Last Piece

(夢の降り積もる街で-17)


あゆSS。

シリーズ:夢の降り積もる街で

では、どうぞ。

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白い雪

赤い空
 

大きな大きな木の枝
 

白い

赤い
 


 
 

伸ばした手
 

動き

過ぎる

赤い

白い


 
 
 
 


 
 
 
 
 

『ゴトッ』
 
 
 
 

『あゆっっっっっっっ!!!!!!!!』
 
 

Last Piece (夢の降り積もる街で-17)
 

1月27日 水曜日
 
 

…天井が見えた。
白い光が、カーテンのすき間からさし込んでいた。
白い朝の光

白い雪

白い
 
 

ボクは目を閉じた。
手で目をおおった。

何度も見た夢
最近見ていた夢

夢じゃなかった。
間違いなく、夢じゃない。

ボクは木から落ちた。
7年前、あの森の大きな、大きな木から落ちたんだ。

はっきり、思い出していた。
あの冬のこと。
祐一くんと会った、あの冬のこと…
 

祐一くん
キミは
 

『………ごめん、あゆ…オレは…』
 

謝ってほしくなんてなかった
そんなものはいらなかったんだよ
ただ、ボクを抱きしめて
ギュッて抱きしめてくれて

なのに
 

『オレは……どうしたら償えるんだ…』
 

償い
 

全部
つぐないだった

同情だったんだ
 

あははは
 

慣れてるよ、もう
だから、そんなこと

そんなこと…
 
 

ピピピッ
 

カチッ
 

手を伸ばして、目覚まし時計を止める。
そのまま、時計を見る。
時間は…7時半。
いつも起きる時刻。
起きて学校へ…
 

体が重い…
昨日…いつの間に眠ったんだろ。
夕方から、ずっとベッドに転がって…
ずっと…

いつの間に夜になったのかも覚えていない。
ボクは制服のまま、ベッドに転がって
ずっと泣いていたから。
ただ、ずっと
だから
 

ドタドタドタ
 

遠くから聞こえてくる、小さな足音。
あれは…
きっとミイちゃん…

「…お姉ちゃんっ!」

ミイちゃんの声。
ボクは起き上がった。

…痛かった。
頭が
体が

頭が痛かった。
痛いのは…

「…お姉ちゃん、遅れるよっ!」

笑いながら
いつもみたいに

ミイちゃんの顔
ボクに笑って

笑っていた
 

『…よっ、あゆあゆ』

笑っていた祐一くん
 

『…あゆちゃん…』

お母さん
 

7年前の思い出
ボクの思い出

ボクはあの木から

ボクは車に

ボクは…
 

「…お姉ちゃん…どうしたの?」

「………え?」

ミイちゃんの顔
ボクの目の前にあった。

「…顔色…悪いよ?」

心配そうな顔。
心配そうに
 

ありがとう
ミイちゃん
ボク…

ボク、ダメなお姉ちゃんだね
心配しないでって
大丈夫だよって
そう言いたいけど

「お姉ちゃん…」

ボク…

言いたいのに…
 

『あゆっ』
 

『お母さんっ』
 

ボクの思い出
ボクの記憶
ボク

ボクは
 
 

「……ごめん、ミイちゃん…」

「…え?」

「……ボク、今日は…ちょっと、具合…悪いみたいなんだよ。」

「……お姉ちゃん…」
 

今日は…
今だけは頑張れないよ…

だってボク…
…ボク…

ボクはいったい…

だから…
 

「……だから…」

「………」

「………ミイちゃん…」
 

ボクはミイちゃんの顔を見ながら
ボクは
 
 
 
 
 
 
 

『あゆっっっっっっっ!!!!!!!!』

「………!!!」

…目を開けた。
オレは目を…

まぶしかった。
オレの顔に光が当たっていた。
見上げると、窓。
わずかに開いたカーテンから、光がさしていた。
外は青い空
 


 


 
 

『…そんな…そんなもの、いらないっ!いらないよっ!!』
 

あゆの涙
泣いていたあゆ
泣きながら駆けていったあゆ

どうやって帰ってきたのか、オレは覚えていない。
雪に突っ伏して
雪の中でオレはそのまま
そのまま

眠ってしまいたかった
全てを雪の中に
オレも
オレの記憶も

最低のオレは

だけど

いつの間にかオレはこの部屋にいて
いつの間にかオレはこのベッドに寝ていた

いつのまにか
 

最低のオレが
あゆを泣かせて

あいつを泣かせたのは
泣かせているのは
 

あゆ
オレは
オレたちは
どうしてまた出会ったんだろう?

あゆ
オレは
どうしたらいい?

そして
オレは
どうしたいんだ…
 

オレは置きあがった。
もう眠りたくなかった。
もう目をつぶりたくなかった。
目をつぶったら、そこに見えるのは…
 

動きたくない。
動けない。
体が動くことを拒否している。

でも

オレは立ち上がった。
着替えて部屋を出た。

今日も休むわけにはいかない。
秋子さんに…水瀬家に迷惑をかけられない。
それは…分かっている。
分かっているけれど…

ため息をつきながら、ドアに手をついた。

ドア。
『なゆきの部屋』と書かれたドア。
中からは何の音もしない。
…もう起きたのか、あるいは…

オレは黙ってそのまま、階段を降りた。
今は誰にも会いたくなかった。
今は誰の顔も見たくなかった。
できれば、何もしたくなかった。
できればただ部屋の中、ベッドに転がったまま…

でも
目はつぶりたくない

何も見たくない
夢を見たくない

夢の中で

あゆ
 

オレは何がしたいんだ?
オレは何を

そして
オレは何が…
 

「…おはようございます、祐一さん。」

「……え?」

背中から、声。
オレは振り返った。

「…おはようございます。」

そこには秋子さんが、エプロンのまま立っていた。
オレの挨拶に、秋子さんはにっこり微笑んだ。

「…どこへ行くのですか、祐一さん?」
「………」
「そっちは玄関ですよ。」
「………」

秋子さんは微笑んだまま、オレを見ていた。
でも、その瞳は…

「…朝食を食べて、学校へ行ってくださいね。」
「秋子さん…」
「……さあ。」

微笑んだまま、秋子さんは振り返ると歩きだした。
オレは…

オレは秋子さんの後ろを、黙って歩いていった。

「あ、祐一、今日も遅いんだね。」

ダイニングには昨日と同じく、もう名雪が朝食を食べていた。
昨日と同じように、テーブルにはパンとイチゴジャム。
名雪の目の前の皿には、真っ赤にジャムが塗りたくられたパンが皿に載っていた。

「今日は少し、時間があるけどね。」
「………」

オレは黙ったまま、名雪の前の席に座った。
すぐに秋子さんが、オレの前にキツネ色に焼けたトーストの載った皿を置いた。
…香ばしいパンの焼ける匂い。
そして、オレは間違いなく、腹が空いていた。
思えば昨日から…いや、一昨日からまともにご飯を食べていない気がする。
あの冬の日のことを思い出した日から…

だから、腹は減っている。
でも…

オレは食べたくない…
オレは…

「…食べてください。」

目をあげると、秋子さんがオレを見つめていた。
向かいでは、名雪がオレを見ている気配。

秋子さんのオレを見つめている瞳。
責めているわけではない。
心配している、というのも少し違うだろう。
でも…

「……はい。」

オレは頷くと、パンを取り上げた。
そして一口、パンをかじった。

吐きそうだった。
オレは吐きそうになりながら、続けてパンをかじった。
嫌悪感で吐きそうになりながら、オレはパンをかじった。
自分への嫌悪感。
食べ物がお腹に入っていく、その感触。

最低のオレでも、ご飯を食べて生きている。
こんなオレでも…

吐きそうになりながら
それでもパンを一枚食べると、オレは立ち上がった。

「…祐一?」

まだ残ったパンを口に加えたまま、名雪が顔を上げた。
口の周りに赤いジャムがついた、幸せそうな顔。

いや、その瞳はやっぱり、笑っていない…

「オレ…先、行くから。」

オレはそれだけ言うと、さっさと玄関に向かった。
吐き気はまだ治まっていなかった。
この吐き気は、多分、ずっと続くと思った。
多分…

『…そんな…そんなもの、いらないっ!いらないよっ!!』

駆けていったあゆ
オレンジに染まる景色の中

オレはどうしてここにいるんだろう。
あゆを泣かせて
あんなに泣かせて
それでもオレは

そんなオレだから
この吐き気は…
 

玄関のドアを開けると、外は晴れていた。
まぶしい太陽があたりを白く輝かせていた。
白い雪の輝き。
オレの目を射て

頭を振って歩きだす。
目は…閉じたくない。
そんな輝きにも、すぐに馴れるから。
もう、この街の寒さに馴れてきたように。
この刺すような風の冷たさにも
この白い雪の街にも…

「…待ってよ〜〜」

名雪の声。
オレは足を緩めずに、そのまま歩いていく。

「……もう、まだそんなに急がなくてもいいのに。」

名雪は走ってオレに追いつくと、足を緩めた。
そしてオレに並ぶように歩きながら息を吐いた。

「今日も…遅かったね、祐一。」
「……ああ」
「わたしが早いのに…ダメだよ、祐一。」

「……そうだな。」
他愛のない会話。
でも、名雪はオレの顔を覗きこむように、顔色をうかがいながら

「昨日は…どこに行ってたの?」
「……え?」
「昨日…どこか行ってたみたいだけど…」
「………」

昨日のこと…
あの雪の中で転がっていたオレ。
オレンジ色に染まる暖かい雪の中…

そのまま、オレは眠っていたかった。
出来ることならそうしていたかった。
でも

冷えた体でオレは立ち上がって
夕暮れから夜へと変わる森を、オレは歩いて降りた。

なぜだろう。
あのままいたかったのに
オレは…

そのまま、水瀬家に戻って
そのまま、オレの部屋に…

名雪の顔を見た覚えはなかった。
誰の顔を見た覚えもはっきりとはなかった。
誰かが何かを聞いて、オレはそれに答えた気はする。
でも、ぼんやりとしか…

「…ちょっとな。」

オレはそれだけ言った。
それ以上は…何も言わなかった。
言えなかった。

「………そう。」

名雪はそう言うと、小さく息をついた。
そして、顔を上げると

「ね、今日なんだよ。覚えてる?」
「……?」

見ると、名雪はにこにこしながらオレの顔を見ていた。

「ほら、わたしの部活が休みの日。」
「………」
「だから、一緒に帰ろうって、ほら、昨日約束したよね?」

約束…
約束した覚えはなかった。
確か、昨日の朝…名雪がそんなことを言っていたのは覚えている。
でも、オレは約束をした覚えは…

…結論は…
 

『…それが祐一の結論なんだ。』

名雪がオレを見つめていたその瞳。
今は微笑んでいるけど、でもその瞳は同じ…
 

『祐一、そんなに、あの子のこと…』
 

…泣いていた少女の瞳。
長い髪。
三つ編みの髪に白い雪が積もって
 

『でも、わたし…』
『…わたし…だから、もし…』
 

「…ね、祐一?今度は割り勘だから。ね?」
 

名雪の瞳。
オレを見ている瞳は真剣で

間違いない、オレの記憶の中の少女
あゆではない
でも記憶の中で
泣いていた少女の顔
積もる雪の中…
 

「…ああ」
 

オレは小さく口の中で言っていた。

あゆのことだけでいっぱいのはずの頭
名雪のことは今、考えられないはずなのに
何かを…忘れてはいけない何かを、オレは…

多分、それはあの冬
オレは思いださなきゃいけない…
なぜだかそう思う。
そんな気がしていた。
オレが泣かせた少女のこと…

…あゆのこと…

…名雪のこと…?

分からない…
 

「…うん。じゃあ、放課後に…」

名雪は大きく頷くと、初めて瞳も笑いを浮かべていた。
にこにこ笑いながら…

オレは空を見上げた。
青く晴れた空。
 

何を考えているのか…
オレは何を考えているのか
何を考えたらいいのか

名雪の声を聞きながら
オレは考えていた。
考えても分からないこと
何かを忘れている…大事な何かを。
オレの…過去…あの冬の日…

オレは立ち止まって、空を見上げていた。
青く晴れた空をただ見上げていた。
雲一つ見えない空を。
 
 
 
 
 

ボクは空を見上げた。
真っ青な空。
雲一つない空。

普通の日のこんな時間、園にいるなんて…
多分、前に風邪をひいたとき以来だと思う。

『…だから、今日…ボク、学校、休むね。』

ミイちゃんの顔。
心配そうな顔。

ずる休み。
分かってる、悪いことだって。

それから、お姉さんとか、園のみんなも見に来てくれて。
みんな心配そうに声、かけてくれて。
風邪薬とか、お粥とか、みんな用意してくれて…

ごめんね
ごめんなさい
ボク…悪い子だと思います。
みんなのこと騙して
嘘ついて

でも
嘘じゃないんだ。
体は痛くないけど
痛いんだよ、胸が

熱はないけど
でも
震えが止まらないよ

こうしてベットの中
転がっているだけで

目をつぶると
 

『あゆっっっっっっ』
 

『だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇ』
 

真っ赤に染まる白
白い雪の中
 

弾き飛ばされて
目の前に転がる姿
 

重なるように広がる
赤い色
赤い

目をつぶれない
7年前の震え

ボクはあの木から落ちて

ボクはお母さんと車で

どっちも本当で
でも
どっちも夢のような

ボクの過去
ボクの記憶
ボクは…
 

知りたい
ボクは知りたい
あの時何があったのか
あの時
あの冬の日

ボクはどうしてあの時、一人で街にいたんだろう?
ボクはお母さんと二人で、ずーっと暮してたのに。
ボクはこの街で
ボクは祐一くんと

そして、あの木から…

だけど
その時、お母さんがどうしてたのか
お母さんの、あの事故は…

思い出せない
ただ祐一くんのことだけしか
ボクには思い出せない。
思い出せないよ。

そして
お母さんが轢かれたこと
ボクの目の前で
宙を舞うお母さん
ボクは見ていた
見ていたのは間違いないのに

ボクも一緒に事故に遭った
そう思ってた。
ずっと思ってたけど

ボクは木から落ちた
祐一くんの目の前で

いつ?
ボクはいつ
お母さんはいつ

思い出せない
思い出したい
ボクは
それから…
 

お母さん

祐一くん

ボクは
 
 

ボクは起きあがった
お日さまがもう高かった。
ボクはトレーナーのまま、廊下に出た。

静かな廊下
いつもはみんなの声がする廊下をボクは歩いて

ボクは知りたかった
本当のこと
あの冬の
あの時の
本当のこと

知りたい
知らなくちゃいけない
何もかも
本当のことを

だから

ボクは立ち止まった。
表札を見上げた。

『園長室』

そして、大きく息を吸った。

トントン

「……どなたですか?」

園長先生の声。
いつものやさしい声が中から聞こえてきた。

ボクは…

「…月宮あゆです。」
「…あゆさん…ああ、お入りなさい。」

先生の声。
ボクはドアを開けた。

「…今日はお休みしたそうですね、あゆさん。具合は…いいのですか?」

園長先生は正面の机に座っていた。
いつものように優しい目で眼鏡の奥からボクを見た。
ボクが園に初めて来た時から、ずっと変わらないその目でボクを。
ボクは…

「……先生、ボク…」
「……?」
 

「……一つ、教えてほしいことが…あるんです。どうしても教えてほしいこと…」
 
 
 
 
 

キンコーン

授業終りのチャイム。
いつもと同じように6時間目の授業が終わる。
教師が出て行くと同時に立ち上がるクラスの連中。
部活に行くのだろうか。
家に帰るのだろうか。
話をしながらクラスを出て行く生徒たちの姿を、オレはぼんやりと見ていた。

眠っていたわけじゃない。
眠るわけがない。
目をつぶるのが恐い。
夢を見るのが…

「…祐一っ」

背中を叩く感触。
オレはゆっくり振り返った。

「祐一…帰ろっ!」

名雪がにこにこ笑いながら立っていた。
両手で鞄を前で持ち、オレを見ていた。
にこにこしながら、オレの顔を…
 

『忘れないでね?』
 

名雪の言葉。
休み時間ごとに繰り返された言葉。
昼休みにも
授業の間の休みにも
名雪は何度も繰り返してオレに言った。
 

『忘れないでね』
 

…忘れはしないけれど
確かに覚えているけれど
でも
 

だんだん、重く感じていた。
言葉は重くなっていった。

名雪と一緒に、商店街へ…
 

商店街
雪の積もった商店街
白い雪
傾く夕日
オレンジに染まった雪
 

あゆ

何度もオレがあゆと出会った場所
偶然に出会い
会いに行った場所

パフェを食べた百花屋
あゆがバイトしている百花屋
今日はいないはずだ。
あいつは休日だけだから
でも

香奈美さんがいる。
あゆの友達
あいつのことを気にかけて
いつも気にかけてくれる人
だから

あゆがいるかもしれない。
相談に行くかもしれない。
香奈美さんに会いに
あゆが

あゆ
 

会いたくない

会いたい

会えるわけがない

会えるなら会いたい

またあいつを傷つけるだろう
あいつを泣かせるだろう
だから会うわけにはいかない

だからこそ会いたい

だから

でも

だけど

だから

オレは…
 
 

「……オレは…」

「……祐一?」

オレを見つめている名雪の顔

オレは黙って
鞄を取って

目をそらしたまま、立ち上がって

「…オレは…行かない。」

「…祐一…?」

「…じゃあな、名雪。」

「祐一っ!」

叫ぶような声。
でもオレは振り向かなかった。
そのまま教室の出口へと早足で向かった。

「ちょっと…祐一ぃ!」

名雪の声が聞こえた。
とまどうような…叫ぶ声。
でも

オレは振り返らず
そのまま教室を出て
そのまま廊下を
オレは

「……!」

誰かがオレの腕を掴んだ。
細い、でも強い力でオレの腕を掴んで

「……相沢くんっ!」

聞きなれた声。
名雪の親友の声。
あゆの親友の姉の声
オレの腕を掴む腕

「……あんまりじゃないの、相沢くん?」
「………」

無表情な顔。
少し怒りを含んだ瞳。

オレは黙って香里の顔を見つめた。
オレを睨んでいるその瞳を見返した。

「…相沢くん…」
「……離せよ」

腕をひいても、香里は手を離さない。
細い腕で、でも強くオレの腕を掴んだままで

「あれじゃあ…あんまりじゃないの。」
「………」
「そりゃあ、二人のうち、どっちを選んでも、それは…」

「……選ぶ?」

オレが…選ぶ?
誰を?
何を?
……誰が?

「…選ぶ?」

もう一度、オレは繰り返していた。
香里の顔を見つめながら、繰り返しながら

「…オレが…選ぶ…?」

「そうよ。」

でも、香里はオレの目をじっと見返して

「そうでしょう?だから、相沢くん、あんな…」
「………」
「…おせっかいだとは思うけど…でも、相沢くん、あれじゃ、あんまり…」
「……選ぶ…オレが…」

誰を選ぶんだ?
誰が…選べるんだ?
誰を?
 

『…そんな…そんなもの、いらないっ!いらないよっ!!』
 

あゆ

泣きながら駆けていったあゆ。
オレが泣かせた
オレが傷つけた
オレが…殺した少女
 

オレが誰を選ぶんだ?
オレが…選ぶ?
誰を…オレが…

「いい加減に…してくれ」

香里の瞳。
オレを見つめている。

オレを…見るなっ!
見るなよっ!
オレは…

「…いい加減にしてくれってんだよっ!!」

「……え?」

驚いたように見開いた瞳。
開きかけたそのままの口。

香里はオレを呆然と見つめていた。
近くで聞こえていた雑踏がふいに消えたのが分かった。
オレを見ている視線…オレにも分かった。
でも…

「…お前に…何が分かるんだ?何が…分かるって言うんだよっ!」

オレは香里に叩きつけていた。
口から出ているのは、確かにオレの言葉
香里に叩きつけて…
でも、それは…

「…オレに…何を選べって?どちらを傷つけるのか、それを…どちらを泣かすか、それを選べって言うのか?オレに、それを…」

「あ、相沢く…」

「…オレは結局…あいつをあゆを傷つけて、泣かせて…それだけじゃないか。そんな…それを、何を選べっていうんだよ?オレがあいつを選ぶ権利なんて、そんなもん、あるわけがないじゃないかっ!オレは…」

「……相沢くん…」

「……離せよ。離せってんだよっ!」

離せよっ!!
離せっ!!!

オレは手を振った。
香里の手を振り払って
オレは

でも

「……離して…くれよ…」

香里の腕。
オレを掴んだままの腕
オレは…

倒れそうだった。
そのまま倒れたかった。
ずるずるとその場に
オレは…
 

「………」
 

香里の手が離れる感触。
見上げると、香里はオレを見おろしていた。
黙ったまま、オレを見おろしていた。

軽蔑…してるだろ?
軽蔑しろよ。
なあ、軽蔑…
…して…くれよ…

ずるずる、オレはその場に座りこんだ。
冷たい床の感触が心地よかった。
冷たい雪のような感触がオレには…

足音がした。
香里の足音がした。
香里は黙ったまま、教室へと戻っていった。
振り向きもせず、ただ黙って歩いて…
 

オレは立ち上がった。
震える足下
窓のところに手をついて、立ち上がって

歩きだした。
オレは玄関へと歩いた。
何も感じなかった。
感じることはなかった。
ただ

ああ、そうだな、香里。
オレは…軽蔑にすら値しないんだよな。
分かってるよ。
分かってるさ…

オレは歩いていった。
傾いてきた陽の射す廊下を歩いた。
周りの視線など気にせず歩いていった。
歩くしか…なかった。
 
 
 
 
 

いつのまにか、部屋は暗くなってた。
赤い光が部屋の中、カーテンのすき間から指していた。
ボクの顔にその光、まぶしくて…

『…思い出したのですね、あゆさん』

ボクの顔、まじまじと見た園長先生の顔。
厳しくて…でも、優しい瞳。

『ボクは…7年前の冬、木から落ちた…落ちて、頭を…』
『………』
『でも、ボクは…ボクの記憶は、お母さんの事故…その後が…覚えてないんです。ボク…』

園長先生は黙ってボクを見ていた。
そして…

『…座りなさい、あゆさん』
 

園長室のイス。
座ったの、初めてだった。
ボクはイスに座って、園長先生を見た…

『…あなたが思い出すまで、そっとしておこうと…その方がいいとお医者様にも言われたのです。ですから…あなたがあの事故の事を、お母様の交通事故と混同しているのも…そっとしておいたのです。あなたが思い出すまで…』

『…あゆさん、あなたは…お母様と事故に遭ったのではなく、木から落ちて怪我をしたのです。』
 

   『あゆっっっっっっ』

あれは白い雪の中
オレンジの空
手を伸ばして
ボクに手を伸ばしていた…
 

『…でも…ボクは、そのことを覚えて…』

『それは…』

口ごもった園長先生。
ボクの顔を見つめて

『……あゆさんは、覚えていますか…お母様が…事故にあった時のことを』
 

   『ダメぇぇぇぇぇぇぇ』

白い車
スピードを上げて
雪煙を散らして

目の前で
宙を舞う

赤い空
黒いコート
赤い
紅い
赤い顔の
 

おかあ…さん?
どうしたの?
目を開けて?
ねえ…
…おかあさん…

……お母さんっ!
 

『…覚えて…いるのですね、あの時のことは…』

『………』

『お母様は、隣町で…あなたと二人、一生懸命、あなたを育てておられました。お父様は早くに亡くなられ、お母様はお一人で、でもあなたを立派に育てておられた…』
 

   『あゆ…あなたのお父さんはね、遠いところに行ってしまったの…
    でもね、いつもあなたのこと、見守ってくれているの。だから…
    そんなことで泣かないの。お父さんはね、ここにはいなくても…
    ちゃんと見ていてくれるんだから。ね、あゆ…』

ボクが、友達のお父さんがうらやましくて、お母さんにお父さんのこと、どうしていないのって…泣いた時。
お母さん、困った顔で…
でも、ボクの頭、なでてくれて…

…お母さん…

でも

初雪が降っていた
ボクは学校の帰り
お母さんは道の向こう側から

『あゆー』

手を振って
笑いながら手を振って
手を振りながらお母さんは
道を渡ろうと
足を
 
 

その時
 

   ダメっ
 
 

白い車
スピードを上げて
雪煙を散らして
 
 

   ダメだよっ
 
 

お母さん
気がつかなくて
ボクの方へ
ゆっくり
 

ゆっくり
ボクの
 
 

   だめぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっ!!!!!!
 
 

   ドカッ
 
 

お母さんっっっっ!!!
 
 

目を開けてよぉ………
 
 

『あなたは…あゆさん、あなたは救急車が駆けつけたとき、お母さんの横に座っていたそうです。救急隊員の方に話しかけられても、何もしゃべらなかった…しゃべれる状態では、なかった…』

『……ボクは、その時…』

『…事故はお母様だけでした。でも、目の前で起こったその事故で…お母様の姿を見たショックで…あゆさん、あなたは…』
 

『…記憶を、失ったのです。その時。』

『……え?』

『…全ての記憶を…以前の記憶を…全て…』
 
 

浮かんでくる場面
思い浮ぶ記憶
思い出してくる
ボクの記憶
 

『…おいしいか、あゆ?』

祐一くん
ボクの顔、見つめながら

『たい焼きは、焼きたてが一番だからな』

祐一くんの声。
ボクの大好きな…大好きになったたい焼き。
あれは…

『一つ、聞いてもいいか?』
『………うん』
『なんで、お前、泣いてたんだ?』
 

『……分かんない』
 

ボクは分からなかった
何で泣いていたのかわからなかった
ただ悲しくて
この雪が
この夕方が
悲しくて
どうしても泣きたくって

それは…
 

『あなたが…あゆさん、あなたがこの園に来たのは、本当は…その後が最初です。でも…その時、あなたは記憶を失っていた…』
 

ボクの記憶
ボクの思い出

お母さんの思い出
祐一くんの思い出

記憶喪失
 

『わたしたちは…園のみんなは、あなたが自然に思い出すように…あなたのことを見守っていました。記憶が戻るまで…学校にもそうすれば行くこともできるでしょうし、それに…もしも戻らなくても、何とかわたしたちで…』

『……でも、あなたは…また、今度は…あの木から落ちた事故で…』
 

   『祐一くん、遅いっ』

大きな木
雪の積もる枝
オレンジ色の空

   『今日は、登るぞっ』

見上げた祐一くんの顔
ちょっと恐がっている
でも笑ってて

   『ほら、祐一くん、手…』

ほら、伸ばして
手を伸ばして
ボクの手
掴んで
しっかり掴んで
 

   『あっ』

   『危ないっ!』
 
 
 
 

   『あゆっ!』
 
 
 

   ゴトッ
 
 
 

   『あゆっっっっっっっっっ!!!!!!!』
 

赤い空
赤い雪
赤い

目を閉じても
見える


 

『…わたしが病院に着いた時、あなたは…意識不明の重体でした。わたしは…』

園長先生。
ボクを見つめて
じっと見つめて

『…でも、先生たちが手を尽くしてくださって…何よりも、あゆさん、あなたが生きたいと思う心が、力が…あなたを目覚めさせた。あなたは…助かりました。でも…』

『……あなたは、お母様の事故から、その時目覚めるまでの記憶を…今度は失っていたのです。』
 

ボクの思い出
ボクの記憶

なんて勝手なんだろ
ボクは
ボクの記憶は

失くして
思い出して

思い出して
忘れて

お母さんの思い出
祐一くんの思い出

白い雪
オレンジの空
ボクの好きだった
好きな人たちの

思い出
記憶

ボクは
 

『…ありがとうございました。』

頭を下げて、ボクは立ち上がった。

ボクの思い出
ボクの記憶

7年前の冬
街に初雪が降っていた
お母さんがうれしそうにボクに走ってきて

7年前の冬
雪が降り積もった街
手を伸ばした祐一くん
 

ボクは…
…思い出して…
 

『…あゆさん…』

『……はい』
 

振り返ると、園長先生が立ち上がってボクを見ていた。

ボクを見て
頭を下げて

『…すまない。わたしは…あなたに謝らなければなりません。』

『……え?園長…先生?』

先生は顔を上げると、ボクを見つめた。
ボクの目を、じっと見つめた。

『…わたしたちは…わたしは、前の時も…そして、今度の…あゆさんの記憶のこと、自然に…思い出すまでそっとしておこう、それが…いいと思っていました。それが一番なのだろうと…』

『…特に、あの事故の前のことは…ほんのしばらくの間のことなのだから、思い出せなくても…いいのではないか、そう…軽い気持ちで思っていたから、だからそんな風に…自然に任せるという選択をしていた、そう言われてもわたしは…否定できません。そういう気持ちがあったこと、それも…事実ですから。でも…』

『……でも、それは間違いだったのかもしれません。そんなわたしの安易な思いが…あなたを苦しめてしまったのかもしれない。それを…謝らなければならない。』

『…園長先生、そんな…』

『…あゆさん。』

園長先生は、また頭を下げた。

『ひょっとしたら、その時の…あなたの失っていた記憶…それがあなたを、今、苦しめている…そうではないのですか?』

園長先生の言葉。
ボクは…

…答えられなくて…
 

『…思い出は、短いとか長いとか、そんなことは問題ではない。その人にとっての価値…その人が大事にしたい思い出、大事な思い出こそ…それがどんなに他の人から見て一瞬で、他愛がないと思っても…それこそが重要なのですよね。それを…わたしは、勝手に順位づけをして、そして…あゆさんを苦しめてしまった…』

『園長先生っ!』

違う
違うよ
園長先生のせいじゃないよ

謝らないで
もう
誰も謝ってほしくない

ボクのことで
ボクの思い出
ボクの記憶

違うよ

『…園長先生のせいじゃないです。ボク、園長先生には、園のみんなには…感謝してますから。ボク…謝らないでください。そんなこと…謝られちゃったら、ボク…ボクの方が…ごめんなさいなのに…なのに…』

違うんだよ
先生は悪くない
園のみんなも悪くない
みんな優しくて
ホントに優しくしてもらって
ホントに感謝して
だから

違うんだ
悪いのは
 

悪いのは…
 

『…あゆさん』

出ようとしたボクを、園長先生がもう一度呼び止めた。
ボクは振り返った。

『……はい。』
『……あゆさん。』

園長先生はボクを見ていた。
いつもの厳しくて…でも、優しい瞳で…

『どうか、これだけは忘れないでください。あなたは…あなたのお父様とお母様は、立派な方でした。あなたは…その娘であることを、忘れないで…誇りに思ってください。』

『……はい』

『そして…あなたは、あゆさんは…わたしにとっても、誇れる…娘だってことを。そう、わたしは思い…あなたがこの先どうなっても、どんなことがあっても…わたしはそう思っているということを、どうか…心の片隅でいいですから、覚えていてください。どうか…覚えていてください。』

『……はいっ』
 

園長先生…
 
 

泣いていた
ボクは泣いていた
園長室のドアに向かって
ボクは泣いていた

だけど今は
このベッドの中で
ボクは
 

園長先生は悪くない
園のみんなも悪くない
悪いのは

お母さんも悪くない
祐一くんも悪くない
悪くなんてないんだよ
悪いのは
 

誰が悪いんだろ?
ボク?
ボク…なのかな?
ボクが…
 

…でも…
 

ボクは

どうしたらいいの…
 
 

笑っているお母さん
笑っている祐一くん

思い出のかけら
記憶のかけら
ボクは思い出しながら
全てを思い出しながら
 

赤い輝きを増す部屋の中で
ボクはベッドに寝転がっていた。
 
 
 
 
 
 

赤い空
暗くなっていく空の下

オレはぼんやりと座りこんでいた。
赤く染まるベンチ

あの冬
いつもあゆが座っていた
座ってオレを待っていたこのベンチで
 

商店街には行けなかった。
今のオレには…行けなかった。

でも

オレが…どこに行けるんだ?
家に帰れば…

名雪…
今日、オレは…
オレのした事は…

帰れない
オレは今は

でも

どこに行けばいい?
この街は
ここにはオレの昔がいっぱいだ。
あの角も
この道も
駅前も
…あの森も…

みんなオレの7年前の思い出でいっぱいで
オレの思い出
あゆの思い出…

会えるはずがない
会いたくない

あゆ

オレは会えないと
会ってはいけないと思っているのに

街をうろついて
街を歩き回って
お前との過去のない場所を
お前との思い出のない場所を
オレは歩き回っている
そのはずなのに
オレが行ったのは

あゆ

あの切り株
オレの罪
オレとお前の思い出の場所
オレは大きな、大きな木を見上げ
そこにはもう無い木を見上げながら

お前と行ったあの公園
お前を好きだと思った
そう確信したあの公園の噴水にたたずんで

このベンチ
お前とオレがいつも待ち合わせたベンチ
お前がオレを待っていてくれたベンチに座って
 

人が通り過ぎていく
人がざわめきながら通り過ぎていく
オレのことなど気にもしないで
オレなどいないかのように

ただ一度
誰かがオレを呼んだ気がする。
通り過ぎる人ごみの中
オレの名を呼んだ人がいた気がする。
それは香奈美さんだった気もするけれど
だけど

オレは座ったまま
オレは身動きもせず
誰もオレを気にしないように
オレも誰も気にしないようにして
誰もいないかのように
オレはいないかのように

オレはここにいない
いなければよかった
この街に
この場所に

あゆ

オレたちはどうしてまた出会ったんだ?

もしもこの世に神様がいるんだとしたら
オレは聞きたい。
どうしても聞きたい。

オレたちはどうしてまた出会ってしまったんだ?
あの時、あの雪の中、もう一度出会わなかったら
そうすれば、オレはもう二度とお前を傷つけないで
お前はもう傷つかないで
幸せだったんじゃないか?
きっと…お前は…

出会わなかったら
お前とオレが
この冬に
この街で

でも

オレは出会ってしまった
お前は出会ってしまった
そして
オレはお前をまた傷つけた

あゆ

会えるはずがない
会いたくない
会えない

そのはずなのに
なのに、オレはこうして
お前との思い出の場所ばかり

あゆ

オレは…
 

「…お兄ちゃん?」

「……え?」

すぐ前から、声。
オレは思わず顔を上げた。
 
 

『…祐一くんっ!』
 
 

目の前にあの冬のあゆがいた。
オレの目の前に
いつもオレを待っていた
オレの顔を見て笑ってくれた
小さなあゆがいて
オレに笑って…
 
 

違うっ!
あゆは…

オレは…
 

オレは首を振って
もう一度、目を開けて

「……ミイちゃん…」

「祐一お兄ちゃん、こんなとこで何してるの?」

ミイちゃんがオレの顔を不思議そうに見つめていた。
白いセーターに、黒い鞄。
背中の鞄に、小さな白い羽。
あゆからもらった鞄を背負ったミイちゃんが…

「……いや」

オレは首を振ってみせた。
何をしているわけでもない。
何も…

「……ふうん」

ミイちゃんは首をかしげた。
そして、すぐに手をポンと叩くと

「…あ、ひょっとして…お姉ちゃんを待ってるの?」
「………」
「あ、でも…」

と、ふいにミイちゃんは顔を曇らせて

「…そんなはず、ないよね。お姉ちゃん、風邪でお休みだもんね…」
「……風邪?」

あゆが…風邪?

「あゆ…が?」
「うん。」

ミイちゃんは大きく頷いた。

「今朝、熱がちょっとあるから…学校、休んだの。珍しいんだよ、お姉ちゃんが学校、お休みするの。いっつも、ちょっとくらい熱があっても、お姉ちゃん、学校には無理しても行くから…だから…」
「………」
「…ミイ、心配なんだ…」

ミイちゃんは顔を曇らせまま、小さく息をついた。
オレは…

…多分、違う。
あゆは風邪なんかじゃなくて…
 

『…そんな…そんなもの、いらないっ!いらないよっ!!』
 


駆けていったあゆ

きっと、あゆは風邪じゃなくて
そんなことじゃなくて
きっと

きっとオレのせい
オレのせいで
あの冬の日
オレとあゆの思い出
オレのせいで…
 

「…お兄ちゃん?」
 

見上げると、またミイちゃんがオレを見つめていた。
心配そうな瞳が、オレを見ていた。

「…お兄ちゃん、なんか…顔色、悪いみたい…」
「………」
「…お兄ちゃんも…風邪?」

ミイちゃんの心配そうな声。
曇った顔。

あの冬のあゆ
やっぱり似ている
まるで…デジャヴ

「………いや、そうじゃ…ないよ」

オレは…微笑んでみせた。

あの冬のあゆに似たこの少女
ミイちゃんには…

「…これから、帰りかい、ミイちゃん?」
「うんっ!!」

にっこり笑ったミイちゃん。
背中の羽がつれて揺れた。
オレンジに染まったその羽が…

「…園まで…送ろうか?」

オレの口から、そんな言葉が出た。
なぜか、言っていた。

ミイちゃんはきょとんとした顔でオレを見た。

「…うんっ!!」

そして、うれしそうに頷いた。
オレンジから赤に染まった顔
ミイちゃんは頷いた。

「……じゃ、行くか。」
「うんっ!」

オレは立ち上がると、トコトコと歩きだしたミイちゃんの横を歩きだす。
ミイちゃんはいつものように元気いっぱいに歩いていた。
赤く染まったミイちゃんの顔…

「……ミイちゃん」
「…うん?」
「…今日は何か、いいことは…あったかい?」
「うーん…あ、えっとね、今日はねぇ…」

うれしそうに話すミイちゃん。
オレは適当に相槌をうちながら、ただミイちゃんの横顔を眺めて歩いた。

顔は…本当のところ似ていない。
ミイちゃんと…昔の…あの冬のあゆ。
声も、ミイちゃんの方が少し低いし、背も…多分、今のミイちゃんの方が大きいと思う。
だから、本当はミイちゃんとあゆ…似ているわけじゃない。
でも…

似ている気がするのは、きっと…
この雰囲気だと思う。
元気で…
騒々しくて…
でも、寂しくて…
悲しいことがあって…
でも、だからこそ元気だって、そんな…

だからだろうか?
このミイちゃんを…悲しませたくない気がするのは。
それはまるで、あのあゆを悲しませるような、そんな気が…
これ以上、あゆを…オレは…
 

「…お兄ちゃん、着いたけど?」

「……え?」

ミイちゃんがオレを見上げて笑っていた。
あわててみると、ここは…園の前。
いつまにか…もう園の前までオレたちは歩いてきていた。

園の門は前に来たときと同じ、街灯が輝いていた。
その街灯の下、大きな表札
『愛育園』
ミイちゃんの暮している園。そして…
…あゆが…

「…上がってく?」
「……え?」
「ほら、お姉ちゃんのお見舞いってことで…きっと、先生たちも許してくれると思うよ?」
「………」
「それに…お姉ちゃんも喜ぶしさぁ…ねっ!?」

ニコニコしながら、オレを見上げるミイちゃん。
わずかに赤い空を映して、赤く光る瞳。
オレを見上げている赤い…
 

『…祐一くんっ!』

目の奥の赤
赤い瞳が落ちて

『あゆっっっっっっ!!!!!!!』

手を伸ばしても
その手の先を…
 

『…そんな…そんなもの、いらないっ!いらないよっ!!』
 

もう届かない
駆けていく後ろ姿
泣いているあゆの顔…
 

「……いや…オレは」
「……?」
「………じゃあ、ミイちゃん…じゃあ。」

オレは振り返った。

出来ない
出来るわけがない
園に入ってあゆに会うなんて
出来ない

でも

じゃあいったい
オレはいったい何が出来るんだ?
オレが
今のオレには…

「……お兄ちゃん?」

ミイちゃんの声
背中からしたけれど

オレは立ち去った。
歩いていった。
赤い空
夕闇へと変わる空の下
離れるしかなかった…オレには。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「お姉ちゃ〜〜〜ん」

ミイちゃんの声。
いつもの駆けてくる足音。
目を開ける。
…もう、暗い部屋のなか。
さっきまで、赤い陽がさしていたと思ったのに…

「…お姉ちゃん…どう、具合は?」

部屋の戸のところから、ミイちゃん。
心配そうに見ている、ミイちゃんの顔。

「……なんとか」

ボクは答えて、起き上がった。
本当は、何も何ともなってなんていなかった。

ボクは思い出していた。
全てを思い出していた。
あの冬の日のこと
祐一くんのこと

お母さんの事故のことも
その後のことも…
 

「…ホントに大丈夫…?」

ミイちゃんの顔、いつの間にかすぐ前だった。
ちょっと心配そうに、ボクの顔を覗き込んで…

「……うん。」

ボクは頷いた。

大丈夫じゃないけど
今は大丈夫じゃないけど
でも

大丈夫じゃなくちゃいけないね。
ボクが一番大きいんだから。
この園で一番大きいから
だから、泣いてばかりいられないから。

あんなにボクのこと、心配してくれる園長先生
こんなに心配してくれるミイちゃん…みんな…
なのに、ボクが泣いてばっかりじゃ…いけないよね。
しっかりしなきゃ。
ボクがしっかりしてないと…

ミイちゃんの顔。
ボクを見ている目。

大丈夫…
きっと、明日は…
きっと大丈夫になるから
だから

でも
今日だけは…
…今だけは…

「…きっと、明日は…大丈夫。学校にも行くよ。」
「……うん。」
「……だから…ミイちゃん、もうちょっと…今は、ちょっと…」
「………うん」

ミイちゃんは頷いた。
ボクも頷いた。

「…分かった。お姉ちゃん…お大事にねっ」

頷いて、また出て行くミイちゃん。
外からまっすぐ来たのか、背中にボクの上げた黒い鞄…白い羽、パタパタって揺れて…

「…あ、そうだっ」

と、ドアのところで、ミイちゃんが振り返った。

「お姉ちゃん、あのねっ!」

「…うん」

「ミイね、今日ねぇ…お兄ちゃんと会ったんだよ。」

「………え?」

…お兄ちゃん?

……祐一、くん…?

見たら、ミイちゃん、ニコニコしながらうれしそうに

「お兄ちゃんに、駅から園の前まで送ってもらったんだよっ!」
「………」
「あ、あたし、ちゃんとお兄ちゃんに、『入って、お姉ちゃんのお見舞いしてけば』って言ったんだよ。言ったんだけど…お兄ちゃん、帰っちゃったの。冷たいよねぇ、お兄ちゃん。」

祐一くん…
…園の前に…

手に力が入る。
ベッドから立って
急いで立って追いかけて
追いついて…

…何を言ったらいいの?
何を…言えるの?
ボク…
ボクは…

祐一くんに
祐一くんの顔
今の祐一くん顔
あの冬の小さい祐一くん

泣いていたボクを慰めてくれて
一緒に遊んでくれた人
ボクに取っておきの景色を見せて
一緒にたい焼きを食べて
一緒にクレーンゲームをして
一緒に…

あの日も一緒にいて
そして
ボクは…
 

『オレは……どうしたら償えるんだ…』
 

…ボクを見ないで
そんな目で見ないで
ボクは…

嫌だよ…
その目は…
ボクは…

可哀想…
つぐない…
そんなもの…
ボクは欲しくない…

…欲しくないのに…
 
 

「…お姉ちゃん?」
 

ミイちゃんが駆け寄ってくるのが見えた。
びっくりした顔で…
その顔が歪んで…

「…お姉ちゃん…泣いてる?泣いてるんでしょ?ねえ、泣いてる…?」

違う…
違うよ、ボクは…
泣いて、ないよ
泣いてなんか…

言いたいのに
ミイちゃんに言いたいのに
だから心配ないって
気にしないでって
言いたいのに
なのに

声が詰まって
言えないよ
泣かないって
思うのに
思ってるのに
涙が…

「…お姉ちゃん?泣いてるの?何で泣いてるの…お兄ちゃんのこと?祐一お兄ちゃんのせい…なの?ねえ、お姉ちゃん?お姉ちゃん…」

違うんだよ
そうじゃないよ
祐一くんが悪いんじゃないよ
そうじゃなくて
悪いのは

悪いのは…
 

誰なんだろ?
どうしてこうなっちゃったんだろ?
ボクは
祐一くんは
ただ…

ボクは…
 

泣きたくないのに
ミイちゃんの前で

ボクは

泣いていた。
暗い部屋のベッドで
ボクは泣いていた。
ずっと…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

空には月も見えなかった。
いつの間にか雪が降り始めていた。
真っ暗な空からわずかに街灯に輝きながら舞い落ちる雪は、次第にその濃さを増しているようだった。
頭にわずかに積もった雪を払って、オレは息をついた。

結局…オレは何をしているんだろう?
園でミイちゃんと別れて…結局、またあのベンチへ戻って
そのままあたりが暗くなるのをぼんやり眺めて

何をしたいのかわからず
何をすればいいのかわからないで
ただぼんやりとあたりが闇に変わるのを見て

それで何になる?
それが何の役に立つ?

何かするとしたら、オレはあゆに会わなきゃならない。
オレのする事は、いつもあゆを傷つける。
会わなければならない
会ってはいけない
会いたい
会いたくない
会えない
会いたい…
 

夜の闇があたりを包むまで座って
ただ座っていただけのオレ

あたりはますます冷たさを増していく。
音もなく降る雪
風もなく凍っていく空気
白い街灯の明かり
白く輝き落ちる雪
カーテンのようにあたりを覆って
あたりを白に染めていく雪

カーテンの向こうに、見慣れた灯が見える。
7年前から変わらない家。
暖かい灯が家の中を照らしているだろう。
きっと微笑みながらオレを迎えてくれるだろう。
それが…今は辛くすらある。
秋子さんの微笑みが…
そして、名雪…
 

『…オレは…行かない。』

『…祐一…?』

『…じゃあな、名雪。』

『…祐一っ!』
 

名雪…
お前はどうしてオレにそうやって…
どうして…
 

『祐一、そんなに、あの子のこと…』

白い雪…
雪をかぶった少女の顔
頬を伝う涙

あれは、やっぱり…名雪…
でも、いったい…
 

「……祐一」
 

白い雪のカーテンを越えて、声がした。
白い雪の中に、誰かが立っていた。
白い雪をかぶった、長い黒髪の…

「……名雪」

名雪はオレを見つめていた。
頭にはずいぶん雪が積もっていた。
きっと、ずいぶんそこに立っていた…

「……名雪、オレは…」

オレは言おうとした。
今日のこと
オレに言える
名雪に言えること…

でも
名雪は口を開いて
 

「…あの子と、会ってたの…?」

「……え?」

「……そうなんだ…そうなんでしょっ!!」

名雪の腕がオレのコートを掴んだ。
大きな瞳が、オレをしっかり見つめた。

「…やっぱり…そうなんだ?」

「名雪…」

「わたし…言ったのに。あの子に…言っておいたのにっ!!」

名雪の叫び。
聞いたこともないような名雪の叫び声。
雪のカーテンに消されてもなお大きな声で、名雪はオレの顔をじっと見つめながら
 

「…もう会うなって、あゆちゃんに言ったのにっ!!」
 

「…名雪?」

あゆに…言った?
…会うなって…
…名雪?いったい…

「…お前…」

「だって、卑怯だもの!あの子、卑怯だもの!祐一の気持ちにつけこむなんてっ!だから…」

「…名雪?何を…」

「だから…祐一ももう、会っちゃダメだよっ!だって…卑怯だよ、卑怯なんだよ、あの子…あゆちゃん、卑怯なんだよ…そうでしょ?祐一…そうでしょ?ね?ねえっ!?」

ひ…きょう?
卑怯て…
何を言ってるんだ、名雪…

「…名雪、卑怯って…」

「だって…ずるいよ、卑怯だよっ!あの子…酷い子だよっ!」

「…名雪…」

「だから、会わないで。わたしとまた、約束して?もう会わないって。あんな卑怯な子と…」

「だから…」

「卑怯なんだから…ずるい、嘘つきなんだよっ!あんな子に、祐一…卑怯、卑怯なんだからっ!!」

「名雪っ!!」
 
 

バシッ
 

思わず、叩いていた。
叫びながらオレを揺らす名雪を、オレは右手で叩いて

白い雪の上
降り積もった新雪の上
名雪は転がった
音もなく転がって
 

白いカーテン
雪が舞って
 

雪が
白い雪が
街灯に
 

雪にまみれたまま、名雪は顔を上げた。
振り返ると、赤くなった頬を抑えながら

「……祐一…」

「……名雪…お前、なに言ってるんだよ…」

見上げる名雪の瞳
白い雪の映る

オレは右手を握った。
名雪を叩いた手を。
 

オレは…名雪を…
 

「……だって…」

名雪は頬を抑えながら、オレを見上げた。
その瞳から、涙が落ちるのが

「…わたしと…約束したじゃないっ!祐一…約束したじゃない!」

「……約束…?」

「7年前…あの冬の夜、わたしと…約束したじゃないっ!あの子が…木から落ちた、あの事故の夜…」

「……夜…」

「…わたしと…あの、天使の人形に誓って…」
 

天使の人形
 

白い雪
 

突然、オレの前に雪が舞った。
白い雪がオレの前を真っ白に染めた。
白いカーテンがオレを包み込んで
黒い闇がオレを照らすように
 
 

「………あの…夜……」
 
 
 
 

天使の人形
オレは握りしめていた。

そうだ
オレはあの晩
あの日の晩

あゆが落ちた
もう死んでしまったと思った

オレが落とした
あゆを落とした
だから

いつの間にか、握りしめていた人形
あの日、あゆに上げようと思ってポケットに入れていて
落としそうになってあわてた
オレは
あゆは

   『祐一くんっ!』

   『あゆっっっっっっ!!!!!!』

なのにオレはその人形を握りしめて

何かが欲しかった
あゆの思い出の物
でも
忘れてしまいたかった
悲しかったから

悲しくて
どうしようもなく悲しくて

どうやって戻ったのかさえも分からない
気がつくと名雪の家の前に立っていて
でも
入る気になれなかった
この雪の中
埋もれてしまいたくて
何もかも埋もれてしまえばいい
オレも
この世界も
…あのあゆの思い出も…

『……祐一…』

あの時も、立っていたんだ…
大きな瞳の、三つ編みだった少女…

『……捜したんだよ…入ろう?中…暖かいよ?』

微笑んでオレに手を伸ばした少女。
白い雪
伸ばした手
舞い落ちる雪
 

バシッ
 

オレは叩いていた。
その手を叩いていた。
思い切り叩いて
オレの手から人形が飛んでいくほどに

少女は倒れていた。
そのまま倒れて

人形も
雪の上に
 


 

埋もれてしまえばいい
そのまま埋もれてしまえばいい
人形も
オレも

この世界も
オレの記憶も

オレの思い出も
あゆの思い出も…
 
 

『……祐一…』
 

雪の上
少女は起き上がって

『…祐一、そんなに、あの子のこと…』

白い雪…
雪をかぶった少女の顔に、涙が頬を伝って…
 

『でも、わたし…』

『…わたし…祐一が好きだった。ずっと好きだったんだよ。あの子なんかより、ずっと、ずーっと前から…好きだったんだよ…』

少女の言葉。
泣きながら口にした少女の言葉

オレは分からなかった。
オレは感じなかった。
その言葉にどんなに少女が思いを込めていたのか
その涙にどれだけの思いが込められていたのか

ただオレは悲しくて
辛くて
悲しくて

オレは黙っていた。
何も言えなかった。
ただ少女の手を叩いたそのままで
ただただオレは立ち尽くして

少女はのろのろと立ち上がった。
白い雪を払いもせず
そのまま、人形を拾い上げて

『これ…あの子にあげるはずだったんだね…』

そうだ
あゆにあげるはずで
でも
そのためにあゆは…

『でも…あの子には、もう…』

天使の人形
白い雪

あゆは天使になった
オレが殺した
もう会えない
会うこともできない
あゆは天使になった
オレが殺した

『祐一も、明日は、帰るんだよね…』

帰る…
オレは元の街に帰る
雪の降らない街
オレの両親がいて
オレの友達がいて
…あゆのいない街に

そして
きっとオレは帰らない…

『だから、もし…』

『もしも祐一が、あの子のこと…』
 

オレは忘れない
あゆを忘れない

オレは忘れたい
あゆを忘れたい

この街のこと
この街ですごした冬の日々
あゆと出会い
あゆと遊び
…あゆを殺した事を
オレは…

『分かってるよ。祐一…もう、この街に来ないんだ…あの子の思い出のあるこの街に…還らないつもりなんだ。そうなんだ…そうなんでしょ?』

オレを見つめる瞳。
少女の瞳から、白い雪の上、また涙がこぼれて…

『でも、もしも…もしもでいいから…』

『いつか、忘れられたら…あの子がいなくなったこと、忘れて…悲しくなくなったら、そしたら…帰ってきて。そしたら…この天使の人形、わたし…燃やすから。あの子の思い出と一緒に…』

『そうじゃなくて…あの子のこと、忘れられないって、もう、だからわたしは…祐一、わたしを好きになんてなれないっていうなら…それでも、その時も…帰ってきて。その時は、わたし…この人形を返すから。』

『だから…わたしがそれまでこの人形、預かっておくから…』
 

降り続く雪
白い雪の中

頭に雪を積もらせた少女の瞳の奥
オレを映す少女の瞳
オレは…

一言だけ、口から

『……名雪…』

『……忘れないで。約束…だよ。絶対、絶対に忘れないで…』

涙を流しながら
オレを見つめる瞳
白い雪の中
何もかも埋めてしまいそうな雪の中で

オレは

頷いて…
 

『約束……だよ…』
 
 
 
 

白い雪
白い街灯の光

オレは立ち尽くしていた。
雪の中に立ちつくしていた。
7年の時の中で

全てはあの夜に始まったとしたら
名雪とオレの全ての事は
だとしたら

名雪がオレに言った言葉
今までオレに言った言葉
名雪の涙
名雪の思い

全てはあの夜
あの雪の中
あの約束

だとしたら
オレは…
 

名雪は立ち上がった。
オレを見つめながら立ち上がった。
頭に積もった白い雪はもう落ちて
街灯に光るのは、もう三つ編みではない髪
変わらない大きな瞳
その瞳から落ちる涙…
 

バタン
 

ドアの音
名雪の駆け込んだドアの音。

何も言わないで
何も言えずに
名雪はそのまま家に駆け込んだ。

オレはそのまま立っていた。
何も言わないで
何も言えずに

オレは雪の中
白い雪の中
暗い空から舞い落ちる白い雪の中
ますます濃さを増す白いカーテンに包まれながら

立ち尽くした
立ち尽くしていた。
オレの罪の中で立ち尽くしていた。

<to be continued>

-----
…筆者です。
「仕切り屋・美汐です。」
…とうとう…ここまで来たね。
「長かったですね…」
…そうだね。もともとは、4月には終わっているはずだった気がするんだけどね…
「途中、あんなに長くなるとは思っていなかったですから。」
…うーん…書いてみるまで長さを把握できない。もろ、アマチュア丸出しって感じ(笑)
「しょうがないでしょう。そうなのですから。」
…ま、そうなんだけど。ともかく、Last Piece…最後のかけらはこれで全て嵌まって…全ての過去はこれで出つくしたね。
「伏線とか…ほのめかしていた事など…全部、説明してしまいましたね。」
…そうだね。最終回を前にもう…何て変なプロットだろうね。
「…あなたが書いているんです。」
…ごもっとも。まあ…どのみち、これはその程度の話で…あとはほのぼのらしく、少女小説らしく…ご都合主義で行きますかっ!
「…そうじゃない話が、今まで一つでもあったんですか?」
…ぐはっ…そういう本当のことを言うなぁ…

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