赤い瞳・紅い涙・大きな大きな、大きな木

(夢の降り積もる街で-16)


あゆSS。

シリーズ:夢の降り積もる街で

では、どうぞ。

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夕暮れの赤

夕日に染まる街並

オレンジ色の雪の中

ボクの大好きな景色

ボクは眺めながら

  『あゆ…』

ボクを呼ぶ声

ボクは振り返って

振り返って

  『あゆ…』

見えるのは…雪

見えるのは…木々

遠くに見える街

遥か下に見える…

  『…危ないから降りてこいっ!』

大丈夫だよ

  『なんだよ、それ…うぐぅのくせにっ!』

あはは、負け惜しみだね

  『今日は、登るぞっ』
 

やめて…
 

  『ほら、平気だろ』
 

ダメだよ…
 

  『いいから…』
 

キミは…
 

  『あっ』
 

キミの…
 
 

  『危ないっ』
 
 
 
 
 

白い雪が
風が
音をたてて目の前に…
 
 
 
 

  『祐一くんっ!』
 
 
 
 
 

赤い瞳・紅い涙・大きな大きな、大きな木 (夢の降り積もる街で-16)
 

1月26日 火曜日
 

「…………」

ボクは体を起こしていた。
まだ起きる時間には早かった。

でも、目が覚めた。
夢から覚めた。
夢から…

…夢。
夢を見てた…
はっきりとは覚えてないけど…間違いなく、見てた。
多分、あの時の…夢。
祐一くんの前で、ボクが落ちる夢…

…なんでだろ…
そんなはずないのに。
ボクは…お母さんと一緒に事故に遭ったのに。
祐一くんとは、この間初めて会ったのに…
だから…
だから、こんな夢は…

『あゆちゃん…祐一の気持ちにつけ込まないでっ!ひどい…ひどいじゃない!』

泣いていた…名雪さんの顔。
ボクを…
ボクに…
泣きながら…

『もう、祐一の前に現れないでっ!顔を…姿を見せないでっ!近付かないでよっ!!近付いたりしないでっ!!』

でも、ボク…
何も…してないよ?
ただ…
ボクは…祐一くんを…
そして…祐一くん…も…

どうして、そんな…言われなきゃならないの?
ボクはただ…
ただ…祐一くんが好きな、ただそれだけで
ただ…ボクは…
 

『祐一くんっ』

『あゆっ』
 

…分からないよぉ…
そんなはず、ないのに…
なのに…
どうしてボク、こんな夢みたいなこと…見ちゃうの?
どうして、名雪さん…ボクを責めるの?
名雪さんが祐一くんを好きだから、だからボクを…って、思うけど。
でも…それだけじゃないよ、きっと…
それだけで、あんな…ボクのこと、あんな…

『許さない…これ以上…許さないからっ!』

叫んだ名雪さん…
泣きながら、ボクを突き飛ばした顔…

ボクが祐一くんの…罪悪感につけ込んでるって…
ボクが木から落ちたって…
そのことで、祐一くんが…

そんなはず、ない…
ないのに…
ボクは…

ボク…

カーテンのすき間から射し込む朝の光。
部屋の中を照らして、白く光っていた。
白く…
 

白い雪の上
雪がボクに迫って
風を切る音
落ちる
落ちて

『あゆっ』
 

…こんなの嘘だよぉ…
夢、だよ…
こんなの…

…誰か…
嘘だって言ってよ…
そんなの夢だって…
ボクは…

恐いよ…
ボクが…ボクじゃないみたいで…
ボクの知らないボク…
ボクは…

誰か…
 

…祐一くん…
 

助けて
祐一くん…

助けて…
嘘だって、言って…
ボクを…
ボクを助けてよ…

祐一くん…
 

ボクはシーツを抱きしめて、ベッドで震えていた。
 
 
 

昨日からみれば、まだ目覚めはよかった。
あゆの夢を見なかったわけじゃない…
あゆが落ちる…あの時の…夢。
でも…

『…また明日…会わないか?』

…オレが言った言葉。
オレが言った…

あゆ
オレはあゆと今日、会う。
会って、オレは…

オレは会いたくなかったはずだ。
昨日、あの商店街で出会った時。
間違いなくオレは会いたくなかったはずだった。
でも…

会いたかったんだ。
あの時、オレは会いたかった。
そして…

『…明日も…会いたい。』

言ったあゆの顔。
オレは…

…オレは何がしたいんだろう?
何がしたかったんだろう?
何を…

何をするべきなんだろう?
何をしなければいけないんだろう?
オレは…

オレは頭を振ると、階段を降りていった。
今朝は学校に行く。
これ以上、秋子さんに迷惑を掛けるわけにはいかない。
それに、今日は放課後にオレは、あゆと…

「…おはようございます。」
「…おはようございます、祐一さん。」

オレがダイニングに入ると、秋子さんがいつものように笑顔で迎えてくれた。
オレは秋子さんに今の気分でできる限りの笑顔を見せて、続けて…

「…名雪…」

言おうと思った言葉の代わりに、オレは思わず言っていた。
そして、目の前のテーブルに座るその姿をびっくりしてみていた。
そこに見慣れた、でもこの時間には見慣れない顔…名雪の顔があったからだ。

「………」

名雪はオレを見上げると、一瞬、口をきゅっと…

「…おはよう、祐一。今日は遅いんだね。」
名雪はにっこり微笑んだ。
オレは何も言わずに、そんな名雪の顔を見つめていた。
何も言えずに…

『…そう、なんだ』
『それが祐一の結論なんだ。』

…あの晩以来、思えば名雪と顔を合わせるのは…初めてだった。
あれから…あゆとのピクニック、そして…オレの…

名雪のこと、忘れていたわけじゃない。
あの晩、泣いていた名雪の瞳。
そして…白い雪の積もる、記憶の少女…

…多分、オレの過去。
オレの忘れてしまった過去。
オレが傷つけた…

…泣いていた名雪。
オレとあゆのことを…

「…名雪…」

言いかけたオレに、名雪はにっこり微笑んだ。
「…時間、あんまりないよ、祐一。」
「…え?」
「ゆっくり朝ご飯食べてるんなら、置いてくからね。」
「………」
オレは思わず名雪の顔を見つめた。
名雪はオレを見上げたまま、にっこり微笑んでイチゴジャムで真っ赤なパンをかじった。
そして、本当に幸せそうな顔で微笑んだ。
「…うん。やっぱりお母さんのジャム、おいしいよ。」
「……おだてても、何も出ませんよ。」
キッチンから顔を出した秋子さんが、いつものように微笑みながら名雪に言う。
そして、オレの方を見ると
「祐一さん、今朝はトーストにしますか?それとも、ご飯…」
「…あ、いえ…」
オレは慌てて手を振ってみせて
「今朝は…要りませんから。」
「………?」
秋子さんはいつものように、ちょっと手を自分の頬にやった。
でも、すぐににっこり笑うと
「…そうですか。分かりました。」
「…すいません」
「いえ…」
「…じゃあ、行こう、祐一。」
と、名雪がカップを置くと、立ち上がった。
「ごちそうさまっ、お母さん。」
「…はい、お粗末さまです。」
「うん。じゃあ、言ってきます!」
名雪は秋子さんに笑って頭を下げると、出口のオレの前に歩いてきた。
「…祐一、さ、行こう?」
「……おう」
「じゃないと、せっかく早く起きたのに、また走らなきゃならなくなるよ。」
名雪はにっこり笑って、オレの横を抜けて玄関へと歩いていった。
元気な足取りで…
…朝の名雪らしくない、元気な足取り。
すたすたと歩いていく、名雪の後ろ姿…
「……祐一さん…」
声に、オレはキッチンに目をやった。
秋子さんがオレの方を見ていた。
少し、瞳が揺れて…
そして、少し躊躇するように、口を…
「…言ってらっしゃい、祐一さん」
…でも、その口から出たのは、いつもの秋子さんのセリフ。
その顔は、いつもの秋子さんの顔に戻っていた。
「…行ってきます。」
オレは秋子さんに頭を下げると、玄関へと向かった。
秋子さんが何を言おうとしたのかは分からなかった。
名雪のこと…だと思う。
でも、昨日の…

『…でも、よく考えてくださいね。祐一さんは…何をしたいのか。何を…本当にするべきなのかを。』

…何がしたいんだろう?
何を本当にするべきなんだろう…オレは?

オレは思いながら、朝日が射す廊下をゆっくりと歩いていった。
 
 

外は今日も明るい陽射しに照らされていた。
オレは玄関から外に出ると、思わず晴れ上がった空を見上げた。
空は晴れ上がり、雲一つなかった。
…ただし、風はいつものように刺すような冷たさ。
それでも、何となく慣れたような感じがするのは…

…昔の感覚が戻ってきたのだろうか。
7年前、オレはここにいた…その感覚が。
だから、オレは…

「………」

オレは白い息を吐きながら、足を踏みだした。
そして、先に出て行った名雪を目で追った。

名雪は空を見上げていた。
すっかり雪の除けられた黒いアスファルトの上で、ぼんやりと空を見上げるように立っていた。
でも、オレの足音が聞こえたのだろうか、その時、顔を空からオレのほうに向けた。

「………」

…名雪はオレを見た。
オレの顔を見つめた。

「…今日は、走らなくても大丈夫だよ。」

言うと、名雪は微笑んだ。

「……ああ。」

オレは何となく、そんな名雪の顔から青い空に目をやった。
名雪の顔がまぶしかった。
名雪の笑顔…

オレはどんな顔をしていいのか、まだ分からなかった。
名雪がいったい…どんな結論に至ったのか。
そんな顔を見せるのは、きっと名雪は何かの結論を、自分の気持ちの…結論を持っているのだと思う。
なのに、オレは…まだ…

名雪は、ほうっと白い息を吐いた
そして、手を伸ばすと

「でも、だからってゆっくりしすぎると、結局遅れるかもしれないから…」

と、オレのコートの腕のところを引いて

「行こう、祐一。」

見下ろすと、オレを見上げるようにして、にっこり笑う名雪。

「……ああ。」

オレは頷いて、そのまま歩きだした。
服を引く名雪の手を、無意識に…
…いや、無意識に見せて払って、オレは歩きだした。
名雪はすぐに歩きだすと、オレの横に並んだ。
オレは…

何を言えばいいのか、分からずにいた。
名雪に…
…あゆに…
オレは…

「…今日も雪、多分降らないね。」

名雪が歩きながら、白い息と共に

「きっと、この様子だと、明日もいい天気だよ。」
「……ああ。」
オレはうなずきながら、歩いていた。
名雪は少し足を進めると、オレのちょっと前に出た。
そして、振返るようにオレの顔を見上げた。
「…今日は…放課後、どうするの?」
「……え?」
思わず、オレは足をゆるめた。
名雪の顔を見つめた。
名雪は少し微笑みながら、オレを見上げていた。
微笑んで…

…でも、その瞳は、決して笑って…

「…いや」

オレはその瞳に、思わず言っていた。
目をそらせずに、でも…

「…別に、何も。」
「……ふうん。」

名雪は俺の顔から、地面へと目を落とした。
そして、ちいさく

「…なら、いいんだけど…」
「……?」
「………」

と、名雪は顔を上げて

「わたし、明日は…部活、休みなんだよ。」
「……?」
「……だから、明日、一緒に帰ろうよ、祐一。」

にこにこしながら言う名雪。

「………名雪?」
「あ、そうだ。一緒に商店街に行こうよ。祐一とは、ホントに久しぶりだもんね。ねえ、祐一…行こうよ。ね?」
「………」

オレは思わず、名雪の顔を見つめていた。
オレを見上げる名雪の瞳…

「…分かってるよ。」

と、名雪はにっこり笑うと

「今度は、イチゴサンデー、おごってくれなくてもいいから。だから…」
「………」

名雪の笑顔…
でも、その瞳の真剣な光が…
 

「……一応、言っとくけど…通学路で見つめあうのって、ちょっとまずいんじゃないかしら。」

「……え?」

ちょっと冷やかすような、聞き覚えのある声。
オレは振返った。

「……香里。」
「おはよう、相沢くん…名雪、おはよう」

「おはよう、香里。」
名雪も香里に振返ると、笑って挨拶をした。
香里は頷くとオレを見て
「今日は相沢くん…休みじゃないのね。」
「…一応、ここにいるからには。」
「でも、相沢くんだから油断ならないわよ。ここからフケるって可能性もあるから。」
「…ないないない。」
思わず苦笑しながら、オレは答えた。
香里はわざとらしく肩をすくめると
「ならいいんだけどね…ねえ、名雪?」
と、名雪に同意を求めた。
でも、名雪はもう、香里の方を見ていなかった。
「で、祐一、明日だけど…行くでしょう?ね?」
「……名雪…」
「明日も、暇なんでしょう?ね、祐一…行こ。」
「………」
いつになく、しつこく言う名雪。
いつの間にか、オレの服の裾を掴んでいた。
オレの顔を見上げて笑いながら、でも、その目が…
「…ね、祐一。わたし…」
「………」
オレはちらっと香里を見た。
香里はそんな名雪とオレの様子に、眉をひそめて名雪を見つめていた。
と、オレの目線に気がつくと、余計に厳しい表情になり、オレの目線を見返した。
白い息を吐きながら、オレを見つめて…
「ねえ、祐一?ね?」

「……考えておく…よ。」

オレは思わず、名雪の瞳に言っていた。

今は…何も考えられない。
名雪のことを…
…名雪とオレの、こと…
……あゆのこと
あゆとオレのことしか、今は考えられなかった。
だから…

「……でも、祐一…考えとくじゃなくて…」
「……考えとくから。だから…な。名雪…」

名雪はオレの言葉に、口をつぐんでオレを見上げた。
そして、小さく息を吐くと、腕の時計を見た。
「…あ、大変。」
「……?」
「……走った方がいいかも。」
「……え?」
名雪の言葉の意味が一瞬分からず、オレは名雪の顔をちょっと見つめていた。
でも、名雪はすぐに走りだすと
「急がないと…時間、間に合わないかも。」
「…なに?」
オレは香里に振返った。
香里は自分の時計を見ると、大きく息をついて頷いた。
「…名雪の言うとおりね。」
「……げっ」
「さ、急ごう…祐一、香里!」
名雪は立ち止まって振返ると、オレと香里に小さく頷いた。
そして、また走りだした。
…結局…いつもの朝の光景。
オレは思わずため息をくと、多分同じくため息をついているだろう香里の方を…

…香里はオレの方を見ていなかった。
といって、走りだしてもいなかった。
黙って名雪の後ろ姿を見つめていた。
さっきのけわしい表情のまま、朝の光の中を走っていく名雪の後ろ姿を、じっと…

オレはそんな香里に、何も言わなかった。
何も言えなかった。
何を言えばいいのか分からないまま、オレは学校へと駆け出した。
黙って駆けだした。
 
 
 

「……ちゃん…あゆちゃんってばっ」

「……え?」
慌てて見上げると、明美ちゃんがボクの方を見ていた。
「…な、なに?」
「………」
明美ちゃん、首をかしげて、ボクをじっと見る。
「……あゆちゃん…今日、おかしいよ。」
「……あはは、そんなこと、ないよ。」
ボクは手を振って、明美ちゃんに笑ってみせる。
「全然、いつものボクだよ。」
「………」
明美ちゃん、でも、ボクの顔、じっと見て
「……昨日とも違う…変だよ、あゆちゃん。」
「…だから…」
「昨日は、なんか…やっぱり気持ち、どっか行ってたけど…うれしそうだった。でも…」
「………」
「…今日は、違うみたい。あゆちゃん…どうかした?」
…明美ちゃん、鋭い。
鋭すぎる…よ…
「………」
「……ひょっとして…」
明美ちゃん、ちょっと黙って、ボクを見ていた。
そして、小さな声で、
「……彼と何か…喧嘩でもした…の?」
「………」
…彼…
祐一くん…

思わず、目を明美ちゃんから下にやる。
机の上にはお弁当。
今日は…おばさんに作ってもらったお弁当…
でも、広げたけど…
…食べる気には…

「…ごめん、わたし…ごめんね。」
「…え?」
顔を上げると、明美ちゃん、頭を下げてた。
「わたし…無神経だったね。ごめん、あゆちゃん。」
「明美ちゃん…」
「…誰でも…言いたくないこと、あるもんね。ごめん、あゆちゃん。」
「……明美ちゃん…」
…多分、明美ちゃんの"作り"も半分あるんだ。
それは…付き合い長いもん、ボクだって分かる。
そんなこと言って、ボクに言わせようって…そういう魂胆、あるのは。
だけど…
「………」
「……うん。」
顔を上げた明美ちゃんに、ボクは言った。
「…でも…そうじゃ…ないから。」
「……うん?」
「…喧嘩した、とか、そんなのじゃ…ないから。」
「……そうなんだ。」
「……うん。」
…喧嘩は、してない。
祐一くんと喧嘩はしてない。
だって、祐一くん…

『…また明日…会わないか?』

言って、手…握ってくれたもん。
温かい手で…握ってくれて。
あのキスのこと…後悔してないって言ってくれて。
あのキスのこと…

…信じてる。
 
 

信じたい。
 
 

信じさせて…ほしいよ…
 

だって

不安だもん。
前よりもずっとずっと不安なんだもん。

祐一くん、後悔してないって言ってくれて
今日、会おうって言ってくれて
だからホントはボク、うれしいはずなのに
心配なんて…ないはず…なのに…
 

『許さない…これ以上…許さないからっ!』

…走っていった名雪さん。
街灯の光の中、走っていった名雪さん
白く輝く、雪の中…
 

『あの日…あなたが木から落ちたあの日…祐一、あなたが死んだと思って…』
 

ボクは

白い雪

緑色

見上げる…顔…
 

『危ないっ』
 
 

『祐一くんっ』
 
 
 


 
 
 


 
 
 


 
 
 

「…そういうんじゃ…ないから…」
「……あゆちゃん…」

そんなはずのないこと
 

あり得ないこと
 

ボクはお母さんと事故に遭って
お母さんは…

そして、ボクも眠って…
 
 

『…あゆ…ごめん…』
 
 

抱きしめた腕…
ボクを抱きしめて
祐一くんが言った…
 
 

あれは結局…何だったの?
昨日は聞けなかったこと
聞きかけて、結局聞きそびれてしまったこと。
 

様子がおかしかった祐一くん。
たい焼きは要らないって言って
人形、取ってくれようとしてくれた
いつも優しい祐一くんだけど、あれは…
 
 

ひょっとして
祐一くん
 

ボクのことを

好きなんじゃなくて

ひょっとしたら
もしかしたら
ボクのこと…
 

祐一くん…
 
 
 

「……でも…」
「………」
「………」

明美ちゃん、困ったようにボクを見ていた。
困った顔…
 

ボクは…
 
 

「…うん。何でも…ないから。」
「…あゆちゃん…」
「…何でもない。大丈夫、だよ。」
 
 

大丈夫
 
 

今日も会えるから。

今日も祐一くんに会えるんだから。
会って…
 

きっとこの不安、なくしてくれるから。

信じてるから。

信じて
 

大丈夫
 
 

「…大丈夫、だよ」
「……なら、いいんだけど…」
「…うんっ」

ボクはまだ首をかしげてる明美ちゃんに頷いた。
「さ、お弁当、早く食べよっ」
「…うん。そうだね。」
そして、お弁当に箸を伸ばした。
 

大丈夫だから

祐一くんは
こんなボクでも
 

大丈夫
 

だよ
 


 
 
 

ねえ…
 
 

結局、ボクはお弁当はあんまり食べなかった。
食べれなかった。
 
 
 

キンコーン

今日の授業が全て終わった合図。
教師が教室を出ていくのを待たず、オレは机に突っ伏した。
疲労感…今日は火曜日だってことが、感覚として沸かない。
昨日休んでしまったせいで、授業はきつかった。
授業の中身がどうこうでなく…

…いや、授業の中身なんて、全く頭に入っていなかった。
オレの頭の中は、今朝から一つのことしか考えていない。
今日…これからのこと。
これから、あゆに会いに行く…
 

間違いじゃなかったのか…あゆと約束したのは?
オレはあゆの前にいていい人間なのか?
平然と、あゆの前に…

まだ、オレには分からない
オレが何をすべきなのか。
何をしたくて…

いや、したいことは…

「………」

オレはとりあえず鞄を手にして、横の席を見た。
名雪の席…

「………」

名雪は例によって、まだ眠っていた。
今日は部活があるはずなのに、まだ眠って…

『明日、一緒に帰ろうよ、祐一。』

笑って言った名雪。
名雪は…どんな答えを出したんだ?
あの涙は…あの夜の涙の答えを…
 

『…それが祐一の結論なんだ。』
 

オレの…結論。
オレはまだ、出していない答え。
あゆへの…
 

『…わたし…待ってたのに。約束どおり…待ってたのに。待ってたのに…』

『あの子じゃなくて…わたしでもなくて…あゆちゃん、なんだ…』
 

…どういう意味だったんだ?
あの子って…
あの時の名雪の言葉。
雪の中、泣いている長い髪の少女…名雪。
約束
 

約束…
 
 
 

『…明日も…会いたい。』

『駅前の、あの…ベンチ。』
 
 

あゆとの約束。
今はそのことだけしか、考えられない…
 

ガタン

目の端に、名雪の後ろ、立ち上がる姿が見えた。
ウエーヴのかかった長い髪を右手で後ろへやると、名雪に近づく制服姿。
香里は名雪の顔を覗き込むと、一つ息をついた。
そして、オレの方に向き直ると

「…相沢くん…」
「…すまん、香里。オレは…」

オレは立ち上がると、香里の横をすり抜けて教室の出入り口に向かう。
「…相沢くん?」
「…オレ、急いでるから…」
「……相沢くん…」
なおも呼びかける香里に、オレは振返りもせず早足に教室を出た。
教室を出て、そのまま昇降口へと向かった。

香里が言いたいこと…聞きたいことは、分かっていた。
今朝から、香里は名雪の様子を気にして見ているのは知っていた。
名雪の様子がいつもと様子がおかしい…
でも、それについて名雪に聞いても、
『わたしがどうかした?』
と、名雪が全くとりつくしまもなかったことも。
それがなぜなのか、多分オレに聞こうとしたのだろう。
多分、オレに原因があると思って…

…そうなんだと思う。
オレが原因で、名雪の様子がおかしいのだとは思う。
オレだって、名雪が妙に明るい…いや、明るく見せていることは分かっている。
何かの結論を出したのだとしても、それにしても…
 

オレは卑怯者だ。
そこまで分かっていて
でも、名雪に何も言えず
聞くことすらできず

そのことを香里に聞かれるのが嫌で
だから、こうして逃げて…
 

時間が欲しかった。
気持ちを…全てを整理する時間が。
オレの…気持ち…
オレの罪
オレの
 

名雪の
 
 

あゆの
 
 

あゆ
 

時間があったって、本当に…結論がでるのか?
こんなオレに、どんな結論が出せるんだ?
こんな卑怯者の…オレに…
 
 

こんな気持ちであゆに会って、どうする気なんだ?
あゆにオレは…
どんな償いが…
 

行かない方がいい
 

行かなきゃならない
 
 

行きたくない
 
 

行きたい
 
 

会えない
 
 
 

会いたい
 
 
 

オレは…
 
 
 

見上げると、空は晴れていた。
学校から商店街へ向かういつもの道は、傾きかけた陽に照らされていた。
まだ夕日というのは早い…でも、傾いた陽。
身を切るような冷たい風。
屋根に積もった白い雪。
長くなりかけた影。
オレの足下から伸びる、オレの影。
オレと一緒に歩いていく…
 

走っていた影。
オレンジに染まりかけた街並。
オレと一緒に走る影…
 

ああ、そうだ。
オレはあの時も…
 

あの時、オレは走っていた。
この道だ。
商店街から…駅前に向かう道。
あゆに出会った日の、その次の日。
あゆと約束したオレは、急いで駆けていた。
昨日会った少女…あゆに会うため。

『…じゃあ、明日の…おんなじ頃、駅前のベンチで待ち合わせするか?』
『…うん』
『じゃあ、そうしよう。な、あゆ?』
『うん』

笑ったあゆの顔。
オレはそんなあゆに会うために…
 

多分、あの時のように、あゆはやっぱり先に行って待ってるだろう。
そういうやつだから…あゆは。
だから
 

オレは駆け出した。

頭は混乱していた。
オレのすべきこと
オレのしたいこと
オレの…罪

だけど

オレは走っていた。

待たせたく…ない。

あゆにこれ以上
オレを待たせるわけには…

オレは…
 

言おう。
今日…言おう。
あゆに言おう。

オレの罪
オレがしたこと

あの冬の日の全て

それがオレの贖罪…
あゆへの
オレの…
 

傾きかけた陽が、目に飛び込んだ。
商店街の先、道が開けた。
向かいのビルのガラス窓に、陽が反射して光っていた。
あの頃も…そうだった…
 

『よう、あゆあゆ』
 

オレの言葉。
あの時の言葉。

そして、あの時と同じように
ひとりぼっちでベンチに座る少女が見えた。
頭の白いリボンが、わずかに風に揺れていた。
黄色いダッフルコートの背中、赤い鞄に、白い小さな羽。
少し大きめの黒いブーツの足を、ぶらぶらさせた少女…
 

「………あ、祐一くん…」
 

少女は顔を上げた。
大きな瞳でオレを見上げて…

オレは手をあげて、あゆに振った。
それだけだった。
オレは…
 

言えるだろうか。
本当に言えるだろうか。

あゆ

オレを見て
笑ってくれる
あゆに

オレは…
 
 
 
 
 

ボクは顔を上げた。
祐一くんが立っていた。
ボクの方に手をあげたまま、少し離れて立ち止まっていた。

来てくれた。
ちゃんと…来てくれたんだ。

ボクはベンチから降りて、祐一くんに駆け寄った。
そして、祐一くんの顔、見上げて…

「……?」

…どうした…の?
ボクの顔…
祐一くん、ボクの顔、じっと見て…

「……どうか、した?」
「…あ、いや…」

祐一くん、首を振った。
首を振って、ちょっと笑った。

「…遅くなったかな、あゆ?」
「……ううん。ていうか、時間、決めてなかったよね。」
「…ああ、そうだった。」

祐一くん、言ってうなずいて
「…にしても、待たせたみたいだし。」
「ううん。ボクも、今来たところだよ。」
「……そうか。」
祐一くん、息を一つ吐いて
「…でも、待たせて…ごめん。」
「……あはは。ぼく、待たせるのはいやだから…いつも先に来るって…言ったでしょ?」
「ああ、そうだったよな…」
「うん。だから、ぼくはいつも先にくるんだ。あのベンチでも…」
ぼくは振り返って、ベンチの方を…
 
 

『よう、あゆあゆ』
『…あゆあゆじゃないもん』
そう言って、ボクはあのベンチを立って…
そして…祐一くんの顔、見上げてた…

…なに、この…

そうだ、これはあの日…しおんくんと初めて会った、あの日の…

違う。
あの時、祐一くんは、『あゆあゆ』なんて言わなかった。
それに…

それに、ボクが見上げる、祐一くんは
まだ子供の…
 

「……祐一くん。」

まただ…

ボク、慌てて祐一くんの手に触った。

ここにいる祐一くん…
夢の中の子供…

そんなこと、なかったんだよね?
ボクは…変じゃないよね?
そんな…

違うよね、祐一くん?

「……あゆ?」

祐一くん、ちょっとびっくりしてる。
分かってる、ボク…変だよね。
でも

安心…させて。
ね、お願い…

「…祐一くん…」
「……これから、どうする?」

…え?

祐一くん、手は離さないけど…急にあたりを見回した。
まるで…

…祐一くん?

「…また…ゲーセンに行くか?」
「……でも…」
「今日は、名誉挽回できそうな気がするんだ。」

祐一くん、笑った。
でも、その目は…

「…いい。ボク…いいから。だから…」
「……そうか。」

祐一くん、ほうっと息をついた。
ちょっと傾いてきてる陽に、祐一くんの息が白く…

「…百花屋、行く?」
「……え?」

ボクが言うと、祐一くん、ちょっとびっくりした声。

「…今日は香奈美さん…いるのか?」
「……いない、はず。」
「……そうか…」

祐一くん、ちょっとまたほっとしたように息を吐く。
…どうして、そこまで香奈美さん…

「…ううん、いるかも。」
「………」
「……あ、どうかな…」
「………」

わざと言ってみた。
祐一くん、黙ってる。

まあ、香奈美さん…苦手だって言ってたんだし。
だから…ね。
ちょっと意地悪…
だから、祐一くん…いつもみたいに…

「……まあ、どっちにせよ…行きたいなら、行くよ。」

…え?
祐一…くん?

見上げると、祐一くんの顔はボクの方を見て…
でも、すぐにまた、商店街の方を見つめた。

「…いくか?」
「……あ、ううん…」
「…いいのか?」
「……うん。」
「………」
「………」

いつもなら…
『どっちなんだよっ』って、言うんじゃない…の?
ボクに、そう突っ込んで、そして…

「…なんで?」
「……え?」

ボク…口に出してた。
口に出して…聞かずにいられなかった。
だって…祐一くん…

「…祐一くん…いつもと違うよ…」
「……そんなこと、ないだろ?」
「ううん。なんか…いつもだったら、もっとボクのこと…」
「………」
「…こんな時、いつもだったらボクに…何か言うじゃない。もっと、責めるような…」
「…そんなこと、ないだろ?」
「ううん。そうだよ。だけど、それが…なのに…」
「………」

祐一くん、ボクの顔を見た。
それから目を落とすと、息を一つついた。

「…いつもそんなこと…ないだろ?オレ…」
「………」
「……そうしない時も…あるだろ?それ…だけだよ。」
「……それだけ?」
「……ああ…」

それ…だけ?
それだけ…なの?

うそ…
祐一くん、ボクに嘘ついてる。
だって…

じゃあ、どうしてボクの目、見ようとしないの?
最初、じっと見てたと思ったら…それっきり、目、そらしてるじゃない。

ううん
それはボクの意識過剰で…

違う
やっぱり、祐一くん…

どうして?
ねえ…
どうして…

…やっぱり…

やっぱり
ボクの…
 

吐いた息が白かった。
ボクの吐いた息。
祐一くんの息。

手を握って。
手は暖かくて。
でも

感じないよ…
祐一くんが感じない
ボクに感じてこないよ…
こんな、手を握ってるのに…
 


 
 
 
 
 

伸ばした手
 
 
 

『危ないっ!』
 
 
 
 

『祐一くん!』
 

『あゆっ!』
 
 
 
 

白い
 
 
 

赤い
 
 
 
 
 
 

地面
 
 
 
 
 
 
 

「……どうした、あゆ?寒いのか?」

祐一くん、ボクを見てた。
ボクを見下ろしていた。
やっと見てくれた目…
 

寒くないよ…
寒いんじゃないよ、ボクは…
 

恐い

恐いんだよぉ…
 

知るのが、恐い
ボクは恐い
恐いんだよぉ…

7年前の冬
ボクと
祐一くんの

そんなことはないって思いたいんだよ。
そんなことはなかったって…
 

ううん
あったとしても…

祐一くん、キミが…
 
 

ねえ、祐一くん…
 
 
 

「……とりあえず、どこか…暖かいところ、入るか?」
 

違うんだよ…
違う…
 
 
 

違うよ…ね?
キミは…
 
 
 

信じたい。

信じてた
 

信じられたら…
 
 
 
 
 

傾いた陽
もうすぐ、オレンジに染まる陽

見ると

その陽の下
 

白い家の屋根の向こう
緑の森
 
 


 
 


 
 

信じたい
 

信じてた
 

信じさせて…
 
 

祐一くん
キミはボクのこと、ホントは…
 
 
 
 
 

「…祐一くん。」
「……うん?」

ボクは顔を上げた。
祐一くんの顔を見た。

祐一くんはちょっとびっくりしたようにボクを見てた。
急に声を上げたボクにびっくりしていた。

祐一くん
ボク…
 
 
 

信じ…て……
 
 
 
 

「…行きたいところがあるんだよ。」
 
 

信じたいのに…
 
 

「……え?」
 
 
 

ボクは…
 
 
 
 

「……一緒に…来てくれるよね?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「…あゆ?」
 

あゆは駆けだした。
振り返って駆け出した。
白い道を駆け出して、駅の方へ…

いや、駅を通り過ぎて、あゆはまだ駆けていく。
黄色いダッフルコートの背中、赤い鞄が揺れながら…

「…待てよ、あゆ!」

オレは慌てて追いかけた。
駆けていくあゆの背中を。
あゆの足なら、すぐに追いつく。
そう思っていた。

でも

角を曲がったあゆを追いかけて
曲がったオレの目に
 
 

緑の木
白い雪をかぶって
道の向こうに…
 
 

…この道は
 
 

「…あゆっ」

オレは思わず呼んだ。
あゆに叫んだ。

でも

あゆは振り返らずに駆けていた。
白い雪の積もる道
向こうに見える

 
 
 

この道は
いつもオレが駆けた道
 
 
 

オレはあゆを追った。
追いつけないはずはなかった。
あゆとオレの足では、追いつけないはずはなかった。

なのに
 
 
 

この道は
いつもオレが駆けた道
あの冬の日々の最後の日にも
 
 
 

どうして追いつかない?
そんなはずはないのに
あゆにオレが追いつけない
そんなはずはないのに
まるでオレが

オレが
 
 
 

この道は
いつもオレが駆けた道
あの冬の日々の最後の日にも
そしてこの間
オレが駆けた
 
 
 

オレが
 
 
 

オレは
 
 
 

まるであゆがオレに追いつくのを拒んでいるように
まるでオレがあゆに追いつくのを拒んでいるように

まるでオレとあゆの間に追いつくのを拒む物が存在するように
 

角を曲がったあゆ
赤い鞄が消えて

オレも続けて曲がって

曲がった

 
 
 

緑の木々が見えた。
正面に緑の木々が広がっていた。
そして、その外れ
木の下に…
 
 

「……あゆ…」

「………」
 

あゆは立ち止まっていた。
向こうを
木々の向こうを見上げるように見つめたまま
 

木々の向こう
 
 

大きな大きな木があった
木があったはずの
その空間を捜すかのような
 
 
 

あゆ…
 
 
 
 
 

「……あゆっ!!」
 

オレは叫んだ。
 

あゆは振り返った。
オレを見つめた。
大きな瞳
陽射しを遮る緑の下
わずかにオレンジ色に染まった大きな瞳がオレを見つめて
 

大きな瞳

オレンジ色の空
 
 

『……危ないっ!」
 

『祐一くんっ!』

『あゆっ!』
 
 

白い

赤い…
 
 
 
 

「……行くなっ!」

オレは叫んでいた。
思わず、オレは叫んで
 

「行っちゃ…ダメだっ!そっちは…」
 
 
 

あゆは
 
 
 
 

振り返って駆け出した。
緑の木々の中
白い雪を踏んで
木々の間を
 

オレは追いかけた。
あゆの後を
木々の間に見え隠れする赤い鞄を追って
 

緑の葉の合間
 

赤い鞄
 

白いリボン
 
 

白い
 
 
 
 
 

『祐一くん、遅いよっ!』

オレは追いかけた。
何度目かの道

『待てよ、あゆ!』
『嫌だよっ』

駆けていく白いリボン
暗い森の中

白い雪を踏んで
何度か転けそうになって

『あはは、転けてる、祐一くん。』
『…オレは大きくて重いからな。ちびのあゆとは違って。』
『…ちびじゃないもん』
『ちびだよ。それに胸も小さいし』
『まだまだ、これから大きくなるもん!』
『ならない、ならない』
『うぐぅ…なるもん!』

立ち止まったあゆ。
オレに振り返って
顔を赤らめて

『…もう、祐一くん、小学生のくせに…スケベっ!』

駆けたあゆ
白いセーター
白いリボン

白い
 
 
 
 

白いリボンは木々の間、どんどん駆けていった。
オレはその後を追いかけて

オレの駆けた道
あの冬の日々

この間のオレの足跡はまだ残っていた。
形は崩れていたが、まだ残っていた。

その足跡の上に、あゆの小さな足跡。
駆けていく黒いブーツ
小さな足跡が

あゆの姿は木々の向こう、全く近づかなかった。
オレは何度も雪の上、転けて倒れた。
子供のオレには恐かった
でも簡単に通れた道

あの頃のオレ

あの時の
 
 
 
 
 

あゆ
 

行くなっ!
 
 
 
 

行かないでくれ!
 
 
 
 
 
 

まだ行かないでくれ

オレは
 
 
 
 
 
 
 

「…あゆっ!」
 
 

オレの声
オレの叫び
 

声は木々の中
こだまもなく消えていった。
こだまもなく

あゆの背中

赤い鞄は木々の間
止まることもなく
 
 
 

止まれ!

止まってくれっ!
 

そっちは…
 
 
 
 
 
 

「………あゆっ!」
 
 
 

ふいに目の前が白く

明るく
 

オレンジ色の
そこは
 
 
 
 
 
 
 

『きれい…』
ふいに開けた場所。
周りを草むらと溶けない雪に囲まれて、オレンジに染まった場所。
その中央には、他の木々とは比較にならないくらいの大木がそびえ立っていた。

『ここが、俺のとっておきの場所だ。でっかい木だろ?』
『…うん』
『この木だけは、街中からでも見えるんだぞ』

オレの言葉に、でもあゆは木のてっぺんをずっと見上げていた。

『…どうやって、見つけたの?』
『この木を目印にして、商店街からずっと辿って来たんだ』
『てっぺんが、見えないよ…』

オレも目の前の木を見上げた。
でも、見上げても、この木の先端だけは、赤く霞んでいた。

『な。凄いだろ?』
『うん…凄いよ…』

びっくりしているあゆの顔。
オレは何となく、うれしかったんだ。
あゆと初めて出会ってから、すでに1週間。
毎日、駅前で会って。
駅までのベンチで出会って、夕焼けの商店街を歩いて。
最初はかたくなだったあゆの表情も、今では時折笑顔を覗かせるようになって。
そんなあゆの笑顔が、オレは見たくって。

『…祐一君』
『どうした?』

うれしそうな顔で振り返ったあゆ。

『ちょっとだけ、後ろを向いていてもらえるかな?』
『…それはいいけど…どうしてだ?』
『どうしても』
『…分かった』

なんだか分からなかったけど、オレは後ろを向いた。
あゆの何となくうれしそうな顔に、オレは素直に後ろを向いた。

『いいって言うまで、絶対に後ろを向いたらダメだよ』

念を押したあゆ。
それっきり声が聞こえなくて…

静まり返った森の中は、冷たい風が吹いていた。
じっとしていると寒くないわけはなかった。

でも、オレはそのまま立って、あゆの声を待っていた。
なんとなく、寒くは感じていなかった。
なぜだろう?
分からないけれど、オレはじっと待って…

『もういいよ、祐一君』

森の中にこだまするように、あゆの声が響いた。
振り返ると、でも、あゆはいなくって

『…ど、どこだ?』
『ここだよ』
『ここってどこだ?』
『上だよ』
『上って…』

オレは慌てて木を見上げた。
見上げたら、その木の枝に

『凄いよ。街が見えるよ』
大木から張り出した枝の上にあゆがすわってた。

『わぁ。街が真っ赤だよ』

言って、あゆは森の向こう、街の方を見てた。

『何やってんだ!』
『木登り』
『それは見れば分かる…』
『ボク、木登り得意なんだよ』
『危ないから降りてこいっ!』

オレは見上げながら、思わず震えてしまった。
だって…

『平気だよ』
『俺は平気じゃない』
『どうして?』
『俺は、高所恐怖症なんだ』
『そうなの?』
『人が高いところに登ってるのを見るだけでも恐いんだ』

オレが言ったけど
あゆはうれしそうにそのまま枝に腰かけて

『風が気持ちいいよ』
『………』
『街が、あんなに小さく見えるよ』
『……』
『本当に、綺麗な街…』

あゆは笑った。
オレンジ色に染まった顔
オレがそれまで見た、一番の笑顔
オレンジ色に染まったリボン
オレンジ色に染まる瞳

『…いいけどな。陽が暮れる前に…降りろよ。』

オレは見上げながら
そんなあゆの顔を見上げて
 
 

見上げると
 
 

白い

赤い
 
 
 
 

『祐一くん!』
 
 
 
 
 
 

『危ないっ!』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ドサッ
 
 
 
 
 

雪の音
 
 
 
 
 
 

『あゆっっっっっっっ!!!!!!!!』
 
 
 
 
 

ボクが落ちた音
 
 
 

ボクは感じなかった。
痛みは感じなかった。
落ちたってことも分かってなかった。
祐一くんの声もまるで遠くでしてた。
まるで遠くでボクのこと、呼んでるようにしか…
 

ボクは
 
 
 
 
 
 
 

ここから
 
 
 
 
 
 
 
 

落ちた
 
 
 
 
 
 
 

あの冬
祐一くんの目の前で

ここにあった大きな木の上から
 
 
 

落ちた
 
 
 
 
 
 

「……あゆ…」
 
 
 

遠くでボクの名を呼ぶ声。

ボクは目の前の切り株を見つめていた。
大きな大きな切り株
大きな大きな木
見上げてもてっぺんも見えない
大きな大きな、大きな木が…
 
 
 
 

ここにはあって

そして
 
 
 

ボクはここから落ちた。
 
 

落ちた

ボクは
 
 
 
 

「……ボクは、落ちたんだね…」
 

ボクの声。
遠くで聞こえる。
 

大きな大きな切り株

真っ白な雪

振り返ると
 
 
 
 
 

祐一くん

祐一くんの顔

ボクを見つめる祐一くんの

ボクを
 
 
 
 
 
 

『今日は遅刻じゃないぞっ』

あの朝

『でも…ボクが先に来てたもんっ!だから、遅刻っ』

見下ろしていたボク
見上げていた祐一くん

木の上からはいつだって、街が見えていた。
真っ赤に染まった街は、ホントにきれいだった。
ボクは大好きだった。
そんな街が

そして

ボクを見ている祐一くんが…

『なんだよ、それ…うぐぅのくせにっ!』

『悔しかったら、登ってみてよ。』

祐一くんはいつも、悔しそうな顔をした。
でも、一度だって登ってきたこと、なかった。
だって、祐一くんは高いところが苦手だから。

なのに

『今日は、登るぞっ』

『…無理しないほうがいいよ。やめとけば?』

『いや、今日でしばらくここにも来れないから…登っておく。』

『…大丈夫?』

祐一くんの顔が、無理して見えたから。
だからボクは言ったんだ。
そう言ったんだけど

『大丈夫さ。あゆにできて、オレにできないわけがないっ!』

『…うぐぅ』

祐一くんは登って

大丈夫…かな…
ほら、足下…揺れてる…

『ほら、平気だろ?』

そんなこと言ってないで…
ほら、危ないよぉ…

『祐一くん、早く登ってよ…』

『いいから…』

『ほら、祐一くん、手…』

ホント、見てられなかった。
だからボクは手を
手を伸ばして
祐一くんの手を
 
 

ビュオゥ
 
 
 
 

『あっ』
 

その時、吹いた風。
祐一くんは急にポケットに手を

そして
その手を下に
 
 

祐一くん
そのままからだが…
 
 
 
 

『祐一くん!』
 

『危ないっ!』
 
 

祐一くん、危ないっ
ほら、ボクの手に
手、伸ばすからっ!
 
 
 
 

ボクの手
 
 

祐一くんの手
 
 
 
 
 
 
 

ゆっくりと

まるで
スローモーションのように
 
 
 
 
 
 

あれ?
ボク、どうして…
 
 
 
 

『あっ』
 
 
 
 

ボク…

白い地面が

風の音

誰かの叫ぶ声
 
 
 

ボクは
 
 

『祐一くん!!』

『あゆっ!!』
 
 
 
 
 

手の先に
 
 
 

祐一くん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

だけど
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

白い

白い
 


 
 
 
 
 
 

『ゴトッ』
 
 
 
 
 

そう

何も感じなかった

ただ

白くて

何もかもが
白く

冷たい白がボクを
 
 
 
 

ボク
 
 
 
 
 

「…祐一くん…」

ボクの声。

ボクを見てる祐一くん。
 
 
 
 

そうなんだね
 
 
 

ボクはあの冬に

あの日

ボクは
 
 
 

ボクは
 
 
 
 

「…ボクはこの木から…落ちたんだ…」
 

ボクは木から落ちて

祐一くん
キミの目の前で
ボクは
 
 

落ちた
 
 
 
 

「……あゆ…」
 
 
 
 
 

おかあさんと事故に遭ったんじゃなくて

一緒に事故に遭ったんじゃなくて

ボクは
 
 
 
 
 

ボクは
 
 
 
 
 

「……あゆっ!」
 
 
 

暖かいものが

強い力がボクを

ボクを抱きしめて
 
 
 
 

ボクを

ギュッて
 
 
 
 
 

「………あゆ…」

「………祐一くん…」
 
 
 
 
 

そうなんだ

ボク達は
あの時
あの冬に

ボクたちは出会ってた
そして
 
 
 
 
 

あの大きな木

大きな大きな木

大きな大きな、大きな木

木の上から見える街

ボクは好きだった

ホントに好きだった

大好きだったんだ

ホントに大好きな
 


 
 
 
 
 

祐一くん
 
 
 
 
 

ボクは…
 
 
 
 
 
 
 
 

祐一くん…

抱きしめててよ…

ボクをギュッて

だって

ボク
 
 
 

ボク
 
 
 
 

ボクは…
 
 
 
 
 

「………ごめん、あゆ…オレは…」
 
 
 
 
 
 

祐一…くん……?

どうしてあやまるの?

だって
祐一くんは…
 

「……オレは、だから、オレは……」
 
 

震えないで…
 

震えてるのは、ボクだよ
 

祐一くんはただ
ただボクをギュッて抱きしめて
そして笑って
 
 
 

笑ってボクを
 
 
 
 

ボクのことを
 
 
 
 

「オレは……どうしたら償えるんだ…」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

つぐな…い………
 
 
 
 
 
 

償い
 
 
 
 

祐一くん
 
 
 
 

償い
 
 
 
 
 

償いって…
 
 
 
 
 
 
 
 

「オレは、一体…オレは…どうしたらお前に…」
 
 
 
 
 
 
 
 
 

償い
 
 
 

償う
 
 
 

ボクに
 
 
 

ボクを
 
 
 
 
 
 

「………つぐな…い……?」
 
 

「……あゆ……」
 
 
 
 
 

祐一くんの顔
 

ボクを見て
 
 
 
 
 
 
 

見ないで

そんな目で見ないで
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そんな目
 
 
 
 

『…そうなの…あゆちゃん…』
 
 

祐一くんの目も
 
 

『大変だね、あゆちゃん…』
 
 
 

祐一くんも
 
 
 
 
 
 
 
 
 

優しさも
 
 
 
 
 
 
 

ボクに笑ってくれたのも
ボクを励ましてくれたのも
優しくしてくれたのも
 

みんな

みんな
 
 
 
 
 
 

償い…
 
 
 
 
 
 
 
 

「………離して…」
 

「………あゆ……」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「離してよっ!!」
 
 
 
 
 

そうだったんだ

みんなそうだったんだ

祐一くん

キミも
 
 
 
 
 

「…祐一くん、知ってたんだね…知ってて、ボクに黙ってた…」
 

「…あゆ、それは…」
 

「…ボク…ボクは…ボクが可哀想だから?責任が…あるから?だから、祐一くんは…」
 

そうなの?
そうなんでしょ?
 
 

ううん
違うでしょ?
違うって言ってよっ!

違うって
そんなことないって言って
そしてボクのこと
ギュッて

抱きしめて
 
 
 

ねえ

祐一くんっ!!!
 
 
 
 

「…………」
 
 
 
 
 
 
 
 

祐一くんっ!
 

キミは
 
 
 
 
 

キミは
 
 
 
 

「………ごめん、あゆ、オレは…」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「…そうなんだ。祐一くん…そうだったんだねっ!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そうなんだ

みんなそうなんだ
 

キミの優しさ
キミの言葉

あの時、言ってくれた言葉

『…キスしても、いいか?』

あのキスも

『…それは、違う。それは…後悔なんて、してない。』

あの時、繋いだ手も
 
 

全ては
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「…そんな…そんなもの、いらないっ!いらないよっ!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そんなのいらないっ!

同情なんて
 

そんなもの
 

そんなもの
 
 
 
 
 
 

要らないよっっっっ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

要らない……よぉ………
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「……あゆ……」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

駆けていく黄色のダッフルコート
背中の赤い鞄が

あゆの涙
泣いていた
あゆの涙がオレを
 

オレは立ち尽くした。
 

手に残るあゆの体
細い小さな体

オレは
 
 

オレが
 
 
 

あゆ
オレがお前を泣かせてるんだな
 

オレの口から言いたかった
そしたらもう少し
 

いや
結局、同じことだ。
あゆが思い出して

オレを思い出して
オレと過ごしたあの冬
あの冬の日々
あの最後の日
 
 

オレの罪
 
 

オレがお前を
 
 

当然だな

当然の報いだよな

だって

オレのせいでお前は木から落ちたんだから
あの木から
今はこの切り株になった
あの大きな大きな、大きな木から

オレが落とした

オレがお前を
 

当然だよな

オレはそうされて当然の
最低の奴だ

最低だ

オレは
 
 
 

オレはいつの間にか雪の中にいた。
雪の中に突っ伏していた。

雪は暖かかった。
オレンジ色の雪
その中でオレは

オレは全て
 
 

眠りたかった
このまま眠って
そして
 
 

最低だ
オレは
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

バタン
 
 

部屋は真っ暗だった。
ボクの部屋

ボクは雪まみれだった。
途中で何度も転んだ。
コートはずぶぬれで
 

だけど
 
 

何も感じなかった。
感じなかった。
ただ
 

ボクは
 
 
 

ベッドに
 
 
 
 

シーツが冷たい。
冷たくて

何もかも
 
 
 
 
 
 

夢じゃない
 
 
 
 
 
 

あの森も
あの切り株も
 

あそこにあった大きな木
大きな大きな、大きな木も
 

そこからボクが落ちたことも
 

そして
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

祐一くん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

全ては
 
 
 
 
 
 
 
 

全部
全部嘘だった

ボクを見てくれたこと
ボクに笑ってくれた
ボクに優しくしてくれた
ボクにキスしてくれて
ギュッて抱きしめてくれた
 

でも
あれは
 
 
 

全部
 
 
 
 
 
 
 

嘘だったんだね
君はボクのことなんて好きじゃなかったんだね。

ボクに償うためにボクに近づいて

ボクを哀れんでボクに優しくして

こんなボクなんかに同情してキスしてくれて

かわいそうだから抱きしめてくれたんだね

そうなんだ

そうなんだ
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そう…なんだ…
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そんなの要らないよっ!

そんなもの
 
 
 
 
 
 

そんな…の…
 
 
 
 
 
 
 
 
 

キミだけは
祐一くんだけは
 
 
 
 
 
 
 

違うと思ったのに
 

思ったのに
 
 
 

キミは
 
 
 
 
 
 
 
 

キミも…
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ボク…なんか…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

あはははは…

あたり前じゃないか。
こんなボクのこと
祐一くんが…なんて
最初から思ってなかったじゃない。
思ってなかったじゃない。
思って…なんて…
 
 
 
 

思って…
 
 
 
 
 

思ったボクが
 
 
 
 
 
 

ボクが
 
 
 
 
 
 
 

ボクは泣いていた

枕に顔を埋めて

ボクは泣いた
 
 

泣いていた

ボクは

<to be continued>

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…筆者です。
「仕切り屋・美汐です。」
…なんていうか…小説としても、筋としても…ひどいもんだね。
「視点は転換し過ぎだし、内容も相沢さんサイドの書き直し…」
…まあ…どうせそんなもんだから、オレなんて。あははは…
「…開き直っても仕方がないでしょう。で?」
……『で』って…何が?
「今後の予定です。」
…ああ…一応、次回は半分ほど構成できてる。その後も…まあ、なんとか構成できる見込み、出てきてます。
「…なのに、最終回だけはきっちり構成できてるんですよね。」
…あははは…まあ、そこまでどう持っていくか…というより、どう持っていけるか…それは全て…
「……全て?」
…全て…ミイちゃんと香奈美さんと香里と秋子さんにかかっているといっても過言ではないっ!
「……あなたにかかってるんです。」
…そういう言い方するなあ…せっかく責任転嫁…
「…できるわけがないでしょう。書いてるのはあなたです。」
……ううっ
「…さ、次回を書きなさい。もうちょっとペースをあげましょう。Airも出てしまいますし…」
…はぅ。もう、間に合わないこと確定…だけど…がんばりまっす…

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