃん。ボクはバイトだって…」
「…じゃあさ、今の電話の人に、一日バイト、代わってもらえばいいでしょ?」
ミイちゃん、にっこり笑ってボクを見た。
ボクは…でも…
「…それはダメだよ。だって、いっつも迷惑かけてるんだから。そんなわけに、いかないよ。」
「うーーー」
また口をとがらせたミイちゃん。
そのまま、ボクを見上げて
「…お姉ちゃん、ミイと遊ぶの…嫌なの?」
「え?」
「だって、さっきから…」
「でもね、ミイちゃん…」
「もともと、お姉ちゃんが約束破ったのに…」
「…あ…」
そう言われると…
確かに、約束破ったのは…ボク。
なのに、さっきからダメってばかり…
うーん…
でも、香奈美さんに代わってもらうのは、やっぱり…
「…ねえ、お姉ちゃん…」
ミイちゃんは口をとがらせたまま、ボクを見上げていた。
ちょっと目に涙まで溜めて…
うーん…
あ、でも…
土曜日はどうにもならないけど、日曜日は、バイトは午後からだし…
「…ねえ、ミイちゃん?」
「うん?」
「日曜の午前中だったら、一緒に遊べるけど?」
「ホント?」
ミイちゃんの顔がパッと明るくなった。
「お姉ちゃん、ミイと遊んでくれる?」
「うん。もちろん。」
「やったぁ!」
ミイちゃんは飛び跳ねると、ボクの腕をとって
「ね、どこ行く?何する?」
「えっと、そうだね…」
そんなミイちゃんを見ながら、ボクは考える。
午前中だから、商店街のお店で何か、っていうのはちょっと難しいかな。
午後にはバイトだから、あんまり遠出は出来ないし…
うーん…
ボクは考えながら、目を上げて…
「…あっ」
思わず、声をあげた。
だって、電話の上のところに掛かっている時計が…
「ミイちゃん、大変だよっ」
「え?」
「ほら、時計っ!もう、こんな時間!」
「…あ、ホント!」
時計はもう7時40分を回っていた。
いつもなら、もう着替えて朝食の時間。
「い、急ぐよ、ミイちゃん!」
「うん!」
急いで駆けだしたボクに、ミイちゃんが大きな声で
「あ、でも、お姉ちゃん!」
「え?なに?」
振り返ると、ミイちゃんは廊下の先で首を傾げて
「結局、どこ行くの?」
「…今日、学校から帰ってから、相談しよ?」
ボクは言って、頷くと
「ね?」
「……うんっ」
ミイちゃんは頷くと、自分の部屋へ駆けだした。
ボクも振り返ると、自分の部屋に急いだ。
着替えて…ご飯を食べて…あと、園長さんに遅くなる許可ももらわなきゃならないし。
今日は…忙しいぞ!急がなきゃっ!
 

キンコーン
授業の終わりの、それも今日の最後の授業の終わりのチャイム。
「ふわぁ〜〜」
教師が出て行くと同時に、オレは大きく伸びをした。
「…毎日、眠そうね。」
声に振り返ると、香里が席から立ち上がってオレの方を見ていた。
「まあな。でも、どっかの冬眠女よりはマシ…」
「冬眠女って、誰の事、祐一?」
「そりゃあ、もちろん、名雪…って、あれ?」
オレはマジで驚いて、名雪の方を見た。
「…何で寝てないんだ、お前?」
「…どうしてそんなに驚くのよー」
「どうしてって…なあ、香里。」
「あたしに振らないでよ…」
言いながらも、香里もちょっと驚いた顔で名雪を見つめていた。
名雪はオレたちの顔に、ちょっと口をとがらせると
「…わたしだって、起きてることがあるんだよ…っていうか、いつも起きてるよ。」
「…それは嘘だな。」
「…そうね。」
「なんでよー」
「…だって、なあ?」
「…まあ、ねえ…?」
「うー…ひどい…」
名雪は口をとがらせたまま、オレたちをちょっとにらんでいたが、
「あ、こんなことしてる場合じゃないんだよ。」
と、手をぽんと叩くと
「わたし、行かなきゃいけないんだよ。」
「…どこへ?」
香里が聞くと、名雪はにっこり微笑んで
「部活だよ。」
「…今日は舞踏会があるから、部活もないんじゃないのか?」
オレが言うと、名雪はにっこり微笑んで、
「そうだよ。今日は部は休み。」
「…待てい!」
オレは思わずツッコミを入れて
「今、名雪、お前…部活に行くって言ったじゃないかっ!」
「うん。部はお休みだけど、部活はあるんだよ。有志で、筋トレだけだけど。」
「…なるほどね…」
「…って、納得するな、香里っ」
「でも…まあ、舞踏会に出る気がないんだから、何やってもいいんじゃない?」
「そうそう。」
頷く名雪。
まあ、そういえばそうなのだが…
「…何か言ってくれ、北川…」
オレはとりあえず、味方を増やそうと振り返って…
「…あれ?」
「北川くんだったら、チャイムがなると同時に教室を走って出ていったわよ。衣装を持って。」
「…衣装?」
「ええ。」
香里は大きく頷くと
「北川くん、『今年もばっちり決めるぜっ!』って言ってたわね…」
「………」
オレはどうやら、今日まで北川という奴を誤解していたのかもしれない。
まさか、そういう奴とは…
「…ちなみに、去年の衣装は黒のタキシード、胸元に赤いバラ、だったわ。」
「…香里、見たのか?」
オレは香里の顔を見た。
香里は肩をすくめると、
「あたしは参加しなかったんだってば。参加した友達の話よ。」
「…で?」
「思いっきり、滑ったって感じだったようね。」
「…だろうな…」
オレは北川が黒いタキシードで決めている姿を想像した…
そして、思わず吹き出しそうになった。
「…ご苦労な奴だな…ま、検討を祈る。」
「…同じく。」
「……なんか、北川くん、可哀想かも…」
名雪だけがちょっと顔をしかめたが、すぐに首を振ると
「じゃあ、わたし、行くね。」
「…おう。じゃあな。」
「頑張ってね。」
「うん!」
名雪は大きく頷くと、鞄を持って教室を出ていった。
オレと香里は名雪の後ろ姿をそのまま見送っていた。
名雪の姿が見えなくなったところで、オレは香里に振り返った。
「…あいつはあいつで、違う意味で…ご苦労な奴だよな。」
「…誰の事?」
「名雪だよ。」
オレの言葉に、香里は顔をしかめると、オレの顔を見つめて
「ああすることで…部活に熱中する事で、気持ち、まぎらわしてきたのよ、あの子。」
「…え?」
「……わたしに昔、言ったことがあるの。『ただ待ってるだけじゃ辛いから…いろいろ、考えちゃうから…だから、こうして…前向き、前向きって、体動かしたくて…』って…」
「………」
「………」
香里はオレの顔を見つめていた。
その目は、厳しくオレを…
「……いえ、ごめんなさい。」
と、ふいに香里は目をオレの顔から、窓の外にやると
「…それは名雪の言い分だし…あなたの気持ちの問題だものね。」
「……香里?」
オレは思わず、香里の顔を見た。
香里は窓の外の景色をぼんやり見つめていた。
窓の外は今日も晴れて、わずかに傾いた日に雪が輝いていた。
香里は少し目を細めて、光る雪景色を見つめていた。
「…あゆちゃんとは…」
「…え?」
オレは不意の香里の言葉にビックリして
「…あゆ?」
「…今日は、約束してる?」
「…いや。」
「一緒には、帰ったんでしょう?」
「ああ。でも、約束もせずに、別れたよ。」
「…そう。」
香里は息をつくと、真剣な顔でオレに向き直り
「…あゆちゃん…あの子、いい子よ。」
「…ああ。」
オレは頷いた。
「…あの子も、いい子なのよ…」
香里はオレの顔を見ながら、つぶやくように続けると
「…だから…」
「………」
「…やっぱり、いつまでもはっきりさせないのは、良くないんじゃないかしら?名雪のためにも…あの子のためにも。」
「………」
香里の言葉に、オレは黙っていた。
オレにも、分かっている。
このままじゃ…名雪にも、あゆにも…
でも…

なんなんだ、この…不安な…
思い出す…
思い出したくない…

いや、そんなことは今、問題じゃなくて
問題なのは、オレの気持ち…
オレの気持ちだけ…なのに…

…なぜだろう?
なぜ…オレは一歩、踏みだせないんだ?
何か…何か…
…恐い?
まさか…そんな、ガキじゃあるまいし…
恐いはずが…

…恐いはず…
恐い…

…思い出す…

自分の気持ちを分からない…
いや、分かりたくない…そんな気さえ…

「…ああ、分かってる。」
オレはかろうじて声を吐き出した。
香里はそんなオレからまた目を窓の外にやった。
オレも立ち尽くしたまま、窓の外を見ていた。
窓の外、白い雪景色を見ていた。
 
 

「…寒い」
白い雪景色の中で、オレはため息をついた。
このところの晴天でも全く溶ける気配のない雪は、商店街の屋根を覆って光っていた。
少しは慣れたつもりだが…ただ寒いだけというのが逆に癪に障る。
考えて見れば、この街に来た日以来、雪が降るのを見ていない。
なのに、積もった雪だけは、毎日毎日…
オレはもう一度ため息をつくと、商店街を見回した。
既に見慣れた商店街。
この街に来てから、思えばほとんど毎日来ている気がするのだが…気のせいだろうか?
今日も商店街は適当な人ごみと、いかにもそれらしい匂い…
…甘い匂いに包まれていた。
よく見ると、向こうの角のところに、以前も一度見かけた屋台のたい焼き屋が見えた。
人のよさそうなおじさんが、今日もたい焼きを焼いていた。
餡の焦げる甘い匂いが、商店街を覆っていた。
商店街の中華屋さんは今日も肉まんを売っているし、今だったら、あゆに貸しが返せる…
…なに考えてるんだろうな、オレは。
思わず、オレは苦笑する。
多分、さっきの香里の言葉がこびりついているせいに違いない。
オレは…やっぱり…
ふと気がつくと、オレは百花屋の前に来ていた。
今日は列をついたりはしていなかったが、それでもいつものように店は女子学生でいっぱいだった。
そして、その間を駆け回るウエイトレスは…
…あれ?
オレはもう一度、百花屋の中を覗きこんだ。
そして…
 

カランカラン
「いらっしゃいませっ」
ドアを開くと、元気な声が百花屋の店内に響いた。
オレはとりあえず店内に足を入れると、声の主に右手を上げて
「…何やってるんだ、あゆ?」
「…あ、祐一くん…」
声の主、あゆはオレの顔をちょっと驚いたように見た。
オレはとりあえず店内に入ると、あゆの前を通って勝手知ったいつものカウンタ前の席にさっさと腰をかけた。
「お前、休みの日だけのバイトじゃなかったのか?」
そしてオレが聞くと、あゆはハッとしたように目を瞬かせると、メニューを持って席に近づいてきて
「…あ、うん。」
言うと、テーブルにメニューを置いた。
「ホントはそうなんだけどね、今日は特別…」
「…何か、ヘマでもしたのか?」
「…何で?」
「いや、きっとへまをやったので、その代償に平日も…」
「ちっ…」
あゆは声を上げようとして、あわてて声を落とすと
「…違うよ。香奈美さんの代わり。」
「…香奈美さんの?」
「うん。香奈美さん、今日は用事があるからって…ボク、香奈美さんのシフトの4時から7時まで、代わりにバイトしてるんだよ。」
「ふうん…」
「…香奈美さん、多分、デートなんだよっ」
「へえ…」
香奈美さん、デートか…
まあ、あれだけ目立つ感じで、大学生なんだから、恋人の一人や二人、いない方が不思議だな。
「…祐一くん、がっかりした?」
「…ん?」
見ると、あゆはちょっとニコニコしながらオレを見ていた。
オレは思わず苦笑すると
「…別に。オレ…あの人、ちょっと苦手な感じだし。」
「…そうなの?」
あゆはちょっと驚いたようにオレを見た。
「香奈美さん、いい人だよ?」
「それは認めるよ。でも…何か、オレ…いつもからかわれる感じだからな。ほら、昨日の一件みたいにさ。」
「…まあ、ボクもそうだけど。」
あゆも昨日の見送りの一件を思い出したのだろう、ちょっと苦笑いをした。
「…でも、いい人なんだよ。ボクにも親切だし…」
「…分かってるって。」
「うん。それにね…」
「…あゆちゃん、注文のチョコパフェ、上がったよ。」
不意の声に振り返ると、以前も見かけた店長が、カウンタにパフェの容器を置きながら、オレの方をちらっと見た。
「あ、はいっ!」
あゆはあわててカウンターに行くと、容器をお盆に載せた。
「あと、すぐに抹茶アイスとあんみつ、出来るからね。」
「はい。」
「…それと、コーヒーだね、あゆちゃん。」
「…え?」
あゆは店長の顔を見た。
店長はあゆの顔、そしてオレの顔を見ると、にっこり微笑んだ。
「いつもの、まずいやつね。」
「…店長さんっ」
「…あははは。」
思わず苦笑いをして、オレは店長に頭を下げた。
店長も頷くと、また奥に引っ込んだ。
「…もう…」
あゆはちょっと息をついたが、すぐにお盆のパフェをテーブルへと運んでいった。
そして、窓際のテーブルの横に立つと、にっこり微笑みながら
「…お待たせしましたっ。チョコパフェのお客様は…」
「…はい。」
あゆはお客の前に、音もなくパフェを置いた。
あんまり運動神経など良くないように見えるあゆだが、その動きは流れるようで…
やっぱり、慣れなのだろうか。それとも、実はあゆはああ見えて、運動が…
…それは、ないだろうけど。何度もオレにぶつかるわ、よくコケるわ…
「お待たせしましたっ」
あゆは店長がまたカウンターに出した抹茶アイスとあんみつをお盆に載せると、またテーブルに運んでいった。
二つの容器のバランスをお盆の上で取りながら、テーブルの中を小柄な体がすり抜けていく。ピンクのちょっと短めのスカートがテーブルの裾をかすりそうでかすらない、そんな感じですり抜けて。
…香奈美さんを見ていると、何か優雅な感じだったが、あゆだとちょこまかした感じ。
でも、頭のリボンを揺らしながら、ちょこまか駆けていく姿は、何か可愛い…
…あ、いや…
オレが今度は注文を聞いているあゆから目の前のテーブルに目をやった、その時。
「…ちょっと、君…」
「…え?」
ハッとして振り返ると、店長がオレを右手で手招きしていた。
左手はコーヒーカップをカウンターに置いていた。
「…オレですか?」
「うん。これ…君のだよ、あゆちゃんの恋人くん。」
「…あはは。」
オレは苦笑いすると、立ち上がってカウンターに寄って
「オレ、違いますって。」
「…コーヒー、違ったかい?」
「いえ、そうじゃなくて…」
「じゃあ、どうぞ。わたしのおごりにしておくから。」
言うと、店長はにっこり笑って
「でも、ごめんね、あゆちゃんと話できなくて。」
「あ、いや…」
オレはまた否定しようとしたが、店長は無視して続けて
「今日は前の子が4時半には帰っちゃってね。ホントは5時まで一緒にやってくはずなんだけど…何か、そのせいであゆちゃん、大忙しなんだよ。」
「…はあ。」
オレは無駄な事はやめて、頷いた。
ひょっとしたら人の話を聞かないのが、この店の人たちの共通の特徴なのかもしれない…
「だから…」
店長は、オレのそんな気持ちに気付くはずもなく
「あゆちゃんとお話もしたいだろうけど、ともかく、この時間…」
「店長、オーダーお願いっ!」
その時、あゆがレシートを持ってカウンターに寄ってきた。
「イチゴパフェとチーズケーキ、ミルクティー、各一つですっ!」
「はいよ。」
店長は頷くと、また奥に引っ込む。
あゆはレシートをカウンターに並べると、小さく息をついた。
「…忙しそうだな。」
そんなあゆに、オレが言うと
「…まあね。」
あゆはちょっとだけ微笑んだ。
「でも、だからボクなんか、雇ってもらえるんだし…」
「………」
オレはあゆの顔を見つめた。
時々、あゆはこんな感じで、妙に自分を卑下する…
いや、ちょっと卑下し過ぎる気がする。
前からちょっと気になっていたのだが…
「…なあ、あゆ。」
「うん?」
オレを見上げたあゆの目を、オレは見つめると
「…お前、ウエイトレス…結構、似合ってるぞ。」
「な、何を…」
あゆは顔をちょっと赤らめた。
「祐一くん…」
「それにな、結構それらしくやってるじゃないか。オレ、ちょっと感心したぞ。」
「…でも、香奈美さんだったら、もっと…」
「まあ、香奈美さんにはかなわないのかもしれないけど…よくやってるよ、あゆは。だから、もうちょっと自信、持てよ。」
「……え…」
あゆは大きな目を見開いてオレを見つめていた。
ちょっとその瞳が、薄暗い店内の灯に揺れていた。
オレはちょっと照れて、目をそらすとカウンターのコーヒーを飲んだ。
「…うん。」
振り返ると、あゆが頷いていた。
そして、あゆはちょっと照れたように笑った。
「…何か…祐一くん…今日はいつもの祐一くんじゃないみたいだね。」
「…何なんだ、そりゃ。」
「何か…香奈美さんみたい。」
「…おいおい…」
「だって、香奈美さんにも同じようなこと、言われたことあるから…」
あゆは言うと、えへへと笑った。
オレはそんなあゆの頭をぐりぐり撫でた。
「…やめてくれよ、縁起でもない。」
「あ、香奈美さんに言っちゃおうっと。」
「…それも勘弁してくれ。これ以上、香奈美さんを敵にまわしたら…」
「…それも言っておくよっ」
「ぐはぁ…」
「あははは。」
あゆはお盆で口を隠すと、くすくす笑った。
オレも思わず、苦笑い。
「…お二人さん、楽しそうなところ、申し訳ないけど…あゆちゃん、チーズケーキとイチゴパフェ、お願いね。」
「あ、はいっ!」
店長がカウンターに置いた容器を、あゆはお盆に載せると、あわててテーブルに運んでいった。
店長はオレを見ると、またにっこり微笑んで奥へ入っていった。
オレはさすがにちょっと悪い気がして、店の外を見た…
…もう暗くなりかけた店の外、女生徒の行列が出来ていた。
うーん…これはちょっと悪いどころか、完璧に…邪魔かな…
このままあゆと話していれば、完璧な邪魔だろう。
でも…
オレはあゆがちょこまかと、店いっぱいのお客の間をお盆を持ってすり抜ける姿を見た。
いつもの笑顔で、ハキハキとお客に対応しているあゆ…
このまま、一人であの客の数…大変だろうに…
見ているうちに、あゆは注文を置いて戻ってきた。
「…なあ、あゆ。」
オレが話しかけると、あゆは営業スマイルのまま振り向いて
「うん?」
「オレの席…もう、客、案内していいぞ。」
「え?帰るの?」
あゆはハッとしたようにオレの顔を見上げた。
何となく、ビックリしたような…そして、ちょっと寂しいような…
まあ、そんな気がしたのは、オレの気のせいかもしれないけど…
「…ともかく、客、案内しろよ。」
オレはコーヒーを飲み干すと、カウンターの後ろに回った。
「…あゆちゃん、ミルクティー…あれ?」
その時、ちょうど店長が奥から顔を出した。
オレはその手からティーカップを受け取ると、近くにあったお盆にそれを載せて
「…これ、奥の第3テーブルですね?」
「ああ、そうだけど…」
頷く店長に、オレはちょっと頷き返して
「…あゆ、これ…第3ね。あと、オレのいたテーブルはオレが拭いとくから。」
「…祐一くん?」
あゆはぽかんとした顔でオレを見た。
一方、店長はにっこり微笑むと、オレに頷いて奥に戻っていった。
オレは大きく息をつくと、あゆに人差し指を立てて振って見せて
「ほら、早くしないと…お客が帰っちまうぞ。急げ、あゆ!」
「…う、うん…」
あゆはまだハテナマークを頭に載せたまま、カップを載せたお盆を持ってテーブルへ運んでいった。
オレはとりあえず、秋子さんに遅れる旨知らせるべく、店の電話のところへと歩いていった。
 
 

「さよならっ」
「じゃあね、あゆちゃん。また、土曜日、お願いするよ。」
「はいっ」
「…あと、恋人くんにも、ありがとうって言っておいて。」
「…店長さんっ」
ボクがにらんだけど、店長さん、にっこり笑ってお店のドアを閉めた。
ボクはしまったドアにもう一度、頭を下げて、振り返った。
「…寒いぞ、あゆ。」
祐一くんはそこに立っていた。
お店の前、ボクより一足先に出て待っててくれた…
「…ありがとう、祐一くん。」
ボクが言うと、祐一くん、ちょっと黙って
「…帰るぞ、あゆ。」
さっさと歩きだした。
ボクもあわてて後を歩きだす。
もう、すっかり日は落ちていた。
7時…というか、もう7時半だから…あたり前だけど。
商店街の店も、もう店じまいの支度を始めている。
8時には、お店はみんなしまってしまう…
「…そう言えば」
祐一くん、歩きながらボクに振り返って
「今日、例のたい焼き屋、見かけたぞ。」
「え?」
「残念だったな、あゆ。今日、バイトじゃなかったら、借りも返せたのにな。」
言うと、祐一くんはボクに笑った。
ボクはそんな祐一くんの顔、じっと見て
「…ありがとう、祐一くん。」
もう一度言うと、祐一くん、一瞬、立ち止まった。
それから、息をつくと頭を掻いて
「…別にあゆのためじゃないぞ。暇だったからだ。」
「………」
「それに、並んでる女の子たちが可哀想だったからだぞ。まあ、並んでるのがあゆだったら、あんなことはしなかっただろうがな。」
祐一くんの意地悪な言葉。
でも、ボクは黙って聞いていた。

祐一くん、結局、最後まで手伝ってくれて。
最後のお店の掃除まで…
『お前に任せてたんじゃ、日が暮れる。ちょっと貸してみろ。」
なんて言いながら…
やっぱり、祐一くん、優しいよね…

気がつくと、ボク達は駅の前まで来ていた。
…あれ?
祐一くんの家って、反対じゃ…
「…祐一くん?」
「…ん?」
祐一くんが振り返る。
「ボクはあっちだけど…祐一くんの家、反対でしょ?どこ行くの?」
「…なるほど、確かにそうだった。」
祐一くんは肩をすくめた。
そして、ボクを見つめながら
「…じゃ、ついでだから、あゆでも送ってくかな。」
「え?」
祐一くん…?
「い、いいよ、そんなことっ」
ボクはあわてて手を振って
「そんな、そこまで…」
「まあ、ついでだからな。」
「で、でも…」
いくら何でも、そこまで迷惑掛けられないよ…
「これ以上遅くなると、名雪さんの家の人に心配されちゃうでしょ?」
「ああ、それは大丈夫。遅くなるって連絡、もう入れてあるから。それとも何か?あゆの、その…園は、ここから往復1時間も掛かったりするのか?」
「そ、そんなに遠くないよっ」
「じゃあ、構わないさ。さ、行くぞ。」
言うと、祐一くんはさっさと歩きだした。
ボクは…
「…何やってるんだよ、あゆ。」
少し歩いたところで、祐一くんが振り返っていた。
「そんなところで止まってるなよ。それとも、そこが園なのか?」
「…祐一くん…」
「…寒いんだから、早く行って、早く帰らせてくれよ。まったく…」
街灯に、祐一くんの吐く白い息が見えた。
祐一くんはコートのポケットに手をつっこんで、ボクを見ていた。
ボクは…
「…ホントに、いいの?」
「だから、早く行こうぜ。まったく、寒いったら…」
「…うん。」
ボクは頷いて、急いで祐一くんの前まで駆けていった。
そして、振り返って
「…こっちだよ。」
「…おう。」
ボクのすぐ後ろ、祐一くんも歩きだした。
「…しかし、なんか…今日一日で、もう甘いものは見たくないって感じ。」
ボクが黙っていると、祐一くん、話しはじめて
「何で女の子って、ああ甘いものが好きなのかね…」
だけど、ボクは何も言わなかった。
ううん、何も言えなかった。
だって…
祐一くんの優しさ…染みるんだもん…
何か、涙、出そうで…

でも、これって…祐一くん、優しいから…
それだけ…なのかな?
ボクだけじゃなくて…ボクなんか…

『よくやってるよ、あゆは。だから、もうちょっと自信、持てよ。』

そう言ってくれたのも…
優しいから、だけなのかな…
ボク…

祐一くんは、ボクの事…どう思ってるの?
どういうつもりで、優しくしてくれるの?
ただの優しさだったら…

ううん、それでもいい…

…いやだ
いやだよ…それだけじゃ…

こんなこと、思って…
ボク…わがままかな?
ホントはボク、そんなわがままじゃないよ…
だけど…

…祐一くん、好きだから。
だから…

ね、祐一くん…

「…どうした、あゆ?」
「…え?」
間近な声にビックリして見たら、目の前に祐一くんの顔。
ボクを見て、不思議そうにしてる。
「…なんで黙ってるんだ?」
「…え?あ…」
どっ…どきどきする…
「…な、何でもないっ」
「…そうか?」
「そ、そうだよっ」
ボクはあわてて首を振る。
だって…心の準備が…
昨日、はっきりいおうって、確かに思ったけど…
で、でも…
それには、やっぱり心の準備ってものが…
うぐぅ…
よ、よ〜し…

ボクは立ち止まって、大きく息をした。
そして、祐一くんの顔を見上げると
「ゆ…」

「あ、お姉ちゃん!!」

「…え?」
大きな声に振り返ると、ミイちゃんが立っていた。
…よく見ると、もう園の前だった。
ミイちゃんはボクに手を振って走ってきた。
「お姉ちゃん、お帰りっ!」
「…ミイちゃん…」
「待ってたんだよっ!」
ミイちゃん、言いながら、ボクの腕に掴まって
「日曜日のお出かけの事、相談するんだったでしょ?」
「あ、うん…」
「ね、どこ行く?どこ行って遊ぶ?」
「よう、ミイちゃん。」
と、祐一くん、ミイちゃんの頭に手をやって
「…日曜日、ミイちゃん、あゆとどっか行くのか?」
「…あ、祐一お兄ちゃんもいたんだ?」
「…おう。」
ミイちゃん、にっこり笑って
「うん!」
大きく頷く。
「ミイ、お姉ちゃんと今度の日曜日、遊びに行くんだよ。」
「ふーん、そうか…」
祐一くん、ミイちゃんの頭を撫でてながら、ボクの顔を見た。
「でも、あゆ、お前、日曜はバイトじゃないのか?」
「…うん。」
ボクは頷いて
「午後からバイトだから…午前中だけ、出かけようと思って。」
「それじゃあ…あんまり遠くにも行けないし、午前中じゃあ開いてるとこも限られてるだろ?」
「…うん。」
それで、朝は浮かばなくて…
「…行くんだよね?お姉ちゃん…ミイと遊びに行くんだよね?」
ボクたちの話に、ミイちゃん、不安そうにボクを見た。
「…うん、行くよ。」
ボクは頷いた…
でも、どこに行けばいいのか、やっぱり浮かばない。
どうしよう…
「…こんな寒さじゃ、お弁当もってピクニックってわけにもいかないしな…」
祐一くんが、ぼそっと言った…
「あ、それいいねっ!」
ミイちゃん、それを聞きつけて、思いっきり頷く。
「お姉ちゃん、お弁当作って、ピクニック行こう!」
「…おいおい、この寒いのに…」
あきれたように、祐一くん。
「いいのっ!」
ミイちゃん、大きく首を振ると、ボクの腕を引っ張って
「ね、お姉ちゃん、お弁当作ってね。で、どこかの公園でいいから、行こ!ね?」
「…やめとけって。」
祐一くん、ちょっと笑って
「風邪ひくのがオチだし、だいたい、あゆの弁当じゃあ、ひどい目にあうだけだろ?」
「そんなことないもん!ね、お姉ちゃん!」
ミイちゃんが祐一くんを見ながら口をとがらせた。
…そうだよ。失礼だよ、祐一くん…
「ボ、ボクの腕をバカにしないでよっ!」
「バカにしてるんじゃない、正当な評価だろ?」
「…うぐぅ…」
前にもそんなこと言ってたね、祐一くん…
うぐぅ…悔しい…
「祐一お兄ちゃん、ひどい!」
と、ミイちゃんが祐一くんの足をぽかぽか叩きながら
「食べたことないんでしょ、お姉ちゃんのお弁当。すごくうまいんだからっ!」
「…信じられないって。」
「ホントだもん!そうだ、今度一緒にお兄ちゃんも来て、食べてみればっ!」
…え?
「…そうだな。まあ…」
と祐一くん、ボクを見てニヤニヤして
「…前に『バカにした事を後悔するよ』とまで言ってた奴の料理…食べてみる価値、あるかもしれないしな。」
「…うぐぅ」
祐一くんも覚えてたんだ…あの時のこと。
でも、だったら…
「…そうだよっ!ビックリさせてあげるよっ」
「…おう。受けて立とう。」
祐一くんは、ボクを見ながらニヤニヤ笑って
「じゃあ、今度の日曜日に…集合は…」
「駅前で…10時でどうかな?」
「よし。分かった。胃薬を用意しておくさ。」
「…うぐぅ…」
「もう、お兄ちゃん…きっとビックリするよっ!」
ミイちゃんはピシッと祐一くんに人差し指を立ててみせると、
「じゃ、帰ろっ、お姉ちゃん!」
「あ、うん…」
手を引っ張られて、ボクは引かれながら祐一くんに振り返って
「じゃあねっ」
「おい、あゆ、二人じゃ危ないから…」
心配そうな祐一くんに、ボクは首を振って
「大丈夫。ここ…園だよ。」
「え?」
祐一くん、やっと園の門に気がついて、園を見回した。
「…そうか。ここか…」
「…うん。」
「ふうん…」
祐一くんはちょっと見回していたけど、やがて
「…じゃあ、ここで…」
「…うん。」
「じゃあな、あゆ…ミイちゃん。」
「うん!じゃあねっ!」
「…じゃあ。」
「おう。」
祐一くんは手を振ると、振り返った。
そして、コートのポケットに手を入れると、向こうへと歩いていった。
ボクはミイちゃんに手を引かれたまま、祐一くんの後ろ姿、角を曲がって消えるまで見送っていた。
街灯に、祐一くんの姿が消えるまで…

…はあ。
何か、変なことになっちゃったなぁ…
ピクニックかぁ…
商店街の近くの、あの公園でいいかなぁ…

でも、祐一くん、ホントに失礼だよね。
ボクの料理の腕、知らないくせに。
ホント、日曜、ビックリするよ。後悔するからねっ
後悔…

…はぁ

ボクはため息をつきながら、ミイちゃんを見た。

…何で…
ホントに、せっかく決心して、言おうとした時に…
なのに…タイミングが…
その上、こんなことに…

…あ、でも、日曜日、会えるんだよね。
祐一くんに会える…
ボクのお弁当も食べてもらえるし…

…うん。
そうだ。
その時に、言えばいいんだよ。
ようし、ボク…

…あ、でも、ミイちゃんもいるんだよね…
うーん…

…でも…
うん。
でも、きっと…ボク…

「…お姉ちゃん、どうしたの?」
「…え?」
あわててみると、ミイちゃんが不思議そうにボクを見ていた。
「お姉ちゃん、さっきから、顔、難しい顔したり、笑ったり…変…」
「…うぐぅ」
ボクは顔を手でごしごしこすった。
そして、ミイちゃんに笑って
「さ、帰ろ!」
「…うん…」
「なんなら、競争する?」
「…うん!」
「じゃあ、ドン!」
ミイちゃんとボクは、園の中に駆け込んだ。
 
 

オレはベッドに転がると、ぼんやりと天井を眺めていた。
しかし、秋子さんには…たいしたものだと思う。
電話をした時にも、遅れて帰ったオレにも、理由は一言も聞かないで食事を温めて…
食事が終わっても、言ったのは二言だけ。
『お粗末さまです。』
『名雪が上がったら、次にお風呂に入って下さいね。』
正直なところ、いろいろ聞かれるかも、と思っていたオレは、逆にちょっと拍子抜けしてしまったくらいだった。
…いや、別に聞いてほしかったわけじゃないけれど。
聞かれて困るわけじゃないけど、説明するのが、ちょっと…
まず、あゆのことをどう説明するか…
…あゆとミイちゃんと、日曜日にピクニック…
この寒いのに、ピクニックとはな…
思わずベッドの上で、オレは苦笑する。
もうちょっと、あったかくなってからじゃないか、ピクニックなんて。
その上、弁当をあゆが作るときた…マジで大丈夫なのか?
オレはあゆがエプロン姿でキッチンで働いている姿を想像してみた。
…なぜか、前に想像したよりも、案外出来そうな気がした。
あゆのウエイトレス姿を見慣れたせいだろうか?
くるくるとテーブルの間をお盆を持って運ぶ姿。
香奈美さんにはかなわないかもしれないけど、ホントになかなか板について…
…もうちょっと、ホントに、あゆ、自信を持ったほうがいいと思う。
そりゃあ、境遇のこと、気にしてるんだろうけど…
でも、あいつはあいつで、ホント、結構…
…って、何を考えてるんだろうな、オレは。
オレは思わず苦笑して、ベッドから起き上がった。
名雪が部屋に戻った様子はなかったが、とりあえずリビングに行ってみよう。
オレは思って立ち上がると、部屋のドアを開けた。
「…わっ!」
「…っと!」
目の前に、名雪が立っていてびっくり。
名雪の方も驚いて、目を見開いて壁の方まで後ずさっていた。
「…びっくりしたよ…」
「それはこっちのセリフだっ」
「だって、祐一がいきなり、ドア開けるんだもん。」
「ぼーっと立ってるのが悪い。」
「ぼーっと立ってたわけじゃないよ。」
名雪は体勢を立て直すと、ちょっと口をとがらせて
「お風呂、上がったから、どうぞって言おうと思ったんだよ。」
「ああ…そりゃどうも。」
「うん。早く入ってね。おかあさん、遅くなっちゃうから。」
「おう。」
しかし、まだ9時前なのだが…
この家の人々の夜の早さには、ちょっとついて行けない気がする。
まあ、この辺ではこんなものかもしれないが…
「…じゃあ、入ってくるから。」
オレは名雪に言うと、階段に向かった。
そして階段に足を駈けて、ふと、振り返った。
名雪がそのまま、部屋に戻らずにそこに立っているのが、目の端に見えたからだった。
「…どうかしたのか?」
名雪はさっきのオレの部屋の前に立ったままだった。
立ったまま、オレの方を見ていたようだった。
「…あ、うん…」
暗い廊下の電灯の下、名雪はちょっと曖昧に口ごもった。
赤い猫柄の半纏の裾、握っている右手に、ちょっと力が入るのが…
「…祐一、また映画…行かない?」
「…映画?」
「うん。」
名雪は頷くと、
「また映画の券を二枚、おかあさんがもらってきたから。今度は、アクション物だよ。」
「ふうん…いつ?」
「今度の日曜日。」
「…日曜?」
思わず、オレは名雪の顔を見返した。
「日曜の…いつ?」
「えっと…12時半だけど。」
「12時半…」
あゆたちとの約束は、10時。
あゆのバイトは、この間の日曜から考えて…1時から4時だろう。
とすると…
何とかならないこともない。
あゆたちの方を早めに切り上げれば、間に合うようにできるだろう。
多分…
…でも…
「…悪い。日曜日は、ちょっと…用事が。」
オレは名雪に頭を下げた。
「あ、ううん、いいんだよ。」
名雪は慌てて手を振ると
「だったら、香里を誘うから。」
「…そうか。」
「うん。だから、気にしないで。」
「…ああ。」
頷くと、オレは階段を2、3段…
「…日曜の用事って…何?」
「…え?」
振り返ると、名雪はオレを見つめていた。
名雪の大きな瞳に、ほの暗い廊下の電灯が微かに反射していた。
その光が、瞬いて…
「…誰かと…会ったり…?」
「………」
オレは階段の途中、暗がりから名雪を見上げていた。
少し強い風に、窓がガタンと鳴るのが聞こえた。
「…そういうんじゃないって。ただ…日曜だけは、ちょっとな。」
「………」
「…じゃ、お休み、名雪。」
オレは目を階下に移して名雪に言うと、階段を降りていった。

オレが脱衣場に入るまでに、名雪の部屋のドアの開く音は聞こえなかった。

<to be continued>

-----
…筆者です。
「仕切り屋・美汐です。」
…ふう。なんとか、当初の予定を大幅に遅れながらも掲載できたよ。
「何か…進展を匂わせてますね。」
…ていうか、今回は第2部のオープニングというか、幕間というかだけだったんだけどね…なんか…うーん…
「…また長さ、計算狂いましたしね…」
…ううっ。予定では、半分くらいの話だったのに…さっさと前後編にすれば、予定通り掲載できたのに…申し訳ないっす。
「いい加減、自分の書く物をきちんと把握して下さい。」
…うぐぅ…それが一番難しかったりして(苦笑)

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