Eine Kleine Naght Musik

- Hello, Again - 7 後編

"Oder Zwei"


佐祐理さんSS。

シリーズ:Hello, Again

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詐欺師さま『ぶらんこ降りたら』へのコメントより抜粋

佐祐理さんの狂気。
でも、佐祐理さんは孤独ではない。
舞がいる。
祐一が、いる。

そして、舞は舞です。
わたしが知っている、強くて弱くてもろくて優しい舞。
そこに光があった。
そして、佐祐理さんは光を受けて、自分で救いを求めることができた。
救いとは、求めなければいけないものだから。
降ってくるものではないから。
あがいて、探して、狂うほどに求めた末にしか、それは得られない。

でも、狂う事は、間違いでもある。
救いを求める方向を、救い自身を歪めてしまう。
舞が待ち続けるうちに、待っている理由を忘れてしまったように。
佐祐理さんは…間違えている。

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そして
これがその答えになれば良かったのだけれど
オレにはそんなことはできるはずもなかったよ。
ごめん、佐祐理さん。
ごめん、舞。
だけど

だけど最後まで書くことはできると思うんだ。
それだけは…今度こそ、それだけは約束するよ。
だから…

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Eine Kleine Naght Musik  - Hello, Again - 7
   後編 "Oder Zwei"
 

ドアの向こうは、暗い教室。

いや、そこは麦畑。
どこまでもオレンジに染まった
どこまでも広がる麦畑。

それは当たり前のことだった。
オレには開ける前から分かっていた。
多分、佐祐理さんにも分かっていた。
だからオレたちは黙って足を踏み入れた。

オレンジ色に染まる麦畑に
ざわざわと風の渡る麦畑に

渡る風に白い物が揺れていた
白い長いウサギの耳が垂れて揺れていた。
少し離れた麦の中、ウサギの耳がわずかに見えた。

    『もういいかい』

声がした。
少女の声がした。
遠くの方から少女の声が、わずかに風を渡っていた。
風を渡る声が…
 
 
 

踏み出したオレたちを
白い光が
 

白い
 

白い雪が
 
 
 
 
 
 
 

ことことこと…
…ことことこと…

『うさぎさん…うさぎさん…』

ことことこと…

白い病室のベどのそば。
ストーブの隣でつぶやきながら、何かを描いている少女。

『うさぎさん…うさぎさん…』

赤色のクレヨン。
ちびたクレヨンをしっかり握りしめて。

『できた…うさぎさん』

得意げに、ベッドに座る母親に見せる少女の顔。

『上手にできたわねぇ』

笑う母親に、少女も笑う。
うれしそうに笑う少女の顔。

『でも、うさぎの尻尾は丸いのよ。猫のように長くないの』
『ふぇ…そうなの?』
『見に行けたらいいのにね…』
『…動物えん?』
『そう。動物園。動物がたくさん居るところ』
『…うさぎさん、いる?』
『居るわよ。ゴリラさんも、ライオンさんも』
『…ゴリラさんも?』
『そうよ。うぉーッ、ゴリラさんっ…っっ』

胸を叩いたとたんに咳き込む母親に、少女はすぐに立ち上がる。

『わ、おかあさん…』
『あはは…大丈夫よ。ちょっと調子に乗りすぎちゃったみたい』
『うん…』
『おかあさん、ゴリラさんみたいにつよくないんだから…』
『大丈夫。そのうち強くなるからね』
『そうしたら、舞を動物園に連れていってあげるから』
『ほんとぅ?』
『本当よ。ずっと約束してたもんね』
『……うん…』
『だからね…』
『でも、おかあさん…無理しちゃダメだよ…』
『……大丈夫よ…あなたは心配……』

かすれていく光。
 
 
 
 
 

    『もういいかい?』
 

少女の声。
風を渡ってくる声が。

きっと少女はこの場所で
この麦畑でいつだって
ずっと一人でいたのだろう。
一人で遊んでいたのだろう。
きっと

きっと
 
 
 

    『もういいかい?』
 
 

少女の声。

白い光
 

白い
 

白い雪
 
 
 
 
 
 

『おかあさん…だいじょうぶ?』

一面、白い雪の道。
雪が降り積もった道。
大きな母親を支えながら、ゆっくり歩く少女の姿。

『大丈夫…お母さんは大丈夫。』

母親の声は、だけど小さく、力がない。

『でも…』
『…大丈夫。少し休んだら…』
『…うん』

そばのベンチに、少女と母親が座る。

『さむくない?』
『うん、大丈夫よ』
『長いあいだ、横になってたから…おかあさん、体力なくなっちゃったみたい…』

母親の手を少女は握ると、にっこり顔を見上げる。

『ちょっと休む…?』
『うん…ごめんね』
『時間、たっぷりあるから、いいよ』

頷いて微笑んでみせる少女。
かろうじて笑う母親。
その息は、白い。
そして、荒い。
いつまでも荒く…

『動物えん…たのしみだね。』
『そうね…今日、だけだからね…』
『お弁当のバナナも、楽しみだな』
『そうね…』
『これから、バスに乗るんだよね?』
『………』
『それから、うーんと、それから…』
『………』

荒い息の母親。
見上げる少女の顔。
白い雪。
白い
白い雪の中…

『犬さんだよ、おかあさん』
『………』

足下に寄ってきた犬。
少女は頭をなでると、母親を見上げる。

『おかあさん?』
『…なに、舞…?』
『ほら、犬さん』

手をなめる犬。
笑う少女。

『犬さん、かわいいねぇ、おかあさん』
『………』
『ね、おかあさん?』
『………』
『…そうね、かわいいわねぇ…』

犬の頭をなでる少女。
尻尾を振る犬。
母親は黙って
荒い息をして…

『………』

目をつぶる母親。
おさまらない息。
しだいに白くなる顔。
白い雪の中。
白い、蒼い顔…

少女はベンチを降りて母親を見上げて
犬の頭をなでて

『頑張ろうね。』

少女は雪を集めては、丸めて形を作る。
白い小さな丸。
拾った葉っぱの耳。

『これしか…お母さんに教わってないから…』

つぶやきながら
手を真っ赤にしながら
振り返って犬の頭をなでながら
少女は笑って
 
 

『おかあさん』
『………』
『ね、おかあさん…』
『………』
『おかあさん…』
『…ん…』

目覚めた母親に、少女は笑って。

『…ごめんね、舞…ねてたみたい…』
『ううん、いいよ…でも、ほら…』
 

そして、手をいっぱいに
せいいっぱい広げて
 

『…動物えんだよ』
 
 
 

ここは動物園。
ウサギだけの動物園。
白い雪の中
白い雪ウサギに囲まれた
そこは動物園

二人だけの動物園
 

『素敵な…動物園』

母親は微笑んで
そして
その目から

『…お母さん、泣いてるの?』
『………』
『またイタイの?』
『…ううん、痛くないよ。大丈夫』
『よかった』

涙を手でふいて、母親は笑うと

『じゃ、舞…お昼にしようか…』
『おかあさん…久しぶりに歩いたら、お腹すいちゃった…』
『ほんとぅ?』
『……うん』

ベンチに駆け戻って、お母さんの隣。
少女は包みを開ける。

黄色いバナナが2本。
一本のバナナを、少女は二つに割って

『犬さんにもあげるね、おかあさん』

むいて、犬さんに分けながら、食べる少女。
そして、もう一本、バナナをむくと母親に

『はい、おかあさん』

『………』
『おかあさん、バナナ』
『おいしいよ』
『………』
『…おかあさん?』

見上げる少女の肩
母親は寄りかかって

目をつぶって

柔らかな表情で
目をつぶって

『いたくなくなったのかな…』
『ね、犬さん』

微笑む少女の顔。
見上げる犬。
寄りかかって眠る母親。
寄りかかる母親の息はもう荒くなくて

もう荒くさえなくて

もう
 
 

もう
 
 
 
 
 
 
 
 
 

    『もういいかい?』
 
 

あなたにも分かったんだね、佐祐理さん。
オレの手を、そんなに握りしめて。

そうだよ。
あいつはこんなところで
一人でいたんだ。
ずっと一人で風に吹かれていたんだ。

この場所で
この
 
 
 

悲しい場所で
 
 
 
 
 
 
 
 

『あの子…どうなるんだろうな。』
『さあ…親類もいい顔をしてないって話だし…』
『…ここの支払いだって…』
 

固まって小声で話す大人たちから離れて
暗い廊下の椅子に一人腰かけて
手をしっかり握って
二つ、しっかり握って

少女は祈っている。
祈る
祈る

祈り
 

願い
 
 
 
 
 
 

祈り
 

    元気になりますように。

    また、あたしに笑いかけてくれますように。

    また、一緒に動物園にいけますように。

    また、一緒にバナナを食べられますように。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

『…おかあさんっ!!』

『ああ…こんな…本当に……』
 

『おかあさん…おかあさん!!』

『…舞っ!…舞…』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

    『もういいかい?』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

『ちょっとだけだから…さあ、ここで見せてちょうだい…』
『嫌っ』
『ちょっとだけだよ…見せてくれたら、そしたら帰っていいから…』
『……ホントに?見せたら、本当におかあさんのところに…帰れるの?』
『もちろんよ。』

『………じゃあ……』
 
 
 
 
 
 
 
 
 

    『もういいかい?』
 
 
 
 
 
 
 
 
 

『この…悪魔の親子がっ!』

『近寄るなっ』

『出てけ…出てけっ!!』
 
 
 

『ごめんね…お母さんの病気のせいで…』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

    『もういいかい?』
 
 
 
 
 
 
 
 
 

『どこに行くの、おかあさん』
『…遠い、遠い街。ここからずっと…ずーっと遠い街よ…』
『…そんなに遠いの?』
『ええ。そして…誰も知らないところへ…』
『…誰も知らない?』
『…できれば…』
『………』
『お母さんの病気のせいで…あなたをこんなふうにしちゃったけど…』
『でも…ずっと笑っていてね。ひとりでも』
『うん』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

    『もういいかい?』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

『あっち、行けっ!お前…近寄るなっ!』
『お前と遊ぶなって、お母さんに言われてるんだよっ!お前、悪魔の子なんだって』
『…あたし…』
『あっち行け!来たら…』
『………』
『みんな、逃げろっ!悪魔の子が来るぞぅ!』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

『ごめんね、舞。わたしのために…わたしの病気のせいで、お前、そんな力を…だから…』
『……ううん。この力は、おかあさんを助けるためのものだったから、だから、わたし…わるく思ってないよ。』
『………』
『おかあさんも…わるく思っちゃだめ。この力のおかげなんだもん。お母さんと一緒にいられるの…』
『………』
『…おかあさん…』
『………』
『………おかあさん…』
『……いつか…』
『……うん』
『……いつか、きっと…舞…お前を…お前のこの力を、全部受け入れてくれる人が…きっといるからね。きっと、きっとお前の前に現われるからね。ね、舞…』
『………うん』
『……きっと…』
『……うん………』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

    『もういいかい?』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

麦畑を渡る風
ざわざわと麦を揺らして
麦の穂を揺らして

白いウサギの耳
風に垂れて揺れて

両手で目を覆って
立ち上がった少女
ワンピースの裾が風に揺れていた。
 

ざわざわと

パタパタと

ざわざわと
 

目を覆ったまま
少女はもう一度
 
 
 
 
 
 
 
 

「もういいかい」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「…もう、いいよ。」
 
 
 

オレは言った。
 
 
 
 

少女は手を外した。
目を覆っていた手を外した。

そして

オレを

佐祐理さんを
 
 
 

見つめて
 
 
 
 
 
 
 

「…やあ、まい。」

オレは手をあげた。

「……まい…」

佐祐理さんはオレの腕をしっかり握って言った。
 
 
 

少女は黙っていた。
黙ってオレたちを見ていた。
 
 
 

「…遅くなったけど…帰ってきたよ。」
 

少女はオレを見た。
オレの目を見ていた。
大きな瞳で
オレンジに染まる瞳で

その目が

濡れて
 
 
 

ドンッ
 
 
 

オレの胸

まいは思い切り、飛び込んだ。
 

「…待ってたんだよ…」

「…………」

「……ずっと…待ってたんだから…」
 

「…ごめん。」
 

こんな言葉じゃ、謝ることなんてできない。
何を言ったって、きっと謝れはしない。
オレは…
 

「…待ってたの…」

「……ごめん、オレが…悪かったんだ…」
 

オレが悪かったんだ。
オレが子供だったんだ。
舞の思い
舞の悲しみ
舞の絶望を
思ってやれないほどの
あまりに子供だったんだ。
オレは
だから…
 

「ごめん。全部、オレのせいだ…」

「………」
 

ふいに、まいは顔を上げた。
オレを見上げた。

そして
 

「…ううん。」
 

首を振った。
 

「…あたしも…悪いから。」

「まい…」

「あたしも…子供だったの。自分のことしか…自分の気持ちしか分からない、そんな子供だった…あたしも悪いから。」

「…まい、それは…」

オレの言葉に、まいは首を振った。

「そして…あたしはあなたを待つ、その待ち方を…間違えたから。」

「……まい…」

「あたし、あなたのことを勘違いして…あなたもあたしを、あたしの力を恐がって、だから逃げたんだって…」

「まい、それは違…」

「…そして、あたしは…」

まいはオレの言葉にかぶさるように続けて

「あたしを嫌って…憎んでしまったから。」

「………」

「あたしを…あたしの力を、憎んで…この力さえなければ、あなたが帰ってくるって…そのために、あたしは…あたしを狩ってしまったの…」

まいは微笑んだ。
悲しい笑みを浮かべた。

「そう、間違えたの。あの時、あなたのおかげで…好きになれていた自分…自分の力をあたしは、憎んで、狩ってしまった…魔物として、狩ってしまったから…」

「…まい…」

「…そして、狩るうちに…あたしを狩るうちに、何のために狩ってるのか…何を狩っているのか…何もかも忘れて、ただ…わたしは狩ってしまったから…だから…」

「…それは、まいのせいじゃないっ!」

オレはまいの肩を掴んだ。
小さな肩を掴んで

「それは…オレのせいだからっ!だから…」

「……ダメだよ、祐一くん。」
 

でも、まいは笑っていた。
笑ってオレを見上げた。

「…それじゃあ、あたしとおんなじだよ。あたしとおんなじ間違い…そして…佐祐理とおんなじ…それじゃあ、ダメだよ。」

「……えっ?」

ぼんやりオレたちを見ていた佐祐理さんは、目を見開いてまいを見た。
まいを見つめて

「…まい?わたしは…」

「…みんな、自分の…自分の何かのせいにして、自分を嫌って…自分の何かを憎んで。そして…そのために、本当に幸せになろうって、できるのに自分でできなくして。」

「……まい?」

「……だから…」

まいは佐祐理さんを…オレを見上げた。
そして

「だから、もし…もし、祐一くんが、あたしのことで…ホントに悪いって思う、そう思うんだったら…」

「まい、オレは…」

「…だったら…ね、祐一くん。」

まいはオレを見上げて
そして

「一つ、あたしの願い事、かなえてくれる?」

「…いいよ。」

オレは頷いた。
オレには…その義務があると思った。
まいの願いをかなえる義務。
それがなんだろうと
オレは…
 

「…どんなことでも、きっとかなえるから。絶対。」
 

もう一度、オレは頷いた。

舞はオレを見上げたまま
小さく頷いて
 

「……じゃあ…」
 

そして

オレを

佐祐理さんを見て
 
 
 
 

笑った。
 

「じゃあ、祐一くん…佐祐理を幸せにしてあげて。」
 

「……え?」
 

「……まいっ、あなた…」
 

「佐祐理を幸せにする。それが、あたしの…舞の願い。」
 

佐祐理さんは呆然とまいを見つめていた。

まいは佐祐理さんを見上げて微笑んだ。

佐祐理さんはよろけるように、後ろに一歩、下がると
 

「そんな、わたしは…」

「…佐祐理」

「そんなこと…」
 

佐祐理さんは麦の中、よろけて座り込んだ。
座り込んで
そして
 

「そんな権利、わたしにはありません。あるわけがない!」

「……佐祐理…」

「わたしは…佐祐理は…一弥を殺して…舞を…あなたを傷つけた…そんなわたしに、そんなことがっ」

「…ううん。」

まいは佐祐理さんに手を伸ばした。
呆然と座り込む佐祐理さんの手を取った。
そして
その手を

「あたしは佐祐理に…感謝してるから。」

そっと両手で取った。
両手で挟むように、覆うように握った。

「感謝してるから…」

「そんな…」

「…佐祐理がいてくれたから、あたしは祐一くんを…こうして待ち続けて。そして…会うことができたから。」

「わたしは何も…」

首を振りつづける佐祐理さん。
髪が麦に触り、音をたてた。

ざわざわと
音をたてて

「…ううん。佐祐理がいてくれたから」

まいは佐祐理さんの手を握りしめていた。
その小さな手で
しっかり握って

「あたしは祐一くんを…ここに呼ぶことが出来なかった。あたしが舞を…自分を傷つけた、本当に傷つけてしまった今…どうしても、あたしは祐一くんに会わなきゃならなかったのに。でも、あたしは…」

「……まい…」

「…だから、呼んだの。佐祐理を呼んだの。佐祐理は呼べたから。だって…」
 

まいは言葉を切った。
佐祐理さんの顔を見つめた。

風が麦畑を渡っていった。
音をたてて渡っていった。
 

「だって」

まいは小さく頷いて
そして

「…親友だから。あたしの…舞の親友。たった一人の…」

笑った。
まいは笑った。
 

「……まい…」

「…そして…佐祐理が来てくれたから、祐一くんも来てくれた。だから…会えたから。だから…」

「……でも、わたしは…わたし…」

佐祐理さんはなおも口を開こうとした。

でも、舞は佐祐理さんの口に、右手の小さな人差し指をそっとあてた。
そして、にっこり笑った。

「…ありがとう、佐祐理。」

「舞、でも、わたしは…」

「これであたしも…幸せになれるから。」

「……え?」
 

佐祐理さんは顔を上げた。
まいの顔を見上げた。
手を握りつづけているまいを見あげた。

「…ひとは、ひとを幸せにして、幸せになれる。そう…佐祐理は言ったよね。前に一弥くんの話をしてくれた時…」

「…まい…」

「知ってるよ。だって、あたしは…舞だから。」

まいは微笑んだ。
麦畑を渡る風に、白いウサギの耳がかすかに揺れた。
佐祐理さんの髪がなびいて揺れていた。

「だから、佐祐理…あたしを…舞を幸せにしたいって…いつも思って、いっつもそうしようってしてくれたんだよね。でも…でもね、佐祐理。その言葉は舞にも…あたしにもそのまま、言えることなんだよ。言いたいことなんだよ。」

「……え?」

「舞が幸せになるには…佐祐理が幸せにならなきゃダメなんだ。だって…」

「まい…」

「だって…佐祐理…あなたはあたしの親友だから。そして…祐一くん…」

振り返って、まいはオレを見た。
大きな瞳がオレを見た。
風に揺れるウサギの耳が、顔に影を作っていた。
ゆらゆら、揺れて瞳の中、白く、オレンジに映っていた。
まいの大きな瞳
揺れている瞳…
 

舞の瞳に
オレは

「……ああ」

かすれた声で
 

「……祐一くんも…」

まいは、佐祐理さんに振り返った。

「祐一くんも…あたしの…舞の友達だから。佐祐理の次…でも、一番の友達だから。友達が幸せになってくれたら…あたしもうれしいから。一番の友達たちが幸せだったら…あたしも幸せになれるから。」

「…そんなことっ!」

佐祐理さんは叫んだ。
まいの腕を掴んだ。

小柄なまいの体を佐祐理さんは抱きしめた。

「…まい…どうして、あなた…」

「……だから、あたしも…佐祐理とおんなじ。おんなじだって…こうなって、やっと分かったから。」

「…まい…」

「…佐祐理、あたしは…」

舞は佐祐理さんの胸から顔を上げた。
手を伸ばすと、佐祐理さんの顔を両手でそっと挟んで

「舞はね…本当に幸せになりたかったんだったら、本当に佐祐理のこと、友達だって思ったんだったら…あの、あたしのこと、昔のことを、もっと早くに佐祐理に言わなきゃいけなかった。魔物のこと、どうしてわたしが魔物を…あたしを、力を狩ってるのか、それを佐祐理に話して、そして…幸せになろうって、思わなきゃいけなかったんだ。佐祐理が祐一くんに、一弥くんのこと…手首の傷のこと、話したように…」

「………まい、それは」

「だから…あたしは間違えてたの。だからね、佐祐理、あたしは、佐祐理に…幸せになって欲しい。」

「…でもっ、わたしは…」

佐祐理さんは舞の手を払うように、首を大きく振った。

「まい、わたしはあなたに何も…」

「…いてくれたから。」

でも、舞は笑って言った。
にっこり笑って、佐祐理さんの顔をそっと右の掌で触れた。

「それだけで…よかったの。何があっても…佐祐理はいてくれた。ずっといてくれた。今夜も…」

「…まい…」

オレは二人に近寄ると、まいの前にしゃがんだ。
血のまだ垂れている左腕を抱えてしゃがみこんだ。
痛みは感じなかった。
今は感じなかった。

舞はオレの顔を覗き込んだ。
そして

「ありがとう」

「まい…」

まいは微笑んでいた。
微笑みながらオレを
佐祐理さんを見て頷いて

「…今夜も、あたしは佐祐理を呼んだけど…呼んで何をすればいいのか、本当は分かってなかった。だから、佐祐理を…そして祐一くんを…
 でも、祐一くんが佐祐理のことを、そして佐祐理が祐一くんを…それを見て、あたし、思い出した。ううん、分かった。どうしたら、あたしが…まいが幸せになれるのか。本当は、どうしたら幸せになれていたのか…」

「まい、オレは…」

「まい…」

オレたちの顔を見て、まいはにっこり笑った。
長い髪が風に揺れ、顔にわずかにかかった。

「だから、ありがとう。二人とも、ずっと舞のそばにいてくれて。ずっと…今晩も…ずっと…」

「………」

「…だから、舞は幸せになれるから。助かる、から。」

「…まい?」

まいの言葉。
まいの笑顔。

その顔が今にも消えそうな気がした。
その声が風の中に消えてしまいそうな気がした。

助かる…
 

それは…
 
 

「…まい?きみは…」
 
 

「………」
 
 

舞はオレの顔をじっと見つめた。
大きな瞳
揺れる瞳がオレを見つめて
そして
 
 

「だから、バイバイ。祐一くん…佐祐理。」
 

「……まい?」

「何を…」
 

佐祐理さんの伸ばした手
まいはするりと避けるように麦の中に下がった。

ざわざわざわ

麦が鳴った。
まいの体に麦の穂が触れて揺れていた。
 

「あたしは…あたしに戻るから。」

「…え?」

「…それが…本当だから。本当のあたし…舞に戻るの。だって…」
 
 

ザザーーーーーーーー
 
 

風の音
麦の揺れる音

強い風が麦畑を渡って
麦畑を大きく揺らしながら
 
 

「…あたしは、まい。そして…川澄舞だから。

「まい…」

「あたしを心から好いてくれる舞と…一緒なら、あたしは…舞は助かるの。きっと。きっと…」

「…まい…」
 

「…佐祐理」
 

まいは佐祐理さんに向き直った。
大きな瞳で微笑んで
 

「…舞といつまでも…いつまでも友達でいてくれる?」
 

「……当たり前ですっ!」
 

佐祐理さんは叫んだ。
麦の上に座り込んだまま
ほとんど同じくらいのまいの目を見つめて
 

「…ありがとう」

「…まいっ!」
 

佐祐理さんの叫び。

まいは頷いた。
 

そして
 
 
 
 
 
 
 
 

そして
オレの方を向いて
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「…さようなら」
 

まいはオレを見つめて言った。
麦の穂の茂る中から、オレを見上げて言った。

背の高い麦の畑を渡る風
揺れるウサギの耳
 
 

でも

まいは
 
 
 

「…さようなら」
 
 
 

オレの言葉。
あの時と同じオレの言葉。

だけど

オレは
 
 

オレたちは
まいは
オレは
 
 
 
 

黙って
頷いて
そして
 
 
 
 
 
 
 

笑って
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

これがオレたちの
あの夏の日のお別れ。

本当はこれが
本当の
 
 
 
 
 

いや
それでいいのか?
それだけで
まいは
オレは
 
 
 

「…まいっ」

オレは叫んでいた。
 

麦の穂の中
ウサギの耳が
 
 
 

「…まい、オレは…あの日、オレは…」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ドン
 
 
 
 
 
 
 
 

飛び込んできた小さな体

オレに抱きついて
見上げる大きな瞳
 

瞳が
 
 
 

その顔が
 
 
 
 
 
 

その唇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

チュッ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

見下ろしたまいの顔

大きな瞳
揺れている瞳
 
 
 
 
 

まい、これは…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

    これでいいの
    これだけでいいの

    これがあたしと祐一くんのお別れ。
    あの夏の日との
    あの思い出とのお別れ
    だから
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

    お別れにも挨拶を
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ザザーーーーーーーーーーーー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

麦畑を渡る風

全てを吹き飛ばしそうな強い風が
 
 
 
 
 
 

どこまでもオレンジ色の麦畑

どこまでも

どこまでも
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

消えて
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「……まいっっっっっっ!!!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

暗闇に響く叫び。

佐祐理さんの叫びが響いていた。
暗い教室に響いていた。
オレたちのほかには誰もいない教室に
佐祐理さんの声が
 

佐祐理さん
 

佐祐理さんは
 
 

「…まいぃぃぃぃ」
 
 

泣いていた。
涙を流して泣いていた。
その瞳から
涙が溢れて
 
 
 

さゆりさん
佐祐理さんが泣いているのを
オレは初めて見たよ。

きっとその涙は
本当に泣いたのはきっと
きっと一弥くんが死んでから
初めてなんじゃないか?

ああ、そうだね。
きっとそうだね。

でも
泣かなくていいんだよ。
これはお別れだけど
だけど
これはお別れじゃないんだから。
これは
 

これは始まりだから
 
 

始まりには挨拶を
 
 

佐祐理さん
オレと誓おう。
オレは
佐祐理さんは
オレたちは

まいを
舞を

幸せになって
幸せにするんだって
 
 

一緒にしあわせになるんだって
 
 

なあ
佐祐理さん…
 
 

オレは佐祐理さんに
佐祐理さんの肩に手を
そして
そう言おう

そう思った

思ったんだ
 

けれど
 
 
 
 

「……祐一…さん…」
 
 
 
 
 
 

腕の

体の
 
 
 
 
 
 

目の前が

暗く…
 
 
 
 
 

「…ゆういちさんっっっっ」

<to be continued>

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