『ぶらんこ降りたら』−2nd
 

 こんにちわ。詐欺師です。
 佐祐理さんの話、第二話。一応、前回はNo.24270です。

 『M.W.』の佐祐理さんを見てしまったすべての人へ。
 

 注)このシリーズは、途中で「痛い」と感じるところがあるかもしれません。
   でも、私の書きたいのは優しい話です。それだけはどうか、わかってやってください。
 

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 カーテンを閉め忘れた窓から、朝の光がこぼれる。
 すりガラスを通してのぞく空の青は深くて、その向こうの冷たさを容易に想像させる。
 あたたかいまどろみの中で、佐祐理は思い出していた。
 どうして空は青いんだろうと思っていた子供の頃。
 学校の勉強は答えをくれた。光の分散と反射、スペクトル。
 でもそれは、彼女の知りたかった答えとは違った。
 彼女が求めていたのは、理由ではなく意味。「空はなんのために青いのか――」
 答えはまだ見つからないまま。彼女はもう一度瞳を閉じる。

 冬の一日が、始まろうとしていた。
 
 

     『ぶらんこ降りたら』
           2nd‐『ふたつのこころ』
 
 

 …チュン…チチュン……

 晴れた朝は冷え込みがきびしい。窓の外で鳴いているスズメの声は、どこか別の世界から聞こえてくるような気さえする。
「……じかん…」
 チェック模様のパジャマの腕が、ぬっ、と白い布団の間から突き出す。枕元にある時計をつかむと、その手は素早く布団へ戻った。
「…ふぇ〜」
 かまくらのようにこんもりと盛られた布団から、情けない声がもれる。朝はまだまだ寝ていたい。冬の朝ならなおのこと。
 しかしもう起きなければいけない時間だ。いくら寒いからといって、このままずっと布団にくるまっているわけにもいかない。
 …起きよう…
 そう自分に言い聞かせる。しかし体は動かない。
 …起きる、起きる…佐祐理は起きる…
 暗示のように繰り返し、佐祐理は瞳を見開いた。
「よいしょっ!」
 気合いとともにかけぶとんをまくり、起き上がる。
「…やっぱり寒い〜」
 だがやっぱりそれもつかの間のこと。一晩かけて冷やされた空気には、生半可な気合いでは打ち勝つことなどできない。佐祐理は一つ大きく震えると、椅子の背にかけてあった半纏をとった。
 今日の朝食係は、佐祐理の番。

「うーっ、さむい〜っ」
 半纏を着込んだ佐祐理は居間にやってくると、かじかむ手に息を吹きかけ、ストーブに火をつける。
 ううぅぅぅん…
 かすかにうなるような音を立て、ストーブは順調に稼動を始める。佐祐理はそれを確認すると、お湯を沸かすために台所へと向かった。
 その途中ふと足を止め、柱にかかった温度計の針を目で追う。
 えっと、マイナス…マイナス!?
 佐祐理は一瞬目を疑った。家の中でも氷点下…それはすでに真冬の寒さ。12月にしては冷え込みすぎだ。
 …そういえば…昨日は水道の水落としたんだっけ…
 北国では夜中に水道管が凍結してしまうことがあるので、特に冷え込みの厳しそうな夜には警報が流れる。自宅で生活していた去年の冬はあまり関係のないことだったが、舞と二人の今となっては、そんなわずかな情報も見逃すことはできない。
 …そうだ。それじゃまず水を出さないと…
 流しの下にかがみ込み、レバーを押して水を通す。最初に出てくる水は汚いので、少し流してからやかんにくんだ。
 ……さて、と…
 やかんをコンロの火にかけて、佐祐理は今度は洗面所に向かう。そこの水も通さなければならない。
 時刻は七時二十分。今朝のメニューは、昨日のうちに決まっていた。
 
 

「…舞は今月末、テストいくつあるの?」
 ここは学食の二階にある、小さな喫茶店のようなところ。エスプレッソ片手に、二人はノートとにらめっこをしていた。
「…線形と…日本国憲法と…あと、ドイツ語」
「えーっ、ドイツ語あるのーっ?」
「…うん…」
「ふぇーっ、大変だねーっ」
 まるで自分のことのように目を閉じてため息をつく佐祐理。舞はそんな様子を見ながら、線形のノートをゆっくりめくる。
 今日は金曜。講義は午前中で終わる日。
 いつもはこれから二人でお散歩…なのだが、さすがに試験を目前に控えては、遊んでばかりもいられない。
 そういうわけで、今日は二人で勉強会。
「…佐祐理は?」
「私は…えっと…憲法と、英語のリーディングと…」
「線形は?」
「私のところは2月。だからまだ大丈夫だよ」
「…うらやましい…」
「うーん。でも私統計あるよ?」
「…うらやましくない…」
「あははーっ。ほんとだね」
 二人の通っている大学のテスト期間は、正式には2月。だが範囲のあまりにも広い教科などは、年末に独自のテストを用意している。
 学生にとってはこれが苦痛…というか、トータルの量でいえば結局変わらないのだが。それでも「ある」というだけでため息が出てしまうのは、今も昔も変わらないのだろう。
「…佐祐理、ここなんだけど…」
「ん?どこ?」
「ここ…」
 佐祐理は身を乗り出して、舞の指先に視線を落とす。白い紙一面に所狭しと並ぶギリシャ文字や英単語が、妙な圧迫感を持って迫ってくる気がした。
「…えーっとここは、このλが0だから…」
「…うん」
「…で、こっからここまでが命題3.3の範囲で…」
「……うん」
 ペンの先でノートを指しながら、時々顔を上げて納得しているかどうか確認する。しかしどうやら、それすらもすでに必要ないらしかった。
「……うん、うん」
 舞は全く顔を上げようとせず、にらむようにただじっとノートに置かれたペン先を見つめている。そんな様子に笑みをこぼしながら、佐祐理は説明を続けた。
「…で、この部分を場合分けして考えるのね」
「…どの部分?」
「ほら、ここ」
「…うん。わかった。それで?」
「それで、まずはaが0から1のとき…」
 
 

「…んーっ!…疲れたねぇ」
「…お腹減った…」
「あははーっ。お昼からずっとだもんねーっ」
 大きく伸びをしながら佐祐理は笑う。その隣では、舞がお腹を押さえてため息をついていた。
 喫茶店に入ってから早四時間。日暮れの早い冬の街には、すっかり夜の帳が下りていた。
 吹きつける風は冷たくて、コートの隙間から寒さが入ってくるような気さえする。
「…さて、と。今日の夕食何にしようか」
 並んでゆっくり歩きながら、佐祐理は明るく問いかける。しかしいつもなら喜んで希望のメニューを口にする舞が、今日に限って乗り気ではない。それどころかむしろ、何か申し訳ないような視線すら送っている。
「……舞、どうしたの?」
「佐祐理…私、今夜は…」
 ……あ、そうか。
 訴えかけるようなその瞳を見て、佐祐理はやっと思い出した。
「そっか。今夜は祐一さんとお食事だもんね」
 その言葉にも、舞の瞳からは影が消えない。
「…どうしたの?久しぶりに祐一さんとお食事でしょ?」
「……うん」
 一応といえど、祐一もこの冬は受験生である。しかも来春大学に受からないことには、三人での同居生活すらさらに一年先延ばしとなる。
 それだけはさすがにな…と苦笑いを浮かべる祐一のため、この二人もなるべく勉強の邪魔はしないようにと、ほとんど交渉は断ってきた。それでもやっぱり寂しそうな舞を、佐祐理は何度も慰めてきた。
 そして今日は、月に一度の夕食会の日。先月までは佐祐理も含めて三人で過ごしてきたのだが、今日を最後にセンター明けまで会えないとあって、佐祐理は今回遠慮することにしたのだった。
「……やっぱり佐祐理も一緒に…」
 どこか泣きそうな顔で袖を握り締める舞に優しく微笑んで、佐祐理は諭すように言い聞かせる。
「…ねえ、舞。舞は祐一さんのこと好き?」
 …こくり。
「祐一さんだって、舞のことが好きでしょう?」
「…私は佐祐理も好き。祐一もきっと…」
 反論しかけた舞だったが、佐祐理の笑顔の前に黙り込み、またうつむく。
 何度同じ会話を繰り返しただろうな、と佐祐理は思わず苦笑する。しかしすぐに気を取りなおすと、再び言い聞かせるように言葉を続けた。
「舞の祐一さんが好き、って思いと、佐祐理の祐一さんが好き、って思いは違うの。
 それとおんなじで、祐一さんの舞が好き、って思いと、祐一さんの佐祐理が好き、って思いも違うの」
 そう言って、わかる?と小首を傾げる。舞も、わかる、と小さく頷いた。
「……なんとなく、だけど」
「…うん。それでいいと思うよ」
 佐祐理は満足げに微笑むと、一つ大袈裟に震えて立ち止まる。
「…じゃあ佐祐理は、先に帰ってるから」
「……うん」
 一度は頷いて歩き出した舞だったが、二、三歩進んだところで立ち止まり、心配そうに振り返る。
「…佐祐理」
 今にも泣き出しそうな声。佐祐理は困ったような笑顔のまま、黙って先を促す。
「……ほんとにいいの?」
「…うん」
 一際大きく頷くと、からかうように佐祐理は言った。
「…だって一緒にいたら、佐祐理は二人にあてられちゃうから」 
「……そんなことない」
「あははーっ。真っ赤になって言っても説得力ないよーっ」
 ぽかっ。
「ほらぁ、戻ってきちゃダメだって。祐一さん待ってるよ」
 ぽかぽかっ。
「あはは、痛いよーっ」
「…佐祐理が悪い」
「悪くないよーっだ」
 ぽかっ。
「あははーっ」
 
 

 …ガチャッ。
 ドアの開く音。暗闇に一条の光が差す。
「…ただいまーっ…」
 それに続く、遠慮がちな佐祐理の声。
 ……ガチャッ。
 そして再びドアが閉まり、ここは闇に満たされる。
「…えーっと、電気電気…」
 口元で小さく呟きながら、佐祐理は手探りでスイッチを押す。どこか力ない蛍光灯の明かりも、今夜だけはほっと心をなごませてくれた。
「うーんと、どうしようかな…」
 カバンと買い物袋を下ろし、佐祐理はちょっと途方に暮れる。今の時刻は午後七時。妥当なところでは夕食の仕度だろうか。
「……なに食べよ」
 買い物袋を見下ろして、一つ小さく息を吐く。お腹が空いていないわけではない。作る気になれば材料だってちゃんとある。でも、肝心の食欲があまりなかった。
 作っても、一人だし…
 ふぅ、ともう一度息を吐き、佐祐理はその場に座り込む。そしてビニール袋を引っかきまわすと、買ってきた品物をその場に並べ始めた。何か目にとまる物があれば、それを作ろう。そう考えて。
 しかし…
「…ふぇ〜…」
 パスタ、じゃがいも、カレールー…さまざまな食材に囲まれて、佐祐理は思わず悲鳴を上げた。これだけのものがありながら、作る意欲が全くわかない。途方に暮れたようにうなだれて、佐祐理は再び立ち上がった。
 そもそも本当に作りたいものがあれば、買う時にわかってるはずだ。そんな単純なことに今さらながら気づき、佐祐理は食材の輪を抜け出すとあきらめて部屋へと向かった。
「…とりあえず、着替えよう」
 着替えをすれば、気分も変わるかもしれない。
 
 

 そして、それから十分後…

 ……しゃり…しゃり…
 佐祐理は一人ソファに座って、四つ切りのりんごをかじっていた。
 正面のテレビからもれるさまざまな色の光が、その横顔を染めていく。
 やっているのはバラエティーか何かなのだろうか。時々どっと沸きあがる笑い声。お客さんの歓声。
 そんな中、みずみずしい音だけが、佐祐理の耳には届く。
 …しゃり……しゃり…
 なんだろう…
 目はテレビのほうを向いている。しかし内容は見ていない。
 無表情な自分を感じながら、佐祐理はわずかに思い出していた。
 懐かしいとはとても言い難い感覚。忘れていた風景。
 …これは…
 
 …しゃり

 りんごをかじる音が、ひときわ大きく耳に届く。
 そうだ…
 …これは…去年までの私だ…
 ここよりずっと大きな食堂で、たった一人で夕食をとっていた頃。
 どこか寒くて、無表情で…味もなんだかよくわからなかった毎日。
 違うのはテレビがついていることぐらいだろうか。佐祐理の父は、食事中にテレビを見ることを許さなかったから。
 ――ぷつん。
 テレビを消すと、彼女を包むのは蛍光灯の明かりだけになる。
 空気の震えるような音にのせて、秒針が規則正しく時間を刻む。でもそれは、自分が今置かれている世界の静けさを強調するばかり。

 …チッ…チッ…チッ…チッ…

 その音楽に身を任せ、佐祐理は黙って瞳を閉じる。浮かんでくるのは昔の景色。遠い遠い冬の記憶。
 そこにあるのは黒と白。
 黒い空。
 黒い雲。
 黒い人。
 黒い影。
 黒い顔。
 だれだかわからない顔。
 …いえ、あれはお父様。
 黒い顔したお父様。
 雪に消えてくお父様。
 お父様を覆う雪。
 黒い影を隠す雪。
 白い雪。
 白い炎。
 白い部屋。
 白い病室。
 白い顔。
 微笑う――
 
 …チッ…チッ…チッ…チッ…

 佐祐理は静かに瞳を開く。
 そこは自分の家だった。自分と舞の家だった。見なれた家具。壁。天井。笑いかけてるぬいぐるみ。
 そんな愛しいものたちに重なって、コマ切れになった映像たちが、消えたくないと泣き叫ぶ。
 …今のは…
 佐祐理は右手で頭を押さえ、消え行くイメージを必死に留めようとする。
 あの…最後の…
 もうすでにぼやけてしまっている青写真。残っているのは背景の白。
 白だけ。
「……しろ…白い…」
 だがそれ以上、もう何も浮かばない。
 ……ふぁ…
 目を閉じて天井を向き、深く一つ空気を吸う。
 …ふぅぅ……
 そして全身の力とともに、それらをすべて吐き出した。
 もう一度だけよみがえるイメージ。
 黒と白。
 ……黒?
 目の前にあるのは、何も映らないブラウン管。
 …あれは…
 いや、そこには誰かが映っていた。寂しい目をした、泣き出しそうな、それでも何も言わない子供。
 あれは…私?
 しかしまばたき一つする間ももたず、その姿も黒に溶けて消える。
「…あれは…」
 半ば放心状態で、佐祐理はソファに座っていた。聞こえてくるのは水の音。動くものなどない世界。
 うさぎの形に切られたりんごが、皿の上で跳ねていた。
 
 

「……ただいま」
 結局舞が帰って来たのは、十時を回った頃だった。
 真っ赤な顔で帰ってきた舞に、佐祐理は笑いかけることができたかどうか、自信がなかった。
 

           
                                         <つづく>

  ――――――――――−―――――――――――――――――――――‐―――――――――――

 あらためまして。詐欺師です。
「…ところであの『注』はなんですか?」
 見たまま。注意書き。
「わざわざ…ですか?」
 …完全に展開バラしちゃってるけど、それでも今の私には、必要なもの。
「……そうなんですか」
 なにしろ私は…前科者だから(苦笑)作品としての質が落ちたとしても、書かなきゃダメなものだから。
「前科者…私は半分冗談だと思ってたんですけど、でも…」
 でも?
「…私はちょっと…信じてたんですけど」
 …そうだね。結局こんな展開になってしまったね。
「後半は特に、なんか変なイメージでしたね」
 文章面では、せっかく一話でいい評価をいただいたのに(苦笑)いきなり期待を裏切ってしまって。
「作家のプライドゼロですね」
 …もう、ふっきれた。文章の練習は一人でする。あなたが書ければそれでいい。
「でも、『D.D.』みたいのは困りますよ」
 サイケデリック…なものが書きたかったんだ、あの頃は。でも、今は…
「今は…何を?」
 優しい話。それ以上でも以下でもなくて。ただそれだけ。
「…でも、私…最後までここにいることができるんでしょうか?」
 ……無理、だと思う。だから最終話まで…休暇をとっていいよ。
「有給休暇でいいですか?」
 …どっちでもいいや。
 


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