Girl meets Boy 前編

(夢の降り積もる街で-21)

あゆSS。

シリーズ:夢の降り積もる街で

では、どうぞ。

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   雪
   雪
   降り続く雪
 

   白い雪の中
   真っ白な雪の中

   ぼくは

   目を
 
 
 

   閉じて
 
 
 
 

   『……祐一くんっ!』
 
 
 
 
 
 
 

Girl meets Boy (夢の降り積もる街で-21)
 

1月31日 日曜日
 
 

…声がした気がして、ハッとして目を開けた。
あわてて、周りを見回す…

あたりはもう陽が登って、白く輝いている。
枝々に積もった雪が、オレンジから白へと色を変えていくその姿…
 

「……はあ」
 

危なかった…
まだまだ朝の冷気の中、オレは…目を閉じていたらしい。
冗談じゃない…こんなところで今、眠ったりしたら…

オレはとりあえず、息をついた。
頭を振って、眠気を払った。
そして…さっきの幻影のような声も、頭から振り払おうと…
 

でも、幻影だって…幻聴だって、聞こえてもおかしくないと思う。
考えてみれば、もう何日も、よく眠ってなかったのに…
その上、徹夜だからな。
きっと…一度目を閉じたら、そのまま眠ってしまいそうなほど、頭の芯は鈍く、そして重い。
それほど、疲れている…それはオレにも分かっていたから、だからこうして立ったままで、足踏みをしたり、時には走ったりして目を覚ましていたのだけれど。

…そろそろ、それも限界かもしれない。
もう足は痛んで棒のようになってしまっている上に、そろそろつま先の感覚がなくなっている。
多分…凍傷の一歩前というところか。
これ以上は…

オレは大きな大きな木の、大きな切り株の上、うっすらと積もった雪を払った。
そして、そこに腰をかけながら、大きく息を吐いた。
 

「……はぁ」
 

息は真っ白になって、あたりに薄れて消えた。
さっきまでに比べて、その息がすぐに薄れたのは、少しは暖かくなってきたせいなのか。
ともかく、木々のすき間を通ってさし込む朝日に、暖かさを感じながら、オレは背負ったリュックの中からもうなけなしになってきた使い捨てカイロを出してブーツの中に入れた。
そして、そのまま足を切り株の上に伸ばすと、大きく伸びをしながら…
 

…これだったら、なんとか…待てるかな。
さすがに、あのまま雪が降り続けていたら…
思えば我ながら、何て無謀なことをしているのかって思わないではないけれど。
でも…
 

あいつは来ると思う。
いや、きっと来てくれる。
そう思うけれど

来ないかもしれない
来なかったとしても
オレは
 

オレは待つ
待つって決めたから
たとえあいつが来なくても
来てくれなくても
オレは
 
 

でも
 
 

来てくれると思う
来てほしいと思う
それだけでいいから

オレの言うべきこと
オレの言いたいこと
聞いてくれるだけでいいから
 

来て…くれるよな…
 

オレは晴れ上がった青い空を見上げて
雲一つなく晴れ上がった空を見上げて
 
 

つぶやいていた
 
 
 

さっき、聞こえた声
あれは幻聴じゃなくって
きっと、オレのこと…
 

なあ…
 
 
 
 
 
 
 
 

『…あゆ…』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「………?」

誰かが呼んだ気がして、ボクは振り返った。
 

誰もいなかった。
廊下には、ボクの他には誰の姿もなかった。

…あはは
考えてみたら…ボクのこと、『あゆ』なんて呼ぶ人…園にいないのにね。
なに、寝ぼけてるんだろ、ボク…

こつん

ダメだな…
寝ぼけているのかもしれない。
昨日はよく眠れなかったから…

ううん。昨日だけじゃない。
ずっと…
 

「…はあ」
 

思わず、ため息をつきながら、ボクは廊下を歩いた。
別に…どこに行こうってわけじゃなかったけど。
でも、部屋にじっとしてるのは…

外は晴れていた。
窓から見える景色は、すっかり晴れ上がった空と、そして…
 


 
 
 
 

『……だいっ嫌いだっ!!』
 
 
 
 

『…あなた、まだ、祐一くんのこと…好きなんでしょ?あゆちゃん?』
 
 
 
 

『あたしが言いたいのは…それだけ。あたしがあゆちゃん、あなたに言いたい…言いたかったのは、それだけよ。』
 
 
 
 

『……あゆっっっ!!!』
 
 
 
 

どうしたらいいの?
どうすればいいんだろ
ボク
 

それを考えて
そればっかり考えて

昨日からボクは、そればっかり考えてる。

決めたのに
もう
決めたつもりだったのに

もう会わないって
祐一くんとはもう
そして

ボクは元気になって
前みたいに元気になって
みんなに心配かけないように
元気にならなきゃって
決めたのに
 

決めた
 

でも
ボク
 

ボクは
 
 

どうしたらいいの?

どうしたいんだろ?
ボクは…
 

分からない
ボクには分からない
ボクの気持ち
ホントは
 

ボク…
 
 

日曜日の朝
園は静かだった。
廊下を歩いているのは、ボク一人。
みんな、もう遊びに行ったか、じゃなかったらまだ部屋で寝てるのかもしれない。
ミイちゃんは、多分まだ寝てると思う。
だって、起きてたらきっと、起こしに来るはずだから…
『お姉ちゃん、雪、積もってるよっ!』って。
だって、ミイちゃん、新雪が好きだから…
 

窓の外を見る。
景色は一面、新雪が積もってた。
みんな、真っ白に覆って、雪が…
 

雪は嫌い

雪は好き
 

冷たくって

暖かくって
 

何かを思い出す

何かを思い出させる
 
 

何か
 
 
 

ボクは…
 
 
 
 
 

ボクは玄関に出て、ブーツに履き替えた。
それから白い雪の積もった門の方へ歩きだしていた。

何をする気もなかった。
どこへ行く気も…別になくって。

最初から、どこへも行く気なんてなかった。
ただ、着替えて、部屋を出て
そして、廊下を歩いているうちに、何となく外に出た
ただそれだけ
ただ

だって
どこに行けばいいのかも分からなくって
どこに行きたいのか
行きたいところ
行きたい
 
 

会いたい
 
 

ボクは
 
 

玄関を出て
雪の中に立っていた。
ボクは白い雪の積もった玄関の外
雪を踏んで立ったまま

寒くて
ボクは着ているコートをしっかり合わせながら

息はやっぱり白くって
空は青くって
ボクは
 
 

ホントは
ボクは
 
 

ボク
 
 
 
 
 
 

……あれ?

あれ…なんだろ?

見たら、門の門柱の上、電灯のところに…変に雪、積もってる。
それに…何か、赤い物が見えるし…
何か…風船かなんかが飛んできて引っ掛かってる?

…違うよね。
そんな感じじゃないから…
何だろ、ホントに…
 

ボクは雪の上、門に駆け寄った。
そして、見えてる赤い何かの上の雪、パタパタ払って…

…人形?
これって…ぬいぐるみの人形だよね?
何か、変な服着た……猫…?
猫の…ぬいぐるみ……
 

『…あれ…ほしいかな。』

言ったのは、ボク…
でも、それはこの間の…あの時…

『…じゃあ、オレが取ってやる。』
『…いいから。見てろよ、オレが取ってやるから。』
 

言ってくれたけど
取ろうとしてくれたけど
何度も何度も

だけど…
 
 

あのぬいぐるみ…だよね、これ?
いったい…
 

ボクは雪に埋もれていたぬいぐるみを取りだした。
 
 
 

パサッ
 
 
 
 

と、何か白い…物が下に。
何か、白くって、四角い、何か…
 

何だろ?
ボクはそれを拾いあげようと、かがんで手を…
 
 

『月宮あゆさま』
 
 

…え?
これ…
 

ボクはあわててそれを手に取った。
そして、ちょっと濡れているそれ…封筒を裏返した。
そこには
 
 
 

『相沢祐一』
 
 
 

え……
何?これ…
いったい
 
 
 
 

ボクは
その封筒
字が濡れて滲んでる
白い封筒を
開けて
 
 
 
 
 
 

開けた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「…お姉ちゃん!」
 
 
 

そこには
 
 
 

「…お姉ちゃん?お姉ちゃん…」
 
 
 
 
 
 
 
 

「……そこにいるの、お姉ちゃんでしょ?ね、お姉ちゃん…」
 
 
 
 
 
 
 
 

「お姉ちゃんっ!!聞こえてる?ねえっ!ねえったらっ!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「……え?」

ボクは
手紙を持ったまま
振り返って
 

「……お姉ちゃん?」
 

「……ミイちゃん…」
 
 

園の中
暗い廊下
ボクを見ている
 
 

「……どうしたの?お姉ちゃん?」
 

「………」
 

「……あの…」
 
 

ミイちゃん…
 
 

「……どうか…した?」

「………」
 
 

どうか…

ボク?
ボクの、こと……?
 
 
 

「………」
 
 

「……お姉ちゃん?電話…だよ?」
 
 

「……電話?」
 

「うん。あの…香奈美お姉ちゃんから、電話…だけど…?」
 

「……香奈美さん…」
 
 

香奈美…さん?
いったい…
 
 

『わたし…店長には今日、あゆちゃんが休むって行っておくから…いい、あゆちゃん?それで…いい?』
 

『じゃあね、あゆちゃん。また明日、電話するね。』
 

『…明日のバイトのことは、その時に…ね。』
 
 

昨日…言ってた
香奈美さん、そういえば、言って…
 
 

『あゆちゃん…あなた、まだ、祐一くんのこと…好きなんでしょ?』
 
 

ボク
 
 
 

『わたしはね、あゆちゃん。祐一くん、きっと…あゆちゃんのこと…』
 
 
 

ボクは
 
 
 

握りしめて

手紙

握りしめて
 
 
 

「………て」
 

「……え?なに、お姉ちゃん?」
 
 

ミイちゃん、玄関からボクの方、不思議そうに見てたけど
ボクは
 
 

「……出られないって…言って。」
 

「え?」
 

「ボク…」
 
 

ボクは
大きく息を吸い込んだ。
 
 

「ボク、これから…行かなきゃならないから。行かなきゃ…行きたいから。だから…」
 

「…お姉ちゃん?」
 

「だから…今日のバイト…後で電話するって、きっとするからって…言っといてっ!」
 

「お姉ちゃん!?」
 
 

ボクは駆けだした。
白い雪の中
白い雪を踏んで
白い
 

手紙を握りしめたまま
ボクは
 

門を抜けて
 
 

「……お姉ちゃんっ!!」
 
 

ミイちゃんの声

ボクは立ち止まった。
後ろを振り返った。
振り返ると
 
 

ミイちゃんがボクを見て
 
 
 

「……あゆお姉ちゃん!」
 
 

「………」
 
 
 
 

笑って
 
 
 
 

「……行ってらっしゃいっ!!」
 
 

「…ミイちゃん…?」
 
 

「ミイ、分かんないけど…」
 
 

ミイちゃん、玄関からボクのこと、見ながら
にっこり笑いながら
手を振って
 
 

「…なんだか分かんないけど…分かったよっ!」
 

「……え?」
 

「…ミイ、言っとくからっ!香奈美お姉ちゃんには、言っとくよ…」
 
 
 

「あゆお姉ちゃん、行きたいところがあるって。そう言って…元気に出てったってっ!」
 
 

「…ミイちゃん…」
 
 
 

「だから…行ってらっしゃい!!お姉ちゃん!!」
 
 
 

「……ミイちゃん…」
 
 
 

ボクはミイちゃんの顔
笑ってる顔を見てた。
手を振って笑っているミイちゃんの顔
ボクは
 
 
 

「……行って…きますっ!」
 

「行ってらっしゃいっ!」
 
 

ミイちゃんに手を振って、駆けだした。
ボクは雪のうっすら積もった道を、駆けだした。
白い道を
ボクは
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

オレは

待つ
待つしかない
あいつが来るのを
ここで
この場所で
 

オレは空を見上げた。
ここだけ大きく開けた空。
見える空の色は…青。

多分、今日は…もう、降らないらしい。
だんだん暖かくなってくるあたりからは、風に揺れる木々の音が聞こえている。
聞こえるのは…それだけ。
まだ、あいつは来ない…
 

…そういえば、あいつ…あれで来るかな?
考えてみたら、あいつに手紙を出すのは初めてだよな…
って、電話だってしたことないよな、あいつには。
なのに、あんな書き方は、ちょっと…変だったかな?
うーん…それならそれらしく、こう書いた方がいいのか?
例えば…
 

『前略、月宮あゆさま。オレは…』
 

…らしくないな。らしくない。
逆にあいつ、きっとびっくりしちまうな。

オレは我ながら、思わず苦笑い。
寝不足のせいか、バカなことばかりが頭に浮かぶなあ…

オレは苦笑しながら、また空を見上げた。
真っ青な空
あの頃、あの冬には、いつも見上げていた
真っ赤に染まっていた空を見上げながら
オレは
 

待っている
待っているから
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ピンポーン
 

ベルの音。
ボクはちょっと緊張しながら、ドアの前に立っていた。
だって…このベルを鳴らすのは…まだ、二度めだし。
前の時は…
 

ガチャッ
 

「…はい、どちらさま…あら?」
 

いきなりドアが開いた。
その影から、ボクの方、見てたのは…
 

「……あら、あゆ…ちゃん?」

「……はい。」
 

出てきたのは、香里さんだった。
香里さん、ボクの顔、びっくりして見てる。
 

「どうしたの、あゆちゃん。こんな…日曜の朝に。」

「あ、えっと…」
 

ボク、急いで頭を下げて
 

「香里さん、ひょっとして…寝てました?」

「……ううん。少し前に起きたところよ。」

香里さん、ボクの顔見ながら、ちょっと首を振った。

「正確には、起こされた、だけどね。」

「えっ!?」

「……ううん。あゆちゃんじゃないわ。犯人は…しおん。」

香里さん、ちょっと笑って

「部屋の戸、開けろってしおんがあたしを起こしたの。あの子、散歩に行きたかったらしいわ。」

「そ、そうですか…」

「まったく…こっちはまだまだ眠っていたかったんだけど、そんなのおかまいなし。もう…だからって、部屋の戸、開けたままにしとくわけにはいかないし。この寒いのに…ねえ?」

「…あははは」

「……はぁ。」
 

香里さん、ちょっと苦笑い。
頬に手をやると、一つ、息をついて
 

「…で、あゆちゃん。どうかしたの?こんな日曜の朝に。」

「あ…えっと…」

「しおんと遊びに来たの?だったらちょっと待ってね。今、しおん、遊びに行ったとこだから…」

「あ、いえっ!そうじゃないんです。そうじゃ…」

「………?」
 

香里さん、首を傾げた。
ボクは…
 
 

「……その…」

「………?」
 
 

ボクは

香里さんの顔、見ながら
大きく息を吸って
 
 

「…祐一くんの家、教えて…もらえないですか、香里さん?」

「……え?」
 

香里さん、ボクの顔をびっくりして見てた。
ボクはそんな香里さんの顔、見ながらもう一度
 

「…祐一くんの家…教えてください。お願いします。」
 

「………」
 
 

ボクの顔を見ながら、香里さん、瞬きをした。
それから、ちょっと眉をしかめた。

「…相沢くん…どこに住んでるか、その場所…ってこと?」

「…はい」

「……あゆちゃん、あなた…」
 

香里さん、ちょっと黙った。
 

「……あゆちゃん、相沢くんは…今、誰の家に居候してるのか、知ってる…わよね?」
 

「……はい。」
 

「…でも、その場所を…聞きたい。そういう…こと?」
 

「……はい。」
 

ボクは頷いた。
香里さんは黙って、ボクの顔、見てた。
ボクをじっと見つめて
 

「……相沢くんは、名雪の家に…いるわ。知ってるでしょ?」

「……はい。」

「………」
 

もう一度、ボクは頷いた。

それは…分かってる。もちろん、知ってる。
祐一くんは、いとこの家に居候してる…
名雪さんの家。
 

名雪さん
 
 
 

『あゆちゃん…祐一の気持ちにつけ込まないでっ!ひどい…ひどいじゃない!』

泣いてた
名雪さんは
ボクを見ながら
泣いて

『もう、祐一の前に現れないでっ!顔を…姿を見せないでっ!近付かないでよっ!!近付いたりしないでっ!!』
 

泣いて
 
 

分かってる
それは知ってる
名雪さんの家に祐一くんはいること
そして
名雪さん、祐一くんのこと…
 
 
 
 

でも…
 
 
 

「…でも、教えて…ほしいんです。」

「……どうして…」

「……行かなきゃ、ならないんです。行かなきゃ…」
 
 

ボクは行かなきゃならない
この手紙の意味
祐一くんの口から聞きたい
だから
 

行かなきゃ
 

ううん
 

「……いえ、ボク…」
 

「………」
 

「…行きたいんです。だから…」
 
 

だからボクは
ボクは
 
 
 
 

「……そう。」
 

大きく息をついて、香里さんが言った。
ボクの顔、見ながら、香里さんはゆっくり、頷いた。
 

「…じゃあ、これ以上は…あたしはとやかく言わないわ。それが…分かってて、でも、言ってるんだったら…」

「……はい…」

「…あゆちゃん、あなた…番地言えば、場所、分かる?」

「…え?」

「…場所よ。名雪の…相沢くんの家の場所。」
 

言うと、香里さん、にっこり笑った。
 

「あっちの方、あゆちゃんの…園とは反対側だし。あゆちゃん、商業だっていうから…分かる?あの…川の向こう、なんだけど。」

「え、えっと…」
 

確かに…そっちはあんまり行ったこと、ないけど
でも…
 

「…た、多分。探せば…」

「……時間、かかってもいいの?」

「………」
 

時間は…

出来たら、すぐに行きたい。
でも…
 

「……でも」

「……そう。じゃあ…」
 

香里さん、ちょっと首をかしげると、考え顔になった。

「……ちょっと、待っててくれる?」

「…え?」

「いいから…ちょっと。」
 

と、言うと香里さん、すたすたと家の中、入っていった。
ボクは玄関のところで、立ったまま…
 

「……お待たせ。」

香里さん、すぐに戻ってきた。
そして、ボクの方、何かを出した。

「これ。」

「……これは…?」

「名雪の家の住所と…簡単な地図。多分、これで分かると思うわ。」

「香里さん…」
 

ボク、その紙と香里さんの顔、見て

香里さん…
 

「…こんな…」

「ほら、早く取りなさい。急いでるんでしょ?」
 

香里さん、ボクの顔、見ながら
笑いながら

「…ほら。」

「………」

「……要らないんなら、いいのよ。捨てちゃうから。」
 

香里さん、言いながら
笑いながら
 

ボク…
 

「……ほら。」
 

ボクは
 

「………はい」
 

ボクは手を伸ばして、その紙をもらった。
両手で、しっかり手に取った。
しっかり、胸に抱えて
 

「……ありがとうございますっ」
 

「……おおげさね。」
 

香里さん、笑ってた。
笑ってボクを見ていた。
ボクは…
 
 

「……ほら、行かなきゃならないんでしょ?急いでるんじゃないの?」

「………」

「…ほら…」

「………」
 

「……もう…」
 

香里さん、ホウッと息をつくと、首を傾げてボクを見て
 

「…手間がかかるんだから。こういうところが…」

「………」

「……思い出しちゃうのかもね、あの子…」
 

「……え?」
 

ボクは顔を上げた。
香里さん、ボクを見つめていた。
優しく
ボクを
優しく
 

「……ねえ、あゆちゃん…」

「……はい」

「……一つ…ううん、二つ…お願いしていいかしら?」

「………なんですか?」
 

ボクは香里さんの顔を見上げて
香里さんに頷いて

「…ボクにできることなら…」

「………できるっていうか…」
 

香里さん、ちょっと口ごもると、ボクの顔を見た。
 

「…もうしばらく…あゆちゃんのこと、『あゆちゃん』って…呼んでもいい?」

「……え?」

「ほら、だって…本当は同じ年なんでしょ?あゆちゃんとあたし。なのに…ねえ?」

「……構いませんからっ」
 

ボクは思いっきり頷いた。
 

「ボクは…別に構いませんから。ずっと、そう呼んでもらっても…」

「…そうはいかないわよ。」

「でも…」

「…70のお祖母さんになっても、『あゆちゃん』って呼んでたら…おかしいでしょ?だから…」

「………」

「……いいかしら?」

「……はい。」
 

ボクが頷くと、香里さんは笑った。
ボクの顔、見ながら、笑って
 

「もう一つはね…」

「……はい。」

「………」

「………」
 

香里さん、ちょっと黙ってたけど
 

「……いいわ。」

「……え?」

「……もう…必要、ないから。さっきので…」

「………?」
 

…何のこと?

ボクはわけが分からず、香里さんの顔を見た。
香里さんはちょっと笑ったまま、頬に手をあてるとボクの顔を見て
 

「…これからも…って言うつもりだったけど、それはもう…いいでしょ?」

「……え?」

「…だから…」
 

香里さん、ボクの顔をじっと見てた。
そして、ちょっと肩をすくめると、小さく息をついて
 

「…だから、これからも…また、遊びに来てねってことよ。また、しおんと遊びに…」

「……え…」

「……また…ついでに、お茶でも飲んだり…しましょうってことよ。ただ、それだけ…」

「……香里さん…」
 

ボクは香里さんの顔、見上げていた。
香里さんはボクの顔、ふいに目線を外すと、ぶんぶん、首を振って
 

「…ほらほら、あゆちゃん…急いでるんじゃなかったの?行かないの?ほら…ほらっ!」
 

にっこり笑いながら、香里さん、ボクを追い払うように両手を振ると
 

「ほらほら、行った行ったっ!幸せ者は、早く行っちゃいなさいっ!」

「か、香里さん…ボク…」

「ほら、早く早くっ!」
 

ボクは香里さんに追い立てられるように押し出された。
 

「…香里さん…」

「…ほら、戸、閉める邪魔よ。早く…」

「……香里さん」
 

ボクは振り返った。
香里さんの顔を見つめた。

香里さんは手を止めて、ボクの顔を見た。
 

「…あゆちゃん。」

「………はい」

「…名雪のこと…」

「………」

「……あの子、いい子よ。ホントは…いい子よ。あたしが保証する。だから…」

「………」

「……あゆちゃん、あの子のこと…」

「…香里さん」
 

ボクは香里さんに頷いた。
大きく、頷いて
 

「…ボクも、そう…思いますから。分かってます…から。」

「………」

「……だから…」

「………」
 

香里さん、ボクの顔、見ながら
黙ってボクの顔、見つめて
 

「……うん。」
 

頷いて
大きく頷いて

微笑んで
 

「……じゃあ、あゆちゃん…またね。」
 

「……香里さん…」
 

「…また…今度。ゆっくり…話しましょう。しおんと一緒に…」
 

「……はい。」
 

「……じゃあ…」
 

香里さんの顔、ドアの後ろに…
 
 

「……あゆちゃん」
 

「……はい?」
 

顔を上げると、香里さんがドアのところ、立っていた。
立って、ボクの方を見ながら
 
 

「……頑張ってね、あゆちゃん…」
 
 

にっこり笑って
手を振って
 
 

「……香里さん…」
 
 

「……頑張ってね、あゆちゃん。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「…はいっ!」
 
 
 

ボクは大きく頭を下げた。
香里さんに頭を下げた。

そして振り返ると、駆けだした。
手に、香里さんがくれた紙を握りしめて
雪の道をボクは駆けだした。
ボクは
 

駆けて
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

バサッ


枝から雪が落ちる音。
次第に暖かくなる気温に、枝から落ちる雪の音が木々の間に響く。
オレは切り株に座ったまま、そんな白い雪の塊たちの音をぼんやり聞いていた。

こうして座っていても、そろそろ眠気すらしなくなってきた。
だんだん暖かくなって、とりあえず、凍死は免れそうだ…

…でも、今、いったい何時なんだ?
陽が登ってから、ずいぶんたった気がするけど…
あいつ…やっぱり…



…いや、まだ昼にもなってないか。
オレは木々の上、まだ低い太陽を見上げて、思わず苦笑する。

我ながら、情けないったらない。
たかだか、一晩待ってただけじゃないか。
このくらいで…音をあげてどうするんだ?
オレは…決めたんだから。
待つって決めたんだから。
待つと…あいつを…




パサッ

パサッ



次々落ちる雪の音
木々の間に響くのを、オレは聞きながら

まだ低い陽に長く伸びた木々の影
陽の光に白く輝く雪の上に伸びた影を眺めながら

まぶしい雪の輝きに目を細めながら
オレは



待って

待ちながら






考えていた






あの冬の日
白い雪の中で
頬を赤く染めながら
ベンチに座って待っていた
少女




そして




白い街灯の灯
舞い落ちる白い雪の中
涙を流していた三つ編みの
少女




待っている





待っていた







思っていた

考えて


















ピンポーン


ベルの音。
ボクはボタンから手を離して、大きく息を吸い込んで。

ドアの前でこうして、悪のを待つのは…今日、二度め。
香里さんの時は、そんなに緊張してなかったけど…
…今度は…


ガチャッ


「…はい、どなた?」

ドアと一緒に、声…


「……あら、あゆちゃん。」


秋子さんがドアの影から顔を出した、
そして、ボクを見ながら、ちょっと首を傾げた。

「…久しぶりね、あゆちゃん。」

「………は、はいっ」

「………」

「……あ、そうそう。」


と、急に秋子さん、頭を下げて


「…おはよう、あゆちゃん。」

「……おはようございますっ」


ボクもあわてて、頭を下げる。
顔を上げると、秋子さん、にっこり笑いながら


「…今日も寒いですね。」

「は、はい。」

「外は寒かったでしょう?入って、暖まっていきなさいな」

「い、いえっ」


あわてて、ボクは手を振った。
何か…調子、狂うよぉ…秋子さん…


「…そ、そうじゃなくって、ですね…」

「……?」

「…ボクが、来たのは…」

「……ああ、そうそう。」


秋子さん、うんうんって感じで頷くと


「そういえば、あゆちゃんが家に来たのは初めてね。」

「…は、はい…で…」

「すぐに分かった?この辺、結構同じような家が多いんだけど…迷ったりしたんじゃないかしら?」

「……あの…」

「ごめんなさいね、来るって知ってたら、名雪を迎えに…」

「……え、えっと…」


うぐぅ…
秋子さん、マイペース…


秋子さんの顔を見る。
…秋子さんはニコニコしながらまだ何か言おうとしてた。


「い、いえ、そうじゃなくって…秋子さんっ」


秋子さんに、ボクは急いで手を振った。
ともかく…聞きたいことが先だから。
とにかく、ボク…


「ボク、お家にお邪魔に来たわけじゃ、ないんです。」

「……あらあら」

「…いえ、そうかもしれないんですけど…」

「……まあ」


…そうじゃなくって…
うぐぅ、何か…さっきまでの勢いが…


そ、そんなこと言ってる場合じゃないよっ
ボク…何しにここに来たのさ?

そうだよ。
ボク…




「ボクが、ここに来たのは、ですね…祐一…」




「……あれ、あゆちゃん…?」





……あっ



秋子さんの後ろから、声がした。
そして、その声、ゆっくりとこっちに




「………」



「……名雪さん…」




名雪さんが階段のところ、立ってボクを見ていた。
ちょっと不思議そうな顔で、ボクを見ながら


「……どうして…今ごろ、こんな所にいるの?」


「……え?」


「だって…」


名雪さん、首をかしげたまま、黙ってボクを見つめた。
その目が、ちょっと瞬きをして


「……あら」


と、急に秋子さんが耳をすます感じで首を傾げた。
そういえば…何か、小さな、高い音が…

「…あらあら、大変。お湯が沸いてるわね…」


秋子さん、言ったけど、でも…あんまりあわててない感じ。
ボクに頷いて


「ごめんなさいね、慌ただしくって…」

「……あ、は、はいっ」

「……大変、大変…」


言いながら、秋子さんは廊下を歩いていった。

名雪さん、振り返ってそんな秋子さんのこと、ちらっと見た。
でも、すぐに振り返るとボクの顔、じっと見つめた。


「……じゃあ、まだ…祐一にあってないんだ…?」

「……え?」


「そう…じゃ、祐一…大変だね」


「……え?」


びっくりして、ボクは名雪さんの顔を見つめた。
名雪さんはそんなボクの顔、見ていた。
少し黙って、ボクの顔、じっと…


「……祐一、昨日から帰ってないよ。」

「……えっ?」

「…………あれっ?」


名雪さん、また不思議そうにボクの顔、見つめると


「…じゃあ、祐一……まだ、待ってるんだね…」


「……待ってる?」


「………」


名雪さん、口をつぐむと横を向いた。
明るい窓の外、目を細めてじっと見つめた。
大きな目で外を見つめたまま、名雪さんは瞬きすると


「……それが…」


と、ボクの方を向いた。
真剣な顔で、ボクを見た。



「あゆちゃんの結論なの?」


「……えっ?」


「……それが……」


名雪さんの大きな目が、ボクを見つめたまま


「………違う…でしょう?」


「………」


「……違うよ…ね」


言うと、名雪さんはボクの目をじっと覗き込むように見た。

…名雪さん…なに言ってるの?
結論って…


ボクはわけが分からなかった。
ただ、名雪さんの顔を見つめていた。

名雪さんはボクの顔を見ながら
ボクの目をのぞき込みながら


「……それとも…結論、出してないの、あゆちゃん…?」



首を傾げて
そして









「…それは…卑怯だよ、あゆちゃん。」










笑った

名雪さんはニッコリ微笑んで











「…もう、わたしと祐一の…結論、出ちゃったのに。出ちゃったんだ…から……」




「……名雪さん…?」




「……もう……」




名雪さんは微笑んだまま、小さく首を振った。
長い、黒い名雪さんの髪、さらさら音をたてた。


ボクは


「…名雪さん…」


「………」


「………ボク…」






「……わたしとの約束が、祐一…救ってくれたんだって、言ってくれたんだ。」



「………え?」



「………」




名雪さん、ボクの顔をじっと見ながら

小さく頷いて



「……わたしの、あの…約束…あの夜、あの…あゆちゃんが木から落ちた、祐一の目の前で落ちた、その夜に…わたしと祐一がした、あの約束が……」



「………」



言って、またにっこり笑った名雪さん。
でも、その目…



「……知ってるでしょ、あゆちゃん…?」


「…え…」


「昨日…聞いたよ、香里に…」



名雪さんは小さく頷いた。
そして、変わらず笑いながら



「香里、あゆちゃんに、約束のこと…わたしの約束のこと、言ったって。全部…わたしが香里に言ったこと、全部言ったって…昨日、香里…」


「…いいえっ、香里さんは…」


ボクはあわてて手を振って


「香里さんは、別に…」


「……ううん。分かってるよ、あゆちゃん。」



でも、名雪さんは微笑んだまま、小さく頷いた。
大きな目、揺れながら小さく頷いて



「…香里は、わたしの…一番の友達なんだもん。わたしが一番…分かってるよ。分かってるから…」

「………」

「……だから、わたし、別に香里のこと、責めるわけじゃ…ないの……」

「……名雪さん…」

「…ううん。」


名雪さん、ちょっと首を振った。


「…そうじゃないよね…わたし、香里に感謝…しなきゃね。」


「………え?」



「……だって、香里、正しかったんだもんね。あゆちゃん…そんな、卑怯な人じゃない…正しかったもの。それは…」



「……ボク…」



「あゆちゃんは…」



名雪さんは笑いながら

でも
その目は

その目から



「…ボクは…」



…ボク…ホントに、知らなかったんだ
忘れていたんだよ
あの冬のことも
あの木のことも

祐一くんのことも


でも




「……ボクは…」



忘れてた
忘れて


だけど

でも





ボクは…



「……ボク、そんな…こと、ないです。ボクは…」



「……あゆ…ちゃん?」


「…ボク…卑怯かもしれない。ううん、きっと…」


「……あゆちゃん…」


「だって…名雪さん、そんな…待ってたのに、ずっと待ってたのに、なのに…ボクは忘れてて、全部忘れてて…」


「………」


「なのに、ボク…また……」


「………」


「……だから、名雪さんが…」



『許さない…これ以上…許さないからっ!』



泣いていた
泣いていた名雪さん
泣いていたのは


それは



「……ボクのせい…ボクなんかのために、名雪さんが…」



「……あゆちゃん…」



「…だから、ボク…ボクなんか…ボクなんかが…」







「あゆちゃんっっ!!」






びっくりするほど大きな声。
ボクは名雪さんの顔、見上げた。


「………ダメだよ、あゆちゃん」


「………」


「……そんな言い方、しちゃ…ダメだよ。」



名雪さんは笑いながら

赤い目
濡れた大きな目

長い髪
揺れて
揺らして



「…それ以上は…わたし、許さないよ。」


「…名雪さん…」


「……そんな…あゆちゃんがそんな、『ボクなんか』なんて言ったら…」






「…かわいそうじゃない、わたしの…約束が。わたしの…7年が…」



「………」



「……あの…夜、泣いていた祐一が…かわいそうじゃない。あゆちゃんが死んだって思って、自分が…殺したって思いこんで、泣いていた…上げるはずだった人形、しっかり握って泣いてた、祐一が…」


「そんな祐一のこと、想ってたわたしが…だから、約束して、信じて、待ってたわたしが…」




「……だから、許さないよ。そんな、自分を卑下するなんて…絶対。ね、あゆちゃん?」



名雪さんは言った。
その顔から、スッと笑顔が消えた。
そして、その真剣な顔でボクのこと、じっと見ると



「……じゃないと、わたしの…わたしと祐一の結論まで…」


「………結論…?」


ボクは聞き返していた。
いったい、何の…
…どんな…



「…わたしたち…祐一の、わたしへの…」




名雪さんは、ボクの顔を見つめながら
真剣な顔で見つめながら





「…結論を、わたし……」










目を閉じて

小さく息を


















「……ううん。やめとくよ。」





「……え?」




思わず、見上げると、名雪さんは目を開けてボクを見て


笑って





「………言わないよ。それは…わたし…」




「……え……」




「…言わないね。それは。わたしからは、言わないよ。だって…」




笑って

でも
その目は

その目から



「…それは、祐一の口から聞いて。わたしの口からは…」



目から落ちて
流れて落ちる



こぼれてた
目からこぼれて




「……だから、謝るのも…やめとくね。」



「……謝る…?」



「……あの夜の…こと。」



名雪さんは瞬きをした。
大きな赤い目
瞬きをすると



「わたしが…あゆちゃんのこと、卑怯だって言って…倒しちゃったこと。わたし…謝らないからね。」


「……名雪さん…」




『そんなの…そんなの、ひどいよっ!ひどすぎるよっ!祐一に…わたしに…ひどすぎるよ、そんな…あゆちゃん!祐一の罪悪感につけ込むのは止めてよっ!そんなの…ひどいよっ!!卑怯だよ、あゆちゃん…あゆちゃん!!』


名雪さんの目


『許さない…これ以上…許さないからっ!』



あの時
あの夜
名雪さんは






泣いていた
泣いて





そして




名雪さんの目からまた涙が落ちた。
頬を伝って
涙が





「……だって、それぐらいは…ね。わたしだって…」



「……名雪さん…」



「……悔しいから……」



「………え?」



…悔しい?
それはどういう…



「……名雪さん?それ…」




「……あははは。何でもない。何でもないよ。」



名雪さん、小さく首を振りながら、笑った。
笑いながら、またボクの目を見つめると


「……謝らないけど…いい?あゆちゃん?」


「………」



ボクは名雪さんの顔、見てた。
真剣な顔。
ボクを見つめてる、大きな目
赤い目が


名雪さん
それだけ、祐一くんのこと…


ボク…



「……はい。」



ボクは頷いた。


誰が悪いわけでもないこと
ボクにも分かってた
ボクたちは


ただ



「……はい。」


ボクはもう一度、頷いた。



「……うん。」



名雪さんは小さく頷いた。
そして、首をちょっと振ると、窓の外を見た。


「……だから…行ってあげてね。祐一のとこ。祐一…待ってるから。ずっと…」


名雪さんは窓の外、ぼんやり見たまま言った。
ぼんやり、外の白い雪を見つめたまま


「…わたし、どこで待ってるのかは、知らないよ。知らないけど…」

「………」

「…待つって…待ってるって。あゆちゃんのこと、ずっと待ってる…そう、祐一、言って出たんだよ。『あいつが来るまで待ってるから…今晩、帰らないと思う』って、そう言って、出かけたんだよ、昨日。」

「……祐一くんが…」

「…うん。」


名雪さんは頷いた。
そしてボクの方を見ると、ちょっと微笑んで


「…どうしてわたしって…そういう役ばっかりなのかな…ねえ、あゆちゃん?」

「……え…」

「…いっつも、見送ってばっかり。そうやって、見送って…大事な時に、いっつも遅れちゃって、こうして見送るばっかりなんだよね…昨日も、7年前も…」


「……名雪さん…」


「………」


「……ううん。わたしが…代わりに、行こうかな。」


「……え?」


見上げると、名雪さんは笑いながら

でも
目は真剣にボクを
じっと見つめて


「……あゆちゃんが…行かないなら。ううん、あゆちゃんが行く前に、わたしが行っちゃって、そして…」

「………名雪さん…」

「……そしたら…」

「…ボ、ボク…」


「………」



名雪さんはボクの顔、見つめていた。
きゅっと口を閉じて、ボクをじっと…



「……なんてね。あはははは」



と、急に名雪さん、にっこり笑った。
そして小さく、首を振って


「…バカなこと、言ってるね。出来るわけ、ないのにね。」


名雪さん…


名雪さんは笑っていた。
笑って
赤い目で笑って


「わたしは祐一がどこで待ってるか、知らないのにね。」

「………」

「……知らないし、それに……」


笑いながら
名雪さんは首を大きく振って
大きく


「…それに、あゆちゃん、行くんだもん。わたしが行く必要、ないよね。」


「…名雪さん…」


「わたしの…出番は…」


「………」



名雪さんはつぶやくように言った。
自分に言い聞かせてるみたいに
きっと自分に言い聞かせるように
きっと



ボクは何も言えなかった。
何か言おうと思った。
何か言わなくちゃと思った
言おうと思った


だけど


浮かんでくるのは謝る言葉ばっかりで
ボクには謝る言葉しか思いつかなくて
考えられなくて

でも


それを言ったら
それは


『………ダメだよ、あゆちゃん』


きっと名雪さんは言うと思う
絶対言うと思う
今度は本気で怒って
本気で


ボクも言わない
それだけは言えない
なぜだか分からないけど
分かってた
言っちゃいけないことは
絶対に言えないことは
だから



ボクは黙ってた。
黙って名雪さんの顔、見上げたままで
ぼんやり、ボクを見ている名雪さんの顔を見たまま
ボクは


「……あゆちゃん…」


「……は、はいっ」



いきなり、名雪さん。
ボクはあわてて答えた。
名雪さんの顔を見上げたまま
ぼんやりボクを見ている名雪さんの顔
その顔が



笑って




「……ふぁいと、だよっ」





「……え?」




「…ほら、もう…行って。もう…」


「……で、でも、ボク…」


「………」



名雪さん、首をちょっと傾げると



「………あゆちゃんは、知ってるよ。」


「……え?」


「……だって、祐一、信じてたもの。信じて…待つって、出てったんだから。だから…」


「………」


「……考えてみて。きっと…分かるはずだから。あゆちゃんには…あゆちゃんだけには、分かるはずだから…ね?」


「………」




「…あゆちゃん、ふぁいと、だよっ!」



名雪さんはボクに両手をギュッて握りしめて見せると、ニッコリ微笑んだ。
思いっきり、笑みを浮かべた。
まだ赤い目
まだ濡れた顔でにっこり笑って




ボクは





「……はいっ!!」




ボクは思いっきり、頭を下げた。
名雪さんに思いっきり、礼をした。
それしか、ボクにはできなかったから。
それしか、名雪さんも望んでないと思ったから。
だから、ボクは頭を下げて



「………じゃあ……ね。」




「………はいっ」



頷いた名雪さん。
ボクはもう一度、頭を下げた。
そして、振り返って駆けだした。
名雪さんの家の玄関から、通りへと駆けて



振り返ると、名雪さん、まだ玄関のドアは開いていた。
名雪さん、ボクに小さく手を振っていた。
でも、それからすぐ、名雪さんはドアの後ろに…


もう一度、頭を下げてた。
もう見えない名雪さんに頭を下げた。
そして顔を上げて


白い雪の中
雪の積もった道
見上げれば…青い、高い高い空。


…でも…祐一くん、いったい…
名雪さんは分かるって、ボクには分かるはずっていったけど、でも…



ボクは分からなかった。
分からないままで
ぼんやり空を
白い屋根の続く道を
ぼんやり


白い雪
風が吹いて、目の前を雪のかけらが飛んでいった。
ボクはぼんやりその雪を目で…



その時



白い雪の向こう
白い屋根その先
遠くに



この街のどこからも見える
どこからも見えた
それは見えてた
あの冬には
ボクは見て




間違いない…ね
うん
間違い…ない



ボクは駆けだした。
雪の積もった道を、駆けて
ボクは
















オレは考えていた。
あの冬のこと
あの白い雪の中で出会った少女のことを


あの冬の日々
全ての始まり
そして


吐く息は、やっぱり白い。
耳をすましても、聞こえるのは風ばかり。
それと、時折聞こえる、枝から雪の落ちる音…


バサッ


また遠くで雪が落ちた。
次第に暖かくなったせいか、枝から落ちる雪。
おれはその音を聞きながら


あの冬の陽も、オレは聞いていた。
ここにあった大きな木
大きな大きな、大きな木を見あげながら
大きな木に登った少女を見上げて
真っ赤に染まったその横顔
ぼんやり街を見ているその顔を見上げて


天使
もしもこの世に天使がいるとしたら
それはこんな少女なのかもしれない
この少女なのかもしれないと
オレは


天使
冬の夕暮れの天使
天使は


天使になった
オレの腕の中で
目を開けないで
目を開けてくれなくって
オレの手を真っ赤に染めて
天使は


天使は



雪の中で泣いていた
白い雪をリングのように載せて
雪の中で立ち尽くし
雪の中で泣いていた天使


この街には二人の天使がいた
二人の天使がいた


でも
オレは

全てを忘れて
全てを放り出して

天使たちを泣かせて

天使



泣かないで
もう泣かないで
これ以上、ボクはきみを泣かしたくない
泣かせたくはないんだ
だから


オレはここで待つ
ここで待って
最後の結論をきみに

きみ

きみは少女
あの夢の少女

オレは夢を見ていた
オレは


「………おいおい…」


オレは首を振った。
そして苦笑しながら、立ち上がった。

危ない、危ない。
まだ寝るわけには…いかない。
今、眠ったら…マジで危ないし、それに…


待ってるから
オレは
待たなきゃならないから

それは一人の天使のため
そしてもう一人の天使との約束のため

オレは



待って





パサッ



雪の音
森に響く音

オレは振り返って





そこに




「………」




そこに天使を見た


オレは



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